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水瓶からこんにちは(5)

「なっ」


「貴様っ!」


 反動で立ち上がり、一気に戸口を目指す。


 伸ばされたファリスの腕を一度は避けたが、二度目で捕まってしまった。


「くっ、離せよ!」


「黙れ!」


 近くの柱に思いきり叩きつけられて、息が詰まる。


「油断するからだ、シュナ。お前、この男の言葉を信じかけていただろう」


「悪い。嘘をついているようには見えなかったんだ」


 尻餅をついていたシュナが、茫然と呟く。そこには苦い思いも込められており、それ見たことかと言うようにファリスが鼻を鳴らした。


「お前は昔から女や子どもに甘い。直せ」


「今回ばかりは反論できないな。嘘を見抜く感覚には、自信があったんだが――」


 立ち上がって、痛みに呻く俺を押さえつけているファリスの傍にシュナも歩いてくる。


「だからヴィナ・ユナなんだろう。偽りを真実と錯覚させて人を魅了し、闇に突き落とす」


「くそ、離せ! 俺を犯罪者みたいに扱うんじゃねぇ!」


「違うと言うなら、なぜ逃げようとした。俺達には取り入れないとわかって、相手を切り替えようと思ったからじゃないのか?」


「ちがっ――、そっちがいきなり俺を拘束しようとしたからだろ! 騙し討ちみたいな行動されて、警戒しないわけないだろうがッ」


「正論だな。だが、俺達は貴様の言葉や動作の、一つ一つを疑って行動しなければならない」


「なっ……んだよ、それ。俺は、本当に何もわからないし、どうしたらいいかも――」


「ならばこれ以上抵抗するな。妙な動きもするな。俺の指示に従え。貴様が貴様の意思で行動するということは、俺達にとっては総てが企みにしか見えん」


「暴論すぎんだろ……。正気かよ」


 あまりの物言いに、ファリスの手を首から引き剥がそうと足掻いていた指先から力が抜ける。俺が無抵抗になっても、ファリスは首を掴む力を緩めなかった。


「二百年前、我々の祖先はヴィナ・ユナによって疑心と狂気に囚われた。奴らは女神から奪った高貴な色を纏い、美しい娘や優しい老人に姿を偽って人々を――国を蹂躙したのだ」


「だからなんだっていうんだよ。俺には関係ない。俺はヴィナ・ユナじゃない」


「貴様はヴィナ・ユナだ。その紫眼が何よりの証拠」


「違う!」


 少しでも気持ちを伝えたくて視線を向けたが、ファリスは俺から視線を逸らした。


 そのことが、酷く胸に突き刺さる。


「違う。俺は――違う」


「ヴィナ・ユナである貴様を信じることは、俺達にとっては死を意味する」


「……そんな」


 差し出した懇願を、冷徹な言葉が切り捨てる。


 悔しくて、惨めで、俺は唇を噛み締めた。


 俺が感じた絆を、ファリスは感じていないというんだろうか? こんなにも、魂ごと奪われるように心惹かれたのは、俺だけなんだろうか?


(そんなはずない。一方的なものだったなら、こんなふうに唐突に湧いた感情を、運命だなんて思わない)


 琥珀色の瞳に俺が映っていたのは、ファリスも俺と同じように俺に心囚われたからだ。


 だから、互いが吸い寄せられるようにくちづけた。


(なのにどうして、心が重ならない? 何が俺達の邪魔をしてる?)


 伝わるはずの心が届かない。


 そのもどかしさが、じわじわと苛立ちに変わっていく。


「いい加減、無知なふりはやめろ。正体を現せ。何が目的でこの旅隊に現れた。何を企んでいる」


 あくまで俺を外敵扱いするファリスに、俺はどうにも我慢ができなくなって、声を荒げた。


「いい加減にして欲しいのはこっちだ! ファリス、離してくれ。ちゃんと俺を見て」


 両腕を伸ばしてファリスの頬に触れようとしたが、リーチに差がありすぎて届かない。かろうじて人差し指が顎に触れたが、それはすぐさま振り払われた。


「やめろっ」


「ファリス、頼むから、俺をちゃんと見て。俺があんたの敵であるわけがない!」


 威圧感のある男二人に囲まれて、恐ろしくないわけがない。けれど俺は、その恐怖や混乱に竦む気持ちに呑み込まれるわけにはいかなかった。黙っていたら、本当にお互いにすれ違ったままになってしまう。


(そんなのは嫌だ。あんたは俺の、運命なのに――!)


