第二十一話 練達の秘
空がいきなり駆け出し、奏に思いっきり抱きついた。ほぼ一か月ぶりの再会だが二人にとってはそれ以上長く感じた時間だったんだろう。空のスマホは最初の鬼騒動の時に部屋に置いていたものが破壊されていたらしい。音信不通が長く続いた時間は二人が悪い方へ考えてしまうには充分だった。
「かなちゃん、ごめんね」
「ばかやろー、心配かけやがって!」
しばらく無言で抱き合い、赤くした鼻をすすりながらお互いの顔を見る。
「聞きたいことがある、空」
「なに?」
「処女は無事か?」
空気が変なところに入り、咳き込む俺に高坂が背をさする。
「なんてこと言いだすの!?」
「いや、たかちゃんから聞いたけど、鈴先輩んとこに嫁入りしたとかしないとか? 今、同棲してるんでしょ?」
高坂がげらげらと笑っている。噂の犯人はお前か。
悪友を睨むと、
「ちげぇよ。咲子ちゃんからだよ」
遠くの母を見るとにやにやと笑っている。外堀から埋めるつもりか。強引すぎる工事だぞ。
「同棲じゃないよ。おかあさんもいるし」
「あ、あんた、お母さんって……嫁じゃん」
「ちがうよ。けど、おかあさんみたいに優しくしてくれてるから、そう呼んでるの。なんかしっくりだし」
「やっぱ嫁じゃん。かああー! 卒業前に嫁入りたあ難儀なこった!」
お前はおっさんか。
「そこの未成年略取の犯人さん」
俺の事か。失敬な。だが事実だけに言い返せねぇ。
「空をどうか末永く宜しくお願いします」と、深々と頭を下げる。
今度はおかんか。
「かなちゃん、気が早い!」
「早い? その気があるってことだな?」
「もう!」
暫くお互いの溜まっていた疑問を吐き出しつつ、空は普通の日常を取り戻そうとしている。俺も非日常を当たり前に感じつつあった事を実感した。
「さあ、空、時間だ」
空が頷くと、
「はい」
その声は少し緊張していた。奏も真顔になり、空の腕を取り歩き始めた。その後ろを俺と高坂はゆっくりとついていく。
「空ちゃん変わったな」
「違うよ。昔が別人だったんだ」
俺の言葉に「そうか」と答え、前を向く。
「前みたいに四人でどっか行こうぜ」
「そうだな」
そんな日が待ち遠しい。心からそう願うよ。
納骨を済ませ、お寺から出るときには既に午後八時をまわっていた。夏虫が鳴き、コンクリートとアスファルトだらけの街にも彼らは唄う。
「明日は学校かあ」
「一学期最終日だけど間に合ってよかったな」
空がトコトコと俺の前に出ると頭を下げる。
「先輩、改めて有難う」
「気にすんな。俺はまた着替えを覗けるチャンスがあるから嬉し、痛い!」
空が俺の足の急所を的確に蹴ってくる。
「あの時の失敗は繰り返しません。今度は目も潰します。おかあさんに習いました」
うむ。鬼より空の方が危険だ。
俺が急に立ち止まると何事かとこちらを見るが、緊迫した俺の顔を見て強張る。
「どうしたんですか?」
「空、俺を信じるか?」
「え、あ。はい」
空はなんか勘違いして赤い顔をしているが、それどころじゃない。
「今すぐ振り返らずに走って逃げろ。螺旋は空の側に、桜花はいてくれ」
空は無駄な返事をせず、駆け出した。
「賢明です。彼女に無様な姿を見られたくなかった? それとも夜食を美味しくするための我慢?」
昼間の少女だ。なるほど空が綺麗な子とは言ってたが、それは控えめな表現だ。絶世の美少女でも表現が足りない。腰まである髪は一本一本が艶を帯びサラリと揺れる。髪がかかる腰の細さは本当に内蔵が入ってるのか疑わしいくらいだ。
「まあ、どちらも叶わないんだけど」
空を追う素振りはない。目当ては俺の方か?
「なあ、良くわからんから話をしよう」
「鬼狩り為出だしたるは沙耶が参る」
「なにを言」
言葉が最後まで継げなかった。頬を掠める刃物が苦無だと確認する。
沙耶という少女までの距離、およそ三十メートル。またもや朧の目から逃れた隱術だ。そしてその距離で寸分違わず目標へと投擲した技術は並大抵のものじゃない。映画に出てくる忍者レベルだろ。
「これくらいは躱しますよね」
沙耶の両手が背に隠れる。右手で苦無を放つと身体を捻った勢いで左手も放つ。初撃、二撃目を避けたところに三撃目が突然飛来した。二投目はフェイクで影で放ったこの苦無こそが本命か。
ああ、俺の目は変わっていたんだ。
何故先程から難なく苦無を躱せるのか。
動きが遅い。彼女が遅いわけではない。俺の目が苦無すら飛来する様を捉えている。今なら柄をつかんで掴み取ることすら出来るだろう。だが手の内は明かせない。だからギリギリで躱してみせる。
「影苦無まで」
「なあ、やめないか。俺は女の子を傷つけたくない」
「どの口で」
また背に手を隠す。
「何か勘違いしてる」
「鬼はいつもそんな事を言ってたぶらかしてくる」
さっきとモーションが違う。両手同時の投擲の後。両腕を広げ構えた。苦無は見えている。何だこの違和感。
若、音だ!
一瞬、沙耶は声に反応する。
微かな風切り音。苦無だけじゃない、何かが空気を斬っている。二つの苦無を避け、間合いを詰めようとしたが、沙耶が動きを見せる。それは僅かな人差し指の動き。
うなじがひりついた。頭を下げると頭上を苦無が飛び去る。
後ろから!
徐々に鞘の指の動きが激しくなる。苦無が壁に当たり反射する。壁だけではない、地面、街灯の柱、苦無同士で起こす金属音。十の刃を繊細に操り、攻撃と防御を兼ねた制空圏は、沙耶本人同様、美しいなと思う。
迂闊に入れず、引けば一斉に刃が襲ってくる。
「見事としか言いようがない」
仮にも武術を知るものとしての本心だった。
「旋風刃、お前を殺す技だ」
苦無が四方から同時に、あるいは時間差で襲い掛かってくる。
やっかいだな。一つ一つが俺の動きを読んで飛んでくる。指を見ると金属製の指輪を付けている。恐らく指一つ一つに炭素素材のワイヤーを取り付けた苦無をコントロールしているんだろう。人の時間は一夕一朝、そんな僅かな時間で会得できる技ではない。
「君、転生したな。なぜ覚えている」
初めて沙耶が動揺した。




