120,橘 悠人の過去(生い立ち)2
ついでなので、小学生時代にやったあまり意味がなかったかもしれない練習をいくつか紹介しようと思う。
1.竹刀の先に重りをつけての素振り。
これはもしかしたら意味があったのかもしれないが、手首が痛くなるだけでほとんどできず、腱鞘炎になるぞという父親からの突っ込みでやめることにした。
2.飛んでくるボールを避けたり、竹刀で防ぐ。
これは兄に協力してもらって、兄にボールを投げてもらってそれを避けたり無理な場合は防ぐ。これは中学入学までやっていた。意味はたぶんなかったと思う。
3.山道などの悪路を走るマラソン。
これは高校卒業までやっていた。続いた理由は同じような平坦な道を走るよりは楽しかったからで、意味があったのかはわからないがつづけられた。
4.電車の中に乗っている人を外から見る。
これは父親に、昔見た漫画でやっていた動体視力の鍛え方と教えてもらったもので、何回か踏み切り際に立ってやってみたが、そもそも地元がそこまで都会ではなかったのでそこまで連続して電車が通ることもなく、あまり実践できなかった。しかし一応線路の踏切で止まった時は今でも一応実践している。
そのほかにもいろいろあるのだが、ほとんどすぐにやめたものなので割愛させてほしい。
中学生になってもこれはと思ったものは取り入れてやってはいたが効果はあったのかは定かではない。
一番身になったのは、やっぱり道場での稽古だったと思う。あたりまえだろ!と思うかもしれないが、そこは稽古相手は毎回適当に決められるので、同年代の子供と稽古することなどまずなかった。
大体年上で有段者な相手と毎回稽古させられるのだ。もちろん相手はかなり手加減してくれているのだが、それでも毎回手も足も出ず何もできない面白くない日々が続いていたのだ。
我ながらよくやめなかったものだと思う。多分こいつら全員に一回は一本取るまではやめられないという闘志に火がついていたんだと思う。
そこでも俺は勝つためにいろいろ試し、待ち時間に他の人たちの試合を観察してどういう動きをしているのか、その動きが何を想定しているものなのか考えながら実践していった。
そういったことが功を奏したのか、小学校を卒業するころには勝てることはほとんどなかったが、少なくとも手も足も出ずに負けるということはなくなってある程度は渡り合えるようになっていた。
中学生になって、少しづつ道場内での勝ち星が増えていき、その勝率が何とか五割を超えるようになっていたころの中学三年生の時の大会で個人戦で全国制覇ができたのだ。
この時の嬉しさは今でもはっきりと覚えている。道場の人たちも自分のことのように祝福してくれて、家族も一緒になってお祝いをしてくれたのだ。
そしてこの時が、俺の剣道に対する情熱が一番あった時だったように思う。




