第2局 禍旋亭
よし、じゃあ碁を打とう。
見知らぬ場所に来ようが健康になろうがやることはひとつ、碁を打つことだ。
そんなわけで土の感触を踏みしめながら町を散策する。掲げられた看板は飯に茶に酒に、あ。
“碁”と看板を掲げた店を見つけた。行ったことはないけど、源じいちゃんが碁会所という色んな人と対局できる場所があると言っていた。きっとここもそういったところなのだろう。
躊躇いなくドアを開ける。中からはジャラジャラ、パチパチと石の出す音が聞こえ、盤を挟んで白と黒の石を置き合う人が大勢いた。皆囲碁を打っている。
「やあ、お嬢さん。お父さんでも迎えに来たのかい?」
「いえ、私が囲碁を打ちに来ました」
入り口近くにいた緑色の服を着た男に話しかけられる。父親のお迎えだと聞かれたがそうではない。私が囲碁を打ちたくてきたのだ。
そういうと緑色の服を着た人はマジマジとこちらを見てきた。訝しげな視線、明らかに納得してないといった顔だが何かおかしいことでも言っただろうか。
「女の子だよな?実は坊主ってことはないな?」
「そうです」
「ばっか。何言ってるんだ。女が囲碁なんて打てるわけないだろう」
男は呆れたように首を竦める。女が囲碁を打たない?
「私は打てます」
「女が囲碁をするなんて何考えてるんだ。とにかく駄目だ。うちでは女に碁を打たせるなんてことはできないね」
さあ、帰った帰った。と店の外に追い払われる。せっかく囲碁を打てる場所を見つけたと言うのに女というだけで何故打てないのだろう。
だけどこのまま店の前に立ち続けても仕方ないので他の場所を探す。大きな町のようだしもうひとつかふたつ碁会所があるかもしれない。
しばらく道なりを歩いているとまた碁と掲げられた看板を見つけたが、中に入ろうとすると『ここは女が来るところじゃない』だの『女が碁を打とうなんてどんな教育されてるんだ』だの言われる。チラリと見えた室内では私より明らかに小さい子どもがいたから年齢ではなく性別で見られているようだ。
囲碁は碁盤と碁石があればできる遊戯なのに何故ここまで女というだけで忌避されるのだろう。関係ないだろう。一局打たせて欲しい。
あまりにも断られるもんだから5軒目で『どこでもいいから私が囲碁を打てる場所を教えて欲しい』と碁会所の主人に詰め寄る。
主人は嫌そうな顔をしながらも奥の小道を進んだ先にある禍旋亭なら誰でも対局を受けてくれるだろうと言う。ただし、ならず者が集まるような場所で子どもが一人で行くところではけしてないと。
主人の言い方だとあまり治安の良いところではないのだろう。だけれども他に碁を打てるところがないならば仕方ない。行くしかないだろう。
人通りの多かった表道から外れ、建物の間にある小道を進む。しばらくすると地面にポツリと置かれた汚れ切った深緑色の看板に“禍”と書かれた店を見つける。
看板と同じく汚れ切った扉を押すと薄暗く澱んだ店内で大勢の人が碁を打っていた。空気が悪い。煙草の煙のせいだろうか。いや、それだけでない何かが室内に溜まっているような気がする。
「ここは童がくるとこじゃねぇぞ。何の用だ嬢ちゃん」
「ここなら誰でも囲碁を打てると聞きました。誰か相手はいないでしょうか」
入り口近くにいた坊主頭の男が聞いてくる。歯は黄ばんでいて目の下には隈がある。人相はあんまりよくない。
「あんたが打つのか?」
「そうです」
「金さえ払えばうちは来る者拒まずだが、勝負終わった後に待ったは無しだぞ。子どもだろうが、『負けました』には金を払ってもらう」
坊主頭の男がそう言う。盤上の結果に従うのは当然のことだろう。その点は問題ない、問題ないのだが。
「お金」
「最低賭け額は一両からだ。うちは碁で食い扶持を稼ぐその日暮らしの賭士の集う店だよ。怖気付いたなら帰っていいぞ」
