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須藤香織観察日記

作者: バロック

 学校を終えた放課後の時間。秋の訪れをヒリヒリと感じさせる寒風を全身に受けた僕は、しかし、心と身体を赤く火照らせて、住宅街を歩いていた。

 かじかんだ指先が無性に痛いけど、やっぱり暖かい。

 矛盾だらけの僕の世界に映るのは、言わずもがな学校のアイドルであり、クラスのアイドルかつ、僕のアイドルである須藤すどう 香織かおりさんの後ろ姿である。

 ほんのりオレンジ色に染まりつつある街並みを背景に揺れるサラサラのロングヘアーは、セーラー服の背中を滑るように揺れ、それが妙に色っぽい。

 背後からは伺うことはできないが、おそらく彼女は今日この時を天使のような純粋な笑顔と共に生きているのだろう。勝手にというか、むしろありがたい事に、頭の中に須藤さんの純粋無垢な笑顔が現れ、次第にそれが僕の心を支配していく。

 ふと思いついた言葉。

「ああ、あの須藤さんをストーキングできるなんて僕はなんて幸せ者なんだろう」

 誰にも聞こえない程度にぼそりと呟いたその言葉に僕は激しく動揺する。自分の言ったことなのに。

 違う、違う、違う。確かに僕は今、客観的な視点から見ればストーカーかもしれない。一人の美しい天使を追い回すただの変態かもしれない。だけど知ってるだろ? 僕が誰より僕のことを知っているだろ? そう、僕はストーカーなんかじゃない。ただ、純粋に彼女の事が知りたいだけの普通の中学三年生なんだ。

 だってそうだろ? 普通、女の子に告白する前にはある程度、その子のことを調べたりするだろ? 例えば、嵌っているものとか、好きな色とか、好みの男のタイプとか、何部に入っているかとか、家族構成とか、家が何処にあるとか、何色の……いや、それはいいとして、とにかく、知っておきたいんだ。

 愛の告白を失敗しないように、彼女の心をワシ掴みにするために。

 そのために、僕はコレを作った。

 学生カバンから取り出した一冊のノートのタイトルを見て、僕は微笑む。

『須藤香織観察日記』

 昨日作ったばかりの全頁白紙のそれをペラペラと捲りながら、僕は決意する。

 このノートが彼女のデータで一杯になったら告白しよう。

 そのためには今この瞬間でさえも無駄にはできない。

 僕は住宅街のコンクリートの塀に身を潜めながら、彼女の可愛らしい下校風景を見守った。

 と、今あることを記入する前に、以前から僕が知っている情報を忘れない内に書くことする。

 彼女の名前は須藤香織。

 僕のクラスメイトで、今学期はクラス委員長をしている。

 天使のように柔らかい笑みの似合う彼女は、その他を寄せ付けない圧倒的な美貌を持ちながらも、とても清い心の持ち主だ。他のゴミクズ女子たちは僕のことを馬鹿にするけど、あの子だけはそうじゃなかった。須藤さんだけは僕にも平等に笑顔を別けてくれた。

 彼女の素晴らしさはこれだけでも十分に伝わるのだが、しかし、これは緻密かつ正確なデータで無ければいけないので、あえて書き足す。

 勉強は間違いなく学校で一番できる。友達内から聞く彼女のテストの点数を聞けばそれくらいのこと容易に判断できる。同じ高校にいけるかどうか心配に思った時期もあったが、それも今となっては昔の話、彼女の為に必死に勉強した僕は今やエリートなのだ。絶対同じ高校に行く。

 当然だけど、彼女は運動神経も抜群さ。今年の春からは女子テニス部の主将をしているし、何度か全校集会で表彰を受けているのも見たことがある。夫婦喧嘩をした時に勝てる自信なんて全く無い。

 なーんてまだまだ先のことを心配しても仕方が無いのだけれど。

「そんな彼女が僕は大好……って、あれ?」

 歩く事と隠れる事と考える事と見る事を同時に行っていた僕は、うっかり彼女の姿を見失ってしまう。さっきまでそこにあったはずの可愛いスカートが今はそこに無い。

 しかし僕は焦らない。そう、こんな時こそ冷静な判断が要求されるのだ。ノートをパタリと閉じた僕は、物陰に隠れながら、素早く移動する。

 するとすぐに須藤さんの背中は見つかった。彼女はいかにも安っぽい感じのアパートの敷地の中に消える。

 もしかして、須藤さん家って貧乏なのか?

