恋は焦らずと言いますが(3)
「リド」
「はい」
「お前が選ばれたのだとしても、俺は大人だろうが子どもだろうが馬鹿な奴は傍に置きたくない」
「……はい」
「だから、俺の質問に答えてみろ」
「試験というわけですね! 頑張ります」
きりっと表情を引き締めて、俺を見据えるリドは幼いながらもなかなか凛々しい。あと数年もすればかなり見栄えのする青年になりそうだ。
(さて、何から答えさせるべきか――。順を追うなら、古いところから攻めていくべきか?)
国で崇められているらしい、神様のことでも聞きましょうかね。
「では、ヒュゴとは?」
「太陽神ギルエギナ様に願いを聞き届けられし救世主。セッダの英雄にして守護神です」
守護神か。宗教国家ってことだろうか?
でもこの世界でいう神様って存在が、どう定義されてるのかわからないしなぁ。偶像なのか、過去の偉人なのか。
場合によっちゃ、王様がイコールで神様ってこともあり得る。
魔導師がいるんだから、案外神様も普通にいたりして。
「なぜ、セッダの守護神に?」
「ヒュゴ様はセッダの最初の王で、元はこの地に住んでいた狩人です。この地はかつて、陽射しを嫌った水精霊の傲慢によって空を厚い雲に覆われておりました。それ故に、人々は苦しい生活を余儀なくされていたのです。それを憂えたヒュゴ様は、この大地に光を取り戻そうと、天に祈り続けました。その祈りは聞き届けられ、ヒュゴ様は太陽神様から神器を授るのです。ヒュゴ様が弓の名手だったからか、それは白金に輝く大弓でした。ヒュゴ様はその弓矢を、ギナカエラと名付けました。古い言葉で、『切り開くもの』という意味だそうです」
憧れのヒーローの話を夢中でする子どものように、リドの瞳が輝く。
「ヒュゴ様が一の矢を上空へ放つと、空を覆っていた雲は払われるように霧散し、大地は光を取り戻します。そのことに怒り狂った水精霊がヒュゴ様を襲いますが、ヒュゴ様はその水精霊を二の矢で射貫き、見事封じられました。水精霊を封じた矢は大地へ突き立ち、見る間に大樹へと姿を変えたそうです。そこを中心に泉が湧き、光を取り戻した大地と大樹から放たれる神気に惹かれ、数多の精霊が集まる聖地となりました。ヒュゴ様はそこに神殿を建て、セッダという国を興されたのです」
ヒュゴは守護神であるまえに、文字通り英雄らしい。
ようするに、この地を救った英雄が国を興して王様になり、死後は国民によって神格化したってことか。
「水精霊はどうなった?」
なんとなく、大樹に取り込まれた(?)水精霊の末路が気になった。自業自得だし、それ以降の話などないかもしれないとも思ったが、意外な答えが返ってくる。
「大樹の核となった水精霊は、暫くしてから神力を含む泉の力で復活し、以後は改心してヒュゴ様を守護するようになります。ヒュゴ様は水精霊を赦し、ナディアという名をお与えになりました。真名を手に入れた水精霊は泉の女神として生まれ変わり、いまなおヒュゴ様と共にセッダを守護してくださっています」
思いっきり神話だ。神様の話をさせたんだから当然だが。
太陽神と月女神のことも気になるが、あまり神様の話ばかり引っ張っても仕方ないので、舞台を大昔からちょっと昔に移すことにする。
俺はさもリドの答えが満点だというように大仰に頷いて、質問を切り替えた。
「では、背約者とは?」
「ラウフという、元は宮廷魔導師だった男です。セッダに恵みを与えてくださっていたナディア様を騙し、裏切り、その力の一部を奪った大罪人です」
なるほど、それで背約者か。
(つか思いっきり女神が直接絡んできてるし)
先に神様のことを訊いといてよかった。この際、神の存在については素直に受け入れようじゃないか。ここまで話に絡む以上、この世界で神と呼ばれる者は存在を確信できる形で君臨しているんだろう。
「ヴィナ・ユナとは?」
「ナディア様の力を手に入れたラウフから、その力を分け与えられた者のことです。特徴として……瞳が紫色をしています」
「なぜ?」
「ナディア様が、美しい紫色の瞳をしているのだそうです。人間は身の内に宿す魔力が強いほど、その影響が瞳の色にでますから……」
「そういう仕組みか」
「え?」
「いや、なんでもない」
危ない。思わず口にだしちまった。
というか、この話の流れだと、俺は本当にヴィナ・ユナである可能性が高い。俺に力を与えたのは美女だったが、相手が魔導師であるなら、手段は色々とあるだろう。
むしろ問題は、なぜ俺にその力を与えたのかだ。男装女が言うようにここが本当に異世界なら、何もわからない俺はそれだけで不利なはずなのに――。
(一体、俺に何をさせる気なんだ?)
