第4話 人類支配戦略Ⅱ
「攻撃ヘリか。厄介だな」
魔法を使ってヘリを撃墜するだけなら簡単である。だが、それではジオハルトの真の目的は達成できない。魔王の目的は殺戮ではなく、あくまで支配なのだから。
攻撃ヘリはジオハルトに狙いを定め、ロケット弾を斉射した。ハチの巣状のランチャーから連続発射されるロケット弾の破壊力は絶大だ。爆発に巻き込まれた住居が粉々に吹き飛ばされていく。
「……いつまでこんなことを続けるつもりだ?」
爆炎の中から姿を現すジオハルト。無益な戦いは時間とリソースの無駄遣いだ。破壊された町の復興なんて兵士たちの頭には入っていないのだろう。
命令に従って戦う兵士たちを罪には問えない。「仕方がないことだから」と、人々は惨状から目を背ける――ならば、際限なき争いに終止符を打つのは誰なのか。
「魔道剣サイクロン」
風属性にシフトした魔道剣が竜巻を発生させる。竜巻はジオハルトの意思によって操られ、攻撃ヘリに向かって直進していく。機動性に劣る重武装のヘリでは逃れることはできない。
「駄目だ! 機体のコントロールが効かない!」
「つ、墜落するぞ!!」
竜巻に巻き込まれたヘリはバランスを失い、くるくると回転しながら地面へ向けて落下していく。……このままでは中の兵士が死んでしまうぞ。
ジオハルトは魔道剣を指揮棒のように振るい、周囲の大気を支配下に置いた。やがてヘリを包み込むようにして上昇気流が発生し、墜落寸前の機体はふわりと地面に着地した。
「あ、あれ?」
「俺たち……生きてるのか?」
攻撃ヘリの乗組員たちは呆気にとられている。不可視の巨大な手が機体をキャッチしてくれたのだろうか。そうでもなければ竜巻に飲まれて助かるはずがない。
「すみません、ちょっといいですか?」
ジオハルトが、壊れかけのキャビンドアからヘリに乗り込んできた。この世の物とは思えぬ黒き甲冑が、兵士たちを威圧する。
「あなたたちの上官とお話がしたいんです。無線機を貸していただけませんか?」
やけに丁寧な口調で、ジオハルトが無線機を催促してくる。この男は一体何者なのか。
「えっ……ああ、はい……」
予想外の出来事の連続に、兵士は冷静な判断ができなくなっている。まるで操られるかのように、無線機を魔王に手渡してしまった。
「もしもし、魔王ジオハルトです。あなたがメルザ軍の指揮官ですか?」
『……』
無線機はメルザ軍の前線基地に繋がっている。変声魔法で加工された不気味な声は、指揮官の耳にも届いているはずだ。
「前線の状況は分かってますよね? これ以上の被害を出したくなければ、今すぐ部隊を撤退させてください」
兵士たちが謎の敵に攻撃され、無力化されたことは前線基地にも伝わっているだろう。ここは撤退の命令を下すのが上策――ジオハルトはそう考える。が、指揮官は別の回答を下した。
『……今、お前がいる場所に向けて巡航ミサイルを発射した。誰の差し金かは知らないが、お前のようなテロリストには消えてもらおう』
指揮官は魔王の存在を信じていなかった。人間の手で殺せる相手だと、テロリストごときに負けるはずがないと、都合のいい結論を出してしまったのだ。
「馬鹿な……まだ味方の兵士が残っているんだぞ!」
ジオハルトがいる地点に巡航ミサイルが直撃すれば、周囲にも甚大な被害が発生する。獄王の鎧はミサイル程度で破壊されたりはしない。だが、前線に残っている兵士たちが巻き添えになることは明白だ。
『兵士たちを殺したのは私ではない。お前が殺したのだ。……せいぜいあの世で後悔するのだな』
無線は途切れてしまった。指揮官はジオハルトもろとも兵士たちを消し飛ばし、全てをなかったことにするつもりのようだ。メルザ軍において敗北は許されないのである。
「もうすぐここに巡航ミサイルが飛んでくる。辺り一面が火の海になるぞ!」
「なんだって!?」
ジオハルトが、ヘリに残っていた兵士に呼びかける。運悪く、ヘリの周囲には乗組員の救出に駆けつけたメルザ軍の兵士たちも集まってきていた。このままでは全員が巡航ミサイルの爆発に巻き込まれてしまう。
「私はこれからミサイルを迎撃する。君たちは他の兵士も連れて可能な限り遠くへ逃げるんだ!」
「わ、分かったよ……」
兵士の一人が魔王の言葉にしぶしぶ従った。しかし、おいそれと承諾する者ばかりではない。
「おい、こんな奴の言うことを信じるのか? こいつは俺たちを攻撃してきたんだぞ!」
