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恋は焦らずと言いますが(2)

「はぁ、まあいいや。座ってよう」


 空気が乾燥しているからか、岩場の影に腰掛けると日向にいるよりかなり涼しい。日陰に入ってしまえば、羽織らされているローブは邪魔なので早々に脱いだ。中に着ている服も、用意されたものに着替え済みだ。


 肩口で縫い合わせてあり、頭から被って前後に垂らすだけの長衣と、脚の付け根から裾まで外側がすっぱりと開けられているズボンだ。足首は足輪で留めて、あとは膝あたりに一カ所結び紐がついているだけ。


 それの他に端がビーズやガラス玉で飾られた長い綾紐が二本。


 陽射しから体を守るのはローブの役目なので、下は暑い国ならではの露出度のようだ。


 涼しいので文句はないが、色合いや長衣に施された花の刺繍が、全力で女物であることを主張している。


 綾紐が二本あるのは、長衣の上から腰に巻くものと、おそらく胸を隠すんだか抑えるんだかで、胸の下あたりを結ぶためのものだろう。


 これを出されたとき俺はファリスを睨みつけたが、俺の薄っぺらい体じゃ他に合うサイズがないのだと嫌味っぽく言われた。


 確かにここにいる男の殆どが筋骨隆々とした逞しい体つきをしているから、サイズが無いのは認めよう。


 でも、だからといってこれはないんじゃないかと、そのときは思った。


 事実、この服を出したのはわざとだったらしく、早く着ろと急かすファリスは少し意地の悪い顔をしていた。


 女装させられて嬉しいわけはないので、俺は難色を示したが、これが皇女に献上されるはずのものだったのだと言われたことで考えを変えた。


 皇女への献上品を俺にあてがって問題にならないのかと突っ込んだら、ファリスは簡単に事情を説明してくれた。


 つまるところ、現状ではこの衣装はファリスの私物だったのだ。聖地(セナル)に運ばれた荷物は神聖なものとして扱われるらしく、婚儀の祝いの品としてその付加価値を付けるべく、運んでいたらしい。


 許可を得て代金を支払えば、様々な物品を旅隊に預けることができるのだそうだ。


 国が滅びかけていると言っていたわりには俗なことをしているなと思ったが、すぐにその代金が旅費になっているのだと見当がついたので、国としても苦肉の策なのだろう。


 なにはともあれ、ファリスが献上しようと用意していた物の中から、俺(丶)に(丶)似(丶)合(丶)う(丶)と(丶)思(丶)っ(丶)た(丶)も(丶)の(丶)を選んだ――と、都合良く解釈した俺は、素直にそれを着ることにした。


 まさか着るとは思っていなかったらしく、ファリスは慌てて別の衣服を出してきた。それは一枚布を独特の巻き方で着付けるタイプの簡易着で、余る分だけ布を裂いてしまえばいい物らしかったが、俺は頑としてそれには着替えなかった。


 もちろん、それがファリスの服だと目敏く気づいた俺は、こっちは明日着るからと奪い取っておいたが。


 それに、女物を身に纏った俺に対して、ファリスはたじろいでいたのだからそれを利用しない手はない。


 俺の行動に動揺していただけかもしれないが、こうもむさ苦しい野郎ばかりの環境ならば、俺の小綺麗な顔はそこそこ魅惑的に映るんじゃないだろうかと思ったのだ。


(女の格好をすることで、中性的な部分もより強調されるだろうし――)


 女の代わりのように見られることは本意じゃないが、この際仕方ない。


 できることはなんでもやってやると決めた。女みたいな色仕掛けなどしたこともしようと思ったこともないが、ファリスに迫るならそれも楽しいだろう。


 どうやって迫ろうかと考えるだけでゾクゾクする自分と、そんな己に羞恥を感じてあり得ないと叫ぶ自分との葛藤で悶々としていると、十人ほどの兵士が俺の輿があるところに遅々と近寄ってきた。一人はさっき脅した兵士だ。


 駱駝兎ごと置き去りにされていた輿を、人を呼んで取りに戻ってきたらしい。


 その中に他より挙動不審なのが約二名いたので目を凝らすと、フードの隙間から見覚えのある顔が見えた。


 間違いなく、最初に会った兵士コンビだ。


「おい、そこの髭と赤茶髪!」


 俺が声を出して呼ぶと、全員がビクッと身を竦めて動きを止める。一拍置いて、該当する特徴を持つ兵士に視線が集まったが、いくつかバラけた。そういえば、兵士の中で赤茶色の髪も髭も珍しくない。


