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奪うもの 与えるもの(8)

「なんだよ。俺は俺の為にそうしたんであって、別にお前等の為を思ってたわけじゃねえ!」


「そうかもしれません。でも、貴方は我々を手足のようには思っていても、見下してはいなかった」


「兵士の俺に、謝ったりとかしちゃうし」


「あれは咄嗟だったから、つい口からでただけだ!」


「リドに向ける表情は優しいですし」


「一生懸命な子どもを邪険にする理由はないだろう!?」


「「ファリス様にぞっこんだし」」


「なっ、なっ」


 俺は今、絶対に真っ赤だ。屈辱だ。


 なんだよ。なんなんだよ!


「……貴方はヴィナ・ユナを名乗るには、違和感がありすぎるんです。無自覚のようですが、貴方は平等で、そして優しい。リドはもっと早い段階で,そのことに気づいておりました。我々は……愚かにも耳を貸しませんでしたが」


「そんなの、演技かもしれないだろ!」


 くそ、なんだよこいつら。俺を羞恥心で殺す気か!? 


「俺が優しいだって? 馬鹿じゃないのか!? 俺はいつだって、自分の為になることしかしてきてない!」


 というか、なんでヴィナ・ユナじゃないってことを必死に否定してんだ俺は。馬鹿か!?


 ちくしょう、こいつらが妙なことを言うから――!


「もう黙れよ……」 


「それに貴方は、知らなすぎる」


 この一言に、俺の方が言葉を詰まらせるしかなかった。


「我々が貴方はヴィナ・ユナではないと最終的に確信したのは、正にそれです。無害だったビズの葉が猛毒を持つようになったのは、奪ったナディア様の力を試すために背約者が仕掛けた変異だったんです。ヴィナ・ユナであるなら、毒に潜む主の気配に気づかないわけがない」


 どうやら、無知であることが、俺の嘘を暴いてくれたらしい。戸惑いと安堵に、心が揺らぐ。


「私達は直接ヴィナ・ユナを見たことはないですが、背約者を崇めている者達を見たことはあります。背約者と背約者が望んだ世界を讃える、滅神論者達です。彼らの目は暗く虚ろで、私は初めて彼らを見たとき、激しい嫌悪を覚えました。彼らが纏う空気は腐敗している。その彼らより背約者に近いヴィナ・ユナが、貴方のようであることは絶対にあり得ないと、今ならはっきりとわかります。貴方はヴィナ・ユナじゃない。『ユナ』だ」


「ユナ?」


 レキオラもそう言っていた。俺を『ユナ』だと。


「貴方はこの大陸の人間ではないですよね。もしかして、ご自分が何者なのか、わかっていらっしゃらなかったんじゃないですか? だから、ヴィナ・ユナだと言われて、そう信じてしまった」


 勢いで自らヴィナ・ユナだと言い切ってしまったのも確かだが、最初に決めつけられてそう思い込んだのも確かなので、俺は頷いた。


「やはり、そうですか。我々は憎しみに囚われるあまり、再び過去と同じような過ちを犯していたんですね」


 がくりと肩を落としたゾラの横で、ディンも気まずそうな顔をしている。


 俺の方が、どうしたらいいかわからないっつの。


「結局、ユナってどういう意味なんだよ」


「ユナは、ナディアのご神体である神樹になる実……正に貴方が今、手に持っているそれのことです。申し子という意味で、ナディア様から力を授かった者のことをそう呼ぶようになったんです。ちなみに、ヴィナは体の模様を擬態して獲物を捕らえる虫の名前です」


