奪うもの 与えるもの(7)
外の喧騒が混乱気味のそれから統率の執れた慌ただしさに変わる頃、俺は猛烈に反省をしていた。
何をって、ファリスへの所業の数々をだ。
俺は恋なんかしたことがなかったから、好きだと思ったらもう、想いに応えてもらうことしか考えていなかった。
押し付けることしか、考えていなかった。
ファリスを運命の相手だと思い込めたのも、俺が傲慢で自分勝手だったからだ。
(ファリスは俺を、嫌悪してたのに――)
そんな相手に無理矢理迫られて、どれほど苦痛だっただろうか。
レキオラに似たような目に遭わされるまで気づけないなんて、俺は本当にどうしようもないクズだ。この最悪の気分を、他の誰でもない俺自身がファリスに味わわせていたんだと思うと、軽く埋まりたい。
あんな、相手も自分のことを好きだと疑わない粘着質な目で、俺もファリスを見ていたんだろうか。
「最悪だ。キモすぎだろ、俺……」
もうこれ以上へこめないってくらい、へこむ。
ファリスの愛の高潔さを、俺は見習うべきだった。
優しくて、哀しい恋。叶わないとわかってるのに、ファリスは誰よりもアリヤのことを考えていた。
哀しい恋なんて、俺は嫌だが――それでも、想う心が相手の倖せを願うことに繋がるのは、悪くないと思う。やっぱり、好きな相手には笑っていて欲しいもんだ。
(その笑顔が、俺に向けられたものじゃなくても)
本当は向けて欲しいが、無理なものは仕方がない。
「睨まれたことしかないってのも、凄い気がするけど」
自分で言って、へこむ。
暫くそんなことを悶々と考えていたら、いつの間にかゾラとディンの呻き声が聞こえなくなっていることに気がついて、俺はぞっとした。
膝に埋めていた顔をあげられない。見るのが怖い。
(どうすんだよ)
レキオラの仕業だとわかってはいるが、俺の監視役なんかさせられていたから、二人は犠牲になったのだ。
そう考えると、そもそもの原因は俺のような気がしてきて、息が苦しくなった。
(ような、じゃない。俺が原因に決まってるじゃないか。俺の幼稚な嘘が、こいつらを巻き込んだんだ――!)
変な気分だった。今までは何をやっても自分が悪いと思ったことなんて一度もなかったのに、ファリスと出会ってからは、起こる凶事の原因が、総て俺のような気がする。
(俺が……ファリスを不幸にしてる)
「……腹、減った」
「え?」
暗澹としていたところに、空気がへにゃりと抜けるような情けない声がして、思わず顔をあげた。二人の顔を見てしまい心臓が跳ねたが、寝ぼけ眼のディンと目が合う。
「え?」
「え?」
二人して、ぽかんと見つめ合った後、さっと顔を強張らせたディンが勢いよく跳ね起きた。
「おおおお俺ってば居眠りを!? ってかゾラまで!? おい! 起きろ馬鹿!」
ディンがゾラをどつくところを、初めて見た。というか、ゾラも小さく唸ってから身じろぎ、ディンとまったく同じ工程を経て飛び起きる。
「な、これは!? 何が……」
床に散らばっている薬草を見たゾラは、状況を把握することを優先したらしく、ためらいなく俺に話しかけてきた。
「俺達は……いったい?」
「なんともないか?」
「え?」
「体だ」
「え、はい。むしろ軽いような?」
「俺は腹が減りました」
生真面目に頷いたゾラの横で、ディンが真顔で告げる。当然のようにゾラに頭を叩かれ、ディンが頭を押さえた。和むというか、やや緊張感に欠けた空気に戸惑う。
それでも、苦しそうな二人を見るよりは、ずっといい。俺は潤みそうになった瞳を瞬きで誤魔化し、話を続けた。
「お前達はビズの毒にやられて、さっきまで生死の境をさまよってたんだ」
「「ビズ!?」」
同じようにぎょっとした顔をして、互いを見合う。
「まさか。なんで生きてるんだ?」
「あり得ない」
口々にそう言いながら、顔や体をしきりに触るので、俺は思わず聞いてしまった。
「ビズって、そんなに強い毒なのか?」
「強いというか、特殊……ご存じないんですか?」
急に言い淀んでから、ゾラが不意に俺を真っ直ぐ見つめてきた。初めて向けられた強い眼差しに気圧されつつ、頷く。すると、何かを確信した瞳がディンに向けられ、二人は意見を共有するように頷き合った。
「な、なんだよ」
「いえ。ビズというのは親指ほどの肉厚な葉を持つ多肉植物です。根は加工によって様々な効能を発揮する万能な薬草なのですが、葉は猛毒を持つため、帝宮にある薬草園でのみ、厳重な管理の元で栽培されています。解毒薬の研究も進められておりますが、現段階では、魔力結晶以外での解毒は不可能とされております。この大陸に現存する毒物で、唯一解毒剤のない毒……それがビスなのです」
「ん? ダイスで解毒できるのに、解毒剤がないって言い方はおかしくないか?」
「いいえ。ダイスは皇族の証にされるほど希少なもの。小さな欠片一つでもおいそれと手には入りませんから、無いのと同じなのです。あれは、本物の万能薬ですから」
「ダイスは万能薬、なのか」
「そうです」
