第44話 来訪者
「あの……助けていただき、ありがとうございます」
長銃を抱えた女性が、恐る恐るセリカに謝辞を述べた。先程まで非戦闘員の避難誘導を行っていた少女だ。白いコートにプラチナブロンドのサイドテールという出で立ちは、およそ生粋の兵士のものではない。
当の村人たちは住居に隠れ、勇者を遠目に眺めている。セリカが集落を救ったことに相違はないが、その苛烈な戦いぶりは村人たちが戦慄を覚えるほどであった。
人命を助けるためとはいえ、怒りに任せて剣を振るってしまった――これが、真の勇者としてあるべき姿なのだろうか。自らの所業を戒めるかのように、セリカはゆっくりと剣を盾に収めた。
「気にしなくて、いいよ。それよりも何でこの集落は兵隊に襲われていたの?」
「……ご存知ではないのですか? 彼らは帝国軍の兵士です。徴兵に応じなかった村人たちを反逆者として弾圧しているんです」
「そんな……!」
国家に軍隊が必要なのだとしても、全ての人間が戦えるわけではない。徴兵に応じないという理由だけで、集落に武装した兵士を差し向けるなどやり過ぎではないか。
「込み入った事情があるようですな」
セリカの後ろから出てくるジオハルト。魔獣を模した漆黒の甲冑はあまりにも威圧的だ。ずかずかと距離を詰めてくる魔王の姿に少女は思わず息を呑む。
「あ、あなたは一体?」
「私は魔王ジオハルトです。故あって新大陸に足を運んでおります。かの帝国軍なる者どもの所業、見過ごすことはできませぬ。先んじて、この国の内情を聞かせていただきたいのですが」
「は、はあ……」
セリカはともかく、魔王を名乗る甲冑の男は悪人にしか見えない。敵意こそ感じぬものの、果たしてその言葉を信じてよいものか。少女は困惑した表情のまま、二人を手近な空き家に招き入れた。
「私は、クロエ・フリントと申します。この集落で帝国軍への抵抗運動を行っている者……そう、レジスタンスです」
古びたテーブルに魔王と勇者を座らせ、クロエは自身の来歴を語り始めた。
集落は、帝国軍の強制徴兵から逃れてきた村人たちが身を寄せる場所だった。地方領主の娘だったクロエは、戦えない村人たちを守るために銃を取ったのだ。無論、父親の許しなど得られるはずもなく、彼女は出奔同然の形でレジスタンスに加わることとなった。
「あなた方は見慣れぬ格好をされていますが、遠方からお越しになられたのですか?」
「遠方、といえば遠方ですな。私たちは西方の日本から参りました」
「ニホン……?」
初めて耳にする国名にクロエは目を丸くする。もとより異世界に日本などという国家は存在しない。
「ご存知ないのも無理はありますまい。今や、この大陸は現実世界に転移しているのです。海の向こう側は、あなたにとって未知の世界といえるでしょうな」
「現実世界に、転移?」
ジオハルトの言葉はクロエの混乱を深めるばかりであった。どうやら新大陸の住民は、自分たちが現実世界に転移したという自覚がないらしい。
「ヤスオ君、クロエさんはこっちの世界のことが分かってないんだよ」
「ふむ……口で説明するのは難しそうだ。シエラさん、彼女を家に送ってくれる?」
『……承知しました』
ジオハルトがこの場にいない誰かと話をしている――唖然とするクロエだったが、驚きはそれだけでは終わらなかった。
「ちょ……ここ、どこですか!?」
周囲の風景が一変していた。
古びたテーブルは艶やかなリビングテーブルへと姿を変え、見知らぬ家具や調度品がクロエを取り囲んでいる。
テーブルには、氷のように美しい銀髪のメイドが構えていた。その隣では赤髪の少女が卓上鏡のような物を必死になって覗きこんでいる。
「ようこそクロエさん。ここは日本の犬山家――僕の家です」
ジオハルトが自らの手首に振れると鎧が解除され、中から子犬のような少年が姿を現した。ガワと中身のギャップが酷すぎたので、クロエはショックのあまり背後に吹っ飛んだ。
「あ、あなたがジオハルト、さんの中身なんですか?」
「そうですよ。ジオハルトはあくまで偽りの存在。僕はただの人間、犬山ヤスオです」
