第26話 決着
「セリカが生きていた……?」
現実世界での決闘から早1週間。
センチネルにて、ジオハルトとの再戦に向けて準備を進めていたクレイドのもとに驚くべき報せが届いた。なんと、偵察任務中に命を落としたはずのセリカが生存していたのだ。
セリカは、クレイドが開設していた動画共有サイトのチャンネルを通じて同盟にコンタクトを取ってきた。彼女はジオハルトに敗北した後、現実世界の捕虜収容所に幽閉されていたのだという。
ジオハルトは捕虜の身柄を解放する代わりに、クレイドとの再戦を所望した。センチネルに帰還したセリカには、次なる決闘の場を示す地図が託されていた。
「ジオハルトはクレイド教官との決着を望んでいます。次の戦いで敗北した時は、現実世界から手を引くことを約束しました」
真顔で魔王からのことづけを口にするセリカ。勇者たちは罠を疑ったが、精密検査でも彼女が洗脳や拷問を受けた形跡は見つからなかった。
クレイドはジオハルトが再戦を望んでいることに相違はないと判断し、現実世界での決闘に合意した。
――もっとも、クレイドは最初からジオハルトの首を取るつもりであるし、魔王との決着をつけることは彼としても本望なのだ。敵からの申し出があろうとなかろうと、勇者が魔王を仕留める筋書きに変わりはない。
「セリカ、よく生きて帰ってきた。魔王との戦いは俺に任せろ。現実世界は必ず解放してみせる」
「……はい」
現実世界で過ごした日々の大半を、セリカは同盟の仲間たちに打ち明けていない。
アパートから解放される直前、魔王は彼女に「約束は守る」とだけ言った。彼の言葉を信じる以上、セリカはジオハルトの敵になることはできないのだ。
……果たして彼を信じていいのだろうか。クレイドは今度こそ魔王を殺すつもりだ。二度目の戦いが死闘になることは想像に容易い。ジオハルトが、本当の悪人にならないと言い切れるだろうか。
同盟の仲間たちはセリカの生還を喜んだが、秘密と不安を抱える彼女は孤独だった。今はジオハルトの――ヤスオの心を信じるしかない。
恩師に仇を返すことになろうとも、セリカは自らの信じる正義を貫くと心に誓った。その選択が、同盟という組織の枠組みを超えるものであることに彼女は気づいていない。勇者が本当の答えを見つけるのは、しばし先の話である。
装備を整えたクレイドは単身で現実世界へ赴いた。魔王が再戦の場に指定したのは、王見市から遠方の縁真高原である。
現在、縁真高原の一角は植生保護の観点から立ち入りが制限されている。先のような警察や野次馬の介入を避けるべく、ジオハルトは人里離れた高原を決戦の地に選んだのだ。
起伏の少ない高原は見晴らしがよく、伏兵を設置するには不向きな場所だ。ジオハルトが一対一の戦いを望んでいることは、クレイドにも十分理解することができた。
だが、一つ不気味なのはジオハルトの魔王らしからぬ手口である。セリカを捕虜に取っていたのであれば、同盟に対して脅しをかけることもできたはずだ。それをむざむざ返還し、勇者との直接対決に臨むなど異例の事態である。
……ジオハルトとて魔王の一人には違いない。敵にいかなる思惑があるにせよ、勇者の使命は不変である。クレイドは必殺のハンマーを手に、指定された決闘の地へ向かった。
「こんにちは。クレイド教官」
邪悪なる魔王が勇者を出迎えた。しかし、果たし合いの挨拶にしては随分と柔らかな物腰である。
