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水瓶からこんにちは(3)

 うなじの熱に、揺り起こされる。


 うっすらと戻った意識の底で、同時通訳じみた奇妙な二重音声で会話が聞こえてきた。


「事情はわかった。お前達はシュナを呼んでこい」


「はっ」


「それからお前。大丈夫だとは思うが、体になにか異変が生じたら、すぐに俺かシュナに報告するように」


「はぃい」


「情けない声を出すな!」


「はひっ」


「さっさと行け」


 バタバタと走り去る足音を聞きながら、眉間に力を入れる。なんとも言えない感覚に、こめかみが痛んだ。


(……なんだ、これ)


 右のスピーカーから未知の言語が、左のスピーカーから日本語がって感じだ。しかも、TVでおばちゃんがやってるような淡々とした同時通訳喋りじゃなくて、洋画の吹き替えみたいに聞こえる。


 正直気持ち悪い。頭がぐらぐらする。首が熱い。


 現れた第三者を見ようと瞼を持ち上げたが、目に飛び込んできた岩場がぐるぐる回りだしたので、慌てて目を閉じた。脳震盪(のうしんとう)でも起こしているのか、完全に目が回っている。


(あいつ、思いっきり突き飛ばしやがって)


 瞼を閉じても脳味噌を掻き回されてるみたいで辛いのに、布っぽいものをばさりと体にかけられ、かなり乱暴に持ち上げられた。手足が垂れ下がったことで、ぐったりと力の入らない体の重さを妙に感じる。誰かが俺を運んでいるようだが、怪我人に対する扱いじゃない。


 そりゃ、あいつらの怯えようを思えば友好的な扱いはされないだろうが、もうちょっとやりようってもんがあるだろうが。


 それとも、こいつは俺に触ってるだけマシなのか?


(――ッ!)


 前言撤回。床に放り投げられた。めっちゃ痛い!


 だけど落とされた場所は地面ではないらしく、敷物の感触が頬や腕に感じられた。


 見知らぬ乱暴者のせいでこみ上げた吐き気を深呼吸で宥め、俺は肩の力を抜いた。ぐったりと弛緩させた体を、床に密着させる。


「ヴィナ・ユナだと? 冗談じゃない」


 忌々しげに吐き出された二重音声がかなり近くでして、俺は気配を探ろうと耳を澄ませた。苛立たしげな息遣いと足音、それから小さな舌打ちが聞こえる。当然、男だ。


 それも、俺を片手で荷物みたいに運べるような。


(…………)


 俺はとりあえず、気絶したふりを続けることにした。


 いや、怖いからじゃねえって。迂闊に動けない以上、できるだけ様子は見るべきだろ?


「まったく、本物でも偽物でも最悪だな」


 低く、深みのある声に間違えようもなく嫌悪と侮蔑が含まれていて――俺が悪かった、認める。


 めっちゃ怖い!


 しかも日本語と謎語のステレオ効果で、威圧感倍増だ。


 なんなんだろ、これ。何が起こってんだ?


「ファリス、なんの騒ぎだったんだ? 俺の部下が真っ青な顔してすっ飛んできたぞ」


 俺が胸中で疑問符と格闘していると新たな声がして、固い足音が響いた。等間隔で音が響く、軍人のように規則正しい歩き方だ。


「シュナか。すまないな、急に呼び出して」


「その必要があったんだろ? それで、いったい何があった。またジャダス絡みか」


「いや、まだわからん」


「わからないって、捕まえたんだろう? 気絶してるなら、叩き起こして吐かせろよ」


 そっと盗み見ようとしたが、頭まですっぽり布を被せられていたので何も見えなかった。


 そうなると余計に見たくなるのが人ってもんだが、気配がぐっと近づいてきたので、俺は息を殺した。


 すぐにもう一つ、別の気配が近づく。


「駄目だ、触るな。そいつはヴィナ・ユナかもしれん」


「なんだって?」


 男の気配がぴたと近づくのをやめる。


「…………ヴィナ・ユナ?」


 たっぷりと間を置いてから、思わず、と言った口調で問い返したようだった。俺により近い位置にいるのはシュナっていう男みたいだ。


 というか、ヴィナ・ユナってなんだ? 俺のことか?


