第ニ十二話 奥義
鬼狩りか。
確かに戦い慣れている。間合いを詰めると距離を取り、離れると詰めてくる。自分の間合いを熟知している動きだ。
近接は苦手か?
試してみよう。今ならアレができる気がする。
空気が変わった俺に沙耶が警戒した。
九頭竜館の合気は、元々、ごうき、と読む。字の通り、気を合わせる意味だが「気」は酸素、呼吸であり、全身のエネルギーも「気」と呼ぶ。このエネルギーは所謂、オーラとか不可視なものではなく、物質的な運動エネルギーの事だ。中国拳法、太極拳の発勁の考え方に近い。
「いい、ふうちゃん。人は、目から神経、神経は筋肉、筋肉から体幹から四肢、そして骨が追従し、動きとなる。その動きの大きさ、重さ、速さを知りなさい。地面にしっかり固定しているものを動かすのは難しいけど、動き出したもの、動こうとする物体の動きに向きを変えるように力を加える。直進する力に、横や上から、関節なら円運動。全身を縦で見るなら脊柱、横なら仙骨。いい? ここからが肝心。合わせるのは自分の中の気、相手の中の気、そして自分と相手から生まれる合気。その三つが、即ち」
ああ、母さん。今なら分かる。
目の動きにつられて意識的に、そして無意識に動く筋肉。神経を動かす呼吸のタイミング。体幹を通って、肩の関節から手首の関節へと伝わる動きを読む。
これが間違いだった。
読むんじゃ遅いんだ。自分の中でそれを感じる。
これが即ち、九頭竜奥伝「掌握」
俺は入口すら立っていなかったんだね、母さん。
これを十二歳で皆伝とか、俺の母は天才だ。
相手の呼吸に合わせ、筋肉の動きを己のものとする。そしてその先をこちらが進んでいく。
息を吐き、歩を進める。一歩、二歩。沙耶はこちらを認識していない。
相手の意識の外を歩く。九頭竜奥義「落葉」
間合いを詰め、沙耶の手首を掴んで捻り、二の腕に肘を入れて足首を蹴り上げる。地面に叩きつけられた沙耶が突然受けた衝撃に肺から酸素を吐き出す。こいつの事だ、受け身を取るのは想定済み。それでもこれきついんだよなあ。数秒動けなくなるくらい。ところが自分の尺度で硬直を読んでいたのが不味かった。想像以上に早く動き出し後方へ飛ぶ。
「何をした? 見えなかった」
「答えを教えたらやめるかい?」
再び落葉で背後に回り腕を取った。関節を捻る瞬間、その方向に合わせてバク転する。
なんて反応だ。
だが。
体が回りきる前に膝の裏を腕で受け止めた。
「おっとごめん、お姫様抱っこは恥ずかしいな?」
沙耶の顔が赤くなる。恥じらいではなく、屈辱。手にした苦無で目を狙われるがスピードが乗らない距離で当たるわけがない。体を手放し、両手を絡めて攻撃を封じ、相手の膝を折って体を崩した後は、体重を乗せて肘で首を地面に固定する。このまま頸椎を折れば死だ。もちろん殺す気はない。
あ。
地面に女の子を押し付けるこの絵面はやばい。どうみても犯罪者だ。
「ご、ごめん」
そう言って開放し、間合いを取る。
沙耶が暫く呆然として、俺の顔を見る。ゆっくり立ち上がると膝丈のスカートの埃を払った。
「さっきから何なの? 侮辱? 余裕からくるお遊び? 少なくとも私を七回は殺せたはず」
「いやゼロだ。殺す気とか物騒なこと言うなよ。俺は善良な大学生なんだ」
「鬼の匂いをさせてよくもそんな事を。鈴鳴り」
「なんか微妙に違う。涼風風鈴だ。あーでも鈴を鳴らすという意味では合ってるのか」
「鈴鳴りは、人間の名前じゃない、鬼の名です。鈴は符合する。鬼はあまり複雑なことを嫌うから、よくある話」
困ったな、説得は難しいか。
「それに私が転生者となぜ気付いたの? まず普通の人間は知らない話です」
ここは駆け引き無しだな。余計な回り道すると迷いかねない。
「俺も転生者だからだ」
沙耶は何も語らない。自分より強い存在は、同じ存在か鬼くらいという認識だろう。
沙耶は専用で作ったのかワイヤー付き苦無を電動モーター付きのリールに巻き取っていそいそと仕舞う。アニメみたいにシュッ!とはいかないか。なんかシュール。
「諦めてくれたかな」
「悔しい」と言うと、大粒の涙を流す。
なんか泣き始めた! どゆこと!?
