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始まりの終わり(2)

 琥珀色の瞳に映る俺の顔は、最悪だった。悪かったと心底思いつつも、突き放さないでくれと縋る、女々しい顔だ。耐えきれずに、視線を逸らしてきつく目を瞑る。頬のあたりに視線を感じながら、ただ自分の呼吸音だけを追った。


 もう何も、考えたくなかった。


「……オトヤ」


「…………」


「オトヤ」


「…………」


 好き勝手に捲し立てた後で、徐々に冷静なっていく感覚っていうのは、最悪だ。


 体中を掻き毟ってのたうちまわりたい。あんなことを口走って一番驚いているのは俺だと、全力で主張したい。


「オトヤ」


「……っ」


 しかもなんだよさっきから耳元で俺の名前連呼しやがって! 羞恥プレイか!?


「オトヤ」


「んだよ!」


「……お前は、醜くなどない」


「…………は?」


「俺は、お前をヴィナ・ユナだと思っていた。俺が醜いと言ったのは、ヴィナ・ユナという存在だ。だから、お前にその言葉はもう当てはまらない」


「なに、言って……」


 逸らしていた顔を、思わずファリスに向ける。油燭の炎を映して、ファリスの瞳は金色に輝いて揺れていた。


「俺がお前を露骨に嫌悪したのは、俺自身への戒めでもあった。憎むべき存在であるはずのお前の表情や仕草に、俺は何度も目を奪われ、心揺さぶられていた」


「ファリス?」


「俺を惑わすお前も、お前に惑わされそうになる俺も、憎くてたまらなかった。許せなかった」


 なんだこれ。ファリスは何を言っている?


「俺、は……あんたをちゃんと、誘惑できて……た?」 


「赤子の手を捻るよりも容易く」


「嘘だ、そんなの……だって、俺を、殺そうとしてた」


 俺の言葉に、ファリスの眉尻がくっと下がる。葛藤を隠すように、僅かに目が伏せられた。


「お前は最初から、この世のものとは思えぬほどに美しかった。殺さなければ抗えぬと、思い詰めるほどに――」


「……ッ」


「シュナが戒めてくれていなければ、俺はお前に惹かれる恐怖から逃れるために、シェラディアを血で穢していたかもしれん」


 何かを言おうとして、でも結局言葉が思い浮かばなくて、奇妙な呻きが口から洩れた。そんな俺が可笑しかったのか、ファリスが苦笑する。ひどく優しい笑みだった。


 これは本当に、俺に向けられている表情だろうか?


「ファリス……?」


 思わず呼んだ名に応えるように、ファリスの大きな手のひらが俺の頬を包む。じわりと伝わる体温に、背筋が震えた。感触を確かめるように輪郭を撫で、そのまま指先が髪に潜り込む。髪を梳きながら、ファリスの手は後頭部に回った。


 ゆっくりと頭を持ち上げられて、ファリスの顔が近づいてくる。瞼に隠れていく琥珀色を、夢でも見ているような心地で見つめていた。


 俺は間抜けにも、その一連の動作がくちづけるためのものだということに、唇が触れあうまで気づかなかった。唇から伝わってきた熱に体がビクリと跳ねて、閉じられていたファリスの瞼が間近で開く。


