第三十七話 訪問客
先ずは落ち着け、涼風風鈴。周りの状況から見てみよう。電気、ガスはアウト。窓の外の景色も一帯がインフラ停止を食らっているのが分かる。スマホも繋がらない。当然だ、中継局も停電しているだろう。交通手段は電車系は駄目だな。車は問題ない。かなりの台数の車が走っているということは車内の電子系統は機能していることだ。亡国から超極大EMPミサイルを打ち込まれたとかじゃない。あるかどうか知らんけど。
一時間も経たずに警察や自衛隊の避難勧告が始まった。つまり政府は生きているから、そっち方面のテロじゃない。原発の故障なら他の発電所から電力が回ってきてもおかしくはないが、未だに復旧しないところを見ると……全部の発電所が停止しているのか? あり得ない。と、普段なら思ったんだろうな。
あの波動のせいだ。
直接物理的に破壊するほどの力はなかった。どちらかと言うと、肉体への影響の方が大きい。三半規管や脳とか。
いや、精神か? どっちにしろ人的要素は考えにくい。
なら、答えは一つ。
草薙童子の百鬼夜行。
草薙は別れた身体の一部分、心を象徴する神だった。鬼族なら従属を容易く命ずる事ができる。日本を駆け抜けた音無き声は波動と言うには生温い。あれは精神に揺さぶる衝撃と衝動だった。何かを突き動かすというより、引き剥がす。人間足らしめる要素、理性を。
そして朧や桜花が文字通り引き剥がされた。幸い、殺されたとか消失じゃないのは感覚でわかる。
だが草薙の目的は別にある。外の騒乱は停電のパニックから発生しただけではない。日本人の災害に対する耐性は異常と思えるほど高い。だが今回は未曾有の厄災の訪れだ。日本が消える可能性もある。
だから手の届く所からだ。何もかもは傲慢すぎる。母はほっといても大丈夫だろう。真っ先に父の所へと向かったはずだ。高坂の自宅にまずは行く。居なければ奏の家だ。奏は由良との邂逅で気を失っていたが、身体には何の問題はなかった。恐らくはどちらかの家へと寄り添っているだろう。
革製のジャンパーを羽織り、厚手のジーンズに履き替える。刀を取るに躊躇しなかった。警察官に見られるとやばいかもだけど、こっちも国家権力を使わせてもらうつもりだ。腰に怪異室オリジナルのベルトを巻いて刀を差し、柄に左手を添えた。
違和感はない。むしろ心の有所のように感じる。
螺旋や朧がいれば、な。
そこで首を振って両頬を叩いた。
「いつまで頼ってるんだ」
刀の他にSCARシリーズもあるが当たったところで弾丸の効果もわからない上に当たるかどうか分からない。今となっては自分ですら銃弾を避ける確信がある。
そうだ、俺は外にいるのは鬼と知っている。不思議と怖れはない。記憶の中の俺が戦の空気と匂いを思い出させてくれた。故に腰の刀が心強く感じる。今は刀以上に頼りになっていた朧たちがいないからなおさらだな。俺より強い兄弟たちだ。無事でやってるだろう。
俺は確信している。朧たちは転生体に戻っている。集結に時間掛かるだろうが、必ず戻ってくる。それまで自分ができることをやろう。
靴を履き、玄関から出ようとすると異変を感じた。
ドアに付いている磨りガラスの向こうに影が見える。慌てて懐中電灯を消して聞き耳を立てた。
誰かいる。
待ち伏せならドアを開けた瞬間を狙うだろう。火を付けるなら遅すぎる。どうしたものかと思案していた所、想定外の動きがあった。
「あのう」と言ってからの遠慮がちなノック。
少年の声? いやいや怪しすぎるだろ。
「あの? そこに居ますよね」
ドア越しにいる俺の存在が分かるのか。
「夜分にすみません、怪しいものじゃありません」
「怪しいやつが言うセリフだな?」
「ごめんなさい! でも結界で大丈夫と思うんですけど、出来れば中に入れて欲しくて。だめですか?」
意を決してドアを開けると、この春に入学したくらいか、高校生らしき少年が、おどおどと立っていた。
「結界は人にも作用するようにしていたんだが? 怪しくないわけないだろ」
「あの、その、そっちの方は分かっちゃうので」
「ふむ。まあいいや。要件は? どっちの命が必要なんだ?」
「はい?」
「うーん? はっきり聞こう。俺か? 空か?」
「えっと、僕、お兄さんの現世の名前は知りませんし、空さん? は、さっぱりです」
「ん? どゆこと?」
