第三十八話 望む世界
弾丸は右に傾けた顔の左前で回転しながら留まっていた。
「すいません、余計なお世話でしたね」
言い終わったと同時に弾丸が回転を止め地面に落ちていく。
「流石というべきかな。鵺の力を使いこなしている」
「ナナキ様の仰った通りでした。僕は知っている、いえ覚えています」
「スナイパーを任せる、俺は玄関を壊した奴を」
「はい、あれをお借りしても?」
由良の視線の先にあるものを見て、
「余裕かい?」
「どうでしょう?」
と、笑いながら隠し棚から目当てのものを取り出し、振り返らずに駆け出して行った。
「若いってのはいい」
おっと、俺はまだ年寄りめいた事を嘆く年じゃない。
足音ではない気配に気づく。空気の動きで生じた植え込みの木の葉が鳴る音が移動している。
「由良に気づいたか」と、俺も慌ててその気配を追った。
挟撃の為、の移動じゃない、狙撃手は一人だな。観測手がいるなら二人で由良を迎え撃てばいい。もしかすると敵は軍属か傭兵か? 以前戦った由良なら心配はない。だが今の由良はまだ起きたばかりだ。プロの戦屋に対処出来るのだろうか。戦闘技術は問題ないだろうが駆け引きとなると……。
助走をつけて跳躍し壁を飛び越える。前屈のまま着地し、その前方への運動エネルギーを利用し駆け出した。こっちは別に隠れる必要もないので足音も気にしない。むしろ存在を顕にして注意を引きたい。そんなことを考えていると、横から急にナイフが飛来しそれを躱しながら方向転換をする。
ま、同じとこには居ないよな。
投げてから左手、つまり俺の後ろを取る、と見せかけて前だろ、と勢いのまま前方へと跳躍した。
思ったより高く飛びすぎたと思ったところに、再び狙撃。
飛び上がった俺が馬鹿なのか、それを読んだ敵を称賛すべきか。ヘッドショットは諦めて胸部の正中線を狙ってきたところが慣れてる感がある。体を捻り弾道に対して水平にすると、革ジャンの下に着込んでいたケブラー素材のプロテクターの表面を弾が削り取っていった。掠っただけだが衝撃は抑えきれず俺は体よく撃ち落とされた。
地面の上で自分の愚かさを吐き出す俺に、ナイフを両手で持ち、全体重を乗せた少年が月を背に落ちてくる。
飛び上がって避けつつ狙撃の射線から逃れるため、程よい高さのマンションを間に置いた。
「ふん。まあ仕留められるとも思ってはいませんでしたけど、なんか腹立つな」
物騒な刃渡りを持つナイフを左の肩で俺の血を拭き取る。
「えっと。まあ、俺に恨みがあるんだよな」
「ええ。前世で妻を殺されたのもあるけど、それより貴方の反吐が出る生き方ですよ。本当に気持ち悪い」
「今の俺に言われてもな」
避けたつもりが肩口を少し切り裂かれている。出血もあるが数分で塞がるだろう。にしても目の前の少年の殺気たるや、まるで個体化したように圧力を感じる程の怒りと殺意。ナイフを逆手に持ち、空いた手がもう一本のナイフを腰の後ろから取り出した。
鬼の筋肉は衝撃に対しては滅法強い。筋繊維が波を打つかのように衝撃の分散と吸収を行い、古来から使われる矢程度なら効果もない。鬼の体に変貌しつつある俺の体すらハンドガン程度なら痛みはあるだろうが致命傷にはならないだろう。スナイパーライフルは割とやばいが、一番やばいのは切断系武器、いわゆる刃物はいくら尋常でない筋肉のプロテクターでも鬼の力で振るわれる刃物が張り詰めた筋肉を容易く切り裂いてしまう。結局の所、この時代になっても斬り合う戦いは変わってはいなかった。
「鬼のくせに! 鬼のくせに! 何故、我らを救わない! 貴方ほどの力がありながら!」