「先輩、心配になって戻ってきたら……何をやっていたんですか、女の子泣かすなんて、またえっちな」
誤解が過ぎる。まあ、だんだん言葉に遠慮をしなくなってきているのは良い傾向なのかもしれん。もっと正直になっていいんだぞ? これが俺に対しての正直な感想だとしたら不本意だが。
空がうずくまって泣いていた紗耶に駆け寄って「大丈夫?」と肩に手を掛ける。沙耶は肩に乗った手を揺すって外そうとしている。兄弟喧嘩でよく見る光景だな。しかしこの状況は俺に分が悪い。いつも最悪のタイミングで空に見られるのは前世の呪いのせいか。知らんけど。
あー、綾姫だぁ。お久しゅう。
「ん、誰でしょう?」
無理ないかー。疾風だよー。
「ごめんなさい、でも覚えました!」
「綾姫って……もしや綾姫?」
紗耶君、日本語がおかしいよ?
沙耶が高速で土下座後退すると平伏し、
「この匂いは確かに綾姫です!」
「え? やだ」
自分の体を匂いを嗅ぐ空。多分その匂いじゃないと思う。
「千年ほど前にお仕えしていた紗耶です」
どう突っ込めばいいのやら。
「知らない」
容赦ないな、空。絶世の美少女の顔がムンクの叫びになっちょる。
「あ。いえ、お仕えしていた時の名が違いました。えっと、その」
空が首を傾げる。
「い」
「い?」
「い、ちご」
「可愛いお名前ね!」
「だって姫様がお付けに……」
「私が? 私の赤ちゃんだったの?」
「いえ。人じゃなくて。ね、こでした」
「ね、こ。猫?」
ということは本当に匂いだったのか。魂の雰囲気とかそんな話かと。空がいきなり沙耶の頭を撫で始めた。いったい何を考えていらっしゃる?
「な、なにを」
「うんと。多分私だったら一杯、頭を撫でていたと思うんだ。こうしたら思い出すかと」
「それで! 思い出されましたか!」
「ううん」
なんで撫でたし。流石に沙耶が可哀そうになってきた。そういえば猫と言えば。
「もしかして沙耶さん。黒猫だったか?」
「なぜそれを。貴様、もしやストーカーか!」
この扱いの差よ。空も俺をそんな目で見るな。
「あー」と、空も気づいてくれた。
「だからあのぬいぐるみ大切にしてたんだ。こうすればわかるかも」
そう言って空は沙耶に抱きつく。
「いあ、何をなさって」
と、恍惚な表情を見せる沙耶。
「ふう」
「思い出されましたか!」
「ううん」
沙耶、泣いていいぞ。というか泣いてた。
「でも、なんで先輩に泣かされたの。内容によっては……」
俺を睨む空。え、俺?
てか、殺されそうになったんだけど?
「いえ。姫の従者とは知らず殺そうとしてました。こやつは鬼の名無きですよね」
「なんだと」
今度はこっちが衝撃を受ける番だった。その名を知っていると言う事は平安からの転生者か。
「ナナキ?」
そう言って、空は沙耶にもたれかかると脱力したままアスファルトに倒れ込む。
慌てて空に駆け寄り、息を確かめる。
していない。手を取り脈を確かめるがやはり感じられない。
「桜花!」




