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鬼人御伽  作者: 宮﨑 夕弦
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第三十話 七生

 足元の裂け目から吹き出す炎は息吹を感じさせた。不思議と熱くない。膝をついて炎を手に取るように触れると、猫がじゃれるように掌に纏わり付く。

 そうだ。俺はこれを覚えている。

火乃神楽(ホノカグラ)、待たせたな」

 炎は裂け目から吹き出し炎の柱となった。怒り狂うように踊ったあと、渦を巻きながら蛇となった。炎の蛇は木の枝に絡みつくように、しなやかに、ゆっくりと足元から体を這いあがる。

 俺は覚えている。

 この熱を、力を、心を。

 蛇が首に纏わりつき噛みついた。噴き出した血が瞬く間に蒸発していく。

 俺の血を貪るように喰らい満足すると、傷口を焼いて首筋から右肩へ、そして右腕から掌に這っていく。炎の蛇は手のひらの上で燃え盛ると炎の渦となった。


 風が炎の渦へと吹き込んだ。

 辺りの水蒸気が炎の渦へと吸い込まれた。

 土が炎の渦へと溶け込んだ。

 雷が轟き、地響きが鳴り響く。

 渦の中心から黒い包帯のようなものがするすると伸び、右腕を覆った後、肩口から首に巻き付き、更に頬を這いあがり目を覆った。

 所々、神代文字が紫色に輝いている。

 意味するは「恐れよ」だ。


 手元の渦から炎の竜巻が吹き上がると刀へと変貌していく。

 そして火之神楽(ホノカグラ)は、急激に冷やされた酸化鉄のように手元から黒くなった。

 俺は知っていた。どう刀を振るべきか。どう振れば殺せるか。

 自分が命を奪う事が出来る事に驚きはしなかったが、由良を斬ることに躊躇いがあることに気付く。それは由良が過去の俺と同族の鬼だからじゃない。現代の俺が持つ倫理観からだ。


 螺旋の結界が壊れ時間が流れ始めた。螺旋の声は聞こえないが、おそらく声も出せないのだろう。他人の結界の中に己の結界を張るのは容易い事ではない。螺旋の特殊能力をもってしても、命を削る術だったに違いない。

 「お前、その姿、そしていつの間に刀を抜いた? その刀ぁ……。お前に振れるのか? 刀にお前が喰われてるように見えるが」

 鬼の言うとおりだった。

 黒い帯の間から血が染み出ている。刀の神気を抑えるどころか、俺の心が喰われていくようだ。以前は抑え込んでいたはずだ。まだ出すには早かったんだろうが、今は選択の余地はない。

「それでも、俺は」

 刀を正中に構えた。そして手元をほんの少し外側に軸をずらす。

 鬼は刀を鞘に収めた。

「なぁ、俺は斬りたくない」

「なぜ、だ」

「わからない」

「おもしろい事を言う。立つのもやっと。切っ先が揺れて、気が逸れている。それで、俺を斬る、と言う」

「斬れる」

「よかろう。この場は引こう。だが鈴音はもらっていく」

「だめだ。その子は鈴音じゃない」

 

 鬼は威嚇するように一声吠えた。空気が震え、風が駆け抜ける。鬼が地面に横たわる奏に手を伸ばした瞬間に俺は跳んだ。体は軽い。だが悲鳴をあげている。しかしそんな痛みに構ってはいられなかった。

 鬼は斬りつけた俺の刀身を半分だけ鞘から抜いた刀で受け止めた。

 青と赤の火花が地面に落ちていく。

 二度目の剣戟を鬼は完全に抜いた刀で受け止める。金属音が響く度に暗い夜の街に閃光が迸る。

 炎を映す鬼の目が笑っている。

 鬼は明らかに楽しんでいた。獲物を弄ぶ猫のように、爪先で俺をいたぶっている。

「その刀に振り回されているな。お前には相応しくない。刃が泣いている、ぞ」


 火之神楽(ホノカグラ)が由良の刀身の上を滑って行く。鍔元まで走ると鬼は鍔で刀を弾いた。完全に間合いに飛び込む形になった俺は泳いだ態勢を立て直す暇もなく、疾走してくる刃をただ見ているだけだった。その切っ先は左肩を貫き、雷撃が体中を駆け巡る。痛みより、熱さが先に伝わってきた。


「体の中から流したのに、なぜ立っていられる。その刀、我が術を喰らうのか」

 由良が青白い光が消えている己の刀を見ながら言った。

「お前、何者だ」

「かっこつけたがりの大学生さ」

「気付いて、いないのか。その眼に」

「俺の眼?」

「ああ、そうだ。お前の眼は金色だ。それは鬼の眼だ」


 鬼が横に構えた刀に見慣れない金色の眼が映っていた。思わず右目を閉じた。

 刀身に映る片目を閉じた俺の顔。

 見開かれた方は金色の目が驚きを現していた。

 眩暈に襲われ、酷い耳鳴りがした。

 



「七生樣? 綾は七生様の奇麗な目、好きですよ? いいえ、怖くなんてありません。まるでお天道様みたいなんですもの」

 空の声が聞こえる。ああ、違う。綾姫の声だ。

 綾姫はそう言って俺に微笑んだのを覚えている。

「綾は本気でお慕いしているんですよ? もう、戯言ではないのです! そう笑わないでください!」

 そう、覚えている。俺は次に何と言った?

「綾姫さま、お戯れを。名無き、そう呼ばれていた俺を、七生(ナナキ)と呼んでくださった。姫様は俺に心をくれたんだ。それだけで、この七生、十分に報われている」

「それはもとより貴方様が持っていたもの。綾は何もしていません。それに少し意地悪で呼んだお名前ですもの」

「それは初耳だ」

「七つ生まれ変わってください。この乱でお命を落とそうとも。生まれ変わったら、七度、私に会いに来て、七度、私と一緒に居てください」

 俺は苦笑し、

「それならば名に恥じぬよう七つ生まれ変わって、お傍にいくしかあるまいな」

「約束ですよ」

 綾姫様はそう言って俺の腕を取ると顔を押し付けて静かに泣いた。

 願わくは伊邪那岐様、この方をお守りする力を授けたもう。

 

 草薙の乱、前夜。

 鈴虫が鳴く夜だった。

 俺は綾姫様をお守りできるのなら鬼で良いと思った。

 人ならずとも守る力の為ならば。


 鬼のままでいい。



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