第38話 愛を知り、悪に堕ちる
「やはり、ご存知でしたか」
鎧の兜を外し、ヤスオはガルド王と対面した。本来ならば、顔を隠して謁見に臨むなど無礼極まりない行為である。
しかしヤスオは己の人格を殺し、魔王として試練に挑む必要があった。アンナへの忠義を証明するためには、ジオハルトの仮面が必要だったのだ。ヤスオの置かれた立場を知るガルド王は、少年の非礼を責めはしなかった。
「言ったであろう。お前の所業は聞き及んでおるとな」
ガルド王がコンソールを操作すると、空中に映像が投影された。……ジオハルトが啓示戦艦に戦いを挑んだ際の記録映像だ。
南極の観測員が撮影したビデオ映像は、シエラの手によって世界中に拡散している。戦いの顛末はガルド王も知るところであった。
「お前が魔道剣の封印を解かねば、危うく現実世界をエストレアに奪われるところだった。成り行きとはいえ、此度の働きは大儀であったぞ」
実のところ、魔道剣はガルド王が一から作った武器ではない。異世界から流れ着いた一振りの魔剣をベースに、精霊による封印を施した規格外武装である。万物を破壊するレーヴァテインの呪いは、あまりにも危険であるが故、精霊が認めた者しか封印は解けない仕組みになっているのだ。
魔道剣を封印する四精霊は、自然界を守護する重要な役目を担っており、必ずしも魔族に味方をしているわけではない。あくまで魔剣の呪いを抑え込むためにガルド王と契約を結んでいるだけなのだ。
高位の存在たる精霊たちが、なぜヤスオに力を貸したのか――その答えを知るのは、今のところガルド王だけである。
「いつから気づかれていたのです? ただの人間が魔王を名乗るなど、本来はあってはならないことでしょう」
「ん? そんなことを決めた覚えはないぞ。確かにワシは自分の子どもを魔王として異世界に送り出したが、他の者が魔王を名乗ることを禁じてはおらん」
ガルド王が最初の魔王であり、自分たちの子どもに同じ称号を与えたことは事実。しかし「エンプロイドの一族のみが魔王を名乗れる」という不文律は、魔界の住人たちの思い込みに過ぎない。ガルド王への過度な忖度が、魔族たちの思考を縛りつけていたのだ。
「聞くところによれば、現実世界には過去にも魔王を名乗る人間がいたらしいではないか。もしかするとワシの方が後発なのやもしれぬな」
そういえばそうだな、とヤスオは思う。「魔王」という言葉は、現実世界では大昔から存在するのだ。ガルド王は魔界における原初の魔王に違いないが、全ての世界を通して最初の魔王というわけではない。太古の歴史には、ヤスオも知らない魔王たちの戦いがあったのだ。
「犬山ヤスオ。お前の魔王としての覚悟、そしてアンナへの忠義はしかと見せてもらった。他ならぬアンナがお前を夫として選んだ以上、ワシが口を挟む余地はない。二人の婚姻を正式に認めようではないか」
「……ありがとうございます」
待ち望んでいた義父の言葉に、ヤスオは震えながら頭を下げる。「うむ」とガルド王も頷く。
「しかし、どうしても一つ解せぬことがある」
「――!」
まだ試練は終わっていなかったのか? 思わず身構えるヤスオ。いやいや、とガルド王は手を横に振った。
「お前の心を試すとか、そういう話ではない。ただ、魔王ではなく、人間としてのお前に一つ聞いておきたいことがあるのだ」
家族に語りかけるようにガルド王は腰を低くしてヤスオに接した。魔界の支配者なんてものを続けていると、どうしても無自覚の圧力をかけてしまうのだ。態度を軟化させたガルド王を前に、ヤスオは胸をなでおろす。
「その、なんでしょうか、ガルド王」
「――なぜ、アンナを選んだ?」
ヤスオは昔のことを思い出していた。
少年は正義のヒーローが好きだった。
両親は息子を放置していたし、クラスでいじめが起きても助けてくれる大人はいない。彼を救ってくれるのは、テレビの中にいるヒーローだけだった。
「ヒーローがテレビから出てきてくれればいいのに」
どれだけ願っても彼の望みは叶わない。拠り所は心の中にいるヒーローだけ。弱い人間は、息を潜めて生きることしか許されない。
そんな時、魔界から悪の魔王がやってきた。
魔王はヤスオが気に入らないものを全て壊してくれた。いつも傍にいてくれた。彼の存在を肯定してくれる唯一の存在だった。
無論、魔王にヤスオを守る意図があったわけではない。魔王はただの破壊者だった。目につく物を片っ端から壊していくだけの野蛮な存在。ヤスオを生かしておくのは、正体を隠すために都合がいいから。いずれ世界は炎に包まれ、跡形もなく消えてしまう。
それでも魔王は少年の救世主に違いなかった。
魔王は何人にも縛られない。
世界を敵に回すことすら恐れない。
己の信念にのみ従う孤高の存在。
心の拠り所は幻想のヒーローではなくなっていた。
「だから、僕はアンナを愛しているのです」
この感情を愛と呼ばずして、なんと呼ぶか。
