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第15話 魔王の召使いⅡ

 朝食を済ませた後、セリカはヤスオに連れられて部屋を出た。アパートは収容施設のはずだが、他の捕虜が姿を見せる気配はない。現実世界特有の無機質な建造物は、どこか冷たい印象を与えてくる。


「ヤスオ君、私をどこへ連れていくつもりなの?」

「とても楽しいところですよ。きっとあなたも気に入ります」


 ヤスオの無垢な笑顔にセリカは恐怖を覚える――アパートにはセリカ以外の住人がいなかった。もしかするとアパートの捕虜たちは、全員始末されてしまった後なのではないか。ヤスオが嬉しそうな表情を見せるのは、魔王に逆らった人間たちの末路を知っているからなのではないか。


 ……いっそのこと監視役のヤスオを気絶させて逃亡するべきか。いや、ジオハルトが無策に使用人を寄越したとも思えない。ここは大人しく従うフリをしてチャンスを伺うべきだろう。


 アパートを出てしばらくすると、町の一角にある年季の入った建築物へとたどり着いた。コンビニの上に居酒屋の看板が連なる雑居ビルだ。この不気味な施設がジオハルトの仕事場なのだろうか?


「怖がる必要はありませんよ。どうぞお上がりください」


 ヤスオに手を引かれながらセリカはビルの階段を登っていく。登った先に待ち受けるのは絞首台か、それとも恐ろしい拷問室だろうか。


「ヤスオ君。私、これ以上登りたくないんだけど……」

「ああ、もう手遅れですよ。目的地に着いちゃいましたから」


 思わずギョッとするセリカ。やはり魔王は捕虜を始末するつもりだったのか。ヤスオはくすくすと笑いながらドアノブに手をかける。



「いらっしゃいませ。麦野(むぎの)料理教室へようこそ!」



「……?」


 スタッフの明るい声を耳にしてセリカはキョトンとしていた。ヤスオが案内した場所は処刑場ではなく、料理教室だったのだ。既に何名もの生徒が調理の支度に取りかかっている。


「さあ、セリカさんも手を洗ってエプロンをつけてください。今日のメニューはチーズポテトパンですよ」

「えぇっ? ちょ、ちょっと!」


 ヤスオに言われるがまま、セリカはエプロンを着せられてしまった。故郷の世界に料理教室なんてものは存在しない。ここに集められた人間たちが何をしようとしているのかも分からない。


