奪うもの 与えるもの(6)
「俺は事実を言っているだけだ。落ちつけ、シュナ」
「落ち着けるか! 部下が二人、馬鹿げた茶番に巻き込まれて死にかけてるんだぞ!? その男をまだくびり殺してないことを、褒めて欲しいくらいだ!」
「シュナ!」
シュナが戸口から出ていこうとしたとき、ドンッと体が僅かに浮くほどの衝撃が地面に走った。
一拍遅れて、外から怒号と悲鳴が巻き起こる。
「何だ!?」
俺を脇に退かしながらファリスが立ち上がると、額から血を流した兵士がふらふらと現れた。倒れ込みそうになった男を、シュナが駆け寄って支える。
「何があった?」
「て、敵襲です……」
「なに?」
「ジャダスの……魔導師、が……殿下に、これ、を」
「おい、しっかりしろ!」
血塗れの書簡を差し出すと、男はそのまま意識を失った。男を抱えながら、シュナが呆然と手にした書簡を見下ろす。
「ジャダスの魔導師、だと……?」
「ジャダスの魔導師といえば、一人しかいない。あの男は、やはりレキオラだったようだな」
ファリスの言葉に、シュナが厳しい顔つきで振り返った。
「さっきの魔導師が、レキオラ・F・ジャダスだっていうのか? 確かにかなりの使い手だと聞いてはいたが、末弟とはいえ王子だぞ? 王族が直接動いてくるなんて――」
変態男、もといレキオラが他国の王子だということに驚きつつも、妙に納得する俺がいたりする。――が、空気が深刻すぎて、隅でじっとしていることしかできない。
「ここに現れたということは、狙いはアリヤ様か?」
「だろうな。正確にはオアシスが集中している、このザンナ砂漠だろうが……」
「すまない、ファリス。敵兵の潜入を許すなんて……」
「高位の魔導師に欺かれては、俺達ではどうしようもない。それに、今回我々は完全に孤立している。今までの小競り合いのようにはいかないだろう。今はとにかく、混乱を収めなければ。シュナ、行くぞ!」
「あ、ああ」
シュナは頷くことで動揺を振り払うと、ゾラとディンを名残惜しげに一瞥してから、外へと駆け出していった。
それにファリスも続こうとしたが、少し迷うような素振りをみせた後で、俺に振り返った。ほんの僅か見つめ合ってから、ファリスが口を開く。
「レキオラはなぜ、貴様のところに来たんだ?」
「知るかよ。ただ、最初は違う顔だった。あんな美形じゃなくて、もっと蛇っぽい顔した男だったんだ」
「魔法で姿を変えて紛れ込んでいたのか。しかしどこで、どうやって……? まさか内通者か?」
思案顔で目を伏せたファリスの眉間に、皺が寄る。可能性としてあり得るのか、苦い表情だった。
「少なくとも、俺が加わった時は既に、その男はレキオラだったよ」
俺の言葉に、ファリスが片方の眉を持ち上げる。
「なぜ、そんなことがわかる」
「最初から最後まで、雰囲気が一緒だった」
「つまり、奴と度々接触していたということか」
「あいつが俺をつけ回してたんだよ。俺はあんたに言われたとおり、ちゃんと人目を避けて行動してたのに――。なんつーか、水浴びしてるといつの間にかいて、覗いてたっていうかガン見してたっていうか」
理由を口にしてみると、かなり馬鹿馬鹿しいことに気づく。頬に熱が集まりそうになって、俺は慌てて顔を擦った。ちらとファリスを窺うと、顰め面が向けられていて、思わず息を呑む。言うんじゃなかった。
「んな顔すんなよ、自意識過剰だと思うかもしれないけど、毎日どこからともなく現れて不気味だったんだぞ。それにあいつ、俺のことを――あ、愛してるとか、どうとか」
「お前を、何だって?」
最後の方は言いづらくて小声にしたら、思いの外強い語調で聞き返される。「愛してる」という単語が非常に言いにくくなって、俺は咄嗟に言い変えてしまった。
「……俺のことを、連れていこうとしてたみたいで」
「お前に惚れて、か?」
「えっ、いや……それは、その」
そう面と向かって言われると、戸惑う。どこぞの姫君ならともかく、相手は俺だ。さっきレキオラがついた嘘の方が、よほど信憑性がある。