心を奪われた少年は、人類を裏切り、世界の敵となった。魔王アンナ・エンプロイドは、犬山ヤスオを悪に染め上げてしまったのだ。
「……僕は幼い頃、人生に絶望していました。ですが、アンナは僕を救ってくれたんです。生きる希望を与えてくれたんです。僕は彼女と生きるためならば人類の敵になります」
なぜアンナを選んだのか、どうして人類の敵になったのか――ヤスオは包み隠さずガルド王に打ち明けた。
ガルド王は少年の胸中を知った。心に抱える途方もない闇と――深き愛。それこそが、ヤスオを魔王たらしめる原動力なのだと。
「人の身でありながら魔道を歩むか……いいだろう、アンナと現実世界はお前に預ける。人類を生かすも殺すも好きにするがよい」
「ありがとうございます、ガルド王。犬山ヤスオは身命を賭してアンナ・エンプロイドを守ると誓います」
魔族の結婚に神父も牧師も必要はない。ただ、覚悟だけがあればよいのだ。
「守るだと? その言葉はまだ早いわ。アンナの力はお前を遥かに凌いでおるのだぞ。尻に敷かれたくなければもっと強くなれ!」
「はっ!」
ひたすら強さを求めた先に何が待ち受けるのか。愛を求めて悪に堕ちた男はどんな生き様を見せるのか。小さな娘婿にガルド王は大きな期待を寄せる。
原初の魔王に認められし少年は、愛する妻のもとへと急いだ。しかし、それはゴールではない。アンナとの結婚が、新たなる戦いの始まりであることをヤスオはまだ知らなかった。
「おお、帰ってきたか! 私の夫よ!」
犬山家に帰るなり、アンナはタックルをかましてきた。吹っ飛ばされると同時に鎧がパージされ、ひとりでに格納庫へ帰っていく。サーベラスは空気を読んで、僕とアンナを二人だけにしてくれるらしい。
「痛い……痛いよ、アンナ」
リビングの床から起き上がると、アンナは今にも泣きそうな顔でにらみつけてきた。
「痛い? 私はもっと痛かったんだぞ! お前が父上の怒りを買って処分でもされたら、どうしようかと……」
僕が帰ってくるまでの間、アンナは気が気でなかったらしい。ただの人間が、ガルド王の娘に結婚を申し込むなど無謀にもほどがある。命を奪われても文句は言えまい。
「大丈夫だよ、アンナ。ガルド王は僕たちの結婚を認めてくれたんだ」
「本当か!? お前凄いな! まさか父上の心まで支配するとは思わなかったぞ!」
アンナは喜びを爆発させて僕に抱きついてきた。今更だけどこんなに可愛かったかな、僕の奥さん。
「しかし、よく父上に認めてもらえたな。一体どんな魔法を使ったんだ?」
「魔法なんて使ってないよ。アンナのことが好きだから結婚させてくださいって言っただけだよ」
間違ってはいない。アンナのことを愛していると宣言し、婚姻を認められたのだから。
「いや、それだけじゃないだろ。お前絶対とんでもないこと口走っただろ」
「とんでもないことって?」
「私のために人類を生贄にする……とか」
えぇっ、なんでバレてるの?
「……ははっ、そんな恐ろしいこと言えるわけないじゃないか」
「私に嘘をつけると思うなよ。この悪人め!」
「うわっ!」
腰に回されていたアンナの腕に力が入り、僕はソファに押し倒されてしまった。こんな華奢な体躯のどこに超パワーが宿っているのだろう。
「……まあいい。父上が認めた以上、私たちは間違いなく夫婦になったのだ。もはや生まれの違いを気にする必要もあるまい」
小さな魔王様が見つめてくる。不思議と柔らかな身体がのしかかってきて、胸の鼓動が止まらない。
「そうだよ。僕たち夫婦になれたんだ」
誰よりも愛おしい幼なじみの少女を抱きしめる。世界など欲しくはない。彼女が傍にいてくれるなら、他に何もいらない。
「ところでヤスオ、今更だが夫婦って何をするんだ?」
「えっ、そこから?」
「私は幼い頃に魔界を出たから、父上と母上が何をしていたのか、よく覚えていないのだ」
そういえば、父さんと母さんもずっと帰ってこないんだよな。アンナは「夫婦」というものに接することなく育ってしまったので、結婚しても何をしていいのか分からないらしい。
「え〜とね……夫婦は、同じ家で一緒に暮らすんだよ」
「それじゃ今までと何も変わらないだろ。具体的に何をすればいいんだ?」
……そんなに顔近づけないで。僕が先におかしくなりそう。
「だから、その、愛し合うんだよ」
「愛し合うってなんだ?」
「それはね……」
意を決してアンナを抱き寄せる。そして今度こそ彼女の唇を――
「残念ですが、夫婦の営みは無期限延期です」
「――ヒィッ!?」
恨めしそうな表情のメイドが顔を挟んできた。残念だが結婚してもイチャイチャするのは許してもらえないらしい。
「ヤスオ君……私なんか急に魔王を討伐したくなったんだけど、どうすればいいと思う?」
悪意に心を支配された勇者が聖剣を突きつけてくる。他に好きな女の子がいても気にしないって言ってたよね? っていうかいつの間に僕の家に入ってきたの!?