「この中に、ヴィナ・ユナがいるっていうのか」


「そうだ」


「まさか。闇祓いは百五十年前に完了している。だからこそ俺達は今、こうして厳しい生活に耐えながら女神の帰還を(こいねが)っているんだぞ?」


「俺も確認するのはこれからだからなんとも言えないが、用心するに越したことはない。こいつが本当に裏切り者の使徒だという可能性は低いが、そうじゃないと決めてかかるのも危険だ」


「確かに警戒はすべきだが……。俺は、ジャダスからの嫌がらせだと思うぞ。今回のハリファドとの同盟は面白くないだろうしな」


 なんかもう、いちいちツッコミどころ、もとい謎単語が多すぎて、幻想小説のラジオドラマでも聴いてる気分だ。


 しかも、俺の謎のバイリンガル機能が、会話を聞くごとにグレードアップしてきた気がする。同時通訳がなくても、話してる内容がわかるようになってきた。


 でも未知の言語を聴いているだけで理解できるようになるなんてことは、普通はあり得ない。


(非常識なことが起こってる……んだよな、これ)


 理解が深まるにつれて、うなじの熱が馴染むように引いてきていることと、関係があるんだろうか。


 ――同じ地球人のよしみで、わざわざあんたの苦労を一つ減らしにきてやったんだけど。


 ふと、あの男装女の言葉が脳裏に甦った。あの女が本物の魔導師で、『苦労の一つ』が『言語』だと仮定すれば、言動の辻褄は合う。


(そんな馬鹿な)


 あり得ないと思いつつも、その考え以外に自分の身に起こったことを説明できない。だがそれを認めてしまうと、あの女が言っていたことは真実で、俺は本当に異世界ってやつに来てしまったことになる。


(……嘘だろ。異世界とか、あり得ない)


 突きつけられた現実の突拍子のなさに愕然としていると、いきなり被せられていた布が剥がされた。


 咄嗟に目を瞑ったが、相手にとっては俺の意識の有無は関係ないらしく、無遠慮に髪をがしっと掴まれた。


「俺に触るなと言っておいて」


「何がどう影響するかわからん。触っただけでどうこうという話は聞いたことがないが、触らなくて済むなら触らないほうがいい」


 さっきの嫌悪に剣呑さが加わったファリスとやらの声が、かなり近くで聞こえる。傍に屈んでいるのかもしれない。目を瞑っているのに、皮膚越しに感じる視線にもの凄く圧迫を感じて困った。


 何なの、この無駄な存在感。


「ファリス、そういう危険を冒すのは俺の役目なんだが」


「運ぶために俺がもう触ってしまったからな、仕方ないだろう?」


「どうして俺が来るまで待たなかったんだ」


「現れたのが、水瓶を積んだ荷車の側だったんだ。あそこは複数の兵士が行き来するからな。不確かな段階で、騒ぎを大きくするわけにはいかないだろう」


「言いたいことはわかるが、そういう場合でも、お前が危険を冒すのは避けてくれ」


「俺もお前の部下に運ばせようと思ったんだがな、運べと命令したら心臓麻痺でも起こしそうな顔をしていた」


「……まったく」


 俺は触ったら皮膚がかぶれる(うるし)か。


(……わけわかんねぇ)


 ていうか、(うつぶ)せなのに肩が浮くほど引っ張られてると、痛い上に苦しいんですが!


 手を離せ馬鹿、禿げるだろうが! 


「うぅ」


 思わず呻き声が洩れたが、少しも気にしていないらしく、浮いた肩を強く押されて仰向けに転がされた。


「まだ若いな。少年じゃないか。丁寧に扱ってやれよ」


「そういう油断はすべきじゃない」


「そんなことはわかってる。だが、俺達を動揺させるための嫌がらせだった場合、どこかから攫われて、ヴィナ・ユナに仕立てられた被害者の可能性もあるんだぞ」


「今はシェラディアの最中だ。今年はアリヤ皇女もお連れしているから、本体で三百、前後衛隊も入れれば五百以上の命を預かっている。真偽を確かめるまでは――」


「少し落ち着け。俺は手荒に扱うべきじゃないと言っているだけだ。身なりは妙だが、髪の艶もいいし、爪も綺麗だ。どう見ても、労働階級に属する子どもじゃない。この白い肌の色といい、北の王族か貴族の子息だったらどうする」


