爽やかな風とともに
涼しい風が吹く木陰に止められた馬車。
開かれた窓から入ってくる風が、密やかにルナシェの髪を揺らす。
馬車の扉の前には、グレインが控えている。
(グレインは、相変わらず隙がないわ)
ルナシェには、戦いのことはよく分からない。
けれど、グレインがただ者ではないことは、その雰囲気だけで分かる。
「ねえ……。グレインは魔塔にいたのよね?」
窓からグレインに話しかければ、こちらを振り返ることもなく「そうです」と短い返事があった。
魔塔の魔術師のはずのグレインが、どうしてガストの商会で働いていたのか、そしてなぜ、ルナシェの護衛を買って出てくれたのか、それはいまだに分からない。
「どうして、一緒に来てくれたの?」
次の質問に、グレインは漆黒の瞳をルナシェに向ける。
「……初めのうちは、ただ遠くから観察するだけにしようと思っていたのですが」
「え?」
「瑠璃色の瞳が、俺の長年の研究対象でしたから」
「そうだったの……」
ルナシェの瞳は、ミンティア辺境伯家の初代である、魔術師の瞳の色と同じだ。
アベルとともに受け継いだ瑠璃色は、ミンティア辺境伯家の色であると同時に、数世代に一度しか現れない。
一世代に二人も、この瞳の色を持って生まれるのは、とても珍しいことなのだと、ルナシェは乳母から聞いたことがあった。
「しかし、あなたは小さなつぼみが大きな花を咲かせるかのように、変わった」
「……そうかしら?」
(そんなに変わったつもりはないのだけれど……?)
確かに、周囲貴族との均衡を考えて避けていたお茶会や夜会には、積極的に参加するようになった。
それに最近は、してみたいと思ったことは全部挑戦することにしている。
(全部、ベリアス様のおかげだわ)
窓の外を眺めるルナシェの視界に、赤い色彩が目に入る。
「ベリアス様!」
ほんの少し離れていただけなのに、ベリアスが戻ってくるとルナシェは素直に喜んでしまう。
馬車の扉が開かれて、ベリアスから手が差し伸べられる。
ルナシェがそっとその手を取った瞬間、スルリとその手は離されて、脇の下を持って抱えられる。
細くて軽いルナシェの体は、まるで羽が生えたようにクルリと舞った後、地面に足がつく。
「ルナシェ……。ギアードの領主の館は、ミンティア辺境伯領との境近くにある。だが、ここから先は、馬車で向かうのは難しそうだ。馬で行こう」
「馬ですか……」
兄のアベルは、馬を乗りこなしていたが、ルナシェは乗ったことがない。
「大丈夫だ。ほら」
ベリアスは、連れてきていた馬に乗ると、馬上からルナシェに手を差し伸べる。
その手を掴んだ瞬間、ほとんど腕の力だけで、ルナシェは馬上に引き上げられていた。
「思ったより……高いです」
「大丈夫だ、そのまま寄りかかっているといい」
ベリアスのたくましい体に寄りかかれば、少しの恐怖はすぐにルナシェの中から消えてしまった。
「馬車を置いていく以上、進まなければルナシェを野宿させることになってしまう。行こう」
「は、はい」
はじめはゆっくりと。徐々にスピードを上げて、馬は走って行く。
さすが、騎士団長を務めるだけあって、ベリアスの乗馬の腕は素晴らしいものだった。
「ほら、美しい景色だ」
「さすがにそんな余裕はありません」
「そうか」
ルナシェは領主の館に着くまでの間、ただベリアスに必死で寄りかかっていた。