「勇者セリカ。ヤスオ様の首を取るのはもう少し後にしてください」
「なんで? 悪い魔王をやっつけないと世界は平和にならないよ」
二人とも共通の敵ができると仲良くなるんだね。仲良くなってくれるのは嬉しいけど、僕を殺す前提で話を進めるのはやめようね。
「エンドラ銀行王見支店に強盗団が現れました。ヤスオ様は今すぐ対処に向かってください」
……ああ、そういうことか。
「ヤスオ、どういうことだ。人類は支配したんじゃなかったのか?」
「ジオハルトが人類を支配しても、人の心から悪意がなくなることはないんだよ」
「終わりのないマラソン、ですね」
相変わらず皮肉を口にするシエラさんだが、その口ぶりには以前のような憎悪の念は感じられない。……少しは家族として認めてもらえたのかな。
「だったら早く行こうよ! 自分が支配する世界の平和を守るのは魔王の役目でしょ?」
やっぱりセリカさんはブレないな。きっとこれからも彼女は己の信じる正義を全うするのだろう。今はその剣が僕に向けられないことを祈るのみである。
「悪党の始末ぐらい早く終わらせてきてくれ。あんまり遅いと私一人でゲームを始めてしまうぞ」
アンナが予備のコントローラーを持ち出してきた。最近は協力プレイができるオフゲーにも興味があるらしい。ゲームにハマるのも悪いことばかりじゃないだろう。彼女がこうして僕の傍にいてくれるのだから。
「アンナだけでゲームを進められるのは困るな。……シエラさん、準備はできてる?」
「転移魔法陣の起動は済んでおります。犯人の座標も特定済みです」
ガルド王は既に魔界へと帰還したが、何かしらの手段で現実世界を注視していることだろう。いつだって気は抜けない。
「ちょっと出かけてくる」
黒き鎧を身に纏い、魔剣を手にして魔法陣に立つ。魔王になるだなんて、僕には大それたことなのかもしれない。だけど――
「いってらっしゃい、ヤスオ」
小さな妻が手を振ってくる。
アンナが統治する世界に賊徒は必要ない――ジオハルトはそう言った。ならば実現してみせようではないか。本物の魔王が作る理想のディストピアを。
「――いってきます」
白昼堂々の犯行に、王見市界隈は大騒ぎになっていた。エンドラ銀行を襲った強盗団は改造車を乗り回し、パトカー相手に映画さながらのカーチェイスを繰り広げている。
これ以上の追走劇は、市民を巻き込んだ重大事故に繋がりかねない。悪辣な犯人たちは人口密集地へと車を走らせ、警察の追跡を振り切ろうとしていた。
そこへ彼が現れた。
「ジオハルトさんだ!」
「ジオハルトさんが来てくれたぞ!」
市民たちが歓声を上げる。
彼らが応援しているのは、ヒーローではない。
救世主などではない。
世界一の悪人、魔王である。
「正義の使者だ!」
「人類を救った英雄だぞ!」
「ジオハルトさん、今日も犯罪者を捕まえてください!」
ジオハルトは戦争を終わらせてくれる。
ジオハルトは犯罪者を捕まえてくれる。
ジオハルトは人類を守ってくれる。
自分たちの心が「支配」されていることに気づく者は、誰一人としていなかった。
『……逃走車は前方500mの位置です』
「ああ、よく見えるよ。今日はセリカさんの手を借りる必要もなさそうだ」
猛スピードで車を飛ばしていた強盗犯の目に、一人の男が映った。頭の悪い市民が車を止めようとしているのか? 犯人はためらわずにアクセルを踏み込む――そして自らの行いを後悔した。
「魔王ジオハルト……!」
犯人の表情が恐怖で歪んだ。罪を犯した悪党どもには、魔道剣による誅罰が待っている。魔王は悪意をも飲み込み、全てを支配するのだ。
今一度知らしめてやらねばなるまい。この世界に悪人は一人で十分だということを。
「さて、教育を始めようか」