 気がついているのが俺だけだというなら、俺が手を伸ばさなくちゃいけない。


 だから、体裁が悪かろうが格好悪かろうが、縋るように訴えるしかなかった。そうするしか、俺には自分が無害であることを証明する手段がなかった。


 なかったのに。


「もっともらしく情に訴えてきたな。俺を見ろだと? つまり、貴様はこの俺に魅入ることが目的なんだな?」


「は? なに言って――」


 侮蔑するようなファリスの声音に、思考が一瞬で真っ白になる。だが、傷つく間など与えてはもらえなかった。


 俺の首を掴むファリスの手に、更に力がこもる。


「ぁ――ぅッ」


「俺を魅了して何をさせるつもりだったのか、さっさと吐いたほうが身のためだぞ」


「――ッ」


 吐かなければならない企みなんてない。本当にない。


 俺は痙攣するみたいに、微かに首を左右に振ることしかできなかった。


「まだ抵抗するか。こちらが殺せないとわかっているから、余裕があるつもりか? だが、死ぬより苦しいことはこの世にいくらでもあるぞ」


 あまりにも暗い言葉に、背筋がぞくりと震える。息苦しさに喘ぐ俺の顔を、二対の眼差しが睨んでいた。


「シュナ、どう思う」


「お前に魅入ることで可能になることが多すぎるな。だが、このタイミングで仕掛けてきたからには理由が――まさか、花嫁であるアリヤ皇女が狙いか?」


「なに!?」


 その名前が出た瞬間、空気が更に緊張する。


 なんでこんなことになっているのか、本当にまったくもってわからなかったが、アリヤという人物がファリスにとって大事なんだということだけは嫌というほどわかった。


 途端に、どす黒い感情が胸に湧き上がる。なんだか、笑いたい気分だった。


 自分に迫っている窮地が、急に馬鹿馬鹿しい茶番劇に思えてきて、どうせなら期待に応えてやろうかという気になってくる。


「貴様が俺に魅入ろうとしたのは、アリヤ皇女に近づくためか? 近づいて、何をしようとした!」


「――苦し、く、て――しゃべ、れ、ねーよっ」


 首を掴むファリスの腕に爪を立てると、眉間の皺が忌々しげに増える。それでも、声を出させるには締めすぎている自覚はあったらしく、首筋に喰い込んでいた指先が僅かに引いた。喋ろうとした途端、空咳が出る。


 何度か咳払いをしてから、俺は掠れた声を出した。


「――で、いい」


「なに?」


「――もうヴィナ・ユナでいいって言ったんだよ。俺はヴィナ・ユナで、麗しき花嫁を攫いにきた。それでいいだろう? 理由はどうしようか?」


 アリヤは花嫁で、悪の親玉として背約者とやらがいるなら、その手下であるヴィナ・ユナの役割としてはそんなところだろう。王道かつお約束な設定でイイ感じだ。


 そういえば、ハリファドとの同盟が――なんてことも話してたな。あれか? 国同士が友好関係を結ぶための婚姻ってやつか? 


(ああ、それで花嫁が重要な位置にいるのか)


 あとはなんだっけ? 背約者は封印されてるみたいなことも言ってたな。結界がどうとかも――。


「背約者( ボス)を封じた国に復讐すべく、同盟をぶち壊すために花嫁を攫おうとしてるってのはどうだ?」


 俺の言葉に、二人が微かに動揺する。やはりアリヤという花嫁は、同盟の要なんだろう。


「ああでも、もっとファンタジックな理由でもいいな。花嫁を生け贄にすると、背約者の封印が解けるとか? なあ、ファリス。あんただったら、どっちの方が燃える?」


「貴様っ」


「だめだファリス!」


 激昂した勢いで俺を睨みつけてきたファリスを、シュナが間に入って止める。


(視線で相手を虜にできるなら、どんなにいいか)


 俺は身代わりのように対峙してきたシュナの顔を掴むと、思いきり引き寄せて強引に目を合わせてやった。


「……ッ!」


「先にあんたで遊ぶのもいいな。魅入って、虜にして、犬みたいに飼ってやろうか? 飽きたら俺の椅子にしてやるよ。嬉しいだろう?」


 真っ直ぐな茶色の瞳が、激しく揺れる。


 ファリスが刀の柄に手をかけたのが見えたので、横目で微笑してやった。


「俺に斬りかかってきてもいいぞ? その前に、シュナが身代わりになってくれるだろうけどな。さっき、あんたを庇ったみたいに」


「――っ、シュナを離せ」


「俺に指図するのか? この状況で?」


 俺がシュナに頬ずりすると、ファリスは口惜しげに柄から手を離した。


 シュナはシュナで、固定されてるみたいに硬直したまま、俺の瞳を凝視している。瞳の奥には明確な恐れが滲んでおり、瞼を閉じるという単純な回避方法すら思いつけないようだった。


(馬鹿馬鹿しい。俺の言葉を信じないから、ありもしない力に縛られるんだ)


 ヴィナ・ユナを(かた)る気になったのは、言ってしまえばファリスに対する当てつけとヤケだ。わかりやすい挑発に乗るファリスが憎らしい。


(燃えるような瞳で俺を睨んで……。もしかして、アリヤ皇女はあんたの花嫁か?)


 あんたの相手は俺なのに。


 俺は見つめ合っただけで、わかったのに。


「面白くない」


 こうなったら絶対にファリスを手に入れてやる――という意地が、俺の胸中で決意として固まっていく。


(大人しく拘束なんてされてやらないし、指図だって受けないからな!)