「ヤスオ君、ここって何をする場所なの? 強制労働所や処刑場には見えないけど……」

「何って、料理の仕方を学ぶ場所ですよ」

「料理? どうしてそんなことを?」


 勇者同盟の訓練学校では、戦闘教習しか受けていなかった。本格的な料理教習を受ける機会など皆無である。


「料理ができるようになれば、楽しい人生を送ることができます。食事は生きるためには欠かせない習慣。ゆえに料理を学ぶことは、生きることを学ぶことなのです」

「でも、その前に魔王を倒さないと」

「魔王を倒す? ははっ、そんなことする必要はありませんよ。人は魔王を倒すためではなく、明日のパンを食べるために生きているんですから」


 ヤスオには話が全く通じない。おそらく魔王の洗脳による影響であろう。今のセリカにはどうすることもできなかった。


 他の生徒たちも楽しげな表情でキッチンを囲んでいる。ここが料理を学ぶ施設だということはセリカにも理解できたが、脳裏には一つの疑問が残っていた。


「ねえ、ヤスオ君。この料理教室とジオハルトの仕事に一体何の関係があるの?」


 ヤスオは、ジオハルトの仕事を見せると言っていた。よもや魔王が教鞭をとって料理の教習を行うわけではあるまい。


「実は、この料理教室はジオハルトが経営しているんですよ」


 ジオハルトが経営する料理教室? もしや魔王の目的は――


「まさか、人間を奴隷にしてパンを作らせるつもりなの!?」


 とある異世界では、魔王が人間を奴隷にして武器を作らせているという話だ。ジオハルトは献上品となるパンを作らせるために料理教室を経営しているのではないか。


「あ、それは違います。人間たちがパンの作り方を覚えれば、エサを用意する手間が省けるじゃないですか。ジオハルトはそこまで計算して料理教室を増やしているんですよ」

「そんな……そんなことが……」


 ヤスオは平然とした顔で恐ろしい言葉を口にする。この世界の住人は、既に魔王の家畜になってしまったのか? 人々の食生活まで支配しようとするジオハルトの戦略に、セリカは衝撃を受ける。


「どうしたんです、セリカさん? チーズポテトパンは作りやすくて食べごたえのある人気メニューなのです。さあ、一緒にパンを作って平和な世界を実現しましょう!」


 ……支配戦略の片棒を担ぐのは不本意ではあるが、魔王軍の中に入り込めば、同盟にとって有益な情報を得ることもできるのではないか。パン作りも偵察任務の一環だと考えたセリカは、ヤスオと一緒に調理を始めた。


「ジャガイモをマッシャーで潰してしまうレシピもありますが、今回は角切りにしていきます。みなさん、包丁の準備はできていますか?」


 女性講師が包丁の使い方を指導している。ヤスオはレッスンに興味がないのか、一人で黙々とジャガイモを薄切りにしていく。


「ヤスオ君は包丁の使い方が上手いんだね」

「そうですか? 剣の腕はセリカさんの方が上だと思いますよ」


 薄切りにされたジャガイモがキューブ状に切り刻まれていく。セリカも見よう見まねで包丁を握ってみるが、力加減が難しく、ジャガイモをまっすぐに切ることができない。


「ううっ。なんか見た目悪いなぁ」


 乱切りにされたジャガイモがまな板の上に散らばっていた。煮物ならこれでもよいのだが、パンに混ぜ込むにはやや不向きである。


「ご心配なく。ジャガイモはパンの中に入れてしまいますからね。見た目を気にする必要はありません」


 広げたパン生地の上にジャガイモとチーズを乗せ、丸く包み込んでいく。具材の入ったパンなど故郷では目にしたこともない。近いものを挙げるのであれば肉まんくらいだろうか。


「あとはオーブンレンジに入れるだけです。最近のモデルは発酵と焼成を続けて行えますからね。やってみれば意外と簡単なものでしょう?」

「そ、そうかなぁ……」


 一つだけ(いびつ)な形状の生地をのせた天板が、オーブンレンジに収められていく。同盟の厳しい戦闘訓練に耐えてきたセリカも、料理人になる修行だけはやりたくないと思ってしまうのであった。





 40分ほど待つとチーズポテトパンが焼き上がった。焼き立てパンの香りが否応(いやおう)なしに食欲を刺激する。朝食からさほど時間が経っていないにもかかわらず、セリカはパンから目を離すことができない。


「このパン食べてもいいの?」

「当たり前じゃないですか。っていうかこの教室は持ち帰り禁止なんですよ。だから作った料理はその場で食べなきゃダメなんです」


 衛生上の観点からパンは持ち帰ることができないらしい。冷めてからでは風味も劣るであろうし、すぐに食すのが最善の選択肢に違いない。セリカは躊躇(ちゅうちょ)なく自ら焼き上げたパンを口にした。


