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 色々なことが動き出すちょっと前の、ちょっとした時間の隙間。

 ごーりごりと何かをすりつぶす音が聞こえてくる。

 あんまり馴染みはないが出来ればかぎたくない臭いがさわやかな風になって乗ってくる。口に入れるなんて考えたくもない。

 窓は全開にされていて風通しもいいのだがさて、この臭いはいつになったら撤退してくれんだろうな。

「ほーらレイちゃん僕を見てー」

 部屋の面積に対して密度が高い。せいぜい二人用の部屋に今は四人。一人はちみっちゃいから三人といってもいいかもしれないがどちらにしろ狭っ苦しいことに変わりはない。

 一時、貸し出している状態とは言え、ここは俺の部屋だぞ一応。

「なんでてめーらここに集ってんだよ。昼間ぐらいソロ活動させろ。四六時中一緒にいるとか拷問じゃねーか」

「下に降りると他の人の迷惑になるじゃないですか」

 俺に現在進行形で迷惑掛けてるじゃねーか。

「ここにレイちゃんがいる。つまり、ここが僕の居場所さ」

 決め顔の変態はぶれない。

 俺がけち臭い悪徳オーナーなら部屋のご休憩料金を法外なお値段でふんだくっているところだ。

 窓際に腰かけてせめてこの異臭から逃れようと健気な努力に勤しむ俺は部屋を見回した。

 手品の真似事をしているのはディオスだ。手を握って開いた次の瞬間には小さな花が握られていたり、右手に収めたはずのコインが開いてもなく、いつの間にか左手に移動していたりと。

 そいつを間近で見せられたレイは微妙に首を傾けて不思議そうにしていなくもなさげだ。手品を見せる相手としては上等だろうよ。

 そんなレイを見て、ディオスはいつも通りに有頂天になりながら身悶える。目の毒だぜ。

「メネルキ、ムオル、イァリシャンの葉と暗室で寝かし続けたシュトシャンの根」

 ハルはなんか雑草みたいなもんを混ぜ合わせて何か作っている。

 ディオスはまだいい。いつものことだから。本当にやばいのこっちだ。

「乾燥させたアルマルディの肝とノスフーの目玉の粉末」

 アルマルディは蝙蝠。人間の頭よりもでかい魔獣の一種。蝙蝠としては珍しく単体で活動する。おそろしく獰猛で自分の体よりもデカい動物を主食にする。グルメで好物は、脳。たまに人間も餌食になる。

 ノスフーとはヤモリっぽい生物。当然、魔獣の一種。やはりでかい。ぎょろりと人を睥睨する複眼がキュートな生物界のアイドル。主に肉食で強酸性の猛毒を吐き出し、溶けた生き物を捕食する。たまに人間も餌食になる。

「あの、ちょっと、ハル。ハルさん。いやハル様。人の部屋で堂々と毒物兵器を製造するのは止めてくれませんか」

 鼻歌交じりにそんな気持ち悪い生物から精製されたらしき何かを楽し気にかき混ぜる姿は控えめに言って、魔女以外の何物でもない。

 あの連中の言ってることは正しい事実だったのかもしれん。こいつは魔女だ。間違いない。

「今、精密な作業してるので声掛けないでください。失敗すると爆発します」

「爆発だぁ?」

「カナタさんの」

「俺の⁉」

「………………」

「言えよ! ちゃんと最後まで! 気になって夜も眠れないお年頃になったらどうしてくれんだてめえ、あんこら⁉」

 なんで可哀そうな目でこっちを見てんだこいつは。どこ見てんだこいつは。なんか股にも視線が走った気がするぞ!

「まぁまぁ、カナタのナニが爆発しようがいいじゃあない。どうせ使い道もないのだし」

「お前、いま、ナニって言った? ナニってなんだよ? 未来は無限大なんだよ可能性に満ち溢れてんだよ世界は拓かれていくもんなんだよフロンティア精神が宿ってんだよそこには!」

「早口やめてくれません。気が散りますから」

 っかー! このクッソアマ! っかー!

