第二十四話 上書き
涼風家と空と苺の五人は、ダイニングテーブルを囲み、目の前の飲み物もそぞろに、それぞれの思いに耽っていた。
今回の空の記憶は直前の前世だけではなく、古い記憶まで遡り神代の時らしかった。幸い起きるのが早かったが、深く見ると前回の俺のようにぼんやりする日が長くなる。朧いわく、記憶と順応する為には必要な反応らしい。
空は苺と話している時は普段と変わらないように接していたが、何故か俺には少しよそよそしい。
なんだろう。息が苦しい。
空は奇稲田姫の記憶を語らなかった。それ程重要な事は起きなかったと言うが、空の表情がいつになく重いのは関係ないわけがない。まだ空の中で消化出来ていないんだろう。そうであれば時間が解決する。今は深く聞くことは止めておいたほうがいいだろうな。記憶が自分に馴染むまで、まるで自分が他人と混ざった感覚が気持ち悪いのだ。
母も何も聞かず、夜食の事や、明日の学校の準備は大丈夫なの? とか、記憶の話題は避けて団欒を装った。
結局のところ、俺はなんの力になれてないわけだ。
空の遠くを見る目は何を見ているんだろう。
夫であった草薙を懐かしんでいるんだろうか。
俺じゃない誰かの傍に居た。
それを考える事が自体が情けなく、惨めですらある。そんな狭量な自分が腹立たしい。
あんな記憶なんて消してしまいたい。
空も草薙が出て行った月夜を見たのだろうか。夫に別れも言えず、俺たちにも会わずにスサノオの元に出て行ったあの夜を。
「なんだろ、疲れたからもう寝るよ」
「ふうちゃん、ご飯どうするの?」
「それ、朝飯にする。苺、今晩は空と同じ部屋で我慢してくれ。明日、ベッドを買いに行こう」
「床でも大丈夫です」
「そうはいかないよなあ、空」
「え? 何?」
話を聞いていなかった空が慌てて顔を上げる。
「いいんだ。空も学校だろ、早く寝ろよ」
「うん」
その後何かを言いたげに俺を呼び止めようとしたが、振り返らずに自分の寝室に向かう。背に「おやすみなさい」と言葉が届いたが聞こえないふりをした。
俺は最低な奴だ。
空の言葉が怖くて逃げ出した。
酷く暑く、寝苦しい夜に耐えきれず目を覚ました。
時計を見ると二時間も経っていない。
水でも飲みに行こうと、起き上がってベッドを降りようと足を投げ出したら柔らかいものに当たる。
ベッドの脇には空が膝を抱えて佇んでいた。俺は何も言わず空の横に座る。
「先輩は何度もこんな経験していたんですね」
「望んでないけどなあ」
空が膝に顎を乗せる。
「見なきゃよかった」
そう言って、そのまま俺にもたれ掛かった。
「俺も全部は話していない。空も言わなくていい」
「うん」
「あれは過去だ。そう納得しようとするが、俺の中に溶けるように染み込むと、自分が誰だがわからなくなる」
「うん」
「だから俺はお前を思う。空の事がめっちゃ好きな涼風風鈴を思い出す。それで俺は俺に戻れるんだ」
「単純ですね」
頭で空の頭を軽く小突く。
「それでいいんだよ」
「じゃあ私もそうします」
「ああ」
それが誰かは聞かないし、それは問題じゃない。空が笑ってればそれでいい。
空が立ち上がって振り向くと、俺の前で跪いた。首に腕を回し抱きついてきた。少し震えている空は何も言わず、ただ首に回す手に力を入れる。
「高坂がまた皆で遊びに行こうって言っていた。どこか行きたいとこあるか?」
空の長い吐息のあと、少し体を離して微笑んだ。
「海」
「いいな。海か、楽しそうだ」
「うん」
微笑んでいた空の顔が泣き崩れると、再び抱きついてきた。
「嫌だ、先輩いなくなるの、嫌だ」
苺が「もうあの時の姫様は見たくない」と言った。
あの記憶は当時の精神状態まで再現する。空は昨日からずっと記憶に引っ張られて、どうすればいいのかわからないんだろう。記憶の中の悲しみも怒りも全部本物なんだ。
空はどの転生も若く死んでいる。少なくとも俺が知る範囲では、二十歳を迎えた時代はない。目覚めの早さがそれを物語っている。短い人生で得た思い出の深さと重さは計り知れないものなんだろうな。
俺はただ空を失い嘆くだけだった。
守りきれずに己の無力さを呪うだけだった。
空の姿が見つからず途方に暮れるだけだった。
「もう最後だ」
空は涙まみれの顔を隠そうともせず俺を見た。
「今生は何かが違う」
空はしゃっくりを抑えながら言葉を息と共に吐いた。
「何が、ですか」
「感じるんだ。九家の鬼達がこの時代に同じく転生している。もちろん、草薙も、だけどな。そして、俺も空もいる」
少し強めに空を抱いた。
空の細い腕が俺の首に巻き付く。熱帯夜の中、震えは治まらず、俺の首元で小さく歯を鳴らす。
「怖いよな。俺もだよ」
「先輩も?」
「ああ」
「逃げたい」
逃げる先なんてないことくらい空も分かっている。昔に戻りたいのだ。何も知らなかった日に。
「だけどまた歴史を繰り返すのはもっと恐ろしい。だから最後にしよう。悪夢を全部、いい夢に書き換えてさ」
「出来るかな」
「お前となら出来る。なあ、苺?」
「え?」
空が後ろを振り返るとベッドの脇の小さなスペースに苺が挟まっていた。
ベッドの縁から頭だけ覗かせこちらを見ている。
いや、怖えよ。一人だったら心臓止まってたわ。
空が慌てて俺から離れると「違うからね?」と涙を拭きながら言い訳をする。
「死なないように、という話しなら手段がないわけでもありません。私は高野山につてがあります。空海様が秘密裏に伝えた秘儀があります。羅刹眼を浄化した儀式ならお姉ちゃんを守れる」
苺の言い方に違和感を覚える。空が苺を引っ張り上げると一緒にベッドに座った。
「で。その代償は何だ」
苺が小さく溜息をつく。
「私がそれを勧めないとわかるんですね」
「ああ」
「痛いの?」
「ううん、何も感じなくなる。悲しいことや苦しいことや……嬉しいことも」