 翳る瞳の奥に、燻るような熱が見える。触れそうで触れない距離で、互いの吐息だけが幾度も絡んだ。


 不思議な気分だった。ファリスが俺に欲情している。


 それってつまり――。 


「――俺は、あんたに触れてもいいのか?」


 そう問いかけた瞬間、腰にもファリスの腕が回り、体が浮くほど抱き寄せられた。ほとんど仰け反る勢いで、唇に食いつかれる。


「なッ!? ぅんっ、ふっ」


 上唇を吸われて、剥き出しの腰をファリスの手のひらが撫でる。刀を握るせいで固くなった皮膚は少しかさついていて、その感触にぞくぞくした。


「っ、ファリ……ッ」


 思わず声をあげると、より深く唇を重ねられる。熱い舌が俺のそれを絡め取り、くちづけの角度が変えられる度に、粘着質な水音が息継ぎの間に零れた。


 食われるんじゃないかと思うほど、貪られる。


 淫靡な刺激に体の温度がどんどん上がってきて、キスひとつでこんなにも興奮している自分が滑稽だった。


「ッ、……は……ッ、んっ」


 段々と何も考えられなくなってきて、俺は本能が望むままに、ファリスの首に両腕を回して強く引き寄せた。


 舌に軽く吸い付き、上顎をくすぐるように舐めると、ファリスが小さく息を飲む。


 押し倒されたからといって、主導権を奪われるつもりはない。だが、ファリスも素直に従ってくれるつもりはないらしく、隙をつくように反撃されては、受けて反応させられる違和感に戸惑った。


「んぁっ……ッ、……は……ッ」


 予想外の刺激を与えられて、鼻にかかったような声が喉から押し出されるのも、かなり恥ずかしい。


 というか、どこを触られても快感を伴う疼きに襲われて、情けないことに、俺はちょっと怖くなった。だが、その不安もファリスに触れられる喜びに比べれば微々たるものだ。


 俺は服越しではなく直に体に触れたくなって、ファリスの上着の裾から左手を滑り込ませた。


 背筋の隆起を確かめるように辿ろうとした途端、ファリスの体が震えて、腕を掴まれる。


「……っと、ちょっと……待て、まっ」


 俺の後頭部を掴んでいた手を床について、ファリスが上体を起こそうとしたが、俺はまだキスしていたい。離されまいと首に回した腕に力を入れたが、ある角度になると肩に鋭い痛みが奔って、息が詰まった。


 一気に腕から力が抜けて、持ち上げられていた分だけ落ちそうになる。咄嗟にファリスが支えてくれたので、後頭部を床に打たずにすんだ。


「すまない、大丈夫か?」


「うん。少し、傷が引きつっただけ」


 まだ心配そうなファリスの瞳を見ながら、今度は左腕だけをファリスの首に回す。再びくちづけるために引き寄せようとしたら、左腕を掴まれて外されてしまった。


「ファリス?」


「これ以上はダメだ」


「はあ!?」


 これ以上って、キスしかしてないんですけど?


「手を出したのは俺だ。俺が悪い……だがシェラディアは神聖な儀式だ」


 つまり、禁欲ってことか?


「……今更それを言うのか、あんたは」


 呆れとともに脱力を味わう。半眼で睨むが、ファリスの方が熱を持て余しているような気配に、怒る気が失せた。


 真面目なのはいいが、どうせならやることやってから我に返って欲しい。なんだこの中途半端。拷問かよ。


「言いたいことはわかった。だけどどうせ反省するなら、ヤッちゃってからにしよう」


 ファリスの下肢を膝で撫でると、もの凄い勢いでファリスが起きあがった。目をこれでもかと見開いて、動揺も露わだ。軽く噴き出すと、ファリスが顔を顰めた。


「オトヤ」


「いいじゃん。冷めるのを待つには、お互いキツいとこまできてると思うんだけど?」


「だめだ。やめろ、オトヤ」


 腰帯を留めている紐を解きにかかった俺の手を、ファリスが掴む。


「んっ」


 下腹に押し付けるように手を押さえ込まれたので、思わず身を捩った。興奮に過敏になっている体には、些細な刺激も快感として響くらしい。


「ファリス」


「……ッ!」


 手を掴もうとしたら、逃げられた。


「なあ。しようぜ?」


 俺としては精一杯、甘い声を出して誘ったつもりだったが、ファリスは頑なに首を振る。体の方はどうなのかと思ったが、胡座をかいて下肢を隠されてしまったので押し切れるか切れないか判断できなかった。


 男相手じゃ、勢いが止まると安易には崩せない気がする。俺だって、相手がファリスじゃなきゃ願い下げだ。だいたいファリスはアリヤのことが好きなんだから、元々の性指向はノーマルだろうし。


「……あれ?」


 あれ?


