記憶記録装置
「来週に大事な国家資格試験を控えた栗村様に、うってつけの商品を持ってまいりました。その名もずばり、記憶記録装置というものです」
訪問販売として突然やってきた怪しい黒スーツの男。黒柳と名乗った男は『なんでも本舗』という会社の名刺を渡した後で、こっちの制止も聞かないまま胡散臭い商品の説明を続けてくる。
「これは名前の通り、特定の記憶を外の記憶媒体に保存しておけるというものなんです。この商品があれば、膨大な量の暗記だって一瞬で終わり、試験も楽々合格というわけです」
僕は目の前の男を怪しみながら観察する。まず服装や商品名自体が怪しい。それだけではなく、どうしてこの男は僕の名前、そして僕が国家資格試験を来週受験することを知っているんだろう。毎年不合格になっている資格試験。合格できるのであればいくらでもお金を払ってもいいと思ってはいるが、そういう気持ちにつけこんだ新手の詐欺なのかもしれないと僕は警戒する。
「怪しまれるのは当然です。何せ、これは我が社が発明した裏の技術で、表の社会ではまだ秘密となっている技術ですからね。この商品の存在を知ることができただけでも栗村様はとてつもなくラッキーなのです」
僕の心を読んだかのように黒柳が笑う。
「私もなかなかこの商品が売れなくて上司から責められてましてね、なんとかして栗村様にお買い上げいただきたいんです。なので、どうでしょう? 商品の素晴らしさを知ってもらうために、最初の一回だけ特別に無料で使用していただくというのは?」
「無料と言いつつ、後から変な請求をするんじゃないんですか?」
「滅相もありません。正真正銘、本当に無料でお試しいただけます。正直こんなことはやりたくはないんですが、私も背に腹は変えられませんからね。どうか、哀れなサラリーマンを救うと思って、試していただけませんか?」
僕は腕を組み、考える。実際、今のまま試験を受けてもほぼ確実に不合格になるのは目に見えていた。黒柳が言っている商品がどういうものであろうと、藁をも掴みたい状況であることには変わりがない。
それに何より、今の僕には失うものが何もない。これが詐欺だとしたら、もっとお金を持っている別の人間をターゲットにするだろうし、こんな貧乏人を相手にしている暇だってないはずだ。本当に無料なんですね、と僕は黒柳にもう一度確認した上で、だったら試してみますと彼に答えた。
黒柳は僕の返事に大袈裟に喜び、ありがとうございますとお礼の言葉を言った。それから商品の説明をしますねと告げた後、バッグの中から映画でしかみないような怪しげな装置を取り出した。
「使い方は簡単です。この装置では、記憶を記録すること、そして記録した記憶を読み取ること、その二つを行うことができます。まずはここにある装置を頭につけていただいて、このDVDに似た記憶媒体を装置に差し込んでください。それからこの記憶ボタンを押し、記録したい記憶を頭の中で思い出してもらうだけで、自動で記憶媒体に記憶が記録されていきます。読み込みの場合は逆に、記憶を記録した記憶媒体を差し込んでもらった上で、読み込みボタンを押すだけで大丈夫です」
黒柳は僕に頭に取り付けるための装置、そして、記憶を記録するための記憶媒体が入ったケースを手渡してくる。
「そうそう、この装置に関してですが、注意点が三つあります。
一つ目。記憶媒体に記録した記憶は、記録と同時に頭の中から消えてなくなってしまいます。つまり、ここで言う記録はコピーではなく、記憶自体を移動させるとイメージしてもらったほうがいいかもしれません。もちろんこの装置で記録した記憶を読み取ることで再び思い出すことができるのですが、例えば自分の名前などを決して記録しないようにしておいてくださいね。
二つ目。一度記録してしまった記憶は再度記録することはできなくなります。つまり、一度記憶を記録し、装置で再び頭の中に戻した記憶をもう一度この装置で記録することはできないと言うことです
そして、三つ目。この装置のことは誰にも教えてはいけません。信じてはもらえないかもしれないですが、これは表の世界とは別の世界で作られた商品なんです。なので、本当はこちらの世界には存在してはいけないもの。なので、おいそれと誰かに喋ってもらっては困ると言うわけです。まあ、仮に誰かに話したところで、信じてもらえないでしょうけどね」
僕は渡された装置を見ながら黒柳の説明を聞いた。聞けば聞くほど胡散臭い商品だったが、それでもお試しすると言ってしまった以上、気になることは聞いておいた方がいいかもしれないと判断する。
「商品の使い方はわかりました。ただ、これをどう使えば資格試験に役に立つのかいまいちイメージがつかないんですが」