「馬鹿な――」


「あり得ないことはないぞ。北側(ソルヴェ)と俺達が諍いを起こせば、ジャダスは喜ぶだろうからな。それともこのご時世に、北側と戦争したいか? ジャダスにケツを向けて?」


「……わかった。俺も少し冷静さを欠いているようだ。それに、北には青眼も多い。それをセッダの人間が紫眼(しがん)と誤解した例はいくつかあるしな」


「確かに。それが原因で危うく国境沿いのキーナと戦争にまでなりかけたくらいだしな。旧大国(ヴァミリア)の魔女が仲裁してくれたんだと、祖父が生前に何度も言っていた」


「ヴァミリアの魔女か。我々には守護神(ヒュゴ)様と泉の女神(ナディア)様がいてくださるから、イーダに《天の御使い》の降臨を願うことはしないが、一度くらいは会ってみたいものだな」


「男装の麗人だと聞いたことがあるが、実際のところは謎だな。北では龍姫(りゅうき)とも呼ばれているようだが……」


「存在が伝説のような人物だからな。我らが気にしたところで仕方があるまい」


「それはそうだが、魔導師という存在には興味がある」


「確かに。今はもう、魔法を扱える者は殆どいないしな」


 男装と魔導師という単語に反応しそうになって、ぐっと堪える。俺が会った、あの女のことだろうか?


「ファリス、その子を起こすなら、パジの実でも噛ませたほうが早い。貰って来るから待っていろ」


「頼む」


 会話が一段落すると、シュナが再び規則正しい靴音をさせながらどこかへ行った。


 その音が遠ざかると、目尻からこめかみに向けて指らしき感触が滑る。思わず睫毛を震わせてしまったが、触れられていたので誤魔化せたようだった。


 前髪を梳き退かされたらしく、強い視線を顔に感じる。ファリスが凝視しているんだろうが、非常に気まずい。


「……確かに、綺麗な髪だな」


 シュナの言葉を確かめるように一房とられて、さらさらと落とされる。絹江が嫌がるんで脱色を一度もしてない髪は確かに綺麗だろうが、そんなに掬っては流されたらくすぐったいだろうが!


 ようやく手が離れたかと思えば、今度は手を取られる。肌触りを確かめるように指先や手のひらを撫でられて、背筋がぞくっとした。


「手も柔らかいし、爪にも傷一つない。ん? 香油か? 甘い匂いがする」


 気配がうなじに近づいて、すんと鼻で息を吸う音が耳を掠める。なんともいえないくすぐったさに、俺は堪えきれずに「うひっ」と声を上げてしまった。


 途端に、空気が緊張する。ファリスの気配も観察するものから警戒するそれに変わり、低い声が耳殻を掠めた。


「どうやら起きていたらしいな。さっさと目を開けろ」


 威圧感たっぷりの命令に逆らえるわけがなく、俺はゆっくりと瞼を持ち上げた。


 焦点の合わない目で、周囲を見渡す。さほど高くない位置に天井が見え、ここが屋内であることを知った。何本かの支柱に支えられた、天幕のような場所だ。


 視界の隅にきらりと白い何かが触れて、視線を動かす。直ぐ傍に、ファリスが屈み込んでいた。


 逆光で顔がよく見えなかったが、だからこそ、ファリスのシルエットに既視感を覚える。


 どこかで、見たことがあるような――。


『あ! あんた、湖で』


 口にしてから、日本語だと気づく。これじゃファリスには伝わらない。俺は一度口を閉じた。


 最初に会った兵士は、俺の言葉を理解できていなかった。おそらく、男装女の魔法には、俺の日本語を謎語へ変換してくれる効果はないんだろう。


 つまり、俺が謎語を話すしかない。


(ええと、理解はできてるんだから、頭の中で日本語を謎語に変換して――)