「オトヤ?」


「……ファリス、なんで俺にキスしたんだ?」


「それは――」


「なんで? 俺に欲情したから?」


「それは、そうだが……何が言いたい」


「だって、あんた。アリヤが好きだろう?」


「!」


 俺の言葉に、ファリスが今まで一番といっていいくらい、驚いた顔をした。


「……どうして」


「あんたが何をどう見てるのかなんて、すぐにわかるさ。俺はあんたしか見てないからな」


「……これは、なんというか、恥ずかしいな」


 照れたように、ファリスはうなじを掻いた。留め紐の端を指先で弄びながら、なんとなく苛立つ。


「ふーん」


「オトヤ?」


 俺の変化に気づいたのか、ファリスが覗き込むように顔を近づけてくる。その、何かを窺うような仕草が気に入らなくて、俺はファリスに背を向けて横になった。


「オトヤ? もしかして拗ねているのか?」


「べつにー?」


「俺は確かにアリヤ皇女に惚れているが、お前が思っている意味とは、絶対に違うぞ」


「何が違うんだよ。愛しそうな目でアリヤを見ておいて」


「……愛しそうとか言うな。俺がアリヤ皇女に抱いている感情は、恋というより憧れに近い。兄上を愛している彼女が好きなんだ。彼女を愛してる兄上も好きだしな」


「なんだそりゃ」


「さあ、俺も上手く説明できん。二人が並んでいるところを見れば、お前にもわかるさ」


「……ふぅん」


 憧れだから、あんなに純粋な眼差しに見えたのか?


 なんだ。そうか……。


「だから、嫉妬する必要はない」


「してねえよ!」


 思いがけない宥めの言葉に、勢いで言葉を被せる。真面目な顔で、恥ずかしいこと言ってんじゃねえよッ。


「そうか?」


「そうだ!」


 別に嫉妬したわけじゃない。アリヤに気があるのに、俺に手を出してきたのかと思ったら、苛ついただけだ。


「これは嫉妬じゃねえ」


 自分に言い聞かせるように口の中で呟いてから、俺は起きあがってファリスににじり寄った。肩に手をかけて押し倒そうとすると、手を床について阻まれる。


「おい、だから」


「わかってる。俺だって、タイミング逃したっつの。だからもう寝ようぜ。明日、アリヤの儀式を終えたら、すぐに発つんだろう?」


「ああ」


 警戒を解いたファリスは、俺に押されるまま、ゆっくりとクッションに体を沈めた。俺はその上に乗っかって、耳をファリスの胸に押し付ける。こうするのは久しぶりだ。


「……もしかして、このまま寝るのか?」


「いつもそうしてただろ。それに、触っていいって言ったじゃん」


 正確には、返事の代わりに熱烈なキスをかまされたわけだが、まあ同じだろう。とにかく、触れても問題ないなら、俺はくっついていたい。


「もしかして、重かったのか?」


 思わず身を起こすと、ファリスが苦笑した。


「まさか。むしろお前はもう少し太った方がいい。旅でも随分痩せただろう?」


「気づいてたのか?」


 意外な気がして、目を瞬かせる。警戒はしても、俺のことをあまり見ようとはしていなかったのに――。


「毎日上に乗って寝られていたら、嫌でも気づく」


「……そうか」


 優しい手が頭に触れてきて、指先が髪に埋められる。何度か優しく梳かれて、くすぐったさに顔を上げると、今度は耳を摘まれた。そのまま頬に、指先が滑る。


 目が合って、少し申し訳なさそうに微笑まれた。


「……お互いさまだろ」


 何かを謝ろうとしたから、先にそう言ってやる。ファリスは一瞬口ごもってから、困ったような顔になった。


 その顔を可愛いかもとか思ってしまって、そう思った自分が可笑しかった。


 とても幸福な気分で、瞼を閉じる。


 ファリスの体温と鼓動が何よりも愛しかった。




「俺、ファリスが好きだ」






─了─


ここまでお読みくださいありがとうございます。

感想など頂ければ嬉しいです。

あと2編ほど短編にお付き合いくださいませ。


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