第1話 魔王、ニートになる
きっかけは赤髪の少女がホームステイしてきたことだ。
両親は仕事柄、海外に出かけることが多く、自宅に帰る度に怪しげな土産を買ってきた。それだけならば大したことではないが、従者付きの王様みたいな女の子を連れてきた時はさすがに驚いた。
少女の名前はアンナ・エドケイト。彼女の祖国は政情が不安定らしく、日本には長期滞在することになると聞かされていた。
赤髪のツーサイドアップと燃えるような真紅の瞳――どういうわけか、日本人離れしたその風貌に強く心を惹きつけられた。
だが、アンナは普通の女の子ではなかった。
転入して早々、僕をいじめていたクラスの連中を片手で捻り潰し、巷を騒がせていた連続強盗犯を火の玉で黒焦げにしてみせた。
「アンナ、もしかして君は人間じゃないのか?」
この時点では半信半疑だった――多分、海外には怪力と火の玉を操る女の子がたくさんいるんだろう。幼い僕は世間知らずなだけなのだと。
しかし、僕の馬鹿げた妄想は一瞬で打ち砕かれた。
「そうだぞ。私は魔界からやってきた魔王なんだ」
アンナはあっさりと自身の正体を明かした。
彼女の本名はアンナ・エンプロイド――異世界からやってきた恐るべき侵略者「魔王」だったのだ。
魔王といっても角や翼が生えているわけではない。アンナは「そういったイメージは人間の恐怖心が生み出したものだ」と語った。
厳密に言えば、アンナは「魔族」と呼ばれる種族の一人である。驚くべきことに魔族は人間と同じ祖先を持つ種族なのだという。
その昔、現実世界で暮らしていたアンナの祖先たちは、時空の乱れから異世界へと転移した。そこは巨大な魔獣が闊歩する「魔界」であった。彼らは過酷な環境を生き抜くために進化を繰り返し、人間を超える能力を身に付けた魔族となったのである。
そして魔族の中でも強大な力を持つ一人の男が現れた。その人物こそアンナの父親、ガルド・エンプロイドである。
ずば抜けた魔力と屈強な肉体を誇るガルドは、魔族同士の戦争に勝利し、魔界に君臨する最初の魔王となった。
だが、ガルド王はそれだけでは満足しなかった。異世界への転移魔法を確立した彼は、49人の妻との間に作った108人の子どもを侵略者として送り出したのである。
異世界に送り込まれた子どもたちは「魔王」を名乗り、父親譲りの圧倒的な戦闘能力によって原住民たちを意のままに支配する――これを繰り返すことによって、ガルド王は全ての異世界を掌中に収めんとする果てしない野望を抱いていた。
便宜上、異なる世界に複数人の魔王が存在することになるが、これは増えすぎた子どもたちを異世界送りにすることで、魔界での内乱を防ぐ意味合いも兼ねているようだ(支配体制を確立した子どもたちは、それぞれの世界の自治に専念することになる)。
現実世界に送り込まれたアンナは、ガルド王の72番目の子どもである。彼女に与えられた使命は、現実世界の魔王として人類を支配することだった。
しかし転移してきた当時のアンナは、人間で言えばまだ10歳にも満たない少女であった。人間たちの目を欺く偽装工作として、アンナは従者のシエラさんと共に犬山家へ潜り込んだのである。実の娘を十分成長する前に現実世界へと送り出したのは、ガルド王の強い意向によるものらしい。
……冷静に考えれば、アンナはまごうことなき人類の敵である。しかし僕は彼女に恐怖心を抱くことはなかった。むしろ彼女が現実世界の支配者になることを望んですらいた。一目会った時から僕の心は「魔王」に支配されていたのだ。
「僕はアンナが支配する世界をこの目で見たい。そのためならなんでもするよ」
「うむ。では今日からお前は私のモノだ。存分に支配されるがよい」
そんなわけで僕は、アンナの人類支配計画を手助けすることになった。普段はアンナと同じ学校に通い、夜になれば人目を避けて彼女の修行にお供した。アンナの正体がバレないように目配せするのが僕の役目である。
……やってることは間違いなく人類に対する裏切り行為だが、罪の意識などは全くなかった。いずれ全ての人間は、アンナの前にひれ伏すことになる。僕は歴史が変わる瞬間を――新たな支配者の誕生を間近で目撃することになるのだ。
――そして10年の月日が流れた。
アンナは美しい女性に成長していた。雑誌の美少女モデルなど目ではない。身長はそこまで伸びていないのだが、肉付きがグラマラスなので目のやり場に困ってしまう。これは人間ではありえない魔族特有の美貌なのだ。……人類を裏切って正解だった。
一方で身体能力の向上も凄まじいものである。拳一つで岩山を粉砕するのは当然として、太陽のごとく迸る魔力は、富士山の頂上を焦土に変えてしまうほどであった(一応、無人の場所でトレーニングを行っていたのだが、派手に暴れすぎてシエラさんには叱られていた)。