「んっ!? 熱っ、あふいっ!」


 パンに詰められていた熱々のチーズが口に流れ込む。口内を焼いてしまわんばかりの熱量にセリカは思わずむせてしまった。


「そんなに慌てて食べなくても大丈夫ですよ。コーヒー牛乳をどうぞ」

「ん、んーっ!」


 顔を真っ赤にしながらセリカがコーヒー牛乳を嚥下(えんげ)した。グラス一杯を飲み干し、プハーッとため息をつく。


「……美味しい!」


 とろけるチーズのコクとポテトの旨味。カリカリに焼き上がった外皮の食感。本当に自分で作った料理なのかと疑ってしまうほどの美味にセリカは驚いた。


「この飲み物も美味しいよ。なんて名前だっけ。コー、コー……」

「コーヒー牛乳です。コーヒーと牛乳を混ぜ合わせた飲み物です。ミルクコーヒーだとか、カフェオレなんて呼ぶ人もいますが、僕はこの呼び方が一番しっくりきますね」


 牛乳のほのかな甘みを残しつつも、後味がすっきりしている。ヤスオ曰く、パンには無糖のコーヒー牛乳がベストマッチするらしい。


「今回作ったチーズポテトパンは惣菜パンの基本レシピです。お好みでベーコンや黒胡椒を追加してみるのもいいでしょう」

「ふふっ。ヤスオ君なんだか料理の先生みたいだね」


 ヤスオはパン屋のアルバイトをやっていて、それなりにパンを焼くことができる。しかし彼にはパンを売るだけには留まらない大望があるのだという。


「僕はまだまだですよ。いつか世界中の人々が美味しいパンを口にする日が来るまで、精進しなければいけないのですから」

「世界中の人が……そうだね、そんな日が来るといいね!」


 料理教室の参加者たちに温かく見守られながら、二人は焼き立てのパンとコーヒー牛乳を味わうのであった。





「ねえ、これって何かおかしくない?」


 料理教室からの帰り道、セリカはヤスオに疑問をぶつけた。


「おかしいって、何が?」

「私ってさ、魔王軍の捕虜なんだよね? なんで美味しいパンを食べさせてもらって、料理教室にまで通わせてもらってるの?」


 さすがのセリカも自分が置かれている状況の異常性に気づき始めた。魔王軍の捕囚となった勇者は拷問にかけられた挙句、見せしめに処刑されるのではなかったのか。


「僕にも分かりません。全てはジオハルトの指示なんです」


 ヤスオからは機械的な返事しか出てこない。決められた言葉しか発せないパペットのような反応だった。


「ジオハルトが、あなたに指示を?」

「そうですよ。少なくともジオハルトはあなたを殺すつもりはありません。彼の目的はあくまで人類の支配者になることです。勇者たちと剣を交えるつもりなんて毛頭ないんですよ」

「それじゃあ、ジオハルトは――」


 その言葉を遮るかのように雷鳴が鳴り響いた。耳をつんざく轟音を耳にした瞬間、ヤスオは大きく震え上がった。


「か、雷だ! 怖いぃっ!!」


 悲鳴を上げてうずくまるヤスオ。その姿はまさしく雷に怯える子犬であった。


「ヤスオ君、雷が怖いの?」


 雷は、遠方に見えるビルの避雷針へと落ちていた。現実世界の住人たるヤスオが、自然のエネルギーになぜここまで恐怖するのか。


「知らないんですか!? ジオハルトは雷を操るんです。悪さをした人間に雷を落として罰を与えているんですよ。ああ、なんて恐ろしい!」


 震えながらジオハルトへの恐怖を口にするヤスオ。天をも支配する魔王の脅威は、セリカとて知らぬ訳ではなかった。

 ヤスオが恐れているのは雷そのものではない。それを使役するジオハルトなのだ――少なくともセリカはそう解釈した。


「大丈夫。私がジオハルトを倒して、あなたを自由にしてあげる。だから、もう怖がらなくていいんだよ」


 怯えるヤスオをセリカは優しく抱きしめた。


 ヤスオは本心から魔王に従属しているわけではない。恐怖によって心を支配されているだけなのだ。この少年を必ず救ってみせるとセリカは心に誓った。


「ジオハルトを倒す、ですか。いつかそんな日が来るといいですね」


 柔らかくも力強いセリカの両腕の中で、少年は冷ややかな笑みを浮かべていた。

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