どうにも嘘をついてるようには見えない。殺気がないどころか、怯えた風でもある。まあ、鬼の匂いがだだ漏れなだけだ。
「あの、中に……。多分何かが着いてきていたので」
そっちの客人は結界内には入れていないようだ。数人の気配がするがこの少年には大分劣る。この間の二人組レベルなら押し入られても不思議じゃないが、鬼に目覚めたばかりの輩なら結界は鉄で作られた壁のように見えるだろう。だからこそ、ここを抜けてきた少年は載籍、いわゆる文献や童話で謳われるレベルということだ。しかも術なしで壊さず入ってきた。少なくともそれが出来るのは螺旋くらいしか思い当たらない。
「敵意はないなあ」
「なんか言葉に出ちゃってますけど」
「まあ、話を聞くか。入ってくれ」
「有難うございます!」
ダイニングのソファを勧め、飲み物を用意した。少年は喉が乾いていたのか警戒もなしにグラスの中身を飲み干した。
「まずは名を聞こうかな」
「はい、由良といいます。あ、鬼の名ですけど」
「知らない名だな。結界抜けたんだから有名な……由良!?」
「酷いなあ、お兄さん。あの晩の事忘れるなんて」
人が聞いたら非常にまずい誤解与えかねない言葉を無視した。というかそれどころじゃない。
「俺が知っている由良は俺よりデカかったぞ」
どう見ても君は同世代から見てもチビだろう、とは続けられなかった。由良という少年は恥じたように俯いてしまっている。まるで俺が虐めている格好だな。母が居たら一分で絞め落とされていたかも。
「あの僕は、その憎しみとか悔いとかあまり良くない感情の塊だけが生き続けていて、鈴音、ちゃんの良い思い出に縛られていたこの僕は現世に転生していたみたいなんです。お兄さんも聞いたと思うんですが、さっきの嫌な叫び声で僕らは一つに戻りました」
あの? この? 二つに別れていたってことか。鈴音の名を躊躇いがちに呼んだってことは、まだ飲み込めていないな。
「暫くは記憶の統合で気分が悪くなる」
「僕はただの高校生だったのに、これは一体何? お父さんは、お母さんは、どうなったんでしょう? これから何が、起きて」
そう言うと由良は項垂れて押し黙った。答えはもう出ているんだろう。誰かに「これは夢で、起きたらいつもの日常さ」と言って欲しいのだろうな。俺は立ち上がると隠し棚から刀をもう一本取り出して由良に渡し、現実を突きつけた。
「えっと、僕、刀なんて使った事……ああ」
由良の顔から少し怯えが消えた。
「そうですね。あの晩、僕はお兄さんと斬り合った」
「思い出さなくていい。体はもう知っている。座っている時間が勿体ない。助けに行こう」
「僕が?」
「お前が」
「出来ます、か?」
「俺を殺しかけたくせに」
そう言って笑うと由良は苦笑いをする。
「もう勝てる気がしません。流石は鈴音ちゃんのお師匠様です」
「細かいこと言うなら螺旋が師匠だよ。うし、行けるな?」
「はい!」
「なあ?」
「何でしょう?」
「鈴音は好きか?」
「僕の全てです!」
由良の笑顔を見て安心したのか、俺は由良の肩を叩いた。
こいつは元人間だ。
あるのかも知れんなあ、鈴音。人との共存の道が何処かに。
「さあて、まずは玄関でたむろってる客人をもてなそう」
「自信ないですけど」
「お前なら大丈夫。相手を倒さなくていい、殺さなくてもいい。格の違いを見せて、二度と顔を見せる気がしなくなるまで、ぶん殴れ」
由良は暫く自分の手と刀を見ていたが、顔を上げ、憑き物が落ちた表情を見せた。
「ああ、そうなんだ。僕は殺すことが怖かったんだ。なにより殺せることが怖かったんだ」
「お前、案外神経図太いな」
「そんなことは!……ないです、たぶん」
「結界を消すぞ。もうこの家には戻って来ないから十分後に燃えだす。だからタイムリミットは十分だ」
「ええ?」
由良は家を見渡し「勿体ない」と呟いた。
「なあに。ここは隠れ家だ」
「お金持ちなんですね。あ。あのお名前をどうお呼びすれば?」
「お前が由良を名乗るなら俺はナナキだ」
「分かりました、ナナキ様」
「様はよしてくれ」
「いえ、僕の中の心がそう呼べと」
「あー、まあいいや」
肩を竦めて仕方無しと諦める俺に由良は満面の笑顔だ。
結界を解くと予想通りに鬼の気配が喰いかかってきたが、姿が見えない。次に襲ってきたのは銃声より早く届いた弾丸だった。