 なるほど、「ユナを擬態する偽物」という意味で、呼称がついたのか。


 思わず感心していると、不意にディンが立ち上がった。


「とにかくこうしちゃいられないッスね。今直ぐ誤解を解きに――って、なんだ? なんか外が騒がしいな」


 ようやく外に意識が向いたらしく、ディンが首を傾げる。それに同意するように頷いてから、ゾラが表情を曇らせた。


「もしかして、俺達が倒れたことと関係ありますか?」


「ああ。ジャダスのレキオラって奴が現れたんだ」


「レキオラ!? レキオラって、魔導師で第十五王子のレキオラっすか!?」


 俺の言葉に、暢気だった二人の表情が俄に殺気立つ。雰囲気の変わりように驚きつつ、俺は頷いた。


「たぶん、その魔導師で王子のレキオラだ。あいつ、兵士の中に紛れ込んでて――」


「それで、どうなったんですか?」


「俺に聞かれても……。ただ、一度逃げた後、もう一回現れたみたいだ。書簡を届けに」


 ゾラの表情が、不意に暗く翳る。思案するように目が伏せられ、視線が敷き布の一点を凝視していた。


「何か交渉しようとしてるのか……? 既に囲まれてると考えた方がよさそうだな。ファリス様はどうなさるおつもりなんだろう」


「とにかく俺らも行った方がよくね? 動けるんだし」


「そうか、そうだな。オトヤ様」


「えっ」


 不意に名で呼ばれて、素で驚く。そんな俺の反応に、ゾラが戸惑った。


「申し訳ありません。ご無礼を――」


「いや、ちょっと驚いただけだ。俺の名前なんてよく知ってたな」


「リドが、そう呼んでいたので……」


「ああ、そういえば。リドは俺を名前で呼んでたな」


 というか、リドしか呼んでくれていなかった。それすら、俺がそう呼べと言ったからだが――。


 今更ながらに、俺の名前を誰も訊ねてくれていなかったことに気がついて、ちょっと寂しくなった。


「……俺のことは、好きに呼べばいい。だから、早くファリスを手伝いに行ってくれ」


「はい」


「でも、なんでレキオラは俺達にビズの毒なんか喰らわせたんスかね」


「確かに。哨戒兵ならともかく、妙……あ! まさかオトヤ様を? レキオラは有能な魔導師だ。貴方がユナであると見抜けていたなら……」


 去り際にんなことに気がついてんじゃねーよ。


「済んだことだ。さっさと行け!」


 俺が追い立てると、二人が慌てて戸口へ移動する。そのまま外に押し出そうとしたら、ゾラに抵抗された。


「待って、待ってください。一つだけ。我々はどうして助かったんですか? まさか」


 ゾラの言葉に、ディンの顔色が変わる。


「馬鹿な。ファリス様がそんなことなさろうとしたら、シュナ隊長がそれよりも先に俺達を殺してる筈だ」


「だが、ビズの毒は……」


「安心しろ。お前達を救ったのはファリスの《証》じゃない。俺のダイスだ」


「オトヤ様の、っすか?」


「そうだ。俺、ナディアの魔力が含まれてる水からなら生成できるみたいで、何も知らずに疲労回復効果のある飴玉みたいな感覚で使ってたんだ」


「せ、生成でき、る……?」


「ダイスを?」


「そうだ。お前達に飲ませたルッカ水にも、何度か混ぜてたんだぜ?」


 俺の言葉に、二人がひっと声を上擦らせる。そんな態度をとられても、事実は変わらない。


「希少だとか、万能薬だとか知らなかったからな。さっきも、苦しそうだったから熱が下がればいいと思っ――」


 思わず本音を言いかけてしまい、慌てて口を噤んだ。


 だが、ときは既に遅かったようで、妙にキラキラした顔で、二人が俺を見下ろしてくる。


 ここの奴らはみんなでかいんだよ。くそっ。


「違う! 呻き声がうざかったから、黙らせようと思って飲ませたんだ!」


 怒鳴ったのに、二人して口元を緩めてんじゃねーよ。


 なんだこの空気!


「んだよ! 言いたいことあんなら言えばいいだろ!」


「かわいい」


 ディンがそう呟いた瞬間、ガンッと頭にでかい石を落とされたような衝撃を受けた。


 ……かわいい? 可愛いってどういう意味だ!?


