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奪うもの 与えるもの(5)

 私と君は、愛し合う運命にある――。


 これは……この考えは、俺がファリスに抱いていた想いそのものだ。


 それを押しつけられる側になって初めて、それがどれほど一方的で、自己中心的な思い込みかを思い知らされる。


(俺……ファリスにこんな思いをさせてたのか?)


 あまりの衝撃に、喉が強張って言葉が詰まった。喚くのを止めた俺を、緑色の瞳がうっとりと見つめてくる。


「愛してる」


 毒を垂れ流しているような囁きの合間に、耳や頬、首筋を甘噛みされる。片手が俺の腰と床の隙間に差し込まれ、臀部に滑り降りた。尻の形を確かめるように、掴まれる。


 ぐにと指先が尻肉に喰い込む感触で、俄に正気づいた。


 変態相手に、なに好き勝手させてんだ俺は!


 口を押さえる手に噛みついてやろうと歯を剥いた瞬間、甲高い声が空間を切り裂いた。


「オトヤ様に何をっ! 誰かっ、誰か来て下さい!!」


「!?」


 リドの声だった。なぜ戻ってきたのかは知らないが、大声で人を呼ぶリドに、男が小さく舌打ちする。口の中で何事か呟きながら、男は俺の尻から手を離した。


「オトヤ様から離れなさい!」


 叫びながら駆け寄ってきたリドに、男がすっと手のひらを向ける。意識が逸れたことで緩んだ手を、俺は顔を振って剥がした。


「リド、だめだ逃げろ!」


「えっ」


 はっと俺を見た瞳と目が合った瞬間、リドが勢いよく吹っ飛ぶ。小柄な体が柱に激突し、床に崩れ落ちた。


「子どもになんてことを! こ、の、野郎っ」


 くそっ、なんだって体が動かねぇんだ!


「リド! リド!!」


 外で女の悲鳴が聞こえて、俄に周囲が騒がしくなる。人の集まる気配に、男は口惜しげに唇を噛んだ。


「囲まれたか」


 面倒臭そうに言い捨てながら、男は俺を自分の膝上に抱き上げた。力が入らないために頽れそうになった俺のうなじを素早く撫で、己は体を床へ倒す。 


「なにをっ――!?」


 訳がわからなかったが、俺は急に力が入るようになった腕で反射的に体を支えた。瞬間、戸口にファリスが現れる。


「何の騒ぎだこれは!」


「ファリス!」


「ファリス様、お助け下さいっ」


 俺が叫ぶのと同時に哀れな声をあげたのは、あろうことか変態男だった。


「輿の前に、兵士が倒れていたのです。驚いて近づいたところ、ヴィナ・ユナと目が合ってしまい……体が言うこときかなくなって」


「なに……言ってんだ、おまえ」


 唖然とする俺の下から、男は逃れるかのように藻掻いて這い出す。そのまま転げるようにファリスの足許に移動すると、大仰に身を震わせて平伏した。


「抗おうとしたのですが……体が勝手に結界を壊し、格子を開けてしまいました。そうして私を中へ誘い込み、完全に支配するためにか、私に魅入ろうと――!」


「貴様ッ、この期に及んで!」


 もの凄い形相で睨んできたファリスに気圧されて、俺はすぐに声が出なかった。というか、予想外の展開に頭が真っ白で、思考が追いつかない。


「ち、違う! その男が、ゾラとディンに何かしたんだ! 結界を壊したのも、格子の鍵を壊したのも、その男の意志だ。俺は何もしてないっ!」


「黙れ。今すぐにその首を斬り落としてやる!」


 ファリスが抜刀したが、素早くシュナが割り込んできた。


「シュナ?」


「俺がやる。お前の刀をヴィナ・ユナの穢れた血で汚す必要はない」


「違う、俺は……俺の話を」


「ファリスが与えた弁解の余地をぶち壊したのはお前だ」


 冷淡な声で告げると、シュナは座ったまま後ずさる俺を二歩で追いつめた。


 戸口から入る月光を反射して、新月刀が煌めく。


 綺麗だった。その一瞬が永遠に感じられて、何の冗談かと笑いたくなる。


 一瞬、複雑な色をしたファリスの瞳と目が合った。


(…………ファリス)


 俺のファリス。あんたへの恋心を運命だと思ってしまったことが、そもそもの間違いだったんだろうか――。


 ならばここで俺が死ぬのも、運命なんだろう。


 柄を握るシュナの指先にぐっと力が込められ、死の気配が俺の首に絡む。


 ああ、死ぬんだな――と、半ば覚悟を決めていたが、俺の死に紛れるように忍び寄ってきたファリスへの殺意に、閉じかけていた意識がカッと覚醒した。


「ファリス!」


 俺の警告よりも、シュナの動きのほうが段違いに速かった。俺に振り下ろされる筈だった刀は流れるように軌道を変え、振り向きざまに放たれる。


 ギャンと奇妙な音をたてて、新月刀がファリスの喉元で何かを弾いた。間を空けずにシュナがナイフを投擲し、男が平服していた場所を貫いたが、容易く躱される。二本目、三本目が男の後を追ったが、影すら擦らなかった。