動転するクロエの手を引き、ヤスオは改めて来客を席に案内した。魔王の中身は不思議なことにただの人間を名乗った。クロエが感じた手のぬくもりは本物なのだろうか。
「クロエさん、新大陸の内情を伺う前に、まず僕たちのことを説明しましょう」
「はい、その、あなたは本当に人間なんですか?」
「ええ、そうですよ。僕は正真正銘の人間です。……多少他の人間よりも業を重ねてはいますが」
ヤスオは魔王――ジオハルトになった経緯を語った。
アンナとの出会い。
人類への支配宣言。
勇者同盟との戦い。
外側の世界を知らぬクロエには、いささかスケールの大きい物語であった。
「未だに信じられません。まさか、複数の世界が存在するだなんて」
「しかし、現実としてあなたは僕たちの世界――現実世界に足を踏み入れている。それは揺るぎない事実なんです」
ヤスオがテレビを点けると、新大陸に関する報道番組が流れていた。メディアは新大陸を侵略者とみなし、日本が攻撃を受けたことを盛んに報じている。クロエからすれば、自分たちの住んでいる大陸が異物として扱われているも同然だった。
帝国軍が現実世界に侵攻を開始し、それを阻止すべく魔王は新大陸へとやってきた――必死に状況を整理しようとするクロエだが、疑問は山ほど残っている。
「……セリカさんは勇者、なんですよね。どうして魔族の手先となったあなたの手伝いを?」
紆余曲折あってヤスオが人類の支配者になったことは、まあ理解できる。それにしても勇者を名乗るセリカが、なぜ魔王と行動を共にするのか。クロエは違和感を禁じえない。
「セリカさんは、魔族の味方になったわけではありません。今はジオハルトの客将として協力してくれています」
「客将……ですか」
「ええ。だから、僕の立場から彼女の行動を制限することはできません。いざとなれば、ジオハルトを殺すのはセリカさんの役目なんです」
ヤスオの物言いにクロエはギョッとしてセリカの方を見やる。
本当なの?
本当だよ。
真顔で頷く勇者にクロエがかける言葉はなかった。
「ええと、でもヤスオさんはあくまで偽物で……本物の魔王ではないんですよね?」
「その通りです。真の魔王はアンナ・エンプロイド、もとい『犬山アンナ』です」
「おう」
通名で呼ばれたアンナは、キャンバスに目を向けたまま軽く返事をした。没入感の強いオフラインRPGは、なかなかやめどきが見つからない。
「犬山アンナって……」
「ああ、言い忘れてましたね。アンナは僕の妻なんです」
「!?」
仰天したクロエが椅子に座ったままひっくり返った。見かねたシエラが転移魔法で椅子とクロエを立て直したが、ふらふらになったクロエの頭は元には戻らない。
「つまり、ヤスオさんは魔王の夫で、偽りの支配者で、ただの人間で……」
「全てを信じてくれとは言いません。ただ、僕たちはあなたの味方です。そのことだけは分かってほしい」
――もしかすると、この少年はとんでもない悪人なのではないか。クロエは頭を抱えたが、ヤスオが魔王の力を用いて集落の危機を救ったことは事実である。帝国軍という共通の敵を抱える以上、犬山家の住人を無下にすることは得策ではなかった。
「ヤスオさん、あなた方は帝国軍の侵略行為を阻止するために、私たちの住む大陸にやってきた……そういうことなんですよね?」
「はい。帝国軍は既に日本への侵攻を開始しています。今のところ被害は最小限に抑えられていますが、楽観はできない状況です」
「……そもそも帝国軍ってなんなの? 国を守る兵士が村人を攻撃するなんて信じられないよ」
集落の惨状を思い起こし、セリカは険しい顔を見せる。勇者が武器を取るのは民の命を守るためだ。村人に銃を向けた帝国軍の蛮行は、到底容認できるものではない。
「帝国軍は、厳密に言えば『エルミナス帝国』という国家の軍隊です。兵士たちは皇帝の命令にのみ従い、どんなに非道な作戦でも実行してしまうんです」
「エルミナス帝国……それがあの大陸を支配する国家なんだね」
