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第27話 停戦協定

第1条『ジオハルトは戦争と犯罪を抑止し、人命を守るために武力を行使することができる』


第2条『ジオハルトは人間を殺してはならない』


第3条『勇者同盟はジオハルトの活動を妨害してはならない。ただし、第2条が守られない場合は例外である』





「クレイド教官!」


 クレイドの敗北を知ったデバインは、センチネルの医務室に駆け込んだ。

 デバインは、負傷したクレイドの身を案じて駆けつけたわけではない。火急の問題は、クレイドが独断でジオハルトと結んだ停戦協定である。


「魔王相手に停戦協定を結ぶなど、あり得ません。そもそも何なのですか。この不平等な協定は……!」


 ベッドに横たわるクレイドを相手に、デバインは不満をぶつけた。デバインとて傷ついた仲間を(いたわ)るくらいの配慮は持ち合わせている。――が、今回ばかりはクレイドの専行を容認するわけにはいかなかった。



 第1条が有効である限り、ジオハルトは戦争と犯罪の抑止を名目に現実世界に居座ることになる。


 第2条に「人間を殺してはならない」と書いてはいるが、「人間を支配してはならない」とまでは記されていない。


 第3条のせいでジオハルトが殺人を犯さない限り、勇者同盟は一切の手出しができない。



 必勝を期して決闘に挑んだクレイドが敗北した――それ自体を責めるつもりはない。クレイドが敵わぬというのであれば、勇者パーティーを再編成し、ジオハルトが倒れるまで何度でも戦いに臨む所存であった。


 ところがクレイドは独断で魔王と停戦協定を結んでしまった。ジオハルトは現実世界に残り、我が物顔でパン屋を増やし続けるのだ。これは勇者同盟にとって事実上の敗北宣言に等しい。


「……デバイン、お前の言いたいことは分かる。ジオハルトを倒すこともできず、停戦協定に応じた俺は文字通りの負け犬だ」


 クレイドが苦悶の表情を見せる。本来であれば停戦協定など結ばずに、魔王討伐の新たな策を考えるべきなのだろう。

 しかし、クレイドにはジオハルトに戦いを挑むだけの気力が残されていなかった。ましてや自分から逃げ帰っておきながら、教え子たちを戦わせるなど言語道断である。今は現実世界での戦いを避ける以外に選択肢がなかったのだ。


「どうしても奴を倒す方法が思いつかない。……いや、戦いを挑むこと自体が間違いなのかもしれない」

「なぜそこまでジオハルトを恐れるのです。奴は人類に仇なす邪悪な魔王です。戦いを避けねばならぬ理由とは何なのですか?」


 魔王は人類を害する存在であり、勇者が倒さねばならぬ最大の敵――それが同盟における共通認識である。実際、魔王軍による悪逆非道の数々をクレイドは直接目にしてきた。

 しかし、ジオハルトの支配戦略は通例に当てはまるものではなかった。資源を搾取するわけでもなく、人間を奴隷にして喜ぶわけでもない。


「これは俺の推測だが、ジオハルトは他の魔王とは異なる目的で動いているように見える」

「どういう意味です?」

「ジオハルトは常に単独で行動しているんだ。手下の一人も連れずにな。魔王を名乗ってこそいるが、本気で人類を支配するつもりがあるとは思えん」


 現実世界を占領下に置くつもりならば、それ相応の兵力が必要になる。たった一人の個人が世界を支配することなど不可能なのだ。


「それが停戦協定に応じた理由ですか……」


 デバインは納得ができない。人類を支配するつもりがないのに、どうして魔王を名乗るのか。どうして孤独な戦いを続けるのか。


「少なくとも人類に危害を加えるつもりがないのは本当らしい。セリカが監視を続けているが、今のところジオハルトは不穏な動きを見せてはいない」

「心底気に入りませんよ。魔王を名乗る輩の首を取ることもできず、好き勝手するのを眺めていることしかできないとは」


 デバインは「選ばれし者」としての使命感に囚われている。――勇者とは、魔王を打ち倒し平和をもたらす正義の存在なのだ。だからこそ、自分たちは女神に見出されたのではなかったのか。


「敵を倒すことだけが勇者の役目じゃない。人類の生命を守ることこそが俺たちの使命なんだ。……それだけは分かってほしい」


 クレイドは、デバインの矜持に理解を示しつつも、勇者の本来の役目を説いた。彼とて魔王との停戦協定に納得しているわけではない。協定の締結は、人々の命を保証するための苦渋の決断だったのだ。


「協定を結んだ以上、ジオハルトも迂闊(うかつ)に動くことはできないだろう。現実世界の監視はセリカに任せ、俺たちは魔王が蔓延(はびこ)る異世界でのクエストに注力する……それが最善の策だ」


 異世界では既に100体以上の魔王が確認されている。全ての異世界を魔王の侵略から守るためには、いくら手があっても足りない状況なのだ。戦略上の観点から言えば、現実世界にこれ以上固執することは上策ではなかった。


「異世界でのクエスト……ですか。不思議なものですね。我々からすれば現実世界こそが異世界でしょうに」


 同盟の勇者たちは「現実世界」のことを「異世界」とは呼ばない。誰が決めたことかは知らないが、それが暗黙のルールになっていた。


「あの世界はな、本当であれば俺たちのような存在が足を踏み入れてはいけない場所なんだ。だから、現実世界だけは他の異世界と区別されているんだよ」


 外来種が生態系を歪めてしまうように、異分子は世界のバランスを崩壊させてしまう。だからこそ、勇者たちは現実世界への介入を忌避してきたのだ。


「勇者が足を踏み入れてはいけない世界? それは魔王とて同じことでしょう。奴こそ、あの世界には不要な存在だとは思いませんか」

「……かもな。だが、それを決めるのは俺たちではない。最後は世界の選択を受け入れるしかないだろう」


 世界の行く末を決めるのは、魔王でもなければ勇者でもない。最後に選択するのは、その世界に住まう人々なのだ。クレイドは人類の善性に一縷(いちる)の望みを託すことにした。


 ――だが、現実世界の羅針盤はとっくの昔に壊れていた。ジオハルトの出現によって生じた歪みは、世界そのものを飲み込んでいく。勇者たちは、人類に本当の危機が迫っていることに気づいていなかった。

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