 男は輿の外へ躍り出ると、周囲で野次馬と化していた女官の一人を盾にする。放とうとしていたナイフをぐっと握り込み、シュナは眦を吊り上げた。


「貴様、何者だ!」


「さあ、誰だろうね。もし、生き残れたら私に顔を奪われた、哀れな兵士の死体を捜してやるといい。君の義務だよ、シュナ隊長?」


「――なっ」


 絶句したシュナには目もくれずに、男が俺を見つめてくる。その視線の甘さに、情けないが俺の体は後ろへ逃げた。


「君の魅力に抗えず、ついつい下心を出してしまったのが敗因かな。罪な人だ」


 女官の肩越しに、男は(おど)けるような仕草で俺に手を差し伸べ、優雅に微笑む。ぞくりと背筋が震えて、思わず激しく首を振ると、何をどう取ったのか、男は大きく頷いた。


「ああ、大丈夫だよ。すぐにまた、迎えに来るからね」


「来んな変態っ、死ね!」


「拗ねた顔も、愛しいばかりだよ。私の可愛い人」


「拗ねてねぇよ!」


 俺の精一杯の拒絶を微笑で受け流すと、男はパチンと指を鳴らした。瞬間、男を中心に強い風が吹きあがる。


 逃走の気配にシュナが「待て!」と声を上げたが、巻き上げられた砂が晴れた頃にはもう、気を失って倒れた女官の姿がそこにあるだけだった。


「くそっ、魔導師か!」


 悪態をつきながら、シュナが女官に駆け寄っていく。俺もリドのことを思いだして視線を移すと、ファリスが抱え起こしていた。


「リド、リド! 大丈夫か!?」


 飛びつくように駆け寄ると、俺の勢いに気圧されてか、ファリスの動きが一瞬止まる。だが、俺がリドに触れようとすると、遠ざけるように抱き上げた。


「なんだよ、心配しただけだろ!」


「あの男は、もしかしてレキオラか?」


 俺の非難を無視した声が、問いをぶつけてくる。耳慣れぬ名前に、俺は戸惑うことしか出来なかった。


「レキオラ……?」


 俺が首を傾げると、答えを期待できないと悟ったらしい男の首が、左右に振られる。


「……貴様は一体なんなんだ? 何を企んでいる」


 何度も繰り返された問いを口にし、ファリスは俺の瞳をじっと見つめた。琥珀色の瞳には、嫌悪よりも戸惑いの色が濃い。何かを探ろうとしているような、初めて俺を見ようとしてくれているような気配に、微かな希望を抱く。


 真実を言うなら今だと、本能が俺の背を押した。


「ファリス、俺――」


「ファリス、拙いぞ。こいつら、ビズの毒でやられてる」


「何だって!?」


 動揺混じりのシュナの声に、ファリスが瞠目する。


 そのまま勢いよく立ち上がると、ファリスは何人か集まっていた兵士の一人にリドを渡し、ゾラの傍に屈み込んだ。


 何かを確かめるように下瞼の裏を覗き込み、ディンも同じように確認する。


「――熱が上がり始めてるな。とにかく中へ」


 ファリスの言葉を受けてシュナが指示を出すと、兵士達がどこかへ散っていく。そのうちの何人かの手によって、真っ青な顔をしたゾラとディンが部屋に横たえられた。


「ビズってなに」


「煩い!」


 恐る恐る訊くと、シュナに怒鳴られる。更に噛みつかれそうになったが、ファリスが手で制した。


「くだらないことで騒ぐな。出来ることをやれ」


「そうだな、すまない」


 ファリスの言葉で冷静になったシュナが、深く頷く。


 そう経たずに医師らしき男が現れ、ファリスと同じように二人の下瞼の色を確かめると、悲痛な面持ちで唇を噛み、首を左右に振った。


「ビズの解毒は不可能です。何か施したとしても、自己満足にしかなりません。彼らが苦しむ時間を伸ばすだけだ」


「くそっ!」


 男と一緒に用意されていた様々な薬草を、シュナの手が払い散らす。誰一人、それを咎める者はいなかった。


「なんで――。なんなんだあの男は!?」


 どんと床を叩き、「畜生!」と何度も獣のように唸る。


 シュナは暫く床を睨んでいたが、不意に思い立ったように俺に視線を寄越した。目が合うと、ゆらりと立ち上がり、隅で蹲っていた俺の前に立ちはだかる。


「なんでこいつらが死ぬんだ? お前がそう仕向けたのか? あの男はお前の仲間なんだろう!?」


「ちがう」


「貴様はここに来てから、そればっかりだな! 待て、違う、話を聞いてくれ!?」


 ガンと背にしていた柱を蹴られて首を竦めると、鼻で嗤われた。


「聞いてやるから、今直ぐ話せ」


 話が終わったら殺してやると、目が言っていた。


 苦しそうに横たわっているゾラとディンを見てから、俺は意を決して口を開いた。今更、自分が殺されずに済む手段を考えようとは思わなかった。


「俺は……俺はヴィナ・ユナじゃない」


 ファリスが息を飲む音を、聞いた気がした。視線を動かそうとしたが、髪を鷲掴まれて思いきり引き上げられる。


「いっ」


「俺達を……謀かったってことか? 何のために、誰の指図だ? 吐け!」


「待て、シュナ。騙っただけだというなら、瞳の