第10話 ヤスオの耳かき
「聞いてよアンナ。僕、人類の支配者になったんだよ!」
転移魔法で帰宅した僕は「ジオハルト」になったことをアンナに告げた。
軍隊や犯罪者との戦いなんて、アンナに言わせてみれば、ただの弱い者いじめだ。だが勇者たちにパンを食わせたことを知れば、アンナも外側の世界に興味を持ってくれるに違いない。脱ニートへの第一歩である。
「ふーん……そうか、がんばれよ」
「え、それだけ?」
勇者たちとの戦いの一部始終は、獄王の鎧に搭載されたセンサーを通じて自宅に送られていた。シエラさんが改造したリビングテーブルを使えば、戦闘レコードはいつでも再生することができる。チープなアクション映画なんかよりは、よほど刺激的な体験ができるだろう。
しかしアンナは、ゲーム画面の中で暴れ回る魔獣の相手で手一杯らしい。シエラさんが作った夕飯にも手をつけず、自室で狩りに勤しんでいる。棍棒でリヴァイアサンの頭を殴りつける美少女はアンナの分身だろうか。
「お前は一体どんな反応を期待してたんだ?」
「どんなって、それは……」
「ふはは! そうかヤスオ、お前が人類の支配者になったのか。ならば私はお前を倒し、真の支配者として現世に君臨してやろう!」
魔王の力を解放したアンナはヤスオに襲いかかった!
「なぜだ! なぜなんだ、アンナ! どうして僕たちが戦わなければいけないんだ!」
答えは分かっているはずだ――最初からこうなることを望んでいたのだから。
「愚問だな。一つの世界に二人の支配者は必要ない。真の支配者……魔王を名乗れるのはこの世に一人のみ! お前が人類の支配者を自称するならば、私を倒し、本物の魔王になってみせろ!」
「う、うわあああっ!」
ヤスオとアンナ。真の魔王を決する最後の戦いが始まった!
「――てっきりこういう展開になるのかと」
「なんで私がお前と戦わなきゃならないんだ。お前が死ぬだけだぞ?」
「まあ、そうなんだけど……」
アンナが魔王としてやる気を取り戻してくれるなら、それもありじゃないか――少しばかり期待していたのは事実だ。彼女に殺されてしまうのは口惜しい気もするが。
「お前は自分をないがしろにしすぎなんだよ。まったく……」
先ほどからアンナは、しきりに耳に指を突っ込んでいる。……もしかして耳がかゆいのかな?
風呂には毎日シエラさんが入れてくれているのだが、耳掃除までは行き届いていないらしい。
「アンナ、僕の膝の上に来て」
「ん? 今日は何をするつもりだ」
「耳かきしてあげる。最近ゲームしてること多いから掃除できてなかったでしょ」
僕はベッドに腰掛けて、アンナを手招きした。普通の女の子が相手だったらこんなこと絶対できない。
「今からする気か? まだクエストの途中なんだよ」
「画面はそのままでいいよ。僕の膝に頭乗せながらゲームしてていいから」
キャンバスのディスプレイをローテーブルに設置し、アンナを横向きに寝かせる。ちょうど左耳を見下ろせる位置だ。やはり最近は掃除をしていなかったらしく、耳の内側が少し埃っぽくなっている。
「ぐぬぬ、やっぱり画面の向きがおかしい。これじゃ集中して狩りができないぞ」
コントローラーを持ったまま横向きになったアンナだが、やはり普段と同じ感覚で操作することができないらしい。
「そういう訓練だと思えばいいんだよ。耳かきしてもらいながら狩りをする練習ね」
「それ一体どこで役に立つんだよ?」
「これから先ずっと役に立つよ。僕がアンナのお世話をする度にね……」
僕はサイドテーブルから竹製の耳かき棒を取り出した。本当は温めたおしぼりでマッサージもしてあげたいけど、今日はそこまで準備する時間がなかった。今度は最初から用意しておこう。
「それじゃあ耳の外側からかいていくね」
「んっ……んんっ!」
耳かきのヘラで外側をなぞると、アンナがビクッと身体を震わせた。内側に比べれば汚れは少ないが、フチに沿って耳かきを当てると結構気持ちがいい。魔族も基本的な身体の構造は人間と変わらないのだ。
「お、おい。私の耳で遊ぶな……」
「ごめんよ。次は内側に入れていくね」
耳を傷つけないようにゆっくりと耳かきを中に入れていく。垢を押し込んでしまうと取れなくなってしまうので、入り口付近を少しずつかいていくのがポイントだ。
「カリッ……カリカリ」
「ヤスオ、お前さっきから何をつぶやいているんだ?」
「アンナが気持ちよくなる呪文」
「そんなものがあるわけ……んあっ!」
大きな垢が剥がれた瞬間、アンナが変な声を出した。
「動いちゃダメだよ。垢が落ちないように取り出すから」
「んぐぐっ。こ、これでは狩りが進められないではないか」
「カリカリ……」
入り口付近は大分綺麗になった。後は奥の部分をかいていくのだが、本来であればここまで中に耳かきを突っ込む必要はない。ただ、耳の中の迷走神経を刺激すると大きな快感を得ることができる。耳かきの主眼は耳を綺麗にすることではなく、迷走神経の刺激によって相手をリラックスさせることなのだ。
「んぅ……うぅん……」
効いてきたみたいだ。アンナはコントローラーを手放し、僕の膝の上で半目になっている。……そろそろ仕上げにかかろうか。
僕は先端のヘラをアンナの耳から引き抜き、指先で耳かきを回転させた。梵天の出番である。
アヒルの羽毛でできた綿状の梵天はなかなか肌触りがよい。小さなタンポポがアンナの耳に吸い込まれ、細かい耳垢を回収していく。
「……すぅ」
耳の中で梵天を回している内に、アンナは眠りに落ちてしまった。長時間のゲームで疲れも溜まっていたのだろう。
「反対側もしてあげるね」
膝の上でアンナの頭を回転させ、右耳を上に向けさせる。耳かきの要領は左耳の時と変わらない。ただ彼女の寝顔が気になって少し緊張するけど。
「――これでおしまい」
右耳も梵天で仕上げた後、僕はアンナの頭をゆっくりとベッドに下ろした。その寝顔は眠り姫のようにも見える。今の彼女を目にして、魔王だと分かる人間がどれだけいるだろうか。
「ずっとこのままでもいいのに」
本当であれば、ただの人間が魔王の傍にいることなど許されない。彼女はこんな小さなベッドで眠るような身分ではないのだ。
「どうすれば、君の隣にいられるんだろう」
答えは分かっているはずだ――だから人間をやめると決めたのだろう?
「……僕は君と一緒にいられる世界を作る。誰にも邪魔なんてさせない」
部屋の外ではシエラさんが待っている。勇者たちは再び魔王討伐にやってくるのだろう。世界は僕たちを放っておいてはくれない。
アンナとの未来を望むのならば、僕はジオハルトとして戦い続けなければならない。たとえ世界の敵になるのだとしても。