 ヴィナ・ユナだか裏切り者の使徒だか知らないが、勝手に勘違いして恐れていればいい。


 俺は俺で、その恐れを利用させてもらう。


(ぜってー負けねぇ!)


 好きなだけ嫌悪して、憎んで、忌まわしいと思えばいいんだ。そしていつか真実に気がついて、後悔すればいい。


 跪いて許しを請い、愛を誓うまで許してやらない。


「面白くない――だと?」


「そうだよ。面白くない。このままあんたらを手駒にするのは簡単だし、それが済めばお姫様を攫うなんてもっと簡単だ。こんなの、ゲームですらない。つまらない。だから、ゲームをしよう?」


 俺の言葉に、シュナの表情が訝しげに歪む。だがもう、シュナに用はない。俺はシュナを無視してファリスへ歩み寄ろうとしたが、生意気な腕に進行を阻まれた。


 仕方なく、シュナに向き直る。


「シュナ、邪魔だ。俺はファリスに話があるんだ。それとも俺に飼われたいのか?」


 耳元に唇を寄せて、甘く囁く。ついでに息を吹き込んでやると、シュナは弾かれるように飛び退いた。


 耳を押さえ、屈辱に唇を噛みしめる。その脇を通り過ぎたが、今度は阻まれなかった。


 目の前に辿り着いた俺を、警戒に尖った眼差しが見据えてくる。ギラギラと輝く琥珀を、俺は美しいと思った。


「何を企んでいる」


「本当はさっさと終わらせてもいいんだけどね。俺はあんたが気に入ったんだ。さっき好きだと言ったろ。あれは本気だぜ?」


 しなだれかかるように抱きつくと、ファリスは俺を引き剥がそうと肩を掴んだが、ちらと見上げると、ぐっと何かが喉に詰まったような顔をして動きを止めた。


「どういうことだ?」


「だから、ゲームをしよう? 俺はあんたが普通に欲しいんだ。魅入った奴隷じゃなくて、あんたの心が。だから魅入らずにあんたを落とせたら俺の勝ち。あんたとアリヤを貰っていく」


「できなかったら?」


「あり得ないね。あんたが落ちるまでがゲームなんだから」


「つまり、俺が落ちない限り、貴様はアリヤ皇女には手をださないということだな」


「そう。何もしないでいてやるよ。俺に敵意を向けなければ、他の連中にもな。ああ、あんたには色々するけど」


 告げながらするりと頬を撫でたら、身震いしやがった。失礼な野郎だ。


 さてどうすると問いかけると、ファリスはシュナを見て、それから俺に視線を戻すと大きく頷いた。


「今回、俺がシェラディアの統率者になったのは、アリヤ皇女を無事に皇太子の元へお送りするためだ。その任務を遂行する間、貴様が馬鹿げたルールで遊ぶというなら勝手にするがいい」


「何を言ってるんだ、ファリス! こいつの言うことを信じるのか!?」


「シュナ、現状で不利なのは俺達だ。旅を妨害されることが、俺にとっては最も避けなければならない事態である以上、俺はこの男の提案を受け入れる」


 ファリスの毅然とした言葉に、シュナが押し黙る。納得し切れていない憤懣は、鋭い眼差しとなって俺に向けられた。


「殺すことさえできれば、俺が片付けてやるものを――」


 ぎち、と奥歯を噛み締める音が聞こえてきそうな形相に、嫌味なほどの微笑を返す。


(そういえば、俺を殺せないとか、殺すわけにはいかないとか、ごちゃごちゃ言ってたな。送り届けるってことは、どこかに移動してるんだろうけど――)


 旅隊という言葉をファリスが使っていたことも思い出し、俺は思考を巡らせた。


 殺生が御法度の旅なんだろうか。


(花嫁を連れてる旅なわけだし、そりゃ、血腥いことは避けるか)


 よくわからないが、ヴィナ・ユナへの恐れ以外にも、俺に有利な要因はあるらしい。 


 心のどこかでファリスが花婿じゃなかったことに安堵していた俺には、どうでもいいことだが。


「お前の遊び心に感謝したい気持ちだよ。ファリスが貴様に落ちるなど、死んでもありえん。シェラディアが無事終わったら、覚悟しろ」


 ファリスの意志が強いだろうってことくらい、シュナに言われなくても俺にだってわかる。そう簡単に、俺に(なび)くはずはないことも。


 そもそもファリスはヴィナ・ユナをかなり嫌悪しているから、圧倒的に俺が不利だ。


 それでも、そんなことすら乗り越えられるくらい、俺達が惹かれ合うのは必然で、運命だ――。


 そう、俺は信じている。


 だが、ファリスが俺に落ちるわけがないと確信しているシュナの目が気にくわなかったので、俺は笑顔で一つの可能性を教えてやった。


「俺がいつでもこのゲームを放棄できることを、忘れるなよ?」


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