「右端の髭と奥のヤツだ。おい、隠れてんじゃねぇよ。こっちに来い」


 ようやく二人に視線が集中する。連中は二人を突き出すようにして俺の方に押しやり、そそくさと持つべき物を持って逃げていった。


 残された二人が、半笑いで突っ立っている。笑顔で手招いてやったのにピクリとも動きやがらないので、足裏で座っていた岩を叩くように蹴った。


「俺に、同じことを、二度も、言わせるんじゃねえよ」


 笑顔のまま、言葉を噛み締めるようにして警告すると、今度は我先にとすっ飛んで来る。


「なななんでしょうか」


「名前を教えろ」


「ディンです」


「ゾラです」


 殆ど同時に、相手を指差して名を告げる。先に自分の名を教えるのが怖くての行為だろうが、互いに裏切り者って顔をしてるのが可笑しかった。


「知らないと不便だから聞いただけだ。ファリスが言ってただろう? 俺は背約者とかどうでもいいんだ。だからナディアに総てを委ねることにした」


 ファリスから聴かされているであろう経緯に合わせて、わざわざ穏やかスマイルで言ってやったのに、なんだその引けた腰は。俺の笑顔はタダじゃねーぞ。


「だから、何もしない。いきなり刀を突きつけられたり、思いきり突き飛ばされたりしなければ、な」


 二人にされたことをあえて例にして言ってやると、褐色の顔色がどんどん青ざめて奇妙な色になっていく。沈黙に耐えられなかったのか、髭――ゾラが恐る恐る口を開いた。


「あの、なんのご用で」


「用がないなら呼ぶなって?」


「いえ、決してそのようなことは。ですが、我々には務めがありますので、用件によってはご期待に添えないかと」


 冷や汗をだらだらとかきながらだが、しっかりした声で告げてくる。


 俺を恐れながらも、それに屈しない精神は買ってやってもいいかもしれない。情けないように見えても、己の立場にはそれなりに誇りを持っているんだろう。


「あ、そ。それじゃあ仕方ないな」


「い、一応、ご用件だけで、も」


 知った顔を見たから思わず呼んだだけなので、本当に用事はない。だが、どうせなら何か困りそうなことを言ってやろうと思案しながら、俺は微妙に据わりの悪い岩の上で姿勢を変えた。


 右足を胸元に引き寄せて、両腕で抱え込む。無意識の行動だったが途端に二人が動揺したので、俺は膝に顎を置こうとしていた動きを止めた。


 何かあったのかと足許を見たが、何もない。意図が読めなくて視線を戻すと、二人が見ている場所が足元じゃないと気がついた。


(……腿?)


 足を持ち上げたことで露わになっていた太腿を、ゾラとディンが凝視している。思わず手で隠すように押さえると、ゾラはもの凄い勢いで不自然な方向に視線を逸らしたが、ディンは変わらず凝視していた。


 性格の違いがよくわかるなぁ、と思いもしたが、問題はそこじゃない。


(これって、そういう反応だよな?)


 もしかして、ここの連中は本当に、男の俺でもそれなりにそそられてくれるんだろうか――とか、ちょっと期待してみたり。


 価値があるかもしれないとわかれば、ファリス以外にサービスするつもりはない。


 脇に置いていたローブをわざとらしく羽織ると、ディンがあからさまに残念な顔をしたが、その後頭部をゾラが思いきりひっぱたいていた。


「いった、なにす――」


 ディンはゾラに文句を言おうとしたが、俺と目が合うと我に返ったらしく、だらしなかった顔がきゅっと引き締まって青ざめる。そんなディンを睨みつけながら、ゾラが仕切り直すように一度咳払いをした。


「ご用件だけでもお伺いします。動ける者をすぐに寄こしますので」


「別にいい。なんか面倒臭くなった。それより、輿の改装手抜きすんなよって、仲間によーく伝えておいてくれ。みんな揃ってお家に帰りたいだろう?」


 優しい声音で微笑みながら言ってやると、二人揃ってぎこちない礼をして、見事な脚力で走り去っていった。


 厳しい言葉を脅すように告げるよりも、優しい顔で含むように伝える方が効果的なこともある。




   ◇ ◇ ◇




 六畳ほどの広さになった輿が戻ってきたので、俺はその出来を確認しようとしたが、中を覗き込んだ途端、強引にファリスに押し込まれてしまった。


 文句を言う間もなく戸口が閉められ、出発を促すシュナの声が外で響く。本当に急いでいるのだとわかったので、俺は文句を呑み込んでやった。


 移動は、夕暮れから早朝にかけてするらしい。昼間の陽射しを避けるためか、そういう決まりがあるのかは知らないが、俺としても炎天下を移動されるよりはマシだ。


 輿に揺られてどれくらい経ったか、すっかり陽は沈んでいたが、気温がそれほど下がらないのが気になった。


 地球の砂漠だと放射冷却によって昼夜の温度差が激しいから、夜は十五度くらいまで下がるはずだ。だが、ここは今の衣装のままでも十分過ごせる体感温度だった。


 ここの砂は、冷めにくいんだろうか? 