澄み切った青空の下――緑の絨毯の真ん中に、漆黒の甲冑がポツンと立っていた。あまりにも不釣り合いな絵面に、魔王を模した案山子が立てられているのかと思ったほどだ。
偵察魔法でトラップが仕掛けられていないことを確認し、クレイドはジオハルトに歩み寄った。
「ジオハルト、セリカの命を助けたことには感謝する。……だが、それとこれとは話が別だ。俺はお前に容赦をかけるつもりはない」
「ええ、分かっています。再戦を望んだのは他ならぬ私なのです。全力を出してもらわねば、決闘の意味もありますまい」
ジオハルトは相変わらず不気味な声を出すが、その語り口はどこか穏やかだった。余裕を見せることで敵の出鼻をくじく策なのだろうか。
「敗北すれば現実世界から手を引くと言ったらしいが、俺はお前の言葉など信用していない」
「だから?」
「お前にはここで死んでもらう」
――現実世界では、暴力は「悪」として見なされる。警察に逮捕されて気づいた事実だ。ジオハルトを殺そうとしている自分は、この世界において紛れもない悪人なのであろう。
しかし、誰かが悪業を背負わねば、魔王の支配から人々を解放することは叶わない。クレイドは己の掲げる正義のために、ジオハルト抹殺を宣言した。
「かしこまりました。――が、私とて死ぬわけにはいかない」
ジオハルトは勇者の決意をしかと受け取った。だが、魔王にも生きる理由がある。戦う理由がある。宿命を乗り越えし支配者となるために。
「来るがよい、勇者クレイド。魔王ジオハルトは不滅である。正義の鉄槌をもってしても私を殺めることは叶わぬと思え」
何者かが乗り移ったかのように態度を一変させるジオハルト。殺気立つ勇者をも恐れぬこの男は果たして虚構の支配者なのか、それとも――
「その威勢だけは買ってやる。だが、お前に俺は倒せない」
再び対峙した魔王と勇者。クレイドが装備する白夜の鎧に魔法は通用しない。攻撃を魔法に依存するジオハルトにとっては極めて不利な相手である。
――さあ、どう出てくる?
ギリアムの報告から、ジオハルトが戦士として素人であることは割れている。近接戦闘においてはハンマーの扱いに長けるクレイドが圧倒的に有利である。魔道剣による魔法を封じられた以上、ジオハルトに勝機はないのだ。
ジオハルトの出方をうかがうクレイド。一触即発の空気が漂う最中、魔王は突如として魔道剣を地面に突き刺した。魔法で自分に有利な戦闘フィールドを作り出すつもりだろうか?
「……?」
魔道剣から魔力の奔流は感じられなかった。魔法を発動させる予兆もない――クレイドは確信した。魔王は唯一の武器である魔道剣を捨ててしまったのだ。
「勝負を捨てたか、ジオハルト!」
魔王など、もはや恐るるに足らず。武器を失ったジオハルトを潰すべく、クレイドはハンマーを振り上げて猛進した。正義の証たる勇者の鉄槌が、邪悪なる魔王へと振り下ろされる。
――やったか?
そう思ったが最後である。ハンマーは地面を耕しただけだった。ジオハルトは何事もなかったかのようにクレイドの隣で佇んでいる。
「なっ……ぐああぁっ!」
顔面に強烈なストレートが飛んできた。ネメアダイト製のガントレットから繰り出されるヘビー級の一撃だ。
クレイドは痛みをこらえながらもハンマーを振り回して反撃するが、ジオハルトはフライ級の軽やかなフットワークで全ての攻撃を回避してしまう。
――以前とはまるで動きが違う!?