 怒りとも羞恥ともつかない感覚が湧き上がり、カッと頬が熱くなる。その顔を見られたくなくて、俺は二人を外へ蹴り出した。 


 二人の背中が見えなくなるまで睨んでから、興奮が治まるまで室内をうろうろと歩きまわる。


「くそ、ムカツク奴らだッ」


 息が整ってくると、やろうとしていたことを思い出した。部屋をうろついてる場合じゃない。


 俺は水差しの水を注いだ銅皿の前に座り、底に左手を置いた。その上に、ディンから取り上げた神樹の実を、そっと落とす。それが左手に落ちる前にさっと掬い上げると、綺麗に結晶の中に収まった。――が、なぜか二センチ未満の二つの結晶に別れて生成されていた。


「どうして一つの結晶になってくれないかな、お前らは」


 何度繰り返しても様々な対比で二つに別れ続け、しかも途中から小さく生成された結晶にしか実が入らなくなり、俺はかなり焦った。


 せめて大きい方に入ってくれと躍起になっていたら、実が入らないまま三センチほどの一つの塊になる。


「ぬああ! なんでだぁあああっ!」


 悶絶しながら床をのたうち回っていると、戸口でカタリと音がした。頭を掻き毟っていた姿勢のまま警戒の眼差しを戸口へ向けると、小さな人影が佇んでいた。


「……リド?」


「オトヤ様! オトヤ様オトヤ様オトヤ様ぁあ!」


 思わず名を呼んだ瞬間、勢いよくリドに飛びつかれる。せっかく一つになったダイスが、手から零れて水に落ちた。


「あああああ~! ちょちょちょ、マジでぇ!?」


「大丈夫ですかお怪我はご気分は!?」


 俺の絶叫をかき消す勢いで、矢継ぎ早に問われる。同時に腕の力をどんどんと強められて、俺は喘いだ。


「落ちつけリド。息継ぎしてくれ。そして腕を緩めてくれ。俺は今、お前に締め殺されそうになっているっ」


 リドの背中を叩いてやると、「あっ」と叫んで、リドは腕の力を緩めてくれた。


「も、申し訳ありません」


「いいよ。お前も大丈夫だったか? 頭打ってないか?」


「はい。背中が少し痛いですが、他はなんともないです。お役に立てなくて、申し訳ありませんでした」


「何言ってんだよ。お前が大声で叫んでくれたから、人が来てくれて助かったんだ。感謝してる。だが、お前はまだ子どもなんだから、あまり無茶なことはするな」


「……はい」


 俺が後頭部や背中を確かめるように撫でると、くすぐったそうに身を捩りながら、少し困ったように微笑む。


 ちょっと悔しそうな、子どもらしい笑みだ。


「うん。確かに大丈夫みたいだな」


 仕上げのように腰を叩くと、リドはようやく俺の膝に乗り上げていたことに気づいたらしく、一瞬で顔をゆでだこのようにした。転がるように脇に移動し、平伏する。


「ご、ご、ご無礼を!」


「いいって。お互いに無事を確かめあっただけだ。そうだろ?」


 俺の言葉に頭を上げはしたものの、羞恥にか瞳が潤んでいた。可愛いな、こいつ。


 だが、そんな幼い表情は、咳払い一つでかき消える。


 それを切っ掛けに、俺も気持ちを切り替えた。


「あの男は、ジャダスのレキオラ王子だったそうですね」


「ああ。書簡のことで何か聞いてないか?」


「直接ではありませんが、兵士が話しているのを。王子の軍勢は既にセナルを取り囲んでいるようで、撤退の条件として、アリヤ様の身柄を要求してきているそうです」


「ファリスの推測した通りってことか」


「――ジャダスは、セナルを含むこの一帯が欲しいのだと思います。ここで旅隊の無事と引き替えにアリヤ様を確保し、後日、その身柄を交渉材料に、ザンナ砂漠を手に入れる気なのでしょう」


「なんとかならないのか? こっちだってかなりの数の兵士がいるように思えるんだが」


「何とも言えません。斥候はすでに差し向けられているでしょうが、向こうの情報は現時点では何もありませんから。それとは逆に、こちらは隊数や配列、装備などの情報も総て把握されてしまっています。場所がら、逃げ場もありませんし……圧倒的に、こちらが不利なんです」


「そんな」


「以前から、ザンナ砂漠での領土を巡り、ジャダスと揉めていたんです。砂漠はただでさえ境界が曖昧で……。それにナディア様がいらっしゃるからか、セナル周辺は他に比べてオアシスが多い。隣接しているならば、欲しいと思うのは当然でしょう。ですが、やり口が卑怯かつ愚劣です! 正式な使者を立て、宣戦布告をしてくるならまだしも、こんな騙し撃ちみたいな方法で、アリヤ様とその他全員の命を天秤にかけさせるなんて――っ」