もはや人類に勝ち目はない。人の域を超えた美しさと強さを兼ね備えたアンナは無敵の魔王だ。あとは支配者としての宣言を表明し、現実世界の人間たちを平伏させるのみである。
「ヤスオ、退屈だ」
シエラさんがXデーに向けて準備を進める最中――アンナは停学処分をくらい、犬山家で暇を持て余していた。運悪くケンカをふっかけてきた暴走族を病院送りにしてしまったのだ。
「家の中にいてもつまらん。どうせなら狩りにでも行きたいな」
「狩り?」
「そうだ。父上はキマイラやヒドラの狩猟で名を上げたのだ。私も魔獣狩りに行きたいのだ」
残念だが、ここは現実世界だ。アンナが望む獲物はどこを探しても見つからない。
「イノシシとかクマならいるけど」
「小動物が相手じゃイジメにしかならないだろ。もっと強いヤツと戦わせろ」
「うーん、魔獣狩りか。……そうだ」
翌日、僕はパン屋のバイト代でアンナにゲーム機をプレゼントした。レグナント社製のオンライン対応モデル「キャンバス」である。
「なんだこれは?」
「ゲーム機だよ。これを使えば魔獣と戦えるよ」
「本当か!? これで魔獣狩りに行けるのだな!」
争いの絶えない魔界では、ろくな娯楽がなかったらしい。存外、アンナはゲーム機に強い興味を示した。早速、基本プレイ無料のオンラインゲーム「ビーストハンターオンライン」をダウンロードし、プレイし始める。
キャンバスは、10インチのディスプレイと16ボタン式コントローラーを組み合わせた最新のゲーム機だ。携帯ゲーム機と据え置き型ゲーム機の中間に位置する製品で、好きな場所にディスプレイを設置してゲームを楽しむことできる。コントローラーは頑丈に作られているので、多少乱暴に扱っても壊れることはない(アンナが使う場合は確実に例外だが)。
「おい、ヤスオ。いつになったら魔獣と戦えるのだ」
「『石拾いの冒険』をクリアしたら戦えるよ。最初はまず武器を作らないといけないからね」
慣れないコントローラーでの操作に苦戦しながらもアンナはチュートリアルクエストをクリア。拾った材料で作った石斧を手に、最初のボスモンスターに戦いを挑んだ。
「なんだこいつは? ただのイノシシじゃないか!」
「そいつは、おばけイノシシだよ。英雄を何人も殺した危険なモンスターさ」
「イノシシ風情が、この私に勝てると思うなよ! ……うわあああっ!」
戦闘開始10秒でアンナはイノシシに吹っ飛ばされた。おばけイノシシは正面からの攻撃を全て無効化してしまう強敵なので、初見ではまず倒せない。
「おのれぇ! もう一度だ!」
アンナは何度もイノシシに戦いを挑んだ。そして死亡回数が二桁になったところで、イノシシの突進後に隙ができることに気づく。
「そうか、正面から攻撃せずに背後を突けばよいのだな」
イノシシの突進を避けて背中を攻撃するアンナ。攻撃パターンを見切ってしまえば恐れる相手ではない。石斧で何度も殴打している内にイノシシは断末魔を上げて絶命した。
「おお、こんな簡単に倒せる相手に苦戦していたとは、なんと情けない。まだまだ修行不足だな」
「おばけイノシシを倒したから、次は大穴のヒグマだね」
「結局クマかよ!」
こうしてアンナの狩猟生活が始まったのである――ネトゲの中で。
その日以来、アンナはネトゲに熱中し、停学が解除された後も家にこもって「狩り」を続けるようになった。苦戦の末にモンスターを倒した時のカタルシスは、アンナにとって初めての経験だったらしい。最強の狩人を目指すアンナは、パーティーも組まずにソロプレイでモンスターに戦いを挑み続けるのだった。
……ネトゲを気に入ってくれたのは素直に嬉しいのだが、何か大事なことを忘れていないだろうか。
「冷静に考えたんだがな、人類を支配するのって面倒くさいだけじゃないか?」
「え……?」
自室で狩りをしている最中、アンナが唐突に口を開いた。Tシャツにショートパンツだけの格好でゲームを遊ぶ姿は、ただの自堕落な人間にしか見えない。
「あいつら尽きかけてる資源を浪費するし、勝手に戦争繰り返して自滅しようとするし」
「まあ、それは……」
いや、だからこそ人間を超えた支配者が必要なんじゃないのか?
「そもそも現実世界の連中は弱すぎる。あんな奴らを屈服させたところで何の自慢にもならない」
違います魔王様。あなたが強すぎるのです。
「それに比べてネトゲは面白いな。毎日魔獣と戦えるし、定期的にアップデートされるおかげでいつまでも遊べるし」
そういえば最高難度のレイドクエストもソロで攻略してるんだっけ? このままいけばゲームの世界も支配できそうだね。
「もう現実世界を侵略する必要なんてないんだよ。私は毎日パンが食えて、ネトゲが遊べればそれで十分なんだ」
そうだね。パンは美味しいし、ネトゲは楽しいよね。でも他にもやらなきゃいけないことがあるんじゃないかな。
「仕事はどうするの?」
「……しごとってなんだ?」
かくして魔王アンナ・エンプロイドは、不労の徒花「ニート」へと堕落したのである。