第4局 真剣勝負
あれから続けてさらに3局打った。不芒ほどの実力者はいなかったが、誰もが真剣に私を殺そうとする実に充実した内容だった。
さあ、4局目を始めようとしたところで最初の受付の所にいた人相の悪い坊主頭の男が『いい加減店は終わりだ。これ以上やりたかったら明日にしろ』と店の中にいた人々を外に追い立てた。
『くそ、逃げるなよ星天』『明日は俺が戦うからな』と口々に言い男達が出ていく。はて、私には帰る場所なんてないけどどうしたら良いのだろう。
「おい、星天。お前も出ろ。うちはもう店仕舞いだよ。子どもは夜は寝る時間だ」
「帰るところはない」
「はあ?お前の家はどこなんだ」
「そんなものはないよ。私は気付いたらここにいたから」
明らかに違う世界にいるのだから、外に出て自分の家を探したとしても見つかるとは思えない。私に戻る場所などもうないのだ。
坊主頭の人はガシガシと頭をかくと奥に引っ込んだ。しばらくすると手に何か持って戻ってきて、なんだろうと凝視する前にボフッとそれは私に向かって投げられた。
「ほら、それに包まってそこの長椅子で寝ろ。もうすぐ夏だ。暖を取るには十分過ぎるほどだろう」
それはゴワゴワとしている大きな布だった。おまけにちょっとカビ臭い。
言われた通り布に包まって横になる。今まで清潔で暖かなベッドで寝てたことに比べれば恐ろしく劣悪な環境だが心は穏やかだった。
明日も囲碁を打てることが私の幸せだった。
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「ほら、朝だ。起きろ」
パチリと目が覚める。泥のように眠っていた。
体調はとてもいい。今まで悪いか末期状態の2択しかないような日々だから息を吸って吐いてもどこも痛まない身体は新鮮だ。
「ほら、目が覚めたならこれでも食え」
目の前に木のお椀を差し出される。受け取るとそこには湯気のたったお粥のようなものが入っていた。泊めてくれたこともそうだし坊主頭の人はいい人かもしれない。顔は怖いけど。
温かいお粥を食べると身体中に血が巡ったような感覚がした。病院食ばかり食べてたから熱々のご飯を食べるのは本当に久しぶりだ。
器を空にすると坊主頭の人がグッと後ろ手で入り口を示す。
「で、お前さんを倒したいって輩が店の前にひしめいているのだが、入れてもいいのか」
その言葉に入り口を見ると大勢の人影が店の前に屯しているのがわかった。『おい、羅間まだ開けねえのかよ』『あのガキいるか。俺から勝負させろよ』なんて声も聞こえてくる。
その瞬間、自分の中でカチリとスイッチが入る。健康な身体も美味しいと感じるご飯も全て勝負があってのこと、それは付加価値だ。
全ては碁があってのことなのだ。
「勿論、私は碁が打ちたい」
そこからは毎日囲碁三昧だった。私と打ちたいという人が列を成し相手には事欠かない。
一局一両という賭け金は未だに継続され、私の前に置かれた箱にはジャラジャラとたくさん小粒の銀が積まれていく。
別にお金なんて興味ないから私に勝った人に全てあげるよと言うと、さらに相手の真剣度合いが増した。私も嬉しいし相手も喜ぶし良いことづくめだね。
一日の大半を対局に費やした。たまに羅間(坊主頭の人)に『おいお前らいい加減にしろ。飯ぐらい食わせねえと、ただでさえ小さいのにこれ以上縮んだらどうするんだ』と首根っこ掴まれてご飯を食べさせられる。羅間はとても面倒見がいい。
そうしてご飯を食べていると差し入れをもらうようになった。肉まんとか点心とかあと、お饅頭とか。
この禍施亭で寝泊まりしてると言うといつのまにか長椅子には枕が備えられ布はまだちょっとゴワゴワしてたけどカビ臭くないものに変えられていた。私の衣食住は充実していった。
私との対戦者は日に日に増えていったが、同じくらいギャラリーも増えていった。『これほど強いと見ていて爽快』だの『人間とは思えん』だの『ご利益がありそう』だの言われる。別にご利益はないと思う。
禍施亭で囲碁を打ち始めて3日目には何やら身なりの整った人がやってきた。
ここにいる人は皆ボロ布に薄汚れていて浮浪者みたいな出で立ちの人ばかりなのに、緑色一色で染められた服に刺繍のある帯をしてさらに帽子を被っていた。明らかに地位のある人だ。
『鬼だの神がかっているだのと噂になっている打ち手がいると聞き来てみれば女子ではないか。ここの連中は女子に負けて平常でいられるほど誇りがないのか』とかなんとか言って周りから滅茶苦茶ブーイングを受けていた。ちょっと偉そうな人だった。
ああ、でもこの人と打つ碁は本当に楽しかったな。
『私は啓碁という教室の師範代、會景だ。私が負ければ師範代を辞めよう。だが、私が勝てばお前は囲碁をやめるのだ。碁は女がやるもんじゃない』と勝負を吹っ掛けられた。この世界の人々は本当に女が囲碁をすることを嫌がるな。
だけども真剣勝負は歓迎だ。二度と囲碁を打てないのは私にとって命を賭けるに等しい代償だ。そして師範代の地位を賭けたということは相手も今までの人生を賭けたことに等しいだろう。お互いに掛け替えのない物を差し出しての勝負だ。
この日は自分でも驚くほど調子が良かった。石が踊る。自分の思い描いた通りに石模様が広がる。世界が創造される。
序盤から中盤に進むにつれ、相手の表情から余裕が消えていった。盤面は拮抗していた。お互いの石がもつれ合いながら盤面が進んでいく。
たぶん、相手も真剣だから楽しいのだ。互いに絶対に負けられない掛け替えのない物を賭けた戦い。押し寄せる重圧が私を深みに沈める。もっともっと、奥深く。
囲碁の深淵にまで落ちていきたい。
終盤、黒模様が白模様を呑み込んでいた。私の勝ちだ。
會景が震える手で顔を覆い俯く。歓声が上がった。『會景に星天が勝ったぞ!』『見下した態度取っていたのにざまあねえな』『俺達の星天に勝てると思うなよな』なんて声が聞こえる。いつから私は貴方達の天になったというのか。覚えはない。
會景はゆっくりと立ち上がると『負けました』と呟き去っていった。楽しかった。また是非打ちに来てほしい。
それから何処そこ教室の師範代やらその弟子やらが沢山来るようになった。『私は會景のようにはいかん』だの『裴句師範代の仇打ちにきた』だのそういうのが日に何人も来るようになった。
おかげで禍旋亭は大盛況だった。1日5人は相手したかな。でもそんな人達も5日もすれば来なくなった。1人1局なんかじゃなくて沢山打ちに来てくれたら良いのに。
また禍旋亭にいた小汚い男達と有金全てと身柄を賭けた勝負をしていると表が騒がしくなった。
地鳴りとヒヒンという動物の鳴き声が聞こえる。そしてそれが止むと、帯刀し胸当てをした兵士のような装いの男達が10人程入ってきた。
10人程の男達は左右に分かれ、そしてその間を1人の男が真っ直ぐ歩いてくる。
「星天というのはお前か」
お団子に纏められた黒い髪に、深い紫色の服に装飾の付いた帯。10人もの人を従えている姿を見て思う。
なんかすっごく偉そうな人だな。