「そうか。疲労回復どころの効果じゃなかったんだな」
「はい?」
「いや、何でもない。それより、ダイスが皇族の証だってさっき言ったよな、どういう意味だ?」
思うところあって、思わず問いを重ねる。不自然な問いだったにも拘わらず、ゾラは言葉を続けてくれた。
「皇族に御子が誕生すると、ナディア様は必ず、神樹の一部を封じたダイスを授けて下さるのだそうです。何時からかそれに皇家の紋章を刻むようになり、皇族の証として扱われるようなりました。皇女にはお守りのようなものでしかありませんが、皇子にとっては皇位継承権や属国の王となる資格としての役割があるので、非常に重要なものです。それを持ってさえいれば、真実はどうあれ、皇族として認めざるを得ないほどに」
「逆を言えば、失えば皇族として認められないこともある、ってことか」
「そうです」
「でも、今ナディアはここに隠れてるんだよな?」
「はい。ですから今は、現存する物を順に継承させているそうです」
「……そうか」
間違いない。ファリスが俺に使ったのは、その『証』だ。
シュナがあんなに止めるわけだ。なんてものを、ファリスは俺に使ってしまったんだろうか。
「その、証になるダイスの大きさってどれくらいなんだ? やっぱり大きいのか?」
「さあ。我々がそう簡単に拝謁に賜れる物ではないので」
「俺、見たことあるぜ」
ディンの声に反応して視線を上げると、いつの間にか輿の隅に移動していた。懐に籠を抱え込んでおり、中の果物を貪り食っている。なんかもごもご言ってんなとは思っていたが、お前はもう少し空気読めよ。
「おま! 何やってんだ!?」
絶句していたゾラが正気に戻り、目を剥いて怒鳴る。
「この馬鹿、誰の物に手を付けて――ッ」
「ああ、大丈夫だ。お前達のだよ。絞って飲ませてやろうとしてたんじゃねーかな」
俺がフォローすると、ディンから籠を取り上げようとしていたゾラの動きが止まる。ディンはそれ見たことかと籠を抱え直し、再びむしゃむしゃと食べ始めた。
そんなディンを見てゾラはこめかみをひくつかせたが、盛大な溜め息だけを残して俺の傍に戻って来る。
俺の、傍に。
おかしい。やっぱり何か、俺に対する認識が変わったとしか思えない。それとも死にかけたことで、頭のネジが緩んでしまったんだろうか?
「んで、どれくらいの大きさだったんだよ。ディン」
「二センチくらいっすよ。ファリス様の物を幸運にも拝する機会がありまして」
「マジで!?」
よっしゃ! と、側にあった銅皿を引き寄せ、水差しに残っていた水を注ぐ。
手のひらで多少は残っているはずの魔力を掬い上げようとしたが、ゾラが急に敷き布の上に落ちていた薬草を拾い上げ、「うわぁ」と上擦った声をあげた。
慌てたように周囲に散らばっていたものを次々と拾い集めては埃を払い、皿に丁寧に置いていく。
「これも、これもだ……! ディン、手伝え!」
呼ばれたディンもゾラの態度を不審に思ったらしく、素直に近づいてきた。するとゾラと同じように驚いてから、慌てて葉や木の実を拾い始める。
「何やってんだ?」
「ほ、殆どが帝宮の薬草園でしか栽培されてない、貴重種なんです! 俺、俺達のためにこんな高級な……!」
感極まってディンが男泣きし始め、ゾラもちょっと涙ぐんでいる。事態を把握できていないのでぽかんとするしかなかったが、そんな俺の淡泊な反応が納得いかなかったらしく、ディンが小さな赤い実をずいと差し出してきた。
「こここここれなんか、神樹の実です! 俺、兵士学校の図書室にあった図鑑でしか見たことなかった!」
母ちゃんに持って帰ろうと言いながら懐に仕舞おうとしたそれを、俺が即行で奪い取る。
「あっ、何するんですか!?」
「悪い。くれ」
「そんなっ。それ、一個しか落ちてなくて……!」
きょろきょろと探すような仕草をしながら酷いと騒ぎだしたディンを、感動から帰ってきていたゾラが叩く。
「お前、誰に文句言ってんだ、この馬鹿っ」
「なんだよ! 問題ないだろ。ゾラだってヴィナ・ユナじゃないってさっき」
「え?」
俺が目を見開くと、ゾラが「阿呆!」とまたディンを叩いた。頭を押さえて呻くディンを尻目に、ゾラと微妙な沈黙を分け合う。
先に折れたのは、ゾラだった。深い溜息をついて、ひっつめにした髪からこぼれ落ちていた前髪を指先で引っ張る。
「正直に言いますと、貴方の瞳は確かに紫ですが、俺達には貴方がヴィナ・ユナだとは思えないんです」
リドもこいつらも、なんでそんなことを言い出すんだろうか。何も、話してないのに。
「……なんで」
「ルッカ水。ルッカも帝宮でしか栽培されていない、香草なんです。貴重な香草で淹れた水を勝手に分け与えたりしたら、リドの首が飛んでしまう。だから、止めさせようとしたんです。そうしたら、貴方が分けて下さっていると」
やたらと真摯な目で語られて、たじろぐ。
「お前等の憔悴した姿が目障りだっただけだ。覇気のないツラで警護に就かれたら、こっちが滅入る――ッ」
羞恥から吐き捨てるように言ったのに、微笑まれた。




