第3話 人類支配戦略Ⅰ
『現実世界のみなさん、こんにちは。魔王ジオハルトです。本日より人類の支配者となりました。私は戦争と犯罪が嫌いです。みんなで仲良く暮らせる明るい世界を作りましょう』
その日、世界中のメディアが「ジオハルト」を名乗る怪人によってジャックされた。テレビやスマートフォンはもちろん、ネットワーク接続されていないオフラインのデバイスまでもが乗っ取られた。
なんか頭のおかしな奴が出てきたぞ――NO NAME
魔王ジオハルト? 新手の宗教団体かよ――NO NAME
よくできた鎧だな。コスプレマニアの自作にしては上出来じゃないか――NO NAME
人類の支配者wwwカッコイイイwwww――夢島リミカ
みんなで仲良く暮らせだって? だったら戦争と犯罪を無くしてみせろよ――NO NAME
どうせなんかのプロモーションビデオだろ。正直ウザイんだよな、こういうの――NO NAME
ちょっと待て。オフラインのジャンクPCにまで侵入してきやがったぞ。一体どんな魔法を使ったんだ――ハングドマン
わずか20秒足らずの支配者宣言。その真意を理解できる人間は一人としていなかった。少なくともこの時点では。
ジオハルトが宣言を表明した翌日、パン屋のバイトから帰ってくると、リビングでシエラさんがニュース番組を見ていた。海外のとある小国が軍事侵攻を受けているらしい。ヘルメットを被ったリポーターが必死になって戦況を伝えている。
「メルザ軍はオルタン南部にまで侵攻しています。町は砲撃に晒され、防衛隊は既に壊滅状態です。市民にも多数の犠牲者が出ており――」
リポーターの背後に砲弾が着弾し、中継映像は途切れてしまった。画面はブラックアウトしたまま、テレビ局の人間たちのどよめきだけが聞こえてくる。
「あれ? おかしいな。ジオハルトは戦争と犯罪が嫌いだって言ったよね? 彼らはなんであんなことを続けているんだ?」
「誰もジオハルトを支配者として認めていないのかと」
さもありなん。コスプレマニアの支配者宣言など誰も真に受けてはいない。言葉だけで全てを理解できるなら戦争など起きたりはしない。
「そうか。じゃあ『教育』が必要だね」
僕はブレスレットを起動させ、獄王の鎧を転送させた。緊急時を想定し、格納庫内の鎧はいつでも装着できるようになっている。全身が装甲で覆われるまでに、ものの数秒とかからない。
鎧の装着が完了すると、シエラさんが無言のまま魔道剣を手渡してきた。人間の手には余る武器だが、今はこの剣が必要な時だ。受け取った魔道剣を腰に装備し、僕はリビングの中央を目指す。
シエラさんが用意していたのは、武器や鎧だけではない。部屋の中央には転移用の魔法陣が敷設されている。この魔法陣を使えば、現実世界のあらゆる場所に転移することが可能だ。
ただし転移魔法の発動には、シエラさんの承認が必要となる。魔法陣は転移魔法を発動させるための増幅器に過ぎない。彼女の協力がなければ転移魔法は使用できないのだ。
シエラさんはリビングテーブルに座り、転移魔法の発動準備に取り掛かっている――いや、リビングテーブルは既に全領域対応型ハッキングツールに改造されていた。タッチセンサーと投影型のスクリーンを搭載したそれは、スパイ映画顔負けのハイテクデバイスだ。彼女がこんな物を用意できるのも、おそらくガルド王の入れ知恵なのだろう。
「転移魔法はいつでも発動可能です。転移先の座標を確認しますか?」
「いや、その必要はないよ」
魔法陣が放つ青白い光が身体を包み込んでいく。……いよいよジオハルトの初陣だな。ここは一つ世界の反応を確かめてみるか。
「ちょっと出かけてくる」
「いってらっしゃいませ」
世界有数の軍事力を誇るメルザ軍は、破竹の勢いで隣国オルタンの首都を目指していた。ろくな装備も持たないオルタンの兵士たちは、抵抗もできぬまま一方的に蹴散らされるのみである。
小国が大国に飲み込まれて、地図の国境が書き換えられる。この程度の小競り合いは、昨今の現実世界では珍しいものではない。人類の歴史を振り返れば、「戦争」と呼べるものですらないのだろう。
――だが、ジオハルトはそれを許さない。
『こんにちは。魔王ジオハルトです。戦場にいる全ての兵士に告げます。今すぐ戦闘を中止し、撤退してください。お願いを聞いていただけない場合、私は実力をもって戦闘を終了させます』
