第30話 滅びの方舟
最初に異変に気づいたのは、南極のアメリカ基地だった。南極大陸はどこの国の領土でもないが、アメリカを始めとする各国の観測基地が存在しているのだ。
朝も夜も太陽が沈まぬ寒空の下、観測員の一人が空中に浮かぶ巨大な戦艦を発見した。それが異世界からやってきたものであることは、すぐに理解できた。直前までの記録を見返しても、その座標には何も存在していなかったのだ。戦艦は何らかの手段で転移してきたとしか思えない。
少し前ならば、彼はエイリアンの侵攻を疑っただろう。しかし今の世界には宇宙人よりも恐ろしい侵略者、「魔王」がいるのだ。
――魔王は現実世界には存在しない武器を使い、紛争地を蹂躙しているという話だ。もしかすると、あの空中戦艦は魔王が持ち込んだ新兵器なのかもしれない。危機を直感した観測員は、アメリカ本土に戦艦発見の急報を送った。
アメリカ政府は、ただちに観測基地から送られてきた映像をもとに空中戦艦を分析した。全長300mを超える白銀の船体。その艦底部には、大出力のビーム兵器と思しき巨大な艦載砲が確認できる。現実世界の科学力を凌駕する兵器であることは明らかだった。
問題は、なぜこの戦艦が南極に現れたかということだ。
ジオハルト出現以来、異世界の技術を分析していた軍事アナリストは、戦艦の艦載砲が核兵器クラスの威力を有している可能性を指摘した。もし仮に艦載砲が南極大陸に向けて発射された場合、大津波によって世界規模の被害が発生すると予測された。
戦艦を持ち込んだ犯人がジオハルトと決まったわけではない。戦争と犯罪を嫌う魔王が、巨大兵器で人類を滅ぼす……そんな突拍子もないシナリオはアメリカ政府も想定していない。
しかし、南極に浮かぶ空中戦艦を放置するのはリスクが大きすぎる。ジオハルトの関与がないにせよ、未知の世界から転移してきた戦艦が、悪意ある行動を起こさないとは断言できなかった。
アメリカ軍は、南極に一番近い位置の空母から、全天候型艦上戦闘機F-38を2機編成で飛ばした。ステルス性能を重視した最新鋭の機体には、機関砲と空対空ミサイルが内蔵されている。南極での戦闘行為は厳禁であるが、人類の危機なのだからそんなことは言っていられない。
空中給油を経て南極に到達したF-38の編隊は、空中戦艦に南極を離れるように無線通告を行った。しかし、あらゆる周波数を使っても戦艦は呼びかけに応じない。こちらのメッセージが届いているのかすら判断できない状況だった。
ホワイトハウスで攻撃命令を下すかどうかの議論が行われている最中、突如として空中戦艦の上部から艦載機が射出された。コックピットを持たない鳥型の無人戦闘機である。無人戦闘機は警告もなしにF-38へ襲いかかった。
世界最強の戦闘機と呼ばれるF-38だが、異世界の技術で作られた無人機の前ではあまりにも無力だった。猛禽のごとき機動性に翻弄された挙句、翼から放たれるレーザーキャノンによって2機のF-38は瞬く間に撃墜されてしまった。
「うるさいハエは消えたか」
戦闘機が墜落する様をモニターで確認したラグナは、啓示戦艦の艦長席で意地の悪い笑みを浮かべた。
息のかかった部下たちを戦艦に搭乗させ、現実世界へ転移したのが9時間前。最新鋭の空中戦艦といえど、その巨体を転移させるには膨大なエネルギーを消費する。ゲドン砲を最大出力で発射するためには、転移で消耗したエネルギーを回復させる必要があった。
時間稼ぎの陽動作戦が実行できなくなったことは想定外だったが、ラグナの胸中に焦りはなかった。人類を終わらせるトリガーを自分だけが引くことができる。その圧倒的な優越感が彼の自尊心を満たしているのだ。
「よかったのですか? 戦闘機を撃墜した以上、現実世界の軍隊からの反撃が予想されますが……」
「気にするな。ゲドン砲のエネルギー充填は間もなく完了する。人間たちの軍隊が動き出す頃には、全てが終わっているさ」
部下の懸念もよそに余裕の表情を浮かべるラグナ。現実世界の戦闘機など放置してもよかったのだが、ジェットエンジンの騒音が耳障りだったので、部下に命じて撃墜させたのだ。
「現実世界の人類は、品の無いガラクタばかり作る。少しはノアの美しさを見習ってほしいものだ」
白銀の装甲に黄金のエングレービングが施されたノアの外観は、兵器としてはいささか派手すぎる。この外装は式典用として用意されていたものだが、ラグナの意向でそのまま実戦投入される運びになった。ラグナは「同盟の正義の象徴として、これ以上にふさわしい船はない」と部下たちに吹聴していた。
「滅んでしまえば、見習う意味もないと思いますが」
「あるさ。一度死んだ人間は生まれ変わる。正しい心を持った善良な人間としてな。我々のやっていることは人類の救済なんだよ」
ラグナは狂気をはらんだ表情で自身の行動を正当化する。彼に付き従う部下たちとて、人類を滅ぼすことに良心の呵責がないわけではない。
だがラグナだけは違う。この男は女神の命令を口実にして、破壊と殺戮を愉しんでいた。自分だけが特別な存在で、現実世界の人間たちなど滅んでしまって当然だと考えているのだ。
「――12時の方向から接近する物体があります」
CICに警報が鳴り響く。啓示戦艦のレーダーが新たな敵影を感知したのだ。
「人間どものオモチャがまだ残っていたのか?」
「いえ、機影が小さすぎます。これは……」
300mを超える啓示戦艦に挑むにしては、その反応はあまりに小さすぎた。レーダーが捕捉したのは機影などではない。音速で飛行する人影だ。
「来たな、魔王ジオハルト」