少年の剣筋はトリッキーで、右に払うと見せて踏み込みと共に突きに転じ、左からの袈裟斬りから屈めた位置から、斬り上げで太腿の大動脈を狙ってくる。少年という体の小ささを上手く利用し、防ぎにくい角度からの攻撃のコンビネーションがやり難くて仕方がない。
「俺たちはもう人間には必要ないからだ」
少年の顔が変貌し鬼面になりかけるが人の顔に戻り、怒りに満ちた表情で涙を溢した。
ああ、この顔に覚えがある。
「お前は義覚か」
「名になんの意味がある!」
ナイフを握りしめた右手首を掴み、それを支点に力の流れを変える。少年の両足が宙に弧を描き、体を石畳に叩きつけると骨が折れる音と呻き声が同時に上がった。
「あるさ。お前だって小角が付けた名を使っている」
「奴の名を語るな!」
地面に押し付けられた状態から、自ら肩の骨を砕き拘束を解いて間合いを取った。右肩をだらり垂らし鬼といえど激痛のはずだが眼は激情を湛えている。
「あいつは僕の子らを奪った!」
五鬼の事か? 今は既に人と混じり子孫すら残っているが。
「義覚、お前一体何を」
「あいつは子の大切さを説いた口で、僕らを騙し、子らを拐かし、奪っていった! 全てを、僕らの全てをだ!」
「待て、話を聞け!」
義覚が身を屈め、刹那、その姿が陽炎となった。
超速移動で空気との摩擦で燃え上がった体でナイフを繰り出してくるが、右肩のせいで体幹に狂いが生じ動きがぎこちない。俺は義覚の知覚の外から足を絡め、再び地面に押し倒して動きを押さえた。
義覚は息を切らしながら地面を見つめていた。
「鬼が生きる世界なら。子らも不自由なく生きられた」
「かもしれん」
「何故、貴方は刀を抜かないのですか」
立ち上がって数歩下がる。
「お前らは草薙に何を吹き込まれた?」
「はは! 僕らが騙されていると? 違いますよ。こちらからお館様と接触したんです。あの人を利用する為にね。転生した子らと住まう世界を作るために」
これは俺と相いれる事が出来ない話だ。説得は無理だろう。
説得?
誰の為に?
相手を慮る為じゃない。俺のエゴの為だ。義覚の言う通り反吐が出るってもんだ。
「すいません、ナナキ殿、役小角から貴方の話は聞いていましたが……所詮、無理なんです。僕らは戦うしかない。だけど僕では貴方に勝てない。僕だけじゃ、勝てない」
「だったら刃を収めてくれ。和解できなくてもお互いの」
「ごめんなさい」
義覚が左の上空を見た。
しくった。駆け引きが出来てないのは俺の方だ。スナイパーの死角からまんまと引きずり出されている。
頭に衝撃を受け、吹き飛びながら向けた視線の先にスナイパーが座していたであろうマンションの屋上に人影を見た。その人影はもう一つの影に覆いかぶされるの見た。恐らく由良だろう。良くやったっと褒めたいところだが、頭痛と耳鳴りで目が曇る。移ろう視界の中、義覚の顔が俺を覗き込んだ。
「TAC-50の弾丸ですよ? それでも生きてるんですね。やっぱ心臓を刺さないと駄目ですかね」
横たわった俺に馬乗りになり心臓の上あたりをナイフで突き立てる。
「鬼が鬼である為に。僕が僕である為に。死んでください」
振り上げた両手の中のナイフが月光で輝く。
指一本動かないや。
空、最後くらい笑って送り出せばよかったかな。
覚悟を決めた瞬間、義覚の腕が振り下ろされたが俺の胸を貫くほどの力はなく、ナイフが胸の上で弾かれアスファルトの上に音を立てて転がった。
俺の腹上に居た首のない義覚の体が血を吹き出しながら横倒しになる。
金属が滑るような小気味よい音が耳に届くと、刀の鯉口が鳴る音が路上に響いた。
「遅ればせながら、朧、只今馳せ参じました」
スーツ姿の初老の男性がアスファルトに片膝をつく。
「いやはや、ご近所であったのは僥倖で御座いましたな」
そう言って朧は歯を剝きだして、二ィ、と笑う。




