29.前に進むために クラレイ
朗々と語る教師の言葉などもう耳に入ってこない。板書をそのまま写すだけに切り替え、意識をヒッポグリフに向ける。完全に目視できる距離にいるヒッポグリフは、他の人に見つかったらどうするつもりだろうか。
リーリア自身が見つけたら激昂しかねない気もする。幸いにも、ここは王宮ではないので、其処に勤めるリーリアの兄らはいない。それだけはマシかも知れない。
彼らがヒッポグリフを認めたら即座に撃ち落とす準備をするだろう。授業中でなければ俺もそうしたい。
(見張りって、なんで。お前がひっそりリーリアを見てればいいだけだろ)
『ごちゃごちゃ五月蠅い小童だな。我が傍におれぬから貴様に任せてやると言う話だ』
(聞いてないし、お前に頼まれなくても……)
『そうか? ならばあの子の傍にいろ。毒の匂いがする。近くにいる毒使いを締め上げろ。いいか、やり直しは聞かないんだ』
(言われなくても分かって――)
『わかっておらぬ。あの子は、目を離すと死ぬ。……前も、そうだった』
(前……?)
ヒッポグリフは急に黙った。無視したくとも無理矢理脳内に声をぶつけてきていたのに。うっかりと重大な秘密を洩らしかけ、賢明に口を噤む。
能天気な相手だったらどんなに良かったのだろう。恐らくもう、ヒッポグリフは先程の件については言及することは無いだろう。仮に、話してもいいと思われるまでは相当に時間がかかるだろう。
ヒッポグリフは何かを隠し、何かの目的があり、リーリアに近付いているのは明白だ。
だが、まるで見当がつかない。きっと、リーリア本人も分かっていないだろう。
『いいか、あの子は……体が小さいままだ。毒は少量でも命取りだ』
一方的にヒッポグリフは俺に畳み掛ける。
ひしひしと刺さるのではないかと思う程に、鋭い眼光に皮膚の表面を焼かれるみたいだ。
『装飾具など、意味が無い可能性もある。傍に、控えていろ』
音もなく、背中の羽を広げ、空にある見えない滑走路を駆けて行く後姿に、思わず溜め息が出る。
面倒事は増える。日々。何処からか飛び込んでくる。
(あ、授業が終わる)
だらだらと考え事をし、ヒッポグリフの来訪の対応をしているうちに、授業が終わる時間だった。
次は、俺もディナルドも空きコマだ。リーリアは授業があると言っていた。
何処か、空いている部屋を借りてディナルドに事の顛末を説明した方がいいだろう。
今後、ディナルドの力を借りる事は勿論出てくるだろう。
俺一人では、手に余る事態にならないとは言い切れないのだ。
授業を終え、ディナルドに声を掛ける。彼は鷹揚に頷いて、荷物をすぐに纏めると俺と連れ立って歩き始めた。俺は背が高い方ではあるが、ディナルドはさらに高い。
筋肉ががっしりとその身を覆うディナルドは、まるで壁の様だ。正直、対峙して勝てる気がしない。
俺達二人は、背が高くとてもよく目立つ。人が沢山いる場所でも、頭一つ分上に出る。
探し物をする時には便利だろうが、普段は別に利点を考えたことは無い。それが当たり前だったから。
でも今は、人の顔が良く見えるのが、少しばかり嫌だ。表情には感情が乗る。人の気持ちを推し量るには、表情を見るのが一番。
(貴族とはいえ、まだ学生の身。完璧に感情を隠せるのはほんの一握りだろうな)
ひしひしと感じる。俺とディナルドの仲を良く思っていない人々。
実際に、ディナルドとなぜ仲良くしているのかと問う者もいた。彼の見た目で勝手に怯え、言葉少なな姿に誤解をし、見当違いの助言に見せかけた文句。
「ディナルド、図書室でいいか?」
「あぁ、構わない」
早速図書室に向かい、勉強に集中する為に用意されている個室の一つに入る。
かつて、リーリアとも使ったことがある。大体四人組で満杯になる大きさだ。
しっかりと扉を閉め、カフスボタンの形をした魔導具を起動させる。念には念を。
今起動させた魔導具は、音声認識阻害効果を持つ。ざっくり言うと、何か話しているのはわかるが、靄がかかったみたいに、内容までは聞き取れないと言うものだ。
悪意は何処に潜んでいるかはわからない。聞き耳を立てる者がいないとも限らない。
向かい合って座り、何処から話をするべきか、頭を働かせる。
だが、考えるよりも、自然に体が動いた。
「ディナルド、話をするのが遅れてすまない」
「な、……クラレイ、頭をあげてくれ」
立ち上がり、ほぼ直角に腰を折ると、ディナルドの焦った声が降ってきた。
いつからだっただろうか、彼が、俺が、互いに愛称で呼ぶことを止めたのは。
離れた心の距離を感じ、微かに胸が軋んだ。
何処に需要があるかわからない、ほぼ自己満足の習作ですが、評価やブクマ、嬉しいです。
数よりも、読んで、評価をしてくださる方がいるという事実が本当に嬉しいです。
今後も精進致しますのでぜひお付き合いいただければ幸いです。
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