第39話 新婚生活
「どうしたヤスオ。もう降参か?」
今日も妻は元気だ。阿鼻須の森にジオハルトと勇者を連れ込み、リアル格闘ゲームに興じている。
ルールは簡単。お互い武器を持たずに素手で戦う(ジオハルトは鎧を着ているので、厳密には素手ではないのだが)。ゲームパッドを壊さずに済むのが唯一の美点だ。
アンナの身体に一発でもパンチを当てれば、ジオハルトと勇者の勝利。相手を降参させられたらアンナの勝利。……どう考えてもジオハルトが不利である。なんで結婚したばかりの新妻を殴らなきゃいけないんだよ。
「ヤスオ君、本気で戦って! でなきゃアンナ・エンプロイドは倒せないよ!」
そうだねセリカさん。でも僕の奥さんは最強だから誰にも倒せないと思うよ。このゲーム最初から詰んでるんだ。コンシューマなら確実にクソゲー扱いだね。
サーベラスも気が向かないのか、獄王の鎧を装備してもカウンターが発動しない。仕方なしに優しく拳を当てようとすると、怒ったアンナに後ろ蹴りされてしまった。ズドン、と砲弾でも撃ち込まれたかのように僕は吹っ飛ばされる。
「何してるんだヤスオ! そんなゆるいパンチじゃイノシシ一匹倒せないぞ!」
仁王立ちしたアンナが険しい表情を向けてくる。最強無敵の魔王とはいえ、Tシャツとショートパンツしか装備してない彼女を殴るのは流石に気が引ける。
隙を突いたセリカさんが背後からストレートを放つが、アンナは上体をわずかにずらして拳を回避。そのままセリカさんの腕を掴み、前方に投げ飛ばしてしまった。
「うわっ!」
驚嘆した顔のセリカさんが勢いよく飛んでいく。木に激突したら危ないので、先回りして彼女の身体をキャッチした。グリフォンスタビライザーで加速しなければ間に合わないところだった。
「むうぅっ……なんであんなのと結婚しちゃったの?」
セリカさんは訓練がてらゲームに付き合ってくれているが、僕とアンナの結婚については色々と思うところがあるらしい。甲冑に身を預けつつも、どこか恨めしそうな顔をしている。
「あんなの? アンナだから結婚したんですよ」
「いや、そういう意味じゃなくて」
「おいこら。あまり私の夫にくっつくな」
「ちょっ、アンナ、炎の魔法は使わないで!」
炎の玉になったアンナが誘導弾のごとく突っ込んでくる。こうなるとパンチを当てるどころの問題ではない。無敵状態のラスボスから逃げ回るだけの罰ゲームだ。僕とセリカさんは、スタミナ切れになるまで散々に追い回されるのだった。
「あ〜もう無理」
クタクタになったセリカさんが、スタミナドリンクを一気飲みしている。アンナが暴れ回った余波で、阿鼻須の森はそこかしこが焼け野原になっている。僕は、火が燃え広がらないように氷の魔道剣で消火活動を行う羽目になった。
「アンナ・エンプロイドは本当に強いんだね。……魔王については同盟でも色々聞かされたけど、こんな怪物ばかりなの?」
啓示戦艦との戦いの後、同盟の勇者たちが現実世界に送り込まれることはなくなった。「更新計画」の実態が同盟内で公にされることはなく、現実世界への侵攻作戦もラグナの独断専行として処理されたらしい。
……無論、現実世界に限ったこととはいえ、女神が人類を滅ぼそうとしていたことは紛れもない事実。真相を知る勇者たちの中には、同盟を離れ、単独行動をとる者も現れている。セリカさんもそのうちの一人だ。
「アンナの兄妹にはまだ会ったことはありません。父親のガルド王にはお会いしましたが」
「ガルド王って……魔族の親玉だよね? そんなのと顔を合わせて生きて帰れたの!?」
「――そうだ。だから、ヤスオは私の夫になれたのだ」
ぐいっとアンナが僕の首に手を回した。見せつけられていると感じたのか、セリカさんは顔をしかめる。
「でも、ガルド王に認められたってことは、ヤスオ君は現実世界の支配者になれたってことだよね?」
「形の上ではそうなります。もちろん、本当の支配者はアンナになりますが」
「……人類の面倒なんて見る気はないがな」
結婚してからもアンナは自由奔放な暮らしを送っている。どこかの国で武力衝突が起きようが、バスジャック事件が起きようが、彼女自身が動くことはない。そういった表の問題は、ジオハルトとセリカさんが処理に当たっている。
セリカさんも魔族に手を貸すのは不本意に違いないが、結果として現実世界の平和は維持できているので、不平不満を口にすることはない。第一、同盟という組織を離れて行動する以上、彼女は生活の拠点を自力で確保しなければならないのだ。今はジオハルトの客将として戦う代わりに、郊外のアパートを提供してもらう……ということで折り合いをつけている。
「ヤスオ君が支配者になることで平和が続くなら、私は文句は言わないよ。むしろ、その方が今の世界にとってはいいことなんじゃないかな」
人間を虐げる魔族に世界を渡すくらいなら、戦争と犯罪を否定する偽りの支配者を担いだ方がいい――少なくともセリカさんはそう考えている。
……まあ、アンナがその気にならない内は、セリカさんと剣を交えることはないだろう。今ではこうして戦闘訓練を行う間柄にもなった。アンナも勇者の存在には刺激を受けているらしく、ネトゲばかりの生活からは少しずつ脱却しているようだ。
僕は学校を卒業してパン屋に就職するつもりだったのだが、思いの外「ジオハルト」の出番が多くなってしまい、卒業後もアルバイトを続けながら魔王を掛け持ちすることになった。お金とかはシエラさんが合法に稼いでくるので困ったりはしないのだが……。
『ヤスオ様……少しよろしいでしょうか』
当のシエラさんから魔法通信が入る。どこかの探偵に尻尾でも掴まれたのだろうか。
「シエラさん、どうしたの? ハッカの探偵にちょっかいでもかけられた?」
『そうではありません。太平洋沖に新しい島……いえ、大陸が出現しました』
……探偵よりよっぽど厄介なのが湧いて出てきたな。
「新しい大陸? どでかい海底火山が噴火でもしたのかな?」
『冗談はそれくらいにして、早く犬山家に帰ってきてください』
「……了解」
通信の内容はセリカさんにも伝わっている。休憩を中断して帰宅……いや出撃の準備をしていた。
「新しい大陸が出現するって、現実世界ではよくあることなの?」
「そんなことはありませんよ。少なくとも今までは」
「……ゲームよりかは暇つぶしになるかもな」
アンナはなぜか嬉しそうな表情を浮かべている。魔王の本能が、大きな戦いを予期しているようだ。台風の到来を待ちわびる子どもとはワケが違う。
『詳しい状況は帰還後に説明いたします。……転移魔法発動』
新たな大陸とは何なのか――期待と不安を胸にヤスオたちは犬山家へと帰還するのだった。