 貧乏天使の須藤さん――萌え。

「ぼ、僕としたことが、なんて低俗な単語を」

 ストーカーに成り下がりつつある自分を戒めながら、僕は急いで彼女の消えたアパートに接近し、物影から覗いた。

 須藤さんは楽しそうに鼻歌を歌って、学生カバンからアパートの鍵を取り出して、そして一室の中に入っていった。

 どうやら、そこが須藤さんの自宅らしい。聞いていたより少し近場だったが、そんなことはどうでも良いだろう。これから僕がすべきことは、今度一人で来た時の為にアパートの場所をしっかり覚える事だ。

 再び開いたノートの表紙裏の厚紙に、ここまでの簡単な地図を書いて、最後に部屋の前まで行って部屋番号を確かめる。

「103号室っと」

 見事に書き終えた地図に満足していた僕だったが、そこに一つの不確定要素が差し込む。

 扉の向こうから声が聞こえたのだ。

「関係ねーって言ってんだろ。とっとと帰れよ!」

 大人の男というにはまだ青臭さを感じる甲高い声。その声は理由は分からないが、とにかく須藤さんを否定し、帰ってくれと要求しているようだった。

 兄妹では無い。彼女は僕の調べによると一人っ子で、父親は単身赴任しているはず。

 じゃあこの男はもしや。

「そんなこと言わないで、亮太くん。私はこんなにあなたの事が好きなのに」

 その澄み切った声の主は間違いなく須藤さんだ。僕が聞き間違えるわけがない。ということは部屋の中にいる男というのはまさか――信じたくないが――そうなんだろう。

 相変わらず須藤さんを否定する男の声を聞きながら、僕はガックリと膝をつく。

 おかしいと思ってた。彼女ほどの完璧な女性に彼氏がいないなんてどう考えたって変なんだ。いくら噂で彼女はフリーだと聞いたとしても、はいそうですかと信じられるわけがない。そして真実がこの扉の向こうに。

 気がつけば僕は手汗に濡れた右手でドアノブを強く握っていた。左手には須藤香織観察日記と書かれたノートを、強く、強く、握り締めて。

 何かの、何かの間違いであってくれと願いながら。

 もしかしたら、例えそうであっても彼女を忘れられないのではないかと不安に思いながら。


「だから――」


 扉の向こうで叫んでいる男にどうしようもない苛立ちを感じながら。

 それでも、やっぱり、ドアノブを下げる。

 金属が擦れる小さな音。それに覆い被さる男の悲鳴。ん、悲鳴?


「だからお前は誰なんだよ!」


 誰って、はあ? どういうこと? この男は須藤さんの彼氏のはずで、例えそうじゃなくても、でも、だったら、須藤さんは。

「何回も、何回も、何回も人様の家に勝手に入ってきやがって、一体お前はなんなんだよ!」

 答える須藤さん。

「だから言ってるじゃないですか。私は須藤香織ですって」

 その声はとても朗らかで、澄んでいて、いつもの須藤さんだ。

「うるせーよ! こっちが聞いてんのそういうことじゃなくて、クソッ! また鍵変えないと」

「また合鍵作りますよ?」

「いいからとっとと消えてくれよ。このストーカー女!」

「いやーです」


「は、ははは、はは? ははははは」

 ドアノブから手を離した僕は、ゆっくりと半回転してアパートを後にする。さっきまで自分が通ってきた道を逆に歩く。

 真っ白な夕暮れを一人、歩く。

「あ、ノート忘れてきた」

 

 もう、どうでもいいや。

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