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鬼人御伽  作者: 宮﨑 夕弦
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第三十三話 道程

「お姉ちゃん、本当に良いのですか?」

 新幹線の窓の外はもう暗く、車内の明かりに照らされた空の顔が映っている。横浜の夜景がいくらきらびやかに灯ろうとも何も目には映っては来ない。

 苺が溜息をついて膝の上にある本に目を落とす。

 わかってる。これは私のわがままだ。

 昨晩の先輩の痛々しいほどの笑顔を思い出すと胸が締め付けられた。無理をして出した笑顔じゃない。私が無事でいられた安堵の笑顔だ。この先何度、先輩を傷つけあの笑顔見なければならないのか。

 これは我儘と傲慢を背負った逃避だ。

「うん。いいの。あんなに先輩、傷つけちゃって。ううん、私が見たくないだけなのね、きっと。ずるいよね。わたしだけ逃げちゃって。でもわたしが苺ちゃんの結界に入っちゃえば、悪い鬼達も諦めると思うから」

 先輩も、とは続けられなかった。私が憧れた人はそんなことで諦める人じゃない。でも先輩が私を守る為にやりたくない事までやらなくちゃいけない時が来る。

 わたしは。

 わたしは存在してはいけないんだ。私が生きる事で多くの人が傷ついてきた。蘇った記憶の中の私が逃げようとする足を掴み引き留める。そして背中越しに「また逃げるの?」と追いすがってくる。

 

 魂を凍らせる、と結界の話を聞いた時、苺がそう話し始めた。

 死んでいるわけではないらしい。老いも人の十倍くらい遅くなり、意識もないので夢を見ることも出来ない。死に近いので鬼が目の前にいても相互に認識出来なくなる、と少し寂しそうに説明をした。

 窓の外に流れる夜景を、ぼうっと見ていると苺が手を握ってきた。顔を覗くと本に眼を落していた視線を投げてきた。

 少し驚いた。いつも冷静で表情が乏しい子なのに、目には熱があった。

「姫様。これは私の役目から言う言葉でないことを知っておいてください。苺を妹、と呼んでくれたお姉ちゃんに言う言葉です」

 苺の目に涙が溜まる。

「これが本当に望んだ事なんですか? あの鬼は、ナナキは私がお姉ちゃんを家から連れ出すのを知っていました」

「えっと、先輩にばれてたの?」

「恐らくは」

「じゃあなんで、止めなか……わたしの為に一人で全部を背負うつもり?」

「たぶん、そのように思えます」

 先輩が言うように、この話は私だけの問題ではなくなってる。草薙さんが人への復讐を為そうとするのは、ごくシンプルな問題なのだ。人間全てを鏖殺して得ることの出来る心の平穏。

 私の存在は鬼達にとって近くに居なければ何の脅威にならない。あの人、草薙さんに少しでも人への想いが残っているのならば、少しはこの眼が牽制にもなる。

 

 羅刹眼。この眼の事はあの日以来、一言も触れていない。父をも殺したこの眼が、もしかしたら大切な人を守れるかもしれないと分かってはいるんだけど、やっぱり怖い。

 逃げ出した行為は軽率だった。もっともらしい言い訳で自分を納得させ、一番楽な手段を選んでしまった。

「苺、わたしの眼ってなに?」と、苺の手を握り返して目を覗いた。

「視線を投げるだけで鬼を殺すと言われています。目が合う、とかじゃなく、観るだけで。そして二度と転生できない、と。鬼の怖さは胆力だけじゃない。死しても記憶を宿したまま転生できるので、死を恐れない。だから輪廻を断ち切る羅刹眼を恐れるのです」

 過去の私はその力を僅かにしか使っていない。命を断ち切る事に躊躇いがあるし、なによりその力の影響がどんな不幸を呼ぶのかもわからない。

「お姉ちゃん、命を守ることは悪ではないのです。草食動物はただ黙って食べられるわけじゃないのですよ? 逃げて逃げて逃げまくって、やがて肉食動物は得物を得ることが出来ずに餓えて死にゆくものもいるです。それは悪ですか? 生きるためなのです。自らの生を賭して戦うのに、そこに善悪はありません。快楽やエゴではなく、生き残る為の種としての根源たる本能です。私は自分の幸せを理不尽に踏みにじられるのを黙っていられるほど優しくはないので何としても抗います」

 先輩を一人にしてしまった。何にもできなくても、側にいれば鬼たちも簡単には近寄れなかったはずなのに。不意に不安になり、心の置き場所を失ってしまう。

 そして下唇を噛む。

「わたしはなんて浅ましいんだろう」

「距離を取るのと逃げるのは違うんです。逃げるのはそれだけ行きたい場所から遠ざかります」

「行きたい、場所」

 頼ってばっかりで自分では何も決めてこなかった。だから今度こそは心が望んだままに先輩についていかなくちゃ。少なくとも、自分が足を引っぱっても、動けなくなっても、先輩は手を引いてくれる。たぶん、それでいい、って言う。

 でも、それじゃダメ。

 桜花さんもいる。朧さんも。皆がいる。だから私も一緒に居なくちゃいけないんだ。一緒に行かなくちゃいけないんだ。私を待ってくれた。千年待ってくれた! だから今度はわたしの番。わたしが先輩に着いていく番。

 うん、と一つ頷いたところで、体が揺れ怖気が体を突き抜けた。一瞬視界が失われたが疲れのせいかと思い頭を振る。視界が揺れたがその要因は別にあった。

 けたたましく鳴る新幹線のブレーキの音。車内の照明が数度瞬くと消え、時を置かず薄暗い照明に切り替わった。

 「非常停止?」と苺の方を見る。

 苺が青い顔で席から腰を浮かし半立ちになっていた。わたしと一瞬、目を合わせると再び新幹線の窓の外を見た。美しい苺の赤い小さな唇が微かに動いた。

「馬鹿な」




「朧、何だ今のは!」

 身の毛もよだつ「波」だった。まるで、肌を舐めるように体の中を通り過ぎて行った。

「朧、桜花!」

 返事がない。いつも感じていた気配もない。まるで数か月前の何も知らなかった時のように、静けさだけがここにあった。

 そして部屋の蛍光灯が数回瞬くと消え、闇が生まれた。

 遠くで何かが爆発したような音が聞こえた。窓の外を見ると遠くのマンションの窓から赤く火の手が見える。

 なんだこの違和感は。

 慌てて携帯を取り出して空を呼び出した。だが一向につながる様子がなく、会合とかで近所に出かけている母親にさえ繋がることはなかった。赤々と燃えるマンションから近隣の木造住宅へと飛び火していたが、消防車や救急隊のサイレンさえ聞こえてこない。どうやら電話が繋がらないのは俺だけじゃないらしい。

 分かってはいる。

 だが俺はそれを知りたくなかった。

 まだ人間の生活を送りたかった。


 鬼が啼いている。






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