第十一話 九頭竜
「おひゃやうごじゃます」
髪の毛に寝癖を付け、舌がまだ眠っている空は寝ぼけ眼の目を擦っていた。
「あれ、ここどこ」
俺が思わず吹き出すと、我に返った空はソファの上で正座をして頭を下げた。
「次はベッドで寝てくれ。抱きあげて連れて行こうとも思ったがなぁ」
「ごめんなさい! あー寝坊どころか、もう夕方に」
「すんげえ寝てたな」
「恥ずかしい……というかずっと寝顔見られていたとか」
正座のままソファに顔を埋めると足をバタバタさせ何やら悶絶する空が可愛くてしょうがない。
「まあ、俺は隣の別宅で調べ物していたから、ずっとじゃないし」
「調べ物ですか?」
「ああ。夢の中の覚えていたワードをね。酒呑童子とかイバなんとか。それと頼光の名もあった。もう一人の名前もあったんだが覚えていない」
「大江山の話ですか。でしたらイバなんとかは多分茨木童子ですね。という事は渡辺綱じゃないですか?」
「あー綱だ。詳しいな。授業で受ける日本史から外れていた気がするが」
「京都に行ったときに現地で色々聞いた話に大江山の鬼たちの話を聞きました。酒呑童子は頼光に討たれ茨木童子は渡辺綱に敗退を期してます」
「草薙、童子は知っているか?」
「いえ、聞いた事がありません、が」
「が?」
「いやな感じがします」
「俺もなんだよ」
俺が考え込んでいると空がこちらをじっと見てくる。何か言いたげだったので「どうした?」と聞けば顔を赤らめて「もう、死んじゃうかも……」と項垂れた。
「空! しっかりし……あー! すまん! すぐご飯にしよう!」
空は食べっぷりは見ていて気持ちが良かった。トーストを四枚平らげソーセージ300グラム。オムライス卵四個分。ベーコン4枚。俺も負けじと空以上に平らげる。一緒に食べようと思い、朝から何も食べていなかったからこそ、二人でがむしゃらに食事を堪能した。最後にサラダを頬張る空を見ていると、少し赤くなってもしゃもしゃやっている。
「お前、その量何処に入るんだ?」
「女の子にそんな事聞きますか」
「このままじゃうちが破産する。出て行ってもらおうか」
「こんなおいしい食事食べれるなら出ていきません。出ていきませんとも」
突然、玄関に繋がるダイニングのドアが開いた。母がなにやら大荷物でふらふらとして部屋に入ってくる。紙袋やらレジ袋やらで母が埋もれて顔が見えないくらいだった。
「おかあさま?」
「空ちゃん、助けてえ」
「俺じゃないのか」
「はい!」
空が荷物を受け取ると床に並べていく。汗をかいた母が冷蔵庫からビールを取り出すし一気に飲み干すと「ぷはぁ」と至福の顔でクーラーの前に立った。
「夕飯の前から出来上がらないでくれよ」
「晩御飯何?」
「照り焼きチキンとハンバーグの我儘セット」
あろうことか空が自分のお腹を見て「うーん」と唸っていた。まだ食う気か。
「えらい買い込んだな。夏物ならまだ着れるのいっぱいあるだろうに」
「何言ってんの。空ちゃんの服よ。こら、勝手に開けない。下着だって入ってるんだから。空ちゃんの許可とってから見なさい」
「え? わたしの?」
見れば10着以上はあるだろうトップス。スカートやらジーンズやらも同数位。開けてない袋が3つほどあるが、それが下着類だろう。
空が真っ青になって首を横に振る。
「いえいえいえいえ! 頂けません! なんか高そうな服ばっかりで、私のお小遣いじゃ絶対足りないです!」
「うん? ふうちゃんの貯金から買ったから気にしないでいいのよ?」
「な! 俺の新しいプロテクターが防御力ゼロの服に……」
力が抜けがっくりと床に倒れ込み、魂が抜けそうになった。春のバイト代以上に消えたなと泣きそうになる。
「先輩ごめんなさい! お店に返してきますので、あーでも折角おかあさまが買ってきてくれたものを無下にも出来ません。私、どうしたらあ!」