それを知るには、ラウフとやらの目的を確かめておくべきだろう。
「奪った女神の力で、ラウフは何をした?」
「謀反です。皇帝陛下を弑逆し、皇位を手に入れました。以降、十八年間、ラウフによる独裁が続きます。祖母はその時代を地獄だったと言っていました。ナディア様もお隠れになってしまったため、水の恵みを失った大地は瞬く間に枯渇し、砂漠化していったそうです」
リドの祖母は、その地獄を生き抜いたのだろう。リドの口調は重く、眉間に皺を寄せる姿は、まるで自分が苦しみを味わっているようだった。
それを見る限り、リドの態度が若さや無知からくるものだとは思えない。リドは認識が甘いというより、度胸があり賢いのだ。
口にしてしまってから慌てて口を押さえるあたりが、ちゃんと子どもだが。
「あ、しっ、失礼しました。決して、オトヤ様を批難したわけでは――」
背約者のことを悪く言われたところで、俺にはやつを主と崇める意識はないので気にはならない。
(でも、だからといってスルーするのも不自然か?)
俺は少し考えてから、わざと笑顔を作った。リドの答えから、新たな質問を拾ってやる。
「その地獄は、なぜ終わった?」
含みのある俺の問いに、リドの顔が少し引き攣る。
「じ、従者の機転でただ一人逃げ延びられたご側室が、身籠もられていたのです。民衆に守られ、無事にお産まれになった第十八皇子ハムザ様が、長じてのち挙兵し、背約者を帝宮の地下深くに封印することに成功しました」
ヒュゴに続く英雄か。ハムザも国民に人気がありそうだ。
「じゃあ、闇祓いとは?」
俺の質問にリドの瞳が戸惑いに揺れるが、それでも答えることはやめなかった。
「背約者に荷担した者総てを狩りだし、粛正したことを後に闇祓いと称するようになりました」
俺が現れたことに対して、ファリス達があんなにも動揺していた理由はこれか。
ヴィナ・ユナが存在するということは、セッダが未だに背約者の呪縛から逃れられていないということだ。
知らなかったとはいえ、勢いに任せてヴィナ・ユナを騙った俺は、愚かだったかもしれない。
(そう思ったところで、今更だけどな)
「そしてお前達は、女神の不在に苦しむ時代を生きている、というわけか」
「はい」
ナディアの帰還を、希う日々。
ファリスはシェラディアのことを「ナディアの恵みを授かるための旅」だと言っていたが、その実は赦しを請いに通っているというわけだ。
得た知識を整理しつつ、俺は更に質問を重ねようとしたが、唐突に灯りが消えた。
「ん?」
「あっ、申し訳ありません」
手のひらで掴める大きさの油燭だったので、長く灯っていられるほど燃料が入らないんだろう。俺の質問攻めのせいで燃料の継ぎ足しを失念していたらしく、リドが慌てて動く気配がした。
「待て、急がなくていい」
制止させるために強く言ったからか、リドが息を詰める。言葉の真意を探ろうとする気配が、暗闇から伝わってきていた。
駱駝兎の足が砂を踏む音に混じって、リドがごくりと唾を呑む音がする。
「急がなくていい」
今度はゆっくりと言う。すると、幾ばくか安心した気配を纏った声音でリドが返してきた。
「はい。しかし――」
「寛いでるだけなんだから、直ぐに灯りが戻らなくても困らない。それより慌てたお前に踏まれる方が迷惑だ」
「そんなっ」
そんなことはしないと、リドが抗議しようとするのを遮る。
「いいから、闇に目が慣れてから動け。転ぶな、零すな、踏むな。いいな? それがちゃんとできたら、俺の傍にいることを許してやる」
俺は効率の悪いことが大嫌いだ。やるべきことが確実にできる状態になってから的確かつ迅速にやらせる。そうすることで俺が快適に過ごせる時間が最も増える。
焦って失敗して二度手間もしくは余計に手間が増える、なんて最悪だ。
「……はい。オトヤ様」
どこまで俺の考えを理解したのかは知らないが、薄闇に聞こえた声はどこか熱っぽかった。
◇ ◇ ◇
今日の昼の陽射しをやり過ごすオアシスにつくと、ファリスはすぐに俺のところに来た。
正確には、リドのところに。
俺に何かされていないか心配だったのか、それとも監視の内容が気になったのか。どちらにせよ後ろめたいことはなにもしていないので、大人しく二人の会話が終わるのを待ってやった。
会話の途中でちらとファリスがこちらを向くたびに、わざとらしい笑顔を見せてやったりはしたが。
「――不便はなかったか?」
「あんたがいなくて寂しかった」
