第三十五話 曄火
各地の原発、火力、水力の発電所が、同時に停止した事を知るのは、恐らく業務に携わる一部の人々だったが、その僅かな彼等は鬼に記憶と姿を盗まれた同僚に命を奪われ、真相を知らずにただ恐怖と共に永久の眠りについた。
鬼が跋扈する炎獄へと変貌し、「これこそ本来の世界」と草薙童子は愛おしく息を吸った。
「はハははは! 観覧車、もっと綺麗になっちゃった!」
闇夜に浮かぶ炎の車輪はゆっくりと回転を止めていく。
「さあ参るぞ」
「まずは姫様ですか」
義覚の言葉に草薙童子は首を横に振ると、
「過去の過ちは過信と慢心だ。まずは集うぞ」
「私は茨木童子はともかく、酒呑童子は好きではありません」
「そういうな。あれはあれで役に立つ」
草薙童子が何かに気付き、目を細めて遠くを眺めた。そして苦笑した。
「お館様?」
観覧車の頂点で燃え盛る炎の中に人影が見えた。決して避難の手段としてゴンドラからの脱出を選んだのではない。逃げる必要もなかった。炎の方が人影を恐れるかのように避けている。男は少し屈むと突如として消えた。
いきなり訪れた暗闇の中で右往左往していた観衆が一人の女性の悲鳴に注目を集めた。激しい金属音が辺りに鳴り響くと、動きが止まっていた群衆の頭上に観覧車が倒壊した。
「ああ! あたしの観覧車!」
「これは! あのお方もお目覚めに!」
三人の頭上から屋上へと男が着地した。心なし炎が燻る匂いを漂わせている。
「今晩は」
スーツの埃を払い襟を正すと男は旧知との知人に挨拶でもするように爽やかな笑顔で言葉を発した。茶の短髪をツーブロックで切り整え、街並みを歩けば普通のサラリーマンにしか見えない佇まいだが、気配が人のそれとはかけ離れた威圧感が濁流のように溢れ出していた。
義覚、義賢の両名はガタガタと震え、歯を鳴らしながらコンクリートの床に頭をつけ拝礼する。
「心外だなぁ。そんなに怖がらないで下さいよ。君たち、あれでしょ? 役小角の犬だった子らでしょ? 前鬼、後鬼といったら超有名人じゃないか」と、一呼吸おいて「鬼か」と涼しげに笑う。
「何用だ。談笑する仲であった記憶はないが」
「連れないね。おおっと、君とはやらないよ? でもね。アレは僕がもらうから釘を刺しておこうかと。まさか未練があるとか?」
草薙童子の足元のコンクリートが音を立てて亀裂が入る。
「あはは、ごめんごめん。本当に喧嘩しに来たんじゃないんだ。まだそんなタイミングじゃない」
「現世の鈴鹿御前の首はお前が取ったんだろう? 復讐を果たした身で何を今更でしゃばる」
「あの血が残ってるのは非常に気に食わないんだよ。血縁の強みで鈴鹿がまた転生されても困るしね。僕の、この憤りを収めるにはまだまだ足りない。愛娘が凌辱されるところを、幽世にいる鈴鹿に見せつけるのも一興かなと。もしかすると本人をいたぶるよりも気持ちいいのかも、ね?」
「大嶽丸」
「其の名は嫌いだよ。一応、現世の名は久我曄火って名乗ってるんだ」
「何故東方に来た?」
「この世は狭くなったんだ。西とか東とか時代遅れ……ああ、そうか君は転生じゃないな? 封印されていた噂は本当だったのか? それは悪かった。ともかく今の時代、一歩歩くだけで日本を跨いでしまう、そんな感覚さ」
「それは好都合な話だ。地上から人を追い出すにはな」
「そこは意見の相違だなあ。人は家畜にしない?」
「その人に殺されたくせに、よくもつらつらと」
久我の体から熱気が迸る。その顔は白熱し、両目から炎が涙の様に零れ落ちていた。平伏している二人は嵐を過ぎ去るのを待つ鳥の様に震えながら体を寄せ合い、その様子を見た久我は慌てて右手で顔を押さえると頭を振った。
「やれやれ。やっぱり草薙君とは話が合わないね」
手を離すと涼しげな顔に戻り、笑顔を張り付かせた。
「僕は京都に帰るよ。君がこんな騒ぎを起こすのなら僕にも準備がいる。なんせ足元に九頭竜がいるからね。共同戦線、は無理かぁ。ならばお互いの障害を除くまで停戦協定、君らの時代の言葉なら不戦の約定、といかないか?」
草薙童子はしばらく無言でいたが、
「よかろう」
「商談成立だね」
では、と手をひらひらさせると姿を消す瞬間、足元のコンクリートを破壊し瓦礫を飛散させた。
「お館様! あのように好き勝手されては!」
「義覚、あやつはあれでも列強の一柱だ。身動き出来ぬうちに此方も事を進める」
義覚は恐れ慄き屈服させられた屈辱が怒りに変わり、額から角を屹立させ咆哮する。
「あたし、粗相しちゃった」
義覚は顔を赤らめ草薙童子をちらりと見るが無下にされ「ご褒美、かしら」と呟いて義覚に厭きられた。
「どれくらい目覚めたでしょう?」
「鬼の血が濃いものなら一万程か。今は地球というらしいな。世界に色々な神々が居たそうだが、その名、姿は千差万別、だが鬼は全世界で同じ姿が古来より伝わる唯一無二の存在だ。その恐れは全ての人間に潜んでいる」




