第十八話 再起動
翌朝、ベッドの上で目を覚ますと、いつの間に部屋に戻ったんだろうと寝ぼけ眼で天井を見上げる。衣擦れの音が聞こえるので横を見ると背を向けた下着姿の空がブラを外しているところだった。
なんだ、夢か。
のんびり見ていると、振り向いた空が俺の視線に気づいて、慌ててしゃがむと涙目で睨む。
なんてこったい、現実じゃないか。もっと目に焼き付けておくべきだった。一分くらい時間よ、戻れ。
「いつから起きてましたか」
「えっと今起きたとこだが信じる?」
「迂闊だった私にも責任があるけど、いつまでこっち見てるんですか!」
「後ろ向かないとだめか?」
「当たり前です! もうえっちなのを隠そうともしなくなりましたね!」
「いや、な? 体が動かんのだ」
「あ」
あ、ってなんだよ。
空が顔になんか投げつけてくる。視界が塞がれると、空がいそいそと着替えているのが音でわかった。
「よし」
空が顔にかかっていた布切れを取り払う。それを見てぎょっとするが、空は気づいていない。まずは落平常心でやりすごそう。気付くと厄介だ。
「昨晩、先輩が自分のベッドを破壊したんで、仕方なくここで寝てもらってたんです」
「ふむ」
「で。お父さんが先輩縛り上げてこれで何もできないから安心してって」
空が俺に掛かっていたブランケットを取ると、ロープ、じゃないこれはワイヤーだ。警察の捕縛術の縛りじゃね? おれは凶悪犯人か。
「ま、いっか。お陰で良い夢を」
「忘れて下さい!」
空が手に持ってた布切れを投げつけてくる。投げた物の正体に気づいた空が悲鳴を上げ、慌てて回収する。
「パンツだな。そんな物を俺に被せるとかお前も大概な趣味を」
「もう黙って!」
赤面した空が下着類をかき集めると、頭から湯気を出す勢いで部屋から出て行った。
あの、空さん。出来れば拘束を解いてください。
うちの母が息も出来ないくらい爆笑すると、涙を流しながら指を指してくる。
「だってベッドは二つしかなかったのよ? 一つは誰かさんが壊したし」
く。何も言い返せない。
「お陰で全身強張ってしょうがない。空も見てたんなら起こしてくれればよかったのに」
「空ちゃんは何も悪くない。女の子の部屋に入り込んで何かたくらむ方が悪い」
「何もできないよ、昨晩のメンタルじゃ」
「え? だって、ふうちゃん、あの時空ちゃんにキ」
「うわああああ!」
忘れてた。
「どうしたんです?」
「あのね? 昨日の夜」
「かあさん?」
いかん、声が二オクターブ上がってしまった。
「昨日の夜? あ……」
そう言って空は赤くなりキッチンへと戻って行った。
何、今の反応。もしやバレてたのか? まじで? 俺の黒歴史にまた一ページか。だんだん増えてくるな。もういい、死のう。先輩の威厳も失い、男として頼れる存在でもなくなってしまった。
「ははーん、さては」
「もう母さん、やめて。これ以上ダメージくらうと死んでしまう」
「ほんと、あんた達はまどろっこしい。ま、いいわ。明日から空ちゃん復学出来るから夏休みまではあんまり一緒にいられないわよ」
母の言葉は冷やかしじゃなく現実問題の事を語っていた。登下校、もしかしたら在校中に襲われる可能性の話をしている。
「私、また学校に?」
パンとコーヒー、ベーコンエッグが乗ったトレイを俺の目の前に置いて「どうぞ」と言うと母に向き合う。
「そ。でも不安よね? そこで、これ」
母が猫のぬいぐるみを置いた。
「私が茜ちゃんにあげたもの。可愛いものは良くわからんが娘が好きになるかもな、とか言って結局、大事に取ってたみたい」
「持ってきてくれてたんですね。赤ちゃんの頃から横に置いて寝ていたって聞いて、ずっと大切にしていました」
母は微笑んで頷くと、
「多分、これならいけるんじゃない?」
と、母が俺を見てくる。
そういう事か。
「桜花、この猫に入れるかい?」
おそらく。
猫のヒゲがピクピクすると、本物猫のように伸びをして顔を洗う。元々リアル系のぬいぐるみだったせいか、ぱっと見だと近くに寄らない限りバレそうもなかった。
「馴染むまで時間掛かりそうですか、なんとか」
空の様子を見ようと振り返るとソファにダイブして、ぬいぐるみ、いや、いまや桜花に幸せそうに頬を擦り寄せている。
