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鬼人御伽  作者: 宮﨑 夕弦
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第十三話 祈り


「ふうちゃん! だめ!」

 母の忠告は既に事が終わった後に届いた。

 俺の右の脇腹に背から突き抜けた腕が生えている。星童子の鋭く伸びた爪が俺の眼下で、きりきりと音を立てて擦り合っていた。

「いただきまーす」

 鬼の牙が俺の肩を食い千切り、おびただしい出血が体と床を濡らしていく。右肩から心臓の鼓動に合わせて血が溢れる。

 俺は空の胸を、とんと押し、玄関へと押しやった。

 痛みがなんだ。

 死よりおぞましいものを知っているはずだ。お前の綾姫を泣かすな。

 突き出た鬼の腕を掴み、最後の力を振り絞る。

「へぇ。叫ばないの? 喚かないの? 泣かないの? ねぇ?」

「そ、ら……にげ」

「無視すんなよ!」

 鬼が腕を抜こうとするが、両腕で鬼の手首の関節を完全に固定する。

「空! 逃げろ!」

 空が数歩下がった。

「せ、んぱ、い」


 俺は祈る。


 一秒でもこの鬼の腕を長く留めおくことを。

 

 一歩でも空が遠くに逃げれる事を。


 少しでもお前の涙を受け止められたかなぁ。


「先輩! だめ!」

「おい、虫けら、いい加減、腕を離せ! この!」

 もう声も出せない。最後なら「好きだ」とか言っておくべきかな、とか思ってると意識が薄れていく。

 まあ、もう声も出ないし。

 次でいっか。

 ん? 次で?


 空は逃げなかった。泣きながら俺に手を伸ばす。

「やだ。やだ、絶対やだ!」

 空の体がぶれて見える。空の気と合わさり、体が焼かれたように痛みが走った。

 近付いてくる空に星童子が怯え始めた。

「な、なんだお前、なんだ! 貴様の眼は!」

 星童子は腕を抜くのを諦め俺ごと後ろに下がり、まるで空から隠れるように俺の背の影に入った。

「星、その娘から離れろ! 女の視界に入るんじゃない!」

 そう言い放って金童子は空の視界から逃げるようにテラスの向こうの影に消えた。

「この匂い! 九頭竜よ! うつほの血に何を入れた!」

「鬼よ、逃げ帰ったなら主に伝えなさい。うつほに鈴鹿の血が混じった、と」

 金童子の強烈な咆哮がまるで物質化したかのように次々とガラス類を砕いていく。

「外道が!」

「貴様らに言われたくない」

 こいつらは逃げる。

 漠然にそう思うと力が抜け、鬼の腕を抑えられなくなった。膝から崩れ落ちていく際に、鬼の腕が体から抜けていく。命断ち切る最後の一撃を予想していたが、その星童子が背後でのたうち回っている。まるで陸に揚げられた魚のようだった。鬼の慟哭が家中を震わせ、両目から血を吹き出させながら星童子が叫ぶ。

「貴様! 貴様! 憎きや、うつほの血よ!」

 意識が飛ぶ寸前、空が泣いているのが見えた。

 

 また涙を止められなかった。


 あの夜と同じだ。


 訪れたのは闇ではなかった。

 視界は失われているが、体に纏う気が「俺」を作っていく。

 足元を見ると俺の体に泣きつく空が大粒の涙を流している。慰めようと手を伸ばした矢先に声が届いた。


「若様」


 跪く侍がいた。

 俺はこの人を知っている。

 他にも六人が同様に俺に頭を垂れていた。



 ああ、やっと耳を傾けてくださった。

 この現世に生を受けられて以来、幾度も叫び申したが、もはや今回も声は届かぬかと思っておりましたぞ。若様に預かりし御名をお返しにあがりました次第で御座います。

 ウツホの力にて、悪鬼を永劫に封じ召されよ。もはや、次の転生は叶いませぬ。今生にて姫をお守りし、必ずや彼の悪鬼どもの長の角を封印せしことを、この朧も微力ながらお助け申しあげる。


 さぁ、あなた様の御名を告げなされ。

 七つの鬼の魂魄を喰らいしお方よ。

 大蛇(おろち)の逆鱗よ。

 さぁ、あなた様の御名を。 



 月光下に剣戟鳴り響き、地上の様は星空の瞬きが舞い降りたようだった。

 月明かりに照らされた刀身が闇の中で煌く。だが、その輝きは命の火をかき消す殺意に満ちた輝きだ。

 刀と殺気がかち合う調べと共に演じられる死闘にも関わらず、その様は美しい。その夜景は歌人ではなくても詠う気分になった。

 夕刻から続いた戦は未だ終わりを迎える気配はない。むしろ夜の眷属である者らの時間だった。

 時折、鬨の声に混じり獣のような咆哮が悲鳴をかき消していく。

 獣ではない。数多なる鬼達だった。その皮膚には矢が通らぬため、純粋な力と技の衝突。鉄塊のような杖や槍、刀や巨大な包丁が唸る音を立てながら肉を穿ち、切り裂いていく。

 

