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鬼人御伽  作者: 宮﨑 夕弦
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第三十一話 鈴の音

「ナナキか。その、名に覚えがある。ウツホの護鬼にして人に与する異端の一族の長。別にそんなことはいい。俺と鈴音を、そっとしておいてくれ」

 

 鬼と人の記憶が混濁し、混乱している俺を背に、由良が立ち去ろうとしていた。

 

「風鈴」と親父が目を細めて頷く。

「ふぅちゃん」と母親が微笑む。

「すずっち」と悪友がにたにた笑う。

「若様」と朧の温かい声。

「わかさまっ!」と螺旋の無邪気な声。

「わかさまー」と疾風ののんびりした声。

「若様」と桜花の優しい声。

「わがっ」と羅漢坊の舌っ足らずな太い声。

「ぼっちゃん」と焔の力強い声。

「わかさまぁ」と氷姫のあまったるい声。

「兄貴!」と朱のやんちゃ声。

「お兄様」と碧のおっとりとした声。


「先輩っ!」


 空がはにかんで笑っている。

 

 神様、鬼、歌人、侍、商人、兵士。

 ナナキ、名無き、七生。

 もう過去はどうだっていい。

 俺は涼風風鈴で空を大好きな大学生だ。

 守る力の為なら鬼だって構わない。


 由良は抱きあげていた奏をそっと地面に下ろす。

「邪魔するあいつをあんちゃがやらねば、静かに暮らせない、みたいだ」と、奏の頬を愛しげにさする。


「鈴鳴り、いや由良よ、刀を置け。俺はお前を斬りたくない」

「俺にはわかる。変わったな。人から鬼に。体がじゃない、俺と同じように誰かの為に鬼になった。なら分かるはず。大事なものを守るためだ。何があろうと守る理由がある」

「わかる。だが、由良。我らが一門、鵺の鈴音の肉を喰らいし人間よ。おまえには見えぬのか?」

「なにが見えぬと」

「鈴音を泣かすな」

「泣かしたのは人間だ!!」


 俺は知っている。疾風と同族の鵺。鈴音が人間に殺された事を。いと仕方なき、と俺らは嘆いた。何度も忠告したのだ。人と関わるな、と。だが鈴音は、にこりと笑うと「私に家族ができた」と言って笑った。それを止めることができなかった事が俺の過ちだったのかもしれない。後で訪れる悲しみはどれだけ後に苦しみを与えることになるかを教える事が出来なかった。我らは人と相容れる事ができぬ存在なのだと。

 人は鬼を恐れる。

 鬼は自然そのものだからだ。天災や流行り病と同じだ。

 日の出を止める事が出来ぬように。雲に隠れた月を救いだせないように。川の流れる方向を変えることが出来ぬように。

 人の力で抗えないから我らを恐れる。


「だから九頭竜は自然と共に死すべきと誓った。我らの死は自然そのものであるべきだからだ」

 勿論、その誓いは果たせてない。輪廻の輪から外れる事もなく今日に至っている。

「鈴音は人間に殺された! 己の死を覗き、恐れをなした人間が殺した! あれは自然な死ではない! お前が言う理屈なら、俺の怒りは自然の怒りだ! 台風の如く、地震の如く、山火事の如く!」

「違う。お前は怒りで殺した、憎しみで殺した、恨みで殺した。その悲しみを埋めようとして村人全員を殺したんだ」

「当然だ!」

「なら何故泣く?」

 頬を伝い顎から地面に滴るほどの暖かい憤りを由良は手で目を拭う。手についた滴をじっと見る。

「もう鈴音は還らぬことを知っていたからだ。どれだけ他人の肉体を、命を、魂を奪おうと」

 俺は突き放すように言った。

「もう帰ってこなかったんだよ、由良」


「符に宿りし森羅万象の理よ。刻遅れることなく、この場にて宿れ」

 鬼は女の声で云い放つと刀を鞘に収め、目の前で横にして掲げると、雷鳴が轟き八枚の霊符が由良を中心にして囲むように浮かんだ。


 ふるべゆらゆらとふるべ


 鬼の冷たい声が微かに震えていた。

 空気を裂く音がすると俺の体が衝撃で飛ぶ。

 認識出来ない衝撃が俺の居た場所に生まれた。剣戟ではない。未だ由良の刀は鞘に収まったままだ。再度、衝撃を感じると服と一緒に脇腹の皮膚が裂け血が弾けた。後ろによろめき、倒れる瞬間、さらに背中が焼けるように熱くなり、倒れる事さえ許さぬかのように前方へと押し出された。背から流れる血が空気に触れて冷えていくのが判る。

 俺の口から血が溢れるが構っていられない。意識を保ち由良の動きを追った。だが由良自身は動いてはいない。代わりに符が光るたびに由良の愛刀「霜斬り」が一瞬だけ姿を消し、刹那、俺の体を雷撃を伴った斬撃で切り刻む。