(まあそれでも、風が通るとちょっとは寒いか?)


 輿の両サイドの壁は格子状になっているため、風がよく通るのだ。最初はそれが心地よかったが、今は少しだけ冷える。


「気にする程じゃないけど、少し肌寒いよなぁ」


「お寒いですか?」


「おわぁ!?」


 独り言のつもりで呟いた言葉に返事があって、俺は本気でビビった。振り返ると、後ろの右隅にちょこんと正座して、小学生くらいの子どもがいる。


 移動を始めてから小一時間は経っているが、全然気がつかなかった。


「い、い、いつからいたんだ?」


「ご主人さまが、輿にお乗りになったときから」


 俺の驚きようと質問に困惑をみせながら、子どもが言う。


「いるなら声をかけろよ。驚いただろうが」


「申し訳ありません。私から声をかけることは許されておりませんので」


「なんだそれ」


「え?」


「ああ、いや。なんでもねえよ」


 こんなところに控えさせられているということは、この子どもは俺の雑用係ってことか?


(いや、そういう建前の監視役か)


 不穏な動きなんか、しようと思ってもできないっての。というか楽とは言えそうにない環境での旅に、こんな子どもを連れてきて大丈夫なのか?


(まさか、奴隷とかいるんじゃないだろうな)


 確かに俺は、人に指図してあれこれやらせるのは好きだが、強制させるのはあまり好きじゃない。


 俺から甘い汁を吸いたいやつは、俺に気に入られるよう勝手に動けばいいが、興味がないならそれはそれで構わないからだ。嫌々やられてもこっちが迷惑だし。


 それに、この年頃の子どもを働かせていたら、日本じゃ立派な犯罪だ。


「お前、名前は?」


「リドと申します」


「リドね。俺に付くよう言われる前は、どこでなにをしていたんだ?」


「はい。光栄にもアリヤ様のお話相手の一人として輿に控えておりました」


「それは一緒に輿の中で過ごしていたということか?」


「とんでもない。いえ、同じ輿ですが、仕切りがありまして……ご用がないときはそこで」


 そりゃあんだけでかい輿なら仕切りもあるだろうな。良く見れば肌の色艶もいいし、体格も細身だが健康そうだ。


「皇女は優しかったか?」


「はい。とても良くして下さいました」


 急に声のトーンがあがって、ぽっと頬が熱をもつ。


 ここは日本じゃないし、この歳で働きに出ることもあるのかもしれない。それに、皇女付きともなれば、この世界では栄誉なことなんじゃないだろうか。心根が素直そうな子だし、きちんとした教育を受けてそうだ。


 礼儀さえ正しければ子どもとて嫌いじゃないが、なんとなく意地悪をしてやりたくなる顔だ。


「それじゃ運が悪かったな。優しい皇女様のところから恐ろしいヴィナ・ユナの輿へようこそ」


 厚手のクッションにのし掛かりながら目を合わせてやったが、リドは目をぱちくりと瞬かせただけで視線を逸らさなかった。丸く大きな茶色の瞳が、輿の天井に吊された油燭に照らされて煌めく。


「運が悪いだなんて思ってません。恐ろしいとも」


「どうだか」


「本当です。だって貴方様の瞳は、アリヤ様と同じくらい綺麗です」


 とくに含むものもなく言われたが、方々から浴びせられた嫌悪の視線を思えば逆に不自然にも思えた。これが演技だと言うのなら、鳥肌ものだ。こんなところにいないで、劇団にでも入るべきだな。