「若! 何処におられる! 誰か若様を知らぬかっ!」

 その駆けるさまは遠め目からでは虎が鎧を着ているのではないかと思えるほど凄まじい速度で修羅場を駆け抜けて行く。そのうえ速度を保ちつつ長槍を翻しながら敵を屠っていった。軽い跳躍に見えたが速度を落とさず十間を飛ぶ。その股下にいた鬼が次々と首が刎ねられていく。

 その正体は老人だった。

 老いた体には重々しい鎧兜に返り血を受けつつ、大業物の長槍をなんなく振るう。長さにして9尺、重さは2貫と半を超える槍を柳の枝のごとく振るう老侍は次々と人ならず者を切り伏せ、なおも勢いの衰えを知らなかった。


「おのれ!邪魔をするな!」

 槍の間合いの外から跳躍してきた鬼は頂点に達したところで槍の切っ先で袈裟斬りにされた。嫌な音を立てながら臓物と共に地面に叩きつけられた鬼は、両手で上半身を引きずり恐るべき韋丈夫から逃げようとしたが、槍の柄で頭を叩き割られてようやく絶命した。


「朧! よう無事であった」

 その声に振り向くと髭面は破顔し、片膝をついた。

「若様こそご無事で」

「皆はどうだ?」

「羅漢の弐の隊、疾風に合力した螺旋の参の隊は、ともども敵を破り、草薙の手下の殆どは切り伏せて御座いまする!朱と碧も綱殿と共に茨木を撃破、残るは怨敵、草薙童子本隊を残すのみと!」

 若と呼ばれた侍も、おびただしい血で手や鎧の端から血をひたひたと滴り落としていた。

長髪を紐で括りあげただけの侍は、目を黒い細布で覆われ何重にも巻かれていた。黒布には神代文字による文様が施され、蛍火のような淡い光が漏れている。

 その侍がにやりと笑うと刀身の血をぶんと振り飛ばす。

「さすがは羅漢坊だな、ようやった。疾風と螺旋も一族の名に恥じぬ働きだ」

「ですが……桜花、氷姫、焔は、敵将と共に散り申した」

「……そうか。くそ! 俺が不甲斐ないばかりに」

「誉めてやってくだされ。彼の者たちは人に忌み嫌われた鬼でありながら人の為に、いや違いまするな。この世に落ちた全ての命を守らんとして身を散らせたので御座います。本懐で御座いますぞ」

「おぬし達がいればこそ、この乱を抑えることが出来る。……すまない。俺の我侭にき合ってもらう道理はお主らにはないというのに」

「我ら一同、若様の為ならば。ややこの時にこの朧めの角を握り締め跪かせた時より命をお預けしております故、お心遣いは無用」

「すまぬ」

「将たるものがそんなお顔をお見せなさるな。それよりウツホの姫君、綾姫様が先程より後続の隊でなにやら騒いでおりまして。桜花が討たれたと聞いて気が触れんばかりで御座います。代わりにこの朧めが若様に伝えてまいると言い聞かせておきましたがいつまで持つことか」

「母を知らぬ綾姫様にとって、育ての親の桜花は母同然だった」

 朧は頷くと立ち上がり、

「若、今宵こそ、今宵こそです」と、長槍を握り締めた。

「ああ、わかっておる。朧、綾姫様を頼む」

「この痩せ細った命に代えましても。若様、ご武運を。そして生きてお帰りなされ」

「また会おうぞ、そして奴の首を肴に酒を飲むぞ」

「頼光殿と若様、はてさてどちらがお先に杯を置くことになりましょうか」

「賭けるか、朧」

「賭けますとも。最後に置くのはこの朧めで御座います」

「ぼけるにはまだ早いぞ、朧。恐らく綾姫様だろうさ」

「この爺、失念しておりました。これでは賭けになりませぬな」

 爽快な笑い声を上げると若武者は踵を返し、鬼どもの咆哮に負けじと叫び声をあげた。

「俺に続け!」

 青火を纏う刀身が一閃、また一閃。刀が走るたびに鬼が燃え上がり倒れていく。  

黒布で視界を完全に閉ざされてるにも関わらず、視界に不自由さを見せもせず立ち振るうまうその姿は鬼よりも異形に見えた。

「我こそは、七つの鬼を喰らいし――――」


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