あまりの恥ずかしさに、俺がナディアの使徒だから連れていこうとしただけだと誤魔化そうとしたが、さっきシュナに言って失敗したばかりだったと慌てて口を噤んだ。
「お前を拾った時点で奴だったのなら、最初から入れ替わられていたと考えたほうがよさそうだな。兵の数も隊列も、装備すら筒抜けというわけか」
俺の答えなどどうでもよかったのか、ファリスはすぐに自分の思考に戻ってしまった。興味があるのかないのか、はっきりしてほしいところだ。
ファリスが気になったのはレキオラの行動であって、俺への感情じゃないだろうが――。
「しかし、いくら魔導師とはいえ、指揮官が自ら敵地に乗り込んでくるとは――。レキオラは相当な変わり者だな」
顰め面を見上げながら、俺もそれには同意した。
「変わり者じゃなくて、変態だ」
奴にされたことを思い出して、嫌悪に身震いする。腕を擦った俺を見て、何を思ったのかファリスは身に着けていたローブを俺の肩に掛けてくれた。
「ファリス?」
驚いて見上げると、ファリスはいつも通り眉間に皺を寄せていたが、俺ではなく部屋の奥を睨んでいた。何を見ているのか気になったが、すぐに戸口に向かってしまったので、仕方なくそれを追う。
「ファリス、俺は――」
「疚しいことがないのなら、大人しくここで待っていろ。戻ってきたら、ちゃんと話を聞いてやる」
立ち去り際にそう言われて、俺は声もなく頷くしかなかった。なんの気まぐれかはわからないが、信じられないくらいの幸福が胸に湧き上がる。
ファリスはもう一度だけ、俺を信じてくれると言ったのだ。だから裏切るな――と。
喜びに浸りかけた俺を、小さな物音が現実に呼び戻す。驚いて振り向くと、すっかり存在を忘れていた医者らしき男がいた。
なぜか真っ青だったが、先ほどファリスが睨んだ先にいたのがこいつだったんだと気づく。解毒できない無能を責めたんだろうか?
でも、ファリスはそんなことをする男じゃない。何をしたのか問おうとしたが、男は俺と目が合うと、そわつくように身じろぎ、青かった頬を赤に変えた。更に青くなるならともかく、なぜ赤くなるんだ。意味がわからん。
だがすぐに、男の視線が俺の胸元や足を不自然にさまよっていることに気がついた。不思議に思いつつ見下ろすと、服がレキオラに乱されたままだった。
別に自分で見ていやらしいと思うことはないが、そういう目で見られていたのだと思うと羞恥が湧く。俺はファリスにかけてもらったローブを、胸の前で掻き合わせた。
そんな行動をとってから我に返って、猛烈な後悔に襲われる。どこの乙女だ俺は。情けなくて泣きたい。
横たわったゾラとディンを挟んで、医者と俺に気まずい沈黙が落ちる。
「――おい、おっさん」
「ははははいっ!」
男はめちゃくちゃ緊張していたらしく、普通に話しかけただけなのに、飛び上がらんばかりに反応した。半ば呆れつつ、外を指差す。
「怪我人、出てると思うんだけど」
「へ?」
「へ、じゃねぇよ。さっさと行け!」
そう言っても、事態を把握していない顔で見つめ返されて、イラッときた。
「てめえ医者だろうが! ここですることがねぇなら、外を手伝ってこいって言ってんだよッ」
俺が怒鳴ると、男はようやく立ち上り、転がるようにして外へ出ていった。側にあった薬草や治療道具の殆どを掴んでいってるあたりは、しっかり医者だ。
俺はゾラとディン以外、誰もいなくなった部屋を見渡してから、二人の傍に寄った。すると気配に反応してか、ゾラがうっすら目を開く。俺を見たが、焦点が合っていないから、誰かはわかっていないかもしれない。
「どうした?」
「………を」
声は酷く掠れていて、何を言っているのかわからなかった。だが、自分が熱に浮かされていたとき、にめちゃくちゃ水を飲みたかったことを思いだす。
「水か……? 水が欲しいのか?」
慌てて側にあった水差しの水を杯に注ごうとしたが、ふと思いついて、俺は懐からダイスを取り出した。
「気休めにすら、ならないかもしれないけど……」
大きいものも小さいものも、総て水差しに落としてから杯に注ぎ、二人に一杯ずつ飲ませる。
せめて発熱の苦しみだけでも取り除ければいいと、俺は強く願った。