「簡単です。資格試験に必要な情報を記憶し、それを記録。そして、試験直前にそれを読み取りすればいいんです。この装置で読み取りを行った記憶は一時記憶ではなく長期記憶として保存されるので、この方法で記録した記憶はそうそう忘れてしまうことはありません」
「なるほど。とりあえず必要な情報を頭に詰め込んで、忘れないうちにすぐに保存すればいいんですね」
「もちろん、その方法もあります。でもですね、そんな面倒なことをせずとも、もっと簡単に資格試験に合格することはできるんです」
そういうと黒柳はニヤリと不敵に微笑み、そして黒いバッグから一枚のケースに入った記憶記憶媒体を取り出した。その表紙には記録を行った日付と、『対〇〇試験用記憶』と書かれたラベルが貼られていた。
「この商品の画期的な点はですね、他の人が記録した記憶を別の人が読み取りすることができるということなんです。これは栗村様と同じように国家資格を受験し、高得点で合格したとある人物から買い取った記憶になります。この記憶を装置で読み取るだけで、必要な情報がまるっと手に入るというわけです」
僕は差し出された記憶媒体を見る。装置は無料で渡しておいて、こっちの記憶媒体を買わせる手法なのかと思って眉を顰めると、黒柳は慌てて言葉を続けた。
「おっと、誤解しないでください。装置だけ渡しても効果はあんまり実感できないですからね。この資格試験対策用の記憶も特別に無料でお渡しします。ぜひこれを使って、この装置がどれだけ役に立つかを知っていただけたらと思います」
僕は黒柳から記憶媒体を受け取る。そして、商品を受け取った僕をみて、黒柳は不敵に微笑んだ。それから黒柳は、気に入っていただけると信じてますと呟き、立ち去っていくのだった。
*****
黒柳から受け取った記憶記録装置は本物だった。
半信半疑のまま記憶装置で記憶を読み取ったときは、全く変化がなく、騙されたと一瞬考えた。しかし、 念の為資格試験の問題集を試しに解いてみると、次々と答えが思いついていき、今までは全く手も足も出なかった問題がすらすらと解けるようになっていた。そのまま試験を迎え、結果は当然、合格。何年も落ち続けてきた試験をこうもあっさりと合格することができた僕は、合格者通知を握りしめながら呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
合格発表後、僕はすぐに黒柳へ電話をかけた。そして、この記憶記録装置を正式に購入したい旨を告げ、他にどんな記憶が売っているのかを問い合わせた。
無料でお試しした記憶記録装置は決して安い値段ではなかった。しかし、僕はなけなしの貯金を叩いて、他の誰かが記録した記憶媒体を買い漁った。主に購入したのはやはり資格に関する記憶。暗記だけでなんとかなる資格試験を片っ端から受け続けた。自分の力ではないと言っても、みんなが苦しみながら勉強し、不合格に打ちひしがれる資格を、何の苦労もなく合格していくのは爽快だった。いつしか僕にとって記憶記録装置は手放せない存在になっていた。ただ、だからこそ、この記憶記録装置の使い方について、どうしようもないもどかしさを感じでしまう。
「不満というのはなんでしょうか? 私からみた限りでは、栗村様はこの記憶記録装置を十分に活用なさっているように思えるのですか?」
ある日。商品アンケートという名目で呼び出されたカフェで、黒柳は不思議そうな表情で俺に尋ねてくる。俺はこの商品は素晴らしいという前置きをつけた上で、素晴らしいがゆえに、この装置の使い道が限定されていることにもどかしさを感じているということを伝えた。
「できることといえば、勉強をせずとも資格取得をできるということくらい。合格者体験記などを書いて小遣い稼ぎはできるんですが、それも正直大した金額にはならないんです。資格をたくさん取得して自慢はできるんですが、それだけ。こんなにすごい装置なのに、できることがどうしようもなくしょぼいなって思っちゃうんです。もっとどうにかなりませんかね?」
「どうにかなりませんかと聞かれましても。具体的にはどういったものをご所望なんですか?」
「資格取得に関する記憶だけじゃなくて、もっとすごい記憶とかはないんですか? 誰かの秘密とか、埋蔵金のありかを記録したものとか」
黒柳がうーんと腕を組み、考え込む。
「お売りしている記憶は他の方から買い上げた記憶なんですが、そういったものを売ってくれる人はいませんからね。そんな都合のいいものは……いや、ちょっと待ってください」
そういうと黒柳はバッグの奥をゴソゴソと探り、それから一枚の記憶媒体を取り出す。そこには古い日付、そして『お宝の隠し場所?』という説明書きが書かれていた。これはなんですか? 僕が興味津々に聞くと、黒柳は説明してくれる。