そう言って腕に絡みついてやったが、俺が期待した表情をしてくれたのはリドだけで、ファリスはぴくりとも動じなかった。さすがに俺の存在に慣れてきたらしい。
表情や態度から動揺や戸惑いは消えて、嫌悪だけが残っている。腕を振り払わないのは、俺の機嫌を気にしているからだろう。
学校や近所で僻まれたり、祖父の過去の所業についての嫌味や恨み言をぶつけられても気にならなかったが、相手がファリスだと勝手が違うようだった。
俺が不利になるだけなので顔に出しはしないが、冷たい態度や視線はそれなりに痛い。
リドは輿の中でだけ傍につくらしく、俺に辞去の挨拶をすると野営の手伝いに走って行った。それを見送ってから、ファリスと一緒に移動する。
俺がファリスにべったりとくっついていても、周囲の人間は何も言わなかった。むしろファリスに対して、畏敬の念を感じさせる礼をとる者が多い。
俺が無理矢理くっついてるのは一目瞭然だし、ファリスが自分を犠牲にして忌むべき存在を引き受けてくれているとでも思っているのだろう。
(まあ、間違ってねぇけど)
野営の準備が進められる中、ファリスの天幕はとっくにでき上がっていた。
中に入るなりすぐに食事が運ばれてきたが、それに手をつける間もなく、色んな人間がひっきりなしに報告や指示を仰ぎに来るので落ち着かない。
(この旅隊の指揮官みたいだし、仕方ないっちゃ仕方ないんだろうけど……)
ようやく訪問が途切れて一息つけたのは、食事がすっかり冷めてからだった。
「食べていないのか」
俺の傍に置かれていた料理を見て、ファリスがそう言った。言われてから、別に先に食べても良かったのだと気がつく。実際、いつもの俺だったら先に食べていただろう。
だが、俺はファリスと一緒に食べたかったのだ。
「……なんとなく」
仕切りの奥に押し込まれていたので、ファリスは俺がさっさと食べていると思っていたんだろう。表情に意外そうな気配を覗かせて、ラグに寝そべっている俺と皿とを交互に見ていた。
だがすぐに、思案するように目を細める。
「食事に何か仕込みでもしたか? 無理矢理奥に追いやったというのに、随分と静かだったしな」
「なんでそんなことしなきゃならないんだよ」
穿った物言いに、ムッとして体を起こす。
大人しく奥に引っ込んでいたのは、訪れる兵士が、俺がいることで言葉少なに報告をしたり、言いたいことを言いはぐってしまったら旅に悪影響が出ると思ったからだ。
だいたい、食事に何を混ぜるっていうんだ。惚れ薬か?
反論しようとしたが、シュナの声が入り口から聞こえてくる。兵士達と一緒に外で食事をしないかと、ファリスを誘いに来たようだった。誘い文句を言い終えたところで、仕切りの奥に俺を見つけて、鋭く睨まれる。
「行こう、ファリス。お前が来ないと、下の者が食事に手をつけられない」
視線や声音に、少しでもファリスと俺が一緒にいる時間を削ろうとしている意図が滲んでおり、俺は眉間に皺を寄せた。
「それは、俺も行っていいんだよな?」
「いや、お前はダメだ」
売られた喧嘩を買った途端、ファリスに口を挟まれる。
「なんで!」
「兵士の士気が下がる」
指揮官の顔で言われてしまったら、旅を妨害しないと言ってしまった俺は引き下がるしかない。
「ああ、そうかよ。勝手にしろ」
「俺がいない間、妙な行動はするなよ」
「さあな。俺のことは気にせず、ゆっくり(丶丶丶丶)食ってこい」
小皿に盛られていた木の実を掴んで弄びながら、笑顔で告げる。ファリスは眉間に皺を寄せ、すぐに戻ると言い捨てながら天幕を出ていった。
「ばーか。早食いして腹痛でも起こしやがれ」
祖父母に引き取られてからも一人で食事をすることは多かったのに、なぜか母親と二人暮らししていたとき、独りきりで食べた夕飯の不味さを思い出した。
「心細い、とか。この状況で思うのは変じゃねーよな?」
口にしたら、今更のように不安がわっと押し寄せてきて、慌てて頭を振る。ここで怯んでしまったら、この不可解で非常識な状況に呑み込まれて、何も考えられなくなってしまう。
(何も考えられなくなったら、きっと俺は殺される)
くじけそうになった意気を、気合いで支え直す。
気分を変えようと木の実と果物を少しだけ囓ったが、食べるのが面倒になってすぐに手が止まってしまった。
環境と状況に馴染むのに必死で食欲どころじゃないのもあるが、自分に向けられる周囲の視線を思うと、調理された物はなんとなく怖い。