「褒めても何もでないし、褒めなかったところでお前を怒りはしないぜ? 世辞や嘘を言われるほうが不愉快だ。お前の本音を言ってみな」


 睨みつけると、リドは腿に置いていた手をぎゅっと握ったが、すぐに俺を真っ直ぐ見た。


「本心です。艶やかな黒い髪も、水晶のような紫の瞳も、透き通った白い肌も――とてもとても、綺麗です」


 力強く、しかもうっとりと言われて、さすがに面食らう。というか、お前の歳でその賛辞が出てくるのはどうかと思うぞ。どこで覚えてきたんだ。


「もちろん、貴方様を怖くないと思えるのは、私が若いことも理由なのでしょうが……」


「うん?」


「認識が甘いのだと思います。私の世代では、背約者の驚異も、その痕跡も目の当たりにはしていないのです。当時と比べると、今は本当にマシになったと祖母から散々聞かされてはいるのですが――」


 なるほど、正に知らないからこそってヤツか。


 火に触れたことがないヤツに「火は熱いから触っちゃいけません」と言っても、本気で危機感なんて持てるわけがない。火に触れて初めて、その恐ろしさや熱さを知り、警戒するようになる。


 背約者を火とするならば、俺を恐れ嫌悪する連中は直接火や火の粉を。もしくは燻る煙か焼け跡を見たことがある者なんだろう。だが、リドくらいの世代になると、焼け跡すら見たことがない――というところか。


 今回はその認識の軽さが、イイ方向に作用したと思うことにしよう。傍に置くやつが終始怯えていたら苛つくし。


「それでも、少しは不安になったりしないか?」


 皇女の話し相手をするくらいなんだから、賢くて物怖じしない子なんだろうが、子どもは子どもだ。そう思って訪ねると、リドは少し気まずそうに目を伏せた。


「構わないから言ってみろ。さっきも言ったが、俺は嘘をつかれるほうが嫌いだ」


「――はい。正直に言いますと、この役目を仰せつかったとき、自分は贄にされたのだと思いました。ですが、断れる立場に私はおりませんので、お役目をお受けするしかありません。この場にお控えしながら、貴方様が乗り込んで来られるまで、私は緊張と恐怖で震えておりました」


 背約者やヴィナ・ユナは、一体なにをやったんだ?


 何も知らない子どもにまで忌み嫌われてるとなると、相当に無茶なことをやらかしたんだろうが――。


「けれどお姿を拝見した途端、総て吹き飛びました。貴方様の美しさの前では、私の不安や恐怖など、塵ほどの重さも持ち得なかったのでございます!」


「……そりゃあ、良かったな」


 よくわからないが、珍しいものに対して、恐怖よりも好奇心が勝って興奮している――というところだろうか。俺自身も、子どもの頃はこんなだった気がするし。


 俺がちょっと引いていることに気がついて、リドは慌てて居住まいを正した。


「あの、ご主人様」


(おと)()


「え?」


「俺の名前だよ。オトヤ。ご主人様はジジイになった気がするからやめろ」


「はい。オトヤ様」


 様は――まあいいか。家政婦にもそう呼ばれてたしな。ていうかお前、いまちょっと笑っただろ?


 家だと(とも)(つぐ)がそう呼ばれてたから、そういう認識があっても仕方ないだろうが。


「それであの、何か掛ける物をお出ししますか?」


「は?」


「寒いとおっしゃっていませんでしたか?」


 言われてから、時折肌寒さを感じさせていた風がないことに気づく。いつの間にか、格子の壁に幕布が降ろされていた。リドがやったんだろう。


 風さえ通らなければそんなに寒いとは思わないので、問題はない。もともと、幕布を下ろしに行く面倒臭さには敵わない程度の寒さだったのだ。


「ああ。いや、確かに言ったけど大丈夫だ。そこまで寒くはない」


「そうですか。何かありましたら、遠慮なくリドに言ってくださいね」


 心配そうに言われると、まるで俺が遠慮してるみたいだ。あり得ない。俺の辞書に、遠慮という文字は存在しない。


「俺の知ってる砂漠は、夜になるととても寒くなるんだ。砂は熱をあまり留めないから」


「そうなんですか。よくわかりませんが、言われてみれば、確かにザンナ砂漠の砂は夜になっても温かいですね」


「なんでだ?」


「申しわけありませんが、私にはわかりません。私が帝都から出たのは、この旅が初めてなのです。でもヒュゴ様は太陽神様からお力を授かった神様ですから、その力が砂漠にも影響しているのかもしれませんね」


 ヒュゴ。ファリスがナディアと一緒に口にしていた名前だな。やっぱり神様の名前だったってことか。


 セッダは国名で、それと同列で出された名称はハリファドとジャダスと――。


(……ってなんかまどろっこしいな)


 まだまだ意味のわからない単語も多い。リドは賢そうだし、ちょうどいいからこの機会に整理するか。




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