「これはとある人物が購入依頼をしてきた記憶なんですね。で、ここに書いてある通り、本人はお宝の隠し場所に関する記憶を保存していると説明していたんですが……そんなものを保存して、売るなんて明らかに不思議なんで?マークをつけているんです。一度読み取ったらもう使えない以上、中身を確認するわけにもいかないですからね。確認しようにもその方とはすでに連絡が取れなくなっていて、ずっと在庫として残っている感じなんです」
「それって売っていただけることはできるんですか?」
「もちろん。むしろ扱いに困ってたくらいなので、無料で差し上げてもいいくらいです。ただ、他の記憶についても同じですが、これが本物であるかどうかの保証はできませんので、それだけご了承ください」
僕はもちろんと頷き、その記憶媒体を受け取った。黒柳の言う通り、本当にお宝の場所を保存している可能性は低いだろう。それでも、誰かが保存した記憶を読み取ったところで何か悪いことが起きるわけでもないのだから、万に一つの可能性に賭けてみるのもありなのかもしれない。
僕は帰宅後、すぐに記憶媒体を装置にセットし、記憶の読み出しを行った。万に一つの可能性に賭けてみる。そんなことを思っていたが、正直、ただのいたずらだろうと思っていた。黒柳の言う通り、それが本物だとしたら、それを売るメリットなんてありもしないのだから。
一度記録してしまった記憶は再度記録することはできなくなります。
つまり、一度記憶媒体に記憶を記録してしまえば、そっくりそのままその記憶を失ってしまう。自分も一度試しに読み取りではなく、記憶の記録をやってみたことがある。黒柳の言う通り、保存した記憶はきれいに忘れてしまい、保存する前には覚えていたはずのことが、保存後には全く思い出せなくなっていた。いや、思い出せなくなるというよりも、その記憶があったこと自体忘れてしまうような感じだった。
だからこそ、記憶を読み取った直後、ある場所の地図が思い浮かんだ時、嘘だろと僕は思わず呟いてしまった。いや、まて、これは凝ったいたずらで、嘘の記憶を保存してからかっているだけかもしれない。そんなふうに自分を落ち着かせてみたけれど、それでも万に一つの可能性に心臓は興奮で激しく脈打っていた。
早速記憶を頼りに、スコップを荷台に乗せ、車でその場所へと向かった。指定された場所は隣県の人里離れた山奥だった。期待しすぎちゃダメだと自分に言い聞かせながら、深呼吸をする。隠し場所は数箇所あり、僕はとりあえず車を停めた場所から一番近い場所へと向かった。記憶によれば、木にナイフで刻んだ目印があり、その根元にお宝があるらしい。僕はしばらく歩いてからその木を見つけ出し、その根元をスコップで掘り始める。
しかし、いくら土を掘っても、お宝は出てこなかった。一体僕は何をやっているんだろう。汗をかきながら土を掘り起こしている間、ふとそんなことを考える。お金稼ぎがしたいからと言って、こんな都合のいい展開があるわけないし、自分は揶揄われているだけ。何期待しているんだ、馬鹿馬鹿しい。そう思って僕は手を止めようとする。その時、スコップの先に何かがぶつかる音が聞こえてきた。
僕は驚きのあまり声を上げた。それから僕は急いで地面にしゃがみ込み、スコップが当たった何かを確認する。そこに埋められていたのは小さな金属製の箱。僕はゆっくりと箱を取り出し、表面の土を払った。箱にはダイアル式の鍵がかけられている。しかし、その鍵をみた瞬間、僕は正しい番号を思い出す。錆びたダイアルを力一杯回し、開錠する。
それから僕はゆっくりと箱を開けた。そして、その箱の中には、ダイヤ付きの指輪が数個入っていた。
その箱を手に持ったまま、僕は固まってしまった。自分が目にしたものが現実なのか、夢を見ているのかわからなかった。何も考えることができないまま、呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
近くの山道を車が通り抜ける音が聞こえた時、僕はようやく我に帰った。僕は反射的に音がした方を向く。すると、山道をちょうど一台のトラックがゆっくりと通り抜けていくのが見えた。僕はそれを目で追いながら、一体こんな山奥で何をしているのだろうと不審がられたかもしれないと考える。そして、もしここで僕がお宝を見つけたことがバレてしまうと、色んなゴタゴタが起きてしまうかもしれない。
そんな考えが思い浮かんだ瞬間、僕はスコップを手に取り、慌てて走り出した。記憶媒体に記録されていたお宝の場所は合計五つ。僕は休憩なしに、スコップで土を掘り続けた。そこに埋まっていたのはどれもこれも、値段の張るお宝だった。ダイヤの指輪に始まり、真珠のネックレス、金塊、さらには現金。掘り起こすたび僕の胸は高まり、興奮と疲れで呼吸は乱れっぱなしだった。