「そうです。元々あの大陸は無数の国家が乱立し、長きに渡って戦乱を繰り返してきました。その戦乱を勝ち抜き、大陸を統一したのがエルミナスなんです」
クロエは、エルミナスが帝国として覇権を握るまでの歴史を語った。
群雄割拠の最中、頭角を現したエルミナスは、竜騎兵を始めとする強大な軍事力をもって近隣の国家を次々と侵略し、大陸の平定を成し遂げた。大陸の支配者となった皇帝には誰一人として逆らうことはできず、エルミナスは事実上の独裁国家として君臨することになったのだ。
「それでも、戦乱が終結すれば、この大陸にも平和が訪れると民は信じていたのですが……」
「皇帝は戦いを止めなかった」
ヤスオの言葉にクロエは首肯する。大陸を平定してなお、エルミナスは強制徴兵を行っていた。皇帝は大陸一つでは飽き足らず、現実世界への侵略を画策していたのだ。
「なぜ、あそこまでして兵力増強を図るのか疑問でしたが、まさか別の世界への侵略を計画していただなんて」
「新大陸の転移は、偶然の産物ではなかったということですね」
自らが支配する大陸を現実世界に転移させたとなれば、皇帝は魔王にも比類する力を持っていると考えるべきだろう。決して侮っていい相手ではない。
「ヤスオ、この世界の支配者は誰だ?」
唐突に口を開いたのはアンナだった。ゲームに熱中する傍らでも、ヤスオたちの会話は聞き逃していなかったようだ。
「この世界の支配者? そんなのアンナに決まっているじゃないか。君こそが真の魔王、現実世界の支配者だよ」
何をいまさらとヤスオは返すが、アンナはかぶりを振る。
「私はここでゲームをしていただけだ。少なくとも人間たちは、ジオハルトを支配者と認めているぞ。だからこそ父上はお前に現実世界を預けたのであろう?」
ニートになったからといって、アンナが魔王としての資格を失ったわけではない。ただ、現実世界を実効支配しているのはジオハルト……もとい犬山ヤスオなのである。
「皇帝とやらは、物事の道理を理解していないのだ。自分の領地を魔王が支配する世界に送り込むなど、愚策にもほどがある。……今こそお前の『教育』が必要なんじゃないのか?」
新大陸を橋頭堡に侵攻を開始した皇帝の支配戦略。確かに少し前までの世界ならば、脅威となり得たかもしれない。人類を恐怖に陥れることもできたかもしれない。
しかし、今や現実世界を支配するのは人類ではなく魔王なのだ。
「そうだね。皇帝には教育が必要だ」
帝国軍の尖兵たちは、魔王の存在を知りながら日本へと攻め込んできた。当然、皇帝も魔王について認知していると見るべきである。
……随分とナメられたもんだ。ケンカを売る相手を間違えたのだと、思い知らせてやらねばなるまい。
「クロエさん、新大陸へと戻り、集落近辺の帝国軍への対策を打ちましょう。後顧の憂いを断たねば皇帝との対決に支障をきたします」
「は、はい。私もそう思います」
アンナにスイッチを押されたヤスオは、それまでとは別人のような面持ちで反攻作戦を立て始めた。鎧を着込んでいるわけでもないのに、雰囲気を一変させてしまった少年にクロエは気圧されてしまう。
「皇帝は強制徴兵を行うために拠点を設けているはず。まずは集落近辺の敵拠点を制圧し、皇帝の注意を大陸の内側へと向けます。支配領域がジオハルトの攻撃を受けたとなれば、帝国軍も日本への侵攻を中断せざるを得なくなるはずです」
ヤスオは席を立つなり、ブレスレットでジオハルトへと転身した。
邪悪なる魔王の姿は、少年の本質を顕しているのだろうか。クロエはジオハルトを協力者として受け入れはしたものの、ヤスオの有り様に戸惑いを隠すことができなかった。
「どうされたのです、クロエさん? シエラさんの転移魔法があれば新大陸まではひとっ飛びです。村人たちもあなたを待っているはず。急ぎ、集落へと戻りましょう」
「え、ええ……」
少女に手を差し伸べる甲冑の男は、新大陸の未来を切り開く救世主なのか。あるいは己の野望のみに生きる悪しき魔王なのか。
クロエは結論を見出だせぬまま、混迷渦巻く新大陸へと導かれるのだった。




