第四十四話 チェシャ
風切り音を耳にした瞬間に銃撃音も届いた。隣の列車からの攻撃だけど何故、古い武器の弓矢なのかと問う。
「速度が違う発射物に迷いを持たせる為かな。私達って銃弾位なら避けちゃうから。にしても矢の落下ベクトルが殆どないから威力がとんでもないよ。体に残る可能性がある矢の方が厄介。当たればね」
苺は当たらないだろう。私に気をつけて、ということかな。だけど先程から違和感が拭えない。殺意が感じられない攻撃の意図がわからない。ふと苺を見て驚きの声を上げた。なぜ気づかなかったのだろう!
「苺、髪が!」
苺ははにかんで舌を出した。
「えへへ。お姉ちゃんとおそろ」
そう言いながら短く切り落としていた髪先をイジイジしていた。
可愛いけれども!
「綺麗だったのに」
「ん? ただの髪の毛ですよ。暗器隠せないのはデメリットだけど。今度は一緒にロングにしよ?」
「あなたってば、こんなときに何を。まったくもっ」
敵はターゲットを見失ったのだ。先程の戦闘中の会話でも髪の毛で判別していたということは写真のような情報で正確に伝わっていないということだ。これは大きなアドバンテージ。私達二人を生け捕りにしなくちゃならないなんて同情すら覚えちゃう。
「それよりお姉ちゃん、凄いね」
「なんで?」
「さっきから矢を避けてるし」
「音から逃げてるだけだよ」
「この矢、音速並だよ」
「え?」
「え?」
「本気で当ててこないのはそういう事?」
「疑問点はそこじゃないんだけど」
この矢が当たれば死体になりかねない。これは牽制目的で私達の動きを止めたいか、完全に包囲するまでの時間稼ぎかな。
そして違和感の要素を苺に言われて気づいた。
矢が見え始めてきている。これが過去の自分に戻りつつあるということかな。
「まず感覚的、顕著なのは五感が鋭くなった」
先輩が言うにはそういうことらしい。
苺が後ろのドアまで下がるように合図をしてくる。攻撃の合間に座席の背もたれに身を隠しながら後方へと下がった。
「後ろからの突入怖くない?」
「後方の近距離攻撃なら対応出来る。そのときは前方の射撃は止むはずだし。多分突入は上からだよ」
あー、四角く溶接で溶かしたり爆薬でやるやつだ。
「苺がどんだけ場数を踏んでるのか考えるのが怖くなってきた」
「千二百年だしね」
「千二百年かあ。おばあちゃんだね」
「な!!」
と言ってる間に天井が騒がしくなった。先程陣取っていた上辺りで激しい金属音が響くと何度目かの爆音で巨大な斧らしき刃先が天井を突き破った。まさか物理的に穴を開けるとは思わなかったが、結局、天井に張った苺のワイヤーが障害となり突入に失敗し、降りようとした先頭の鬼は股先から腹部まで切り刻まれ、後続の鬼が続いて突入しようと、頭上にのしかかられた勢いでその鬼は縦に切断された。
「まるでコメディホラー」
そんな苺の笑っていない笑顔もホラー映画を醸し出しているけど、この状況が凄惨過ぎて吐きそうになる。
天井の穴からナイフ、じゃない鉈のようなもので糸を切ろうとしているところに、
「ナノカーボンに土蜘蛛の糸で合成されたアラミド繊維よ。切断するならレーザーくらいじゃないと」
と、容赦ない失望感を与えられた鬼は隙間からハンドガンの銃口を突っ込んで苺を狙い撃つが、呑気に待っている苺ではなかった。腰から抜かれた刀が糸を切り裂きながら銃口を持つ腕を切り落とす。突如障害がなくなった鬼の体が先程の鬼の仲間の死体の上に落ちてきた。すかさず苺の切っ先が心臓を貫く。
「レーザーくらいじゃないとって」
「うん、力量がないのならね」
「さらっと自慢してる」
「まだ上に居たはずなのに来ない。フラッシュバンくらい投げ込んでくればいいのに」
言った傍から何かを投げ込まれ、刀の鞘で前の車両へと打ち返した。時を置かず円筒の金属から煙が出はじめる。包囲されてはいるけどアドバンテージはこっちにある。これは小さな籠城戦だ。だけど打開策ではなく、時間を浪費するだけの手段でしかない。
苺だけならなんとかしたんだろうな。今の私は足枷になっている。
力がないなら頭を使え。何がある? 武器はない。だが目の前の煙に満ちた車両と上からの動きはない。私は服を脱ぎだした。
「お姉ちゃん?」
「苺、私はあなたになる」
その言葉だけで苺は察した。苺も服を脱ぎだしお互いの服を交換して着替え終わった。おそらくどちらがターゲットなのか動きで気付いてきたはず。ならばもう少し撹乱しよう。
「前の車両の敵を倒せる?」
「勿論」
「お願い」
「御意、姫様!」
感覚だけじゃない。
今、私が口にした言葉が証明している。私はあの人たちを「敵」と認識したのだ。
苺は私に刀を渡すと急いで天井にトラップを仕掛けた後、私に振り向きもせず前方へと駆け出す。前方のドアにたどり着くと苦無を足場に天井に張り付いた。煙も薄くなり敵の肩につけたライトがこちらを向き始める。
三人の敵が四方を警戒しながら車両に乗り込んでくる。
「あぶねえ方の女は消えたな。うん? 見捨てられたか? まぁ二人とも死ぬことはないしな。いい判断だと思うぜ。チェシャさんよ、大人しくしてりゃ無駄な痛い思いをしなくて済む」
「チェシャ? どうかしら? 私が目当の人物かもね。羅刹眼、怖くないの?」
人の面影を残す鬼が苦笑する。
「お前さんが持ってたらとっくに使ってるだろう?」
わざと目を逸らし一歩下がる。
「シータ、そいつ殺していい方だろ。てか食おうぜ」
「後だ、交渉材料としてまだ価値はあるからな」
私の耳には鬼の声は届かなかった。背後から迫る苺の動きに見とれていた。後続の鬼の首が同時に二つ宙に舞い、頭を下げて疾走する様は草を掻き分ける蛇のよう。
人はそんな動きが出来るのか。
苺が迫る。音も無く、まるで風に靡く木の葉だ。
鬼の意識を逸らそうと私の投げた刀を鬼が受け止めようとしたが己の首から生えた刃をしばらく眺めて事が切れた。
苺が刀をそっと引き抜く。裂け目から心臓の鼓動に合わせて血が噴出し苺の顔を濡らす。音を立てながら骸となった鬼が崩れ落ちると、
「おい、確保したんだろ。なにもたついてんだ」
と天井から声が届くと覗き込んだ目に苦無が深々と突き刺さる。叫び声が響き渡るとやがて小さくなった。
「みゃぁあお」
そう鳴いた苺が目を細め、袖口で口元の血を拭き取っていた。