 そのクソアマは毒物としか思えない緑色の液体をこさえていた。臭いだけで眩暈、吐き気、喉の痛み、食欲減退、精力減退にあれ、涙が出てきたぞ。

 いつも余裕ぶっているディオスも流石にこれには引いた。引きまくっている。

「あとはオフェリア山の精製水を沸かせたお湯に混ぜて完成、です」

 一段落着いたらしい。

 辿り着いたそこは、きっと人が踏み入れてはならぬ悪魔の領域。いやさ魔女の業。

 それがなんなのか、見てはならぬ聞いてもならぬし言うてもならぬなんて格言になぞらえて、見ても聞いても言うても悪しきものなのは間違いないだろう。

「どうぞ」

「「え?」」

 野郎ども 末期の酒に 酔いしれり 次の世こそば 幸せにならばや

 字余りまくりと辞世の句を詠んでしまうほど、それは絶望に満ち満ちたゲスい緑色をしていた。

「「え?」」

 二度言わざるを得ない。え、と。

「毒見です」

 そう言って、ハルは毒物を嚥下した。

 やばい。自殺だ。俺が寝泊まりする部屋が自殺の現場になってしまった。

 なんてこった。俺は緑の毒物を生み出した犯人として捕まったと明日には報道されるだろう。緑色の刑務所に入り、緑色の刑務作業をやらされ、緑色の相部屋に入れられて緑色の囚人たちに囲まれて緑色の死刑囚として緑色の脱走をして緑色の王として緑王建国伝説まで作り上げてしまうんじゃなかろうか。

 まずは何をすべきか。そう、死体の処理である。俺の煌士生活で得たろくでもない知識を活かすのは今しかなかった。

「あ」

「「え?」」

 男どもが我に返るとちっちゃな子が遠慮なく、躊躇なく、怯える素振りも見せずにぐいっと一気に飲み干した。酒場のおばちゃん酒豪に勝るとも劣らない飲みっぷりだった。

 さらに、頬がぷっくりと膨らんだり萎んだりを繰り返している。

 嘘だろこいつ。舌の上であの毒液を転がしていやがる。ソムリエ。毒ソムリエ。いつもは小さなレイが今は後光差す巨大な姿に見える。

 それに比べて俺たち男どものなんという卑小さよ。このままでは男の度胸に矜持に沽券、その他諸々が微塵となって爆ぜるだろう。

 けぷっと飲み干したレイは何事もなさそうだった。

 俺とディオスは視線を交わす。

 やらいでか。

「「一気ー!」」

 腰に手を当て仁王立ち。首が折れるほどに傾けて、コップの中身を飲み込んだ。

「「ゲハー!」」

 カナタ・ランシア。星歴千〇十二年。皇国西方の田舎街ブルーノにて服毒死。享年十七歳。彼の墓には銘はなく、ただ、無辜なる人々の祈りによって、その魂は慰めらるとのことであった。

 ……。

 ……。

 ……。

 はっ。

 気づいた時、俺は懐中時計を握りしめて天井を仰いでいた。染みの数すら覚えている見知った天井だった。

 あれから三十分ぐらい経っているらしい。時計は変な光を放ったりせずにごく静かに普通に秒針を刻んでいる。

 傍らにはディオスが微笑みながらもうなされるという奴らしい有様で転がっていた。そのうち死体になるだろうから今のうちに遺体処理班を呼んでおきたい。

「ダメだよ~サラそんなもの食べちゃらめ~」

 旅立った妹の名前だろうか。幸せそうに見えなくもないので起こすのは止めてやった。

 立ち上がるとふらついた。

 水、水、水。水をくれ~。口の中で加齢臭が爆発したかのような不快感に俺の本能が清水を求めて呻きだす。

 差し出された水を受け取ってちびりちびりやって、ようやく定位置の窓際まで帰り着いた。

「……常世が見えた」

 父親と母親が胡散臭い笑顔で手招いてた気がする。

「良薬口に苦しってやつです」

 顔色一つ変えずにさらりと言葉を吐くハルを俺はちょっと尊敬する。薬師ってすごいわ。あんなん飲んで平気とか化け物だわ。きっと味覚と消化器官が腐っているに違いない。

「お二人に飲ませようとしたのはただの滋養強壮剤です。毒性はありません」

 っかー! このクッソアマ! っかー!

 ハルが作っていたのは喉の炎症を抑える為の薬湯だ。

 俺が旅立っている間にレイは寝入ったのか起き上がっている時よりもさらに人形めいた印象を強くしていた。

 その側でハルがじぃっとレイを見つめていた。

「この子のこと聞いていいですか。なにが原因でこうなったのか。喉の炎症は何かしらの毒物です。何を飲まされたのか分かりますか」

「知らん」

「他にも目元と唇。他にも耳。手足。縫い合わせていたような痕がありました。私はお医者様ではないので断言は出来ません。信じがたいですが、この子はまるで胎児のように生かされていたということではないでしょうか。何も見えず、何も聞こえず、何も食べられず、手足一つとして動かすこともできないまま。だからこんなにも欠落している」