 間合いを無視した神速の剣戟。刃だけが突如現れ、消えては鞘へと戻っていく。

 すぐさま由良の意識から消えようとしたが落葉は姿を消すわけじゃない。なんらかの方法で俺の場所を知覚している。


 その通り、坊ちゃん。


「焔か、忙しいから講釈はあとだ」


 つれないねぇ。久々だからドヤ顔させてくださいよ。鵺の属性ですよ。


「鵺、か。なるほどな」


 もうおわかりで。ちぇ、もうちょっと良い気分でいたかったのに。


火乃神楽(ホノカグラ)、目を覚ませ! 寝過ぎて呆けたか!」


 俺の血の中で何かが疾走し、血管が滾っていった。

 甲高い金属音。

 光速の居合を火乃神楽が弾いた音だ。

 神具の神経が脳神経に喰らいつき、刀の意志と俺の意思がリンクする。

 火乃神楽が見ている視界が俺の視神経に伝わる。人の限界を超えた情報が神経を掻きむしりながら、

脳に伝わり、そして刀を振るう。動き一つ一つが激痛を伴った。


「いつまで凌げる? ほら、ほら、ほら。俺の刀を弾く度にその刀、ひび割れていくぞ」


 剣戟を受ける度に火乃神楽の黒い刀身に亀裂が入っていく。

 だが、これは亀裂ではない。本来の姿に戻りつつあるのだ。


「ほんとに寝ていやがるな。焔! 火を入れろ!」


 へいへいっと。では、いきますぜ。


 その言葉が言い終わると、刀から蒸気が噴き出した。

 霜斬りの刃が青白い光跡を残し、二人の間を幾度となく飛び交った。金属音の連なりの間隔が徐々に短くなっていく。

「さあ、起きやがれ俺の半身、火乃神楽! 聞し召せ火乃神楽、幸魂奇魂守り給ひ幸へ給へ!」


 火乃神楽の亀裂から炎が噴き出す。黒い刀身の亀裂がまるで火山から流れ出た溶岩流のように真赤に輝いた。

「涼風風鈴、改めて推して参る」

 俺は間合いを詰めていく。刀を振るうと刀身から唸りを上げながら放たれた炎の灼熱でブロック塀がどろりと溶けた。超高温の刃に耐えきれない霜斬りは、打ち合う度に光りを弱め、ただの白刃の輝きとなった。高温の金属では電気も上手く通らず雷符も乗らなくなってしまう。それでも由良は術を続けた。

 霜斬りは熱せられたナイフで切られたバターのように、その刀身を溶かされながら切り裂かれ真っ二つに折れた。支えを失った切っ先が地面に突き立った。霊符は一つ、また一つと火乃神楽が放つ炎に燃やされていく。

 

 由良は吠えた。


「何故だ! 何故だ! 俺は! 鈴……音をただ救いたかっただけ、だ。なのに、鈴音を救えなかった」

「由良、まだ見えぬのか。鈴音はずっとおまえの傍にいるんだ」

「なに?」

 由良は辺りを見渡した。

「鈴音? どこだ?」

 由良はふと気づき、腰に下げた鈴を鳴らした。


 ちりん。


 一瞬、鬼を見上げる少女の姿が朧げに浮かんだ。


 ちりん。


 目を伏せた少女が目を開ける。金色の眼がゆらゆらと揺らいでいた。


 あんちゃ。やっと気付いたか?


 少女、鈴音が屈んだ由良の首に抱きついた。

 由良の眼は金色から黒へと変わっていく。心なし、体も小さくなる。

 

 ずっと、呼んでただ。あんちゃ、あんちゃ、って。

 ありがとな。鬼子のあたしを育ててくれて。

 ずっとずっと大事にしてくれて。

 あんちゃは、もういいんだ。もう、泣かなくて。

 鈴音は、ずっと幸せだった。あんちゃのそばに居れて。

 あんちゃ、もう、休もう? 疲れただろ。


「鈴音、鈴音、俺はお前を守れなかったんだぞ?」

 

 それはもういい。あんちゃ、ごめんな、おらの力が逆にあんちゃを苦しめた。ごめんな。


「俺は! ああ、ああ、そうだ。お前を探してたんだ。俺は馬鹿だから、お前がいないと、だらしないんだ」


 だな、あんちゃ。あたしがいねぇと、まるっきしだもん。

 さぁ、ゆっくり、どっかで暮らそ。


「ああ、ああ、そうだな。誰もいない所でのんびり暮らそう」


 あんちゃはもう誰も恨まなくていいんだよ。もう誰も鈴音を泣かす人はいねぇ。


「そうか、そうか。もういないか」


 あんちゃ、肩車して。


「ああ、してやるとも」


 由良は少女を抱き上げると肩に乗せた。

 そして由良は少女に鈴を渡した。


 少女はちりんと鳴らした。

 いい音だ、と由良が笑った。

 少女は頷き、そして俺の方を見てぺこりと頭を下げた。


 若様、ありがとう。若様はまだ私に言えますか? 鬼と人は相容れない、と。


 俺は首を振ることができなかった。

 もう答えは出ている。

 人との共存を我らは望んでいたのだ。

 

「そうだな。先ずは考えてみるべきだな」


 鈴音はゆっくりと頷いた。鈴音の体がぼんやりと輝く。鵺の霊力は一族の中でも強大であった。

 強大であるが故に鈴音の強い思念は死してなおも、鬼と化した由良の傍に消えることも出来ずにずっと佇んでいた。

 火之神楽の霊力と由良の体に残した鵺の霊力が反応し、その思念の形を成す手助けは出来たが、それはただのきっかけを与えたに過ぎない。鈴音の強い想いと由良の悲しみが強く引き合い、千年の間、お互い傍にいるはずの相手に、届きようがない声を出し続けていたのだ。


 若様、綾姫をお大切に。


 そう言うと鈴音は昔の様に肩に座して頭を抱き、由良は振り返りもせずに歩き出した。

 

 雲雀がさえずり、天高く飛ぶ。

 土の香り。

 ほんのり肌寒い風。

 遠くに霞む山々の頂には、うっすらと雪の冠が座していた。

 二人の目にはそんな故郷が映っていた。


「帰ろう、鈴音」

「帰ろう、あんちゃ」


 ちりりん、と鈴の音は喜びの音を上げた。




 

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