 リドは段々と口調を荒くしながら言葉を吐き出すと、その激昂のほどを体でも表現するかのように肩で息をした。


 元々、アリヤの側付きでいたわけだし、思い入れも強いんだろう。


「ファリスはどうするつもりなんだ?」


「各隊の隊長を集め、アリヤ様を無事に逃がす方法を模索しておられるようです」


「つまり、他を総て犠牲にしても、アリヤは渡さないってことか」


「アリヤ様を渡すわけにも、奪われるわけにもいきませんから。そうなれば、結果的に総てを奪われてしまう。ザンナ砂漠のオアシスは、今のセッダにとっても生命線なんです。どちらも譲れない。ならば、それ以外を捨てるしかないでしょう?」


 当然のように、ここで死ぬ覚悟があることを幼い子どもに告げられて、生きてきた世界の違いを思い知らされる。


「もちろん、犠牲を最小限にするための努力は皆でします。セッダの男は勇猛果敢ですから、不利な状況だからといって、そう易々とやられたりはしませんよ。何より、ここにはナディア様がおられます。ナディア様もここを護るためならば、お力を貸してくださるでしょう」 


 俺の戸惑いを感じ取ったらしいリドがそう付け加えたが、その一言で、俺は気がついてしまった。


 ジャダスが欲しいのがオアシスなら、解決策はある。


(というか、もしかして俺は、そのために召喚され、ナディアに力を与えられたのか?)


 セッダの領土を守るための、生け贄として――?


 この推測が正しいならば、あまりにも身勝手で俺の意志を無視したものだ。だが、ナディアが護りたいものがセッダなら、何も矛盾はしていない。未だ燻る遺恨もあるだろうが、彼女はただ国を愛し、護ろうとしているだけだ。


(大切なものを、護ろうとしているだけ――か)


 俺からすれば完全にとばっちりだが、今はそんなことはどうでもいい。俺には、ファリスに償わなければならないことがありすぎる。これでそれが帳消しになるとは思わないが、何もできないよりはましだ。


「リド」


「はい?」


「ジャダスは、言い換えれば自国の砂漠が豊かになれば、それでいいんだよな?」


「え、ええ。それはそう、だと……思います。戦争には莫大な資金がかかりますから、どこの国だって、本心では避けたい筈です」


「そうか。なら大丈夫だ。誰も犠牲にしないで、今回の件は解決できる」


「えっ。本当ですか!?」


「ああ。レキオラへの返答を、いつどこでするのか知ってるか?」


「詳しくはわかりませんが、場所はおそらくセナルの南か、東側かと。夜明けが期限だと言っていたので」


「日の出が見える場所か」


 俺は戸口から顔を出して、空を見上げた。月はもう、大分傾いている。


「時間がないな。急がないと……。リド、お前、アリヤの装飾品を一式かっぱらってこい」


「ええ!?」


「急げよ、時間がない」


「で、で、ですがっ」


「見つかるなよ? 説明なんかしたところで、面倒にしかならねえからな」


「そんな。意味がわかりません!」


「お前にしか頼めない。頼むから、何も訊かずに持ってきてくれ。上等なのがいい」


 リドは暫く困惑に青ざめていたが、やがてごくりと唾を飲み込むと、大きく頷いた。


「なにか、お考えがあるのですね? やはりオトヤ様はヴィナ・ユナではないのですね?」


「その話は、お前が役目を果たせたらしてやる。急げ」


「はいっ」


 輿から飛び出した影が小さくなっていくのを見送ってから、俺は水瓶の水と布で丁寧に体を拭った。


 ファリスに最初にもらった、女物の衣装に着替える。


 それから、放置していたダイスを、なんとか形になるように生成した。


「微妙に中心からずれたけど、もう、そんなことを言ってる場合じゃねえしな」


 月明かりに煌めくそれをひとしきり眺めてから、布にくるむ。


「問題はダイスよりも、皇家とやらの紋章だよな。また刻んでもらえるといいけど……」


 祝福や加護の授け方なんて、知らない。


 だからただ、布越しにそれを手のひらに握り込んで、祈るように、唯一知っている言霊を唱えた。




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