「ハル先生はそれについてどう思っているんですかね」

「ふざけてるんですか」

「別にふざけちゃいねぇよ。お前がどう思っていようがそいつはもう終わったことで変えられない過去だ。そしてこいつは今を生きている。目玉はありのまんまの世界を見るようになったし、耳は些細な風の音まで聞けるようになった。食いもんなんざ口にしたこともなかったのに今は食べられるようになった。大切なのは、こいつが多少なりとも人間らしくなったってことだ。そしてそいつはこれからも続く」

 前途は多難にすぎるけども。

「なあハルよ。お前は人間が神さまになるにはどうしたらいいと思う」

「……それは、何かの面白い意味を含んだ冗談ですか。解説を希望します」

「残念ながらなんの冗談も含んでいない大真面目な質問です。以上、解説でした」

「人間が神さまになれると、私は考えません。女神さまのように人々の信仰を集め心の拠り所として超然として実存していながらもその実体は現実とは切り離れているのが神さまというものだと思っているからです。人間みたいな様々な意思を持った命はだからこそ、神さまにはなれないというか、なんというか。これって哲学か神学の話ですか」

 笑った。

「それ。超然。それこそが神さまに至る道。そこに人間性という不純物は必要ない。あれが欲しいこれが欲しい。こうなりたいああなりたい。どんなに神さまっぽい力があったとしてもそんな人間性を持った存在は神にはなりえない紛い物。自然合一。その極地。人間にとっちゃ何の益もない馬鹿な真似を試み続けてきたやつらがいた。それがエリス」

 だけどそれは無残に砕けた。自我、意思、心。不純物の入り込んだ人形は神さまにはなれないと放り出された。

「レーヤダーナ・エリスは神さまになるはずだった子どもなのさ」

「神さまになるはずだった子……」

 そこで何か引っかかったみたいな意味深な沈黙。だけどそれ以上続くことはなかった。ハル自身がまとめきれなかったのかもしれん。

「んん、なんだか煙に巻かれた気がしてよく分かりませんが、結局、カナタさんはこの子をどう思っているんですか」

 どう思うもなにもない。約束と意地があるだけだ。真っ正直に、そんなことを言いはしないが。

「ちょっとばかし手がかかるだけのただのガキんちょ。他の奴らがどう思うが俺にとっちゃそれでいい」

 それはそれとして、俺としても気にかかることがある。

「ハル。お前こそなんでこいつをそんなに気に掛ける。俺がどう思っていようがこいつが普通じゃないのは誰だって一目で分かる。気味が悪くて怖くなるだろう。目をそむけたくなるだろう。遠ざける奴はいても自分から近づく奴は変人しかいないぞ」

「喋らないところなんかが昔の私にちょっと似てるかなって思っただけです。だから、自分が受けられなかった普通を受けるこの子を見れば、少しは自分が慰められるかなって、そう思ったんです。それだけです」

 そいつは助かるね。こいつには圧倒的に対人経験が足りない。かといって、うかつに人前に出せば石を投げつけられるまである。

 だからまぁ、こいつと接してくれる人が増えるのは歓迎する。

「エリスというのは本当に薄暗い一族だったんだねぇ」

 起きていたのかうっすらと目を開けたディオスが呆れたように漏らした。

「エリスは昔から続く一族だけどあまり知られてなくてね。皇族の墓守を任されてるって以外よく分からないのさ。表に出てくるのが葬式ぐらいだから不吉だっての通説だったんだよ。だから色んな噂が横行してたねぇ」

「例えばどんなよ」

「んー、やっぱり薄暗い物が多かったねー。親元を失くした幼子を集めては素質ある者をだけ摘まんで残った子は捨て去って魔獣の餌にしたりとかー。エリスが枕元に立つとその一族の誰かが死ぬとかー。エリスを泣かせると不幸に見舞われるとかー。エリスは星の子を自らの手で作り上げるとかー。エリスはみな人間とは思えないほど美しいが触れれば命を吸われる。その美貌は吸われたものの命そのものであるーなんて、幽霊かなー。レイちゃんに吸われるのなら僕は本望なのだけれどね」

「あーはいはい。吸われたらいいな」

「ところでカナタ。君はどうしてレイちゃんに尽くすんだい。もちろん、子どもだからという理由もあるだろうけど、君がどれだけ義理堅い性格してても養育辺りは誰か任せにするような気がするんだけどね」

「別に尽くしてるつもりはない。お前の言う通り誰かに任せた方がいいっちゃいい」

 ぶっちゃけ子どもの世話なんざ面倒以外の何物でもないし。

 ただまあ約束した手前、見続けんわけにゃいけねぇだろ。

 そんだけだ。

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