「冗談よ、冗談。私ねえ、バカ息子が一人だけじゃない? 女の子の服買うのが夢だったの! もうめっちゃ嬉しくって買いまくっちゃったけど、これは私を幸せな気分にしてくれた空ちゃんへの報酬よ?」
「そんなあ。いつかお返しします。おいくらだったんですか?」
母が空に耳打ちすると空も床に這いつくばって「返せない」と魂が抜けていた。
空、すまんな。母はこういうやつだ。
「さ。服は明日片付けましょ。明日、家具がふうちゃんちに届くから」
それを聞いた空が完全に床に突っ伏した。
おい、お尻見えそうだぞ。教えんけど。
空が床に伏せ、おでこを床につけたまま母に話しかけた。
「こんなに迷惑を掛けるのなら私、早くお暇しておけば」
「空ちゃん、あなたに大事な事を言うわ」
「……はい」
「お尻見えそうよ。ふうちゃんがちらちら見てるわ」
「みてねえし!」
空が慌てて起き上がりシャツを伸ばすように引っ張り下げた。赤面し頬を膨らませて俺を睨んでくる。
「み、みてないからな?」
「合宿でも見られたし、はだか」
傍にいた母は大爆笑し、床を叩いている。空が紙袋を覗くと一つ抱えてキッチンへと消える。数分後戻って来た時はグラフィックなシャツとショートパンツを着ていた。もちろんその下に下着も着込んだだろう。
「先輩がこんなに、えっちな人って知りませんでした」
「誤解だ!」
膨らませた頬が緩み、空は笑い出した。
「先輩、ほんとに部室の時と人が違うんですね」
あれ、なんか覚えがある光景だ。夢で見たのだろうか。
「空ちゃん」
「はい」
空が母に向き直る。
空の横に母が座ると、手のひらを合わせて手を握った。
「しばらく家に居なさい。あの家には帰らない方がいい。荷物は道場の門下生に運んでもらえるように頼むわ」
「えっと、どういうことですか」
はっとして母を見た。
「父さんに何か聞いたんだな」
母は頷くと不安げな空の手を強く握った。
「空ちゃんのお父さんとおうちの事、天弥君に調べてもらったの。あ。天弥君は私の夫ね」
「何かわかったんですか!?」
「いいえ。何もわからなかった」
「じゃあなんで帰れない話に」
「ごめんね。科学的検査や録画記録があるにも関わらず、その事象が分からなかった、というより理解出来なかったの、誰一人ね。ご遺体が盗まれた話、知ってるよね? それは混乱を招かないための方便」
「混乱?」
空が少し震えた。
「ご遺体が自ら動きだして姿を消した。監視カメラにもそう映っているらしくて、その異常な報告からマスコミには完全シャットアウト。そして自宅近辺に不審な姿が時々目撃されているから、今は近辺は警察だらけって事らしいのね」
衝撃的な話に空が怖がるのではないかと思っていたが、俯いてはいるが何やら考え込んでいる。多分、俺と同じ答えに辿り着いたのだろう。
「警察が検死をしていた時は、頭部が半分欠損していて記録にもそう書かれている。担当はベテランの検死官よ。でも映像にははっきりと頭部があり、表情すら確認できたと天弥くんが言ってたわ。直接見たって。今は天弥君が動いてる」
「父さんが? 父さんは殺人課じゃないよな? 公安辞める前ですら違ったのに」
「天弥君はね。今は宮内庁の陵墓課だよ」
「ますます分からない。うん? 爺ちゃんと同じところ?」
「そ。引き込んだのは父ちゃんなの」
母を見た。笑ってはいるが目がいつもと違う。
「母さんこそ、何を隠してる?」
今朝方の母の言動はここに繋がっているはずだ。詳細は分からないが、不自然極まりない。
「世の中は私たちだけじゃないと知っているだけ」
空が伏せていた顔を上げた。
「あの、もしかして」
母が頷くと空の肩を抱いた。
「あなたに何が起きたのか。多分、知っている、かな」
俺は母の言葉を一つ一つ確かめる。
「母さんたちは……違うな。九頭竜ってなんだ?」
母はにこやかに笑うと「ご飯にしましょ」と言ってダイニングへと向かった。