シッシと追い払うような動作で扉の方に促される。冷やかしなどではなく囲碁を打ちたい気持ちは本気なのだが、私はお金を持っていない。しかも両という知らない単位のお金だ。着の身着のままなのだから、そんな物を持っているはずもない。でも囲碁は打ちたい。だから。
「お金はない。その代わり負けたら何でもする。焼かれようが煮られようがかまわない。命を賭けるから勝負して欲しい」
「は?何言って」
「おい、ガキ。今言ったことは本当だろな?後からやっぱやめたって言っても聞かねえぞ」
奥からノシノシと髭面の大柄な男がやってきた。どうやら対戦相手は見つかったようだ。
「勿論。命を賭けて勝負するよ」
「ガキだが整った顔立ちをしてるから売っぱらったらいい金になるだろう。こりゃ割のいい勝負だな」
ドカッと男が近くの席に着く。碁盤を挟んで対面になるように私も席に着く。
相手が石を握る。2、4、6、当たりだ。私が黒番だ。
「お願いします」
「囲碁は女が打つもんじゃねぇってことをしっかりわからせてやるぜ」
一手目黒、右上隅星。私の基本は星定石だ。自分の名前に星がつくから好きなのだ。
二手目白、左下隅小目。小目は星のひとつ下に置くことをいう。地に辛く実戦でも一番よく見かける打ち方だ。
テンポよく盤面が進む。互いが互いの隅を守りそして、切り込む。小目にケイマの形でかかった。瞬間、相手がハサミ返してくる。
急襲。相手も攻撃型の打ち手だ。ならばとこちらも相手の石をハサミ返す。
ここから殴り合いに発展する。白の陣地に入り込んだ黒と応戦する白の戦闘だ。
切る。はねる。とぶ。抜く。鍔迫り合いが続く。
全身が熱くなり頭が沸騰しそうだ。盤面は複雑化してお互いに引くに引けない状況になっている。この石のもつれ合いで勝負の決着までいくだろう。
石の攻防はそのまま私の生死に関わる。どうやら私はこの勝負に負けるとどこかに売り飛ばされるらしい。自由なんてもんはないだろうし囲碁ももう打てないかもしれない。そもそも売られた先ですぐに殺されるかもしれない。石の生死は私の人生の行く末を決める。
それがどうしようもなく楽しい。私の世界はこの盤上と結びついているのだ。私は今、囲碁の世界で生きている。この碁盤の中が私の全てなのだ。
「おいおい、もうお前の黒は死にそうだぜ?ほら、この左下の黒、目がないじゃないか」
「そうだね」
男の言う通り私の黒石には目がない。石が生きるには目が2つ必要で、それがないと死と見なされる。現状で言えば私の黒石は死んでいる。
だけども同じくらい隣の白の命も危うい。白の大石にだって目は1つしかないのだ。これは黒白2つの生死がかかった戦いだ。
「状況をわかっているならそれなりに賢いじゃねえか。なら降参しな。そうすればど変態の金持ちに売ったりしねえ。売り先はそれなりに厳選してやるよ」
「降参はしないよ」
そんなものするはずがない。何を言っているのだろう。
「てめぇ、状況をわかっているのか。今から黒と白の攻め合いが始まる。俺は石の読み合いはむちゃくちゃ強いぞ。ここで降参しないなら容赦はしねえ。ガキをなます切りして喜ぶようなクソッタレに売りつける。いいのか、降参しないなら死ぬぞ」
「そうだとしてもここで降参するなんてことはしないよ」
命を賭けると言ったからには、負けたら殺されても仕方ない。それは最初から承知しているのだから今更言われるまでもない。それに命が惜しかったとしてもここで止めるなんてあり得ないことだ。
ここでやめる?そんな馬鹿な話はない。そんな勿体無いことはしない。
私はこの為に囲碁を打っているのだから。
「この生死が決まる極限を感じる為に囲碁を打っているんだ」
笑みが溢れる。そう、これからが本番だ。このギリギリのせめぎ合いに生を実感できるのだから。
石を殺して私が生きるのだ。
『さあ、殺し合おう』というと何故か男は引き攣った表情を浮かべていた。