状況から考えれば当然の反応であろう。兵士たちにとってジオハルトは正体不明の敵に違いなかった。敵の言葉を鵜呑みにできるほど、彼らは従順ではない。
だが、それでもジオハルトは兵士たちを守る必要があった。彼の目的は人類の支配者になることだ。魔王の存在を世界に知らしめるためにも、兵士たちは生きて帰さねばならない。
「信じたくなければ信じなければいい。ただ目の前の結果だけを受け入れろ」
ヘリを降りたジオハルトは、グラビティレイダーのベクトルを反転させ、大地から飛び立った。獄王の鎧に搭載されたセンサーが、彼方より飛来する巡航ミサイルを捕捉する。その数13発――着弾までの時間は30秒を切っていた。
「魔道剣フェニックス!」
炎属性にシフトした魔道剣から膨大な魔力が迸る。精霊はジオハルトの意思に呼応し、巨大な火の鳥を生み出した。最強の空対空攻撃魔法フェニックスである。
魔剣より解き放たれたフェニックスは、ミサイル群に向けて突撃を開始した。大空を焦がす炎の翼が巡航ミサイルをことごとく焼き尽くしていく。恐るべき威力を秘めた現代兵器も、伝説の不死鳥の前には無力であった。
「あ、あれも敵の新兵器なのか?」
「兵器なんかじゃない。あれは魔法だ……」
頭上で弾け飛ぶ花火を眺めながら兵士たちはポカンと口を開けていた。
あの怪人が自分たちを助けてくれたのか?
巨大な火の鳥を――魔法を操る人間がこの世に存在するのか?
唖然とする兵士たちを尻目に、ジオハルトは転移魔法で姿を消した。
「馬鹿な……一体何が起こっている!」
前線基地の指揮官は焦燥を隠すことができなかった。全てが順調だったはずの侵攻作戦が、たった一人の怪人によって妨げられてしまったのだ。
逃げてきた兵士たちからは、雷で銃を破壊されただの、吹雪で戦車を氷漬けにされただの、訳のわからない報告が上がってくる。そんな馬鹿げた言い訳を理由に撤退命令など下せるはずもない。魔王なんてものは、この世に存在しないのだ。
だが、指揮官もその存在から逃れることはできなかった。前線基地に突然、ジオハルトが転移してきたのである。
「だ、誰だ貴様は!?」
眼の前に現れた漆黒の魔王。前線基地を警備する兵士たちも驚きを隠せないでいる。
「魔王ジオハルトです。ミサイルを発射する命令を出したのはあなたですね?」
「だ、だったら何だと言うんだ!」
たじたじになりながら虚勢を張る指揮官に、魔王は鉄槌を下した。
「味方を巻き添えに攻撃するとは何事か! お前は軍人失格だ。今すぐパン屋に転職しろ!」
「な、なんでパン屋に!?」
邪悪なる魔王は指揮官にパン屋への転職を強要した。畑違いの仕事への転職は大きなリスクを伴う。しかし、指揮官にはパン屋への転職以外に生き延びる術は残されていなかった。
「……パンを作ってみんなを笑顔にするんです。笑顔を増やして平和を作るんです。戦争のない世の中を作るのがこれからのあなたの仕事です」
そう言ってヤスオは、パンの作り方を記した料理手帳を手渡した。
その後、味方への攻撃を指示した指揮官は軍を追われることとなった。祖国での再就職は叶わず、今ではオルタンの戦場跡にパン屋を建てて、贖罪の日々を送っている。パンはお世辞にも美味しいものではなかったが、戦火に怯えていた市民たちは笑顔でパンを口にしたという。
「手ぬるいやり方ですね」
転移魔法で帰宅すると、シエラさんが不満げな表情を見せた。ジオハルトの活躍は、彼女にとって期待外れのものだったらしい。
「魔道剣の力を解放すれば、人間の軍隊ごとき一撃で全滅させることもできたはず……なぜあのような手心を加える必要があるのです?」
彼女は目論見が外れたことに苛立ちを隠せずにいた。本当は僕に人間を虐殺させて、罪の呪縛から逃れられなくするつもりだったのだろう。そうして首根っこを押さえてしまえば、ジオハルトという忠実な傀儡が手に入るのだから。
だけど僕は彼女の趣味に付き合うつもりなど毛頭なかった。あくまで目的はアンナの代わりに人類の支配者になることだけだ。それさえ達成できれば文句を言われる筋合いはない。
「殺してしまったら、支配できなくなるじゃないか。支配することが目的なら、殺さずに服従させなきゃいけないよ」
「あなたは一体何を……」
首を傾げるシエラさん。僕は彼女の企みに乗りつつも、魔族には思いつかない支配戦略を立てていた。
「誰も殺さないし、殺させもしない。そして全ての人類を支配する――それがジオハルトの支配戦略だ」