そして最後のスポット。僕は息を切らしながら、スコップで土を掘り続ける。もしかしたら先ほどのトラックの運転手が、警察に僕のことを通報しているかもしれない。だったらなおさら早くここから立ち去らないといけない。スコップを握る力が無意識に強くなる。
そして、ついに、スコップの先が土以外の何かにぶつかる感触がした。僕は嬉々として這いつくばり、その何かを手で掘り起こす。ただ、今回は今まで掘り起こしたものとはサイズが全く違っていた。僕は苦労しながら地中から取り出し、ずっしりと重たい大きな箱を取り出した。今までとは比べ物にならない重さに興奮しながら、僕は箱を開ける。そして、その箱に入っていたものを見て、僕は言葉を失った。
最後の箱に入っていたもの。それは、何本もの切断された人間の腕だった。
僕は箱の蓋を持ったまま、目の前のものが一体なんのか理解できず、固まった。記憶を売りつけた謎の人物、山奥に隠された金品、そして切断された人間の腕。色んな情報が頭の中を高速に駆け巡っていく中、遠くから一台の車がやってくる音が聞こえてくるのだった。
『速報です。数年前の連続強盗殺人事件について、容疑者と見られる男性が確保されました。容疑者は容疑を否認していますが、犯人しか知り得ぬ情報を複数把握しており、検察は容疑者が犯人である可能性が非常に高いとみて取り調べを続けている模様です。ただ、死体遺棄の場所を知っているのは記憶を買ったからだという意味不明な主張を行っており、責任能力の有無を調べるために、精神鑑定が実施される予定で─────』
「だから言いましたよね。お売りした記憶が本物であるかの保証はしておらず、あくまで購入者の自己責任だって」
拘置所の面会室。黒柳は不敵な笑みを浮かべたまま僕にそう告げた。そんなバカな話があるもんか。僕がそう言葉を荒げて叫んだが、黒柳は飄々とした態度で軽く受け流すだけだった。
「このままだと僕は有罪が確定して、死刑になってしまう」
「でしょうね」
「でしょうね、だって! なんでそんな他人事みたいに言えるんだ! あなたがこの記憶装置のことを検察に伝えてくれたら、少なくとも僕の容疑は晴れるはずだ!」
「それは出来ない相談ですね」
「どうして!」
「商品を説明するときにお伝えしましたよね? この装置は表の世界には存在してはいけないもので、誰かに話してはいけないと。それに、私がこの装置のことを話したところで、今度は私が精神鑑定を受けさせられるのがオチですよ」
黒柳が笑う。彼が僕を助けてくれるわけではない、僕はそのことを知っていた。それでも、誰でもいいから助けて欲しかった。僕はふざけるなと叫ぶ。しかし、黒柳はその不敵な笑みを一歳崩さなかった。
「本で読んだことがあります。死刑囚は、いつ死刑されるかわからない恐怖で精神を病んでしまうことが多いそうですね」
謝罪どころか、恐怖を煽る黒柳に対して、僕は怒りすら感じなかった。それだけ僕は今、絶望し、恐怖のどん底にいるということだった。
「もちろん連続殺人事件の犯罪者から買った記憶をお渡ししたことに良心が痛まないわけではありません。その償いと言ってはなんですが、特別にこれをお渡しします。特別なコネで差し入れを許されているので、その点はご安心を」
そういうと黒柳は、僕をこの状況に陥れた記憶記録装置と記憶媒体を取り出し、机の上に置いた。記憶媒体には表面になんのラベルもないため、記録用の空の記憶媒体だということがわかる。いまさらこれで何をしろっていうんだ。僕がそう叫ぶと、黒柳はいつか使い道がわかる時が来ますよと笑うだけだった。
「それでは時間になりましたので、これで失礼します。裁判、頑張ってくださいね」
黒柳が立ち上がる。行かないでくれ。僕は叫んだが、黒柳はやれやれと首を振るだけ。そして、黒柳は荷物をまとめ、部屋を出て行った。残された僕はその場で泣くことしかできなかった。真向かいの机には、そんな僕を嘲笑うように、黒柳が残して行った記憶記録装置が僕の方を向いていた。
「なあ、この前収監された、栗村ってやつどう思う?」
「ああ、あの連続強盗殺人事件で捕まった死刑囚か。うん……お前の言いたいことはわかるよ」
「だよな、俺も今までいろんな死刑囚を見てきたが、栗村のようなやつは初めてだよ」
「そうだな。今までの死刑囚はみんな、いつ死刑が執行されるかわからない恐怖でおかしくなっちまうのに……なんというか、栗村は飄々としていると言うか、なんの恐怖も感じていないと言うか」
「本当にな。俺だったら、恐怖で頭がおかしくなっちまうのに。よくも平気で毎日を過ごしていられるよな」
「ああ、まるで……自分が死刑囚だって記憶をすっぽりどこかに置いてきたみたいだ」