魔道剣を封じたことによるアドバンテージなど存在しなかった。それどころか徒手で攻撃をいなし、的確な反撃を加えてくる魔王の動きに圧倒される羽目になった。ジオハルトの戦術を研究し、必勝の策を講じていたクレイドですら予想外の事態である。
「まさか、修行を積んだというのか!?」
自動的に攻撃を防御してしまう三つ首の呪い――ジオハルトは鎧に封じられた魔獣の魂を支配下に置き、呪いを攻撃に転用する技能を獲得していた。動きが制限されてしまうオートガードを、敵に痛打を与えるカウンターへと昇華させたのだ。
「ぐっ……うぅっ!」
ハンマーで攻撃する度、反撃の拳がクレイドに突き刺さる。魔法防御に特化した白夜の鎧は、物理的な打撃への耐性を備えていない。魔王攻略の切り札は、たったの一週間で無用の長物に変えられてしまった。
イレギュラーとしか言いようがなかった。魔族は先天的に強大な力を持つがゆえ、慢心し、努力を怠る者ばかりだ。だがジオハルトは自身の力を高め、より強くあろうとする精神性を持っていた。無限に強くなり続ける魔王に勝利できる勇者など存在しない。
「こいつは……危険すぎる!」
クレイドは直感した――ジオハルトは他の魔王とは一線を画す存在だ。今この場で倒さなければ、誰も奴を止められなくなってしまう!
全身を痛めつけられた状態で戦闘を継続することは困難だった。ハンマーを持ち上げるだけでも必死なのだ。かくなる上は膂力を限界まで振り絞り、ジオハルトの反応速度を上回る一撃を叩き込むしかない。
クレイドは駆け出した。
もはや後には引けない。たとえ刺し違えることになろうとも、魔王を倒さねばならない。これ以上、奴が強くなる前に、誰も勝てなくなる前に――
「これで最後だ!!」
何が、最後なのか。
「魔王拳サーベラス」
クレイドは肝を潰した。ジオハルトの背後に突如として三つ首の魔獣が姿を現したのだ。
見る者全てを恐怖へと叩き落とす悍ましき体躯――その魔獣こそ、冥府への入口を守護する門番「サーベラス」であった。
サーベラスの牙と化したジオハルトの拳は、一瞬の内にクレイドの両肩と腹部を貫いた。
「ぐあああぁっ!」
瞬く間に放たれた三箇所への同時攻撃。ジオハルトの支配下に置かれた魔獣の魂は、万難を退ける無敵の眷属と化していた。具現化したサーベラスの牙は白夜の鎧を粉砕し、クレイドに致命打を与えたのだ。
「あっ……ゔアァァッ……!」
両肩と腹部が完全に陥没している。巨大な杭を打ち込まれたかのような痛みだった。腹を押さえたくても腕を動かすことができず、ひたすら呻き声を上げることしかできない。
「なぜだ……なぜなんだ」
クレイドは涙を流した。
全身の痛みが原因ではない。
敗北が悔しいからではない。
ジオハルトが敵であることが悔しかった。
先の戦いで苦戦を強いられたジオハルトは、必ず卑劣な手を使ってくると踏んでいた。その時こそジオハルトが真の悪であることを証明し、人類を魔王の支配から解放する――それがクレイドの本来の目的であった。
だが現実は違った。ジオハルトは罠も手下も使わず、正面からの戦いでクレイドを堂々と打ち破ってみせた。その気質は「悪の魔王」とは程遠いものだった。
――だから、悔しかった。
どうしてこんな奴と戦わなければいけないんだ?
どうしてこんな奴が魔王を名乗るんだ?
どうしてこいつは「勇者」じゃないんだ!
……魔王の足音が近づいてくる。ジオハルトは、勇者が落としたハンマーを軽々と拾い上げた。鎧を砕かれたクレイドに助かる術は残っていない。
「もういい……殺せ」
クレイドは、わずかな希望にすがった。
自分が魔王に討たれたことを知れば、同盟の仲間たちは奮起し、必ずやジオハルトを倒してくれるだろう。自らの意志を継ぐ、新たな英雄が現れるはずなのだ――
だが、彼の望みが叶うことはなかった。
「クレイド殿。あなたの命など欲しくはありません。代わりに、このハンマーを私にください」
「何の、つもりだ……」
魔王が勇者に取り引きを持ちかける――聞く耳を持ってはいけない。己に言い聞かせるクレイドだが、ジオハルトの目論見は彼の想像を遥かに超えていた。
「勇者同盟と停戦協定を結びたいのです。この世界に平和をもたらすために」




