第5局 周軒
「星天は女子だという噂は聞いていたが、本当だったとは。こんな幼子が我が藩を代表する師範代達を倒したとは信じられない」
紫の瞳がジロジロと見てくる。いつものことながらやっぱり女が囲碁をすることは気になるらしい。
「気になるなら打てばわかりますよ」
「そうだな。1局打とうか」
ドカッと偉そうな人が目の前の席に座る。その時後ろからヒソヒソとギャラリーの話し声が聞こえた。
『おい、あの腕輪は藩主様の』
『ご子息の周軒様だよ。藩の跡取り息子様だ』
『なんでそんな雲の上のお方がこんな町外れの碁会所に来るんだよ』
周りの話を聞くにこの周軒って人は藩主の跡継ぎみたいだ。藩主っていうのはよくわからないけど、皆の反応を見るにめちゃくちゃ高い地位のようだ。だからといって勝負の内容は別。接待という言葉は私の中にない。
私は星、相手は小目に置いて勝負が始まる。
最初はよくある定石通り、かかりに受けにトビ。だけど打ち進めていくにつれて見えてくる物がある。
この人の碁は真っ直ぐだ。なんの小細工もなく石が突き進んでいく。何か狙いがあるのかとも思ったが罠はない。周軒の意思はすべて打たれた場所にあった。
凄く実直な碁だ。
昔、何かの本で1局の勝負は10年来の付き合いよりも深く相手を知ることが出来るという記述を読んだことがある。この人は自分の中に決して折れない一本の突き抜けた芯があるのだろう。打ち筋に迷いが一切ない。一点の曇りもない意思を胸に抱いている。
まあ、その打ち方が強いかというとまた別なのだけどね。
相手の狙いがわかるのだから、躱してその喉元に刃を突き立てる。棋力で言えば昨日まで打っていた師範代達の方が強かった。
左上の白は命尽きていた。
「これほどまでの打ち手だとは」
「ありがとうございました」
相手がアゲハマを盤上に置いて投了したから終局の挨拶をする。『星天の奴、周軒様に勝ちやがったぞ』『無礼打ちで首が飛ぶんじゃないか』と周りがガヤガヤと話しているのが聞こえる。え、私首切られるの。
瞬間、バンッと机を叩いて周軒が立ち上がる。お怒り?やっぱり斬首?と思っていると顔を上げた周軒と目が合った。
碁と同じように真っ直ぐな瞳が私を見ていた。
「やっと見つけた。頼む、星天。今すぐ私と共に館に来てくれ。力のある打ち手が必要なのだ」
そのまま手を取られてガシッと両手で握られる。痛い。勢いがあり過ぎて手がヒリヒリする。
取り敢えず周軒は私を何処かに連れて行きたいらしい。この感じだと無礼者の首を刎ねるためというわけではなさそうだけど、目的はわからない。力のある打ち手が必要ということは碁を打つ機会があるということなのだろうか。
それなら歓迎だ。行こう。是非行こう。強い相手との真剣勝負は望むところだ。
「囲碁を打つ機会があるならば喜んで」
「よし、ではすぐに行こう」
私を立ち上がらせると周軒は繋いだままの手を引いた。そのまま外に出ると馬車が停まっていた。乗り込み、周軒が外へ合図を出すと馬車は動き出す。
「単刀直入に言おう。棋礼戦に出て欲しい」
「棋礼戦?」
ガタガタと揺れる馬車の中で周軒が話を切り出す。隣の藩である参宿藩の藩主の弟である元柑が妻と帰省した折に野盗に襲われ殺された。
殺された場所は参宿藩との藩境、大江山を超えてすぐの場所でこちらの藩内だった。
元柑夫妻が殺された原因はそちらにあると参宿の藩主は銀子10万両と大江山を参宿藩の藩地とすることを求めた。到底受け入れられない要求だ。それだけの物を支払えばここ、奎宿藩は立ち行かなくなる。
だが、元柑の妻、清蘭は現皇帝の姪にあたる存在。この件については王都も関心を向けている。元柑夫妻が奎宿藩を通過することは事前に通達があったことで、奎宿藩に落ち度があることは事実だった。
「だが、そもそも元柑夫妻を襲った野盗は参宿藩を根城にしている者達だった。そして、藩主と元柑との仲は決して良いとは言えなかった」
「藩主が野盗に元柑を襲わせたってこと?」
「証拠はない。だが野盗どもは再び参宿藩に戻り討伐されたとの情報はない。藩主に問い合わせても『調査中だ』の一点張りだ」
ガタガタと馬車が揺れる。周軒の話だけ聞くと隣の藩主に嵌められたように思える。勿論隣の藩主の言い分も聞かなければならないだろうがこの周軒という人が嘘をつくとは思えない。真実なのか、そうだと思い込んでいるかのどちらかだろう。
「それで私にどんな関係が。話を聞いている限り役に立てそうにないけど」
「この国では揉め事が起こった際に武力行使で片をつけることを禁止している。藩同士の争いで国力が落ちるのを恐れているからだ」
「じゃあどうするの?」
「それを決めるのが棋礼戦だ。互いに棋士を立てて勝負する。そして勝った方の言い分が全て通るのだ」
『星天にはこの戦いを受けて欲しいのだ』と周軒はいう。なるほど、やっと意味がわかった。隣の藩との揉め事を解決する為の代打ちを探していたということなのか。強い打ち手を探していて私が今連れて行かれている理由もわかった。でも。
「揉め事がある度に棋礼戦があるならお抱えの棋士がいるんじゃないの。周軒は偉い人なんでしょ。1人や2人いてもおかしくないよね」
「ああ、うちには3人の棋士がいた。だが全員対戦相手の名前を聞いた瞬間に逃げ出したよ」
雲行きが怪しくなった。逃げ出す?相手はそんなに強いのだろうか。
「棋礼戦は棋士同士の間でも賭けをすることができる。参宿藩は対戦相手に残句を指定してきた。残句は対戦相手に首を賭けさせる。そうやって何百人もの首を切ってきたことから首切り残句と呼ばれているのだ」
恐ろしい話が出てきた。負けたら首を切られる?
「命乞いをしても聞き入れられることはないだろう。負ければ首を切られて死ぬ。俺は君に棋礼戦を受けて欲しいと言ったが、断ってもらっても構わない。命がかかっているのだから戦いたくないというのも当然だろう」
ジッと紫の瞳が見つめてくる。最初に会った時からそうだ。この人は真っ直ぐ私を見てくる。
命のかかった棋礼戦、負ければ首を切られる。でもそんなことは私の日常だった。
明日なんてないかもしれない、息苦しくて胸が痛い、そんな中で毎日囲碁を打っていた。これで終わりかもしれない。今日の対局が最後かもしれない。一局一局、一手一手に魂を込めて打っていた。
勝利の高揚だけが私を生かしていた。この胸の高鳴りが私を生に繋ぎ止めていた。
ならば負ければ死ぬのだ。敗北すればきっともう続かない。気力なんて持たない。きっと朽ちていく。
私にとって勝利とは生で、敗北は死だ。そうやって1000戦1000勝してきた。だから同じことだ。負けたら死ぬ、いつものことだ。
ならば強者との勝負を受けない理由はない。
「互いに命を賭けた勝負ができるなんて楽しみだ。受けるよ。私は真剣な勝負がしたい」
「ありがとう。共に戦ってくれて」
周軒がグッと手を握る。その手は温かくて大きかった。