見知らぬ部屋
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朝日が差し込む中、ルナシェは目を覚ました。
ここ最近、揺られる馬車の中で過ごしていたせいで、深く寝入ってしまったのだろう。
清潔なシーツは、けれど辺境伯家の物と違い、少しゴワゴワしている。
どこにいるかわからないまま、ルナシェは薄目を開けた。
「よく眠れたか?」
「――――え?」
夢の中で泣きながら追いかけていたはずの声が、すぐ隣から聞こえる。
ガバリと勢いよく起き上がれば、目の前には、夢の中の姿とまるっきり同じ、ボサボサのくすんだ赤い髪の毛をしたベリアスがいた。
「――――ベリアス様」
パチパチと瞳を瞬くばかりのルナシェは、状況が飲み込めていないようだとベリアスは苦笑した。
少しだけ、隣に寝ていて目が覚めたときの動揺を見てみたかったとベリアスは再度思い、その考えを振り払う。
「…………あの、私」
ベリアスの目の前で見る間に赤く頬を染め上げていくルナシェ。
「――――眠ってしまったのですね。ご迷惑をおかけしました……」
ようやく事態を把握したルナシェは、ベッドから降りてベリアスに深々と頭を下げる。
(酔っ払って眠ってしまうなんて、なんて醜態をさらしてしまったのかしら。婚約式の後に押しかけてきた上に、こんな女、きっと嫌われてしまう)
しかも、婚約している男女が同じ部屋にいたのに、一人ベッドで眠ってしまうなんて……。
ルナシェがいくら深窓の令嬢として、多くのことを教えられずに育っているからといって、それはない。女として見られていない証明のようだ。
「ルナシェ……」
絶望に打ちひしがれそうになったルナシェの様子を見ているベリアスは、どこか楽しそうだ。
(前世と同じで、子ども扱いされている。やっぱり、女性としては全く相手にされていないみたい)
ベリアスとルナシェは、年の差9歳だ。
一緒にいた三日間、ベリアスは大人で、子ども扱いされるルナシェは、早く大人になりたかった。
ベリアスはとても紳士的で、ルナシェに優しかったけれど、男女の仲という意味では二人の距離が縮まることはなかった。
結婚式の翌日には、日々激しくなる戦いのせいで、ベリアスは行ってしまったから。
そして、ベリアスは、白い結婚のままルナシェを残していなくなってしまった。
「――――あの、私、魅力ないでしょうか」
「は……?」
「あ…………」
しまった、とルナシェは失言を後悔した。
初対面に近い婚約者が押しかけてきた上に、酔っ払って寝入ってしまい、介抱してくれたベリアスは優しい。
まだ、二人は出会ったばかりなのだ。あの夜、ベリアスに伝えられなかった言葉を、今言ってしまったところで、おかしな女だと思われるだけに違いない。
(嫌われる……)
うつむいて肩をふるわせたルナシェに、ベリアスからは、何の言葉も返ってこない。
あきれられてしまったと思ったルナシェが、涙目で見上げると、困惑した様子のベリアスと目が合った。
「ルナシェ……」
「きゃ……?」
ベリアスは立ち上がると、ルナシェを昨晩のようにもう一度横抱きにしてベッドへ連れて行く。
そして、昨夜と違って少し乱暴にルナシェをベッドに横たわらせると、細い肩の横に手を置いて上から見下ろした。
いつも穏やかな色をしている緑の瞳が、今はどこか剣呑な光を宿している。
「こんなことなら、君の隣で眠ればよかった」
「…………え?」
「我慢した俺を褒めてほしいくらいだ」
少しだけ怖くなってしまったルナシェが、目をぎゅっとつぶる姿を見て、ベリアスがあからさまなため息とともに、額へ口づけを落とした。
「あまり無防備にしてはいけない」
「わ、私たちは婚約者です!」
この国では、婚約者になれば、一夜をともにすることも珍しいことではない。
それほど、婚約の誓いは大切な物なのだ。結婚に並び立つほどに……。
その言葉に、ピタリとベリアスが動きを止めた。
「……この戦争を終結させない限り、俺は」
「ベリアス様……」
ベリアスは、今すぐに触れそうになる指先を強く握りしめる。
隣国との戦が劣勢になれば、真っ先に戦場になるのは、このミンティア辺境伯領だ。
だからこそ、婚約式にすら戻ることなく、ベリアスはこの地に残った。
絶対に王国を、ミンティア辺境伯領を、つまりはその地に暮らすルナシェを守ると決めているベリアスは、この戦いが終わるまで決して触れないと決めていた。
そうでなければならない。この婚約は、ベリアスの一方的なわがままだ。
白い結婚のままなら、ルナシェはベリアスに、もし何かがあったとしても、ほかの誰かと。
「――――嫌です」
それは嫌だと心底思ってしまったベリアスに、ルナシェは同じ言葉を投げかける。
「そばにいたいです……。帰ってきてくれなければ、嫌です」
人生をやり直していることに気がついた瞬間、婚約破棄をしようと思ったルナシェ。
けれど、こうしてベリアスを目の前にしてしまえば、悲しみのあまり蓋をしていた自分の気持ちに嫌でも向き合うことになってしまう。
「――――私が、ベリアス様を守ります」
「……は、普通逆だろう? ……おとなしく守られていてくれ」
確かに、ルナシェは戦う力はない。
でも、やり直しをしているからこの後起きることに関する記憶はあるのだ。
この戦いは、冬が訪れて休戦になる。誰もがそう思っている。
けれど、その後ベリアスがルナシェの元に戻ってきたときに、雪山を越えてきた敵軍に奇襲を受けるのだ。
たった三日間過ごしただけで、その知らせを受けたベリアスは、すぐに戦場へと戻っていった。しかし、砦を失った王国騎士団は、その後長期間苦戦を強いられる。
ベリアスが帰ってくるのは、結婚式の当日だけ。
そして、翌日戦場に戻ったベリアスは味方の裏切りに合い、ルナシェの元には帰ってこなかった。
戦争が王国の勝利で終わったとき、裏切りはルナシェが指示したものだと王国は判断した。
取り調べもなく、まるであらかじめ決まっていたかのようにルナシェは断頭台の前に立たされた。
(あの時、誰かが見ていたような)
その後、王国がどうなったのか、ミンティア辺境伯家がどうなったのか、ルナシェは知らない。
けれど、それまでの道筋だけは知っている。
だから、少しならベリアスの力になれるはずだ。
「…………私が、守ります」
「――――危険なことはしないでほしい。君がいなければ、俺は戦えない」
「え?」
ベッドで向かい合ったままのルナシェは、まっすぐにベリアスを見つめた。