 真剣に対話の手段を探ろうとしていたのに、ファリスの手がいきなり俺の顔を掴んできた。


『ちょ、なに――』


 振り払おうとしたが、容赦のない力で瞼を押し上げられる。瞬きを阻まれた瞳を、ファリスが覗き込んできた。


『痛い痛い痛い。やめろっ!』


「馬鹿な、お前、本当に――?」


 腕を掴もうとしたが、それよりも先に手が離れる。その手はすぐに別の物を掴み、俺の首に押しつけてきた。


 乾いて霞んでいた視界が、瞬きによって回復する。視界に映るものの輪郭がはっきりとしてくると、目の前に自分の顔があった。


 それは間違いなく俺の顔なんだが、動揺せざるを得ない。


『な、なんだこれ』


 瞳の色が、紫なんですけど?


 もっとよく確かめようとしたが、微かに傾いて光を弾いたことで、俺を映しているものが銀色に輝く刀であることにようやく気づいて、硬直する。


 なんでまた刀を突きつけられてんだ? 俺。


 唇が言葉を紡げないまま何度か動いてから、ようやく声が出る。酷く掠れて、自分の声じゃないみたいだった。


『なん、で……』


 じゃない。こっちの言葉だ。謎語を喋らないと。


「なん、なんで……俺、こんなことになってんの?」


「黙れ。その禍々しい色の瞳で俺を見るな」


 なんだとこの野郎。黒曜石のようだと、絹江が褒めてくれた綺麗な目だ。今はなぜか紫になってるが、それでも夢と希望と若さ溢れる宝石のようだろうが!


 と、口に出して言えたら格好良いかもしれないが、鋭い刃を首に押しつけられていては、黙るしかない。


「紫眼は自然には産まれない。お前は、本物のヴィナ・ユナというわけか」


(まただ。やっぱり、俺をヴィナ・ユナって言ってる)


 じっと見上げたままでいると、目を逸らさなかったことが気にくわないのか、ファリスが眉間の皺を深くした。


 琥珀色の瞳はともすれば金色にも見えて、見慣れないだけに獣を思わせる。鋭い眼差しに身が竦む思いだったが、刀を握り直す仕草に幾ばくかの緊張を感じて、少しだけ俺を縛る恐怖が緩んだ。


 この男も、俺――というか、ヴィナ・ユナという存在を怖れているのかもしれない。


 男の呼吸に合わせてたまに触れる刃が、首を刺激する。皮膚の厚みを妙に意識させられて、肌が粟立った。


 吐き出される息も熱を持ち、突きつけられた刀身を速い間隔で曇らせている。そんな視覚効果もあって、どんどん体から汗が滲みだしてきていた。


 最初から濡れていなかったら、シャツの色が変わっていくのが見られたかもしれない。


「いいか、妙なことはするな。俺も貴様の首を落としたくはない。素直に質問に答えろ」


 ファリスは隙のない声でそう命じると、俺が喋りやすいようにか、少しだけ刀を持ち上げた。圧迫が和らいで、呼吸が幾ばくか落ち着く。俺は仕方なく、ゆっくりと頷いた。


「一人か」


「そうだよ」


「なぜ、このオアシスにいた」


「わからない」


「何が目的だ」


「そんなものはない。そもそも、俺はここがどこかもわからない。なんで俺、こんなことに――」


「訊いたことだけに答えろ」


「ッ!」


「わけのわからぬことを言って、俺を惑わせる気か?」


 また強く刃を押しつけられてしまったので黙るしかなかったが、段々と苛立ってくる。


 こっちはファリスが理解できるように、脳内で日本語を謎語に変換してから喋ってやってんだぞ!? 事を荒げないようにと気を遣い、健気に事態を把握しようと頑張っている俺に対する態度がコレってのはどういう了見だ!?


 でかい刀なんかふりかざしやがって! 怖いだろうが!


『俺から言わせりゃ、わけがわからないことを言っているのはあんただよ! なんで俺だけが不利な状況になってんだ!? 理不尽だろうが! これ退けろよ!』


 日本語で叫んだらなんだか吹っ切れて、俺は勢いにまかせて押しつけられていた刃の背を掴んだ。



1Pの量が少し多いですかね?

ちょっと調節してみます。

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