過去と現在とやり直しの狭間
***
いつの間に帰ってきたのかと、ベリアスは戸惑った。
確かに、意識を失ったのは、合流地点の雪の中だったはず。
しかし、目の前に、なぜか緊張した様子のルナシェが立っている。
『…………ベリアス様に、会いたかったからです』
そう言ったルナシェと、微笑みの仮面をかぶったような今のルナシェはどこか違う。
瞳が美しく輝く瑠璃色のなのは変わらないまま、けれどどこか深淵をのぞいてしまったかのような闇が、それでいて感情豊かにコロコロ変わるかわいらしい表情が、目の前にいるルナシェにはない。
「……あ、ルナ」
その瞬間、あまりに優雅にルナシェが淑女の礼を披露した。
ベリアスでさえ、一瞬動きを止めて見惚れてしまうほどの礼だった。
先ほど浮かんだのは、ただのベリアスの想像だったとでも言うように、時が再び動き出す。
「……ベリアス・シェンディアだ。たった一人で婚約式をさせてしまったこと、申し訳なかった」
「ベリアス様は、この国の平和を守るために戦っておられたのです。民のため、責務を優先させるのは、当然のことですわ。……お待ちしておりました。無事のお帰り、心からお慶び申し上げます」
他人行儀で、あまりに模範的な言葉。
ベリアスは、恋い焦がれてルナシェとの婚約を手にしたが、ルナシェにとってはやはり政略的な婚約でしかないのだろう。
少しの落胆を押し隠して、ベリアスは微笑んだ。
――――だが、本当にそうだっただろうか、とベリアスは記憶の片隅で思う。
どうして、こんなルナシェの様子に違和感を感じるのだろうか。
たった一目見たあの日から、あんなにも思いを募らせたルナシェ。
だが、目の前にいるルナシェは、どこかいつものルナシェとは違うと……。
そんなはずはない。ベリアスとルナシェは、あの一瞬の出会いから、その後会うことができなかった。
明日をも知れぬ戦場で、もう一度会いたいと願ったルナシェは、今、ベリアスの目の前にいる。
「そうか、ルナシェと呼んでも?」
「はい。うれしいです……。ベリアス様」
一瞬だけ、潤んだ瞳でルナシェがベリアスを見つめたような気がした。
その胸と耳元には、ルナシェの瞳と同じ、瑠璃色の宝石が輝いている。
もし、本当に戦いが終わったのなら、ベリアスの色をまとってほしいという願望が浮かんで消える。
そう、もし生きてルナシェと幸せに暮らせるのなら、と言う話だ。
ただ、甘やかに。優しく、真綿にくるむように。
副団長のジアスに、若い女性が喜ぶものは何かと聞いたところ、花と、甘いお菓子と、宝石やドレスだろう、と言っていた。
ベリアスは、ルナシェのためにすべてを取り寄せた。
だが、甘くて緩やかで幸せな時間は、たった三日間だった。
ベリアスに届いたのは、ドランクの砦が陥落したことと、副団長ジアス・ラジアスが戦死したという知らせだった。
「生きて帰れるか、今度こそ分からないな」
砦が陥落したのもすべて、団長であるベリアスの失態だ。
別れの日、食卓に向かい合って座ったルナシェの髪に、ベリアスはそっと赤い花を挿した。
ルナシェに見せたくて、苦労して取り寄せた花は、まるで、いつかこの色の宝石を贈りたいというベリアスの願望そのものだ。
だが、明日をも知れぬ戦場へ行くベリアスが、ルナシェに残すのは、いつまでも残る宝石よりも、刹那美しく咲き誇る花がふさわしいに違いない。
そして凄惨な戦場から、ほんの一日帰った日。
それは、ルナシェとベリアスの結婚式。
白い大人びたドレスをまとったルナシェは本当に美しかったが、ベリアスは本当は自分が贈ったドレスを着てほしいと思った。
たった一日だけ再会し、引き裂かれるように戦場に戻ったベリアスは、ルナシェの元に帰ることはできなかった。
倒れ込んだ地面、赤い血の色に、恐怖や悲しみよりもあの花を思い出す。
「…………もう一度、会いたい」
もう一度会えたなら、素直にベリアスは気持ちを伝えるだろう。
そして、抱きしめて……。
――――夢の中で過去の記憶と、現実が混ざり合う。
ベリアスは、陥落したはずのドランクの砦にいた。
少し開いた天幕の隙間から、あんなにも会いたかったルナシェが顔を出す。
「……どうして、こんな危険な場所に、君がいる」
先ほど倒れ込んだはずのベリアスの目の前に現れたルナシェは、なぜか茶色の素朴なワンピースに白いエプロンを身につけていた。
これは、ベリアスが死ぬ間際に見ている、ひとときの夢なのだろうか。
「だが…………夢なら、醒めないでくれ」
場面は切り替わり、最後にベリアスが見たのは、美しかった白銀の髪を乱れさせ、断頭台の前に乱暴に座らされたルナシェの姿だった。
ルナシェは、瑠璃色の宝石を握りしめて、ただ「ベリアス様、もう一度お会いしたい……」と、だれにも聞こえないほどかすれた小さな声でつぶやいた。
それは、ベリアスとルナシェの最後の祈りだ。
二人の願いはただ、もう一度会いたい。それだけだった。
瑠璃色の宝石からあふれ出した魔力。
二人の人生のやり直し。
急に全身の痛みを感じて身をよじる。
手が握られている温かい感触を心地よく感じながらベリアスは目を開いた。
「ベリアス様……。お会いしたかったです」
目の前には、泣きはらした真っ赤な目をして、それでもけなげに微笑むルナシェがいた。
「俺もだ。ただ、君に会いたかった……」
寝台に横になったままのベリアスを、ルナシェがそっと上から抱きしめた。
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