突如として戦場のど真ん中に現れた漆黒の怪人――魔王ジオハルトは、ただ一人でメルザ軍を脅迫した。過度に低音強調された不気味な声が戦場に響き渡り、兵士たちを困惑させる。
「なんだあいつは!?」
「人が宙に浮いているぞ!? 敵の新兵器か?」
グラビティレイダーによって空中を浮遊する魔王の姿は、兵士たちにとって未知の存在に違いない。甲冑に身を包み、魔剣を手にした謎の人影――兵士たちは自らが理解できない存在を脅威としか認識できなかった。
「作戦を邪魔するのであれば我々の敵だ! 今すぐ排除しろ!」
兵士たちが一斉にアサルトライフルのトリガーを引いた。たったの一発で人間を死に至らしめる銃弾。それを毎分600発以上の速度で連射する恐るべき兵器である。
だが、ネメアダイトで作られた獄王の鎧に、そんなものは通用しない。命中した弾丸はポップコーンのように弾けては消えていく。何百発もの銃弾を浴びても魔王は微動だにしなかった。
「どうなってるんだ!? ライフルがまるで効いてないぞ!」
「構うな、奴が倒れるまで撃ち続けろ!」
銃弾で倒せる相手ではないことも理解できぬまま、兵士たちは一心不乱に射撃を続ける。大量の空薬莢が足元を埋めていることにすら気づいていない。……これでは資源の無駄遣いだ。
空中で静止していた魔王が「教育」を開始する。右手に握る魔道剣が教鞭のごとく兵士たちへと向けられた。
「魔道剣ライトニング」
雷を帯びた魔道剣の剣先より、無数の電撃が放たれる。電撃は一瞬にして兵士たちのアサルトライフルに直撃し、弾倉を爆発させた。
「うわあああっ!!」
パン、パン、パンと小気味よい音を立てて弾薬が弾け飛ぶ。ジオハルトを狙っていた数多の銃火器は瞬く間に沈黙した。
「あの武器はなんだ? 剣から雷が飛んできたぞ!」
「あれも敵の新兵器なのか!?」
「とにかく後退しろ!」
ようやく敵わないことを理解した兵士たちは撤退を始める。だが、まだ終わりではない。後退する兵士たちに代わって、巨大な鉄の塊が進軍してきたのだ。
『こちら第3戦車中隊。これより所属不明の敵を攻撃する。歩兵部隊は戦車の後方へ退避せよ』
ジオハルトの前に立ちはだかったのは、人類が誇る最強の陸戦兵器、戦車である。銃弾をものともしない装甲と強力な戦車砲を搭載した雄姿は、陸戦の王者と呼ぶにふさわしい。無限軌道を履いた鋼鉄の巨獣が、魔王へと迫る。
『敵はアサルトライフルにも耐える防御力を持っている。全車、徹甲弾で攻撃せよ』
戦車部隊の滑腔砲が火を吹いた。最新のFCSによる正確無比な射撃は、人間サイズの標的も逃さない。アサルトライフルとは比較にならない破壊力を秘めた砲弾が魔王に降りかかる。
「魔道剣ヒートエッジ」
耳をつんざく砲撃にも魔王は動じない。ジオハルトは赤熱化させた魔道剣を振るい、飛来する砲弾を次々と斬り裂いた。炎をまとう魔剣は、いとも容易く徹甲弾を溶断していく。
「う、嘘だろ……」
「人間が砲弾を斬り下ろしているぞ!」
「待て、あいつはそもそも人間なのか?」
ジオハルトは魔王である。獄王の鎧にかけられた呪いは、人の域を超えた妙技を可能とする。現実世界を生きる人間たちが、その秘密を知ることは決してない。
「そろそろ仕上げにかかろうか」
ジオハルトが魔道剣の属性をシフトさせた。炎をまとっていた刀身は、凍てつく氷の刃へと姿を変える。魔道剣に搭載された精霊を制御することにより、全く異なる属性の力を引き出すことが可能となるのだ。
「魔道剣ブリザード」
魔王は氷の刃を振るい、猛吹雪を発生させた。視界を奪うほどの氷雪が戦車部隊を飲み込んでいく。
「エンジンが動きません! 車内温度が急激に低下しています」
「さ、寒いっ!」
「みんな脱出しろ! このままだと凍えちまうぞ!」
陸戦の王者は一瞬にして冷凍庫へと姿を変えてしまった。冷え切ったタンクの中から、寒さに耐えかねた兵士たちが次々に飛び出してくる。
「あんな化物が相手じゃ勝ち目がない! 早く逃げろ!」
「馬鹿、後ろから押すんじゃない!」
戦車の周囲は既に氷漬けになっている。大寒波が到来したのかとでも思わせる惨状だ。魔法で作り出された氷の道を兵士たちは転がりながら撤退するのであった。
「これで片付いたか。……ん?」
戦車部隊を無力化し、地上に降りたジオハルト。そこへ新たな敵が現れる。航空機らしからぬ重装甲と圧倒的な武装搭載量を誇る、メルザ軍の攻撃ヘリコプターである。