「こ、これ、姫様」
「桜花さん! 初めまして!」
「初めまして、ではないのですが、直接ではそうですね。お久しゅうございます」
「初めて、じゃない?」
「姫様がお生まれになったときからずっと御側にいます。もちろん鈴鹿様もおそらく気づかれていました」
「え。生まれたときから?」
「ええ。お生まれるになる前から姫様を探してましたので、探し当てた時は、もうこの桜花、飛び上がったものです」
「俺から離れていた? すまない、その辺の事情はまだ思い出せてなくて」
「それは詮無き事です。生まれた直後はまだ記憶との繋がり残っていまして、若様がお生まれになった時、私に命ぜられたのです。綾姫を探し、お守りしろ、と。その後、若様は普通の赤子として成長なされています」
「私をずっと守ってくれて、あ。もしかしてあの時、お父さんをキッチンに投げ飛ばしたのって」
「はい、私めでございます。あの時から遡ること半年前からこの身を結界に変えお守りしておりました。だけども申し訳御座いません。かえって心労を増やすことになりました」
「何の事でしょう?」
「心の臓を止めていたのは私でございます。今は以前と変わらず脈打っておりますゆえご安心を」
空が自分の胸に手を当てて「動いてる」と言って、テーブルの上に脱力して上半身を横たえた。
「ああー、一生ゾンビかとぉぉぉ」
あんだけ悩んでいたことが簡単に解決してしまった。めっちゃ深刻な話だったのにあっけないものだったな。
「うん? 何の話?」
母が俺と空の顔を交互に見てくる。
「ああ、言ってなかった。というか色々ありすぎて忘れてたんだけど、空の心臓動いていなかったんだ」
「え? なにそれこわい」
「な?」
「桜花さん、なんで私の心臓を止めていたんです?」
「目は心臓と繋がっているんです。その鼓動は鬼にとって忌むべきもので恐怖か殺意を呼び起こすと言われています。鬼が近づけば騒ぎが起きますので、若様が起きるまで私めがお守りせねば、と」
「桜花、今、結界はどうなってる?」
「私がここにいるということは解除されているということです」
「今はいうなれば、大声で居場所を叫んでいる感じなのか?」
「姫様を中心に五里程は」
「五里、二五〇〇メートルか。結構広いな」
「若様がいらっしゃるから漏れませんよ? 目視されれば流石にバレますので、予定通り私がにゃんこちゃ」
と、いったあとで盛大に咳をして何かをごまかす。
「にゃんこちゃん」
「にゃんこちゃん」
空、そっとしておくんだ! 母も追撃はよせ!
「ね、猫の装いでお守りいたします」
「漏れないって、どういう原理で?」
「お忘れですね。螺旋を」
「名前は、なんとなく。でも理由が思い出せない」
ひどい! 若様、もう知らない!
「……んー、なんかめっちゃ怒ってるが」
「当たり前です。ご自分で何とかなさってくださいね? ま、ほっといてもお役目は果たしますよ。螺旋も姫様が大好きですので」
「あ、あの、お話しを止めてすいません。その姫様って……」
「貴女様ですが?」
「なんか、こう、こそばゆくて。出来れば空、と呼んでください」
「いえ、ですが姫様は姫様ですので」
「桜花が討ち死にしたとき、綾姫は乱心なされたそうなんだ。たぶんその記憶が残っているんだよ。桜花に会いたくてしょうがなかったんだ。ほら証拠に空は今泣いてることすら気づいてないぞ。嬉しすぎてな」
「あれ? ほんとだ」
空は手の甲で涙を拭う。「なんでだろ」と止まらぬ涙に困惑する。
「あの合戦の後そんな事が」
「朧が手を焼いてた感じだったから、そりゃもう大変な騒ぎ……なんだ、この記憶、あの夢が記憶に変わっている?」
「ちょ、ちょ、ちょっと待って! ふうちゃんにいったい何が起きてるの? 肝心な事を忘れていたわ」
母がソファから身を乗り出して俺の顔を覗く。
「鈴鹿御前や空の話の後なら笑われないよな。俺はどうやら前世は鬼だったらしい」
母がなんか面白い事になっていた。頭を抱えたり、いやいやいや、と首を振ったり。
空に喉を撫でられ喉を鳴らしていたが、はっと我に返った桜花が咳ばらいを一つすると、
「九頭竜。その名の意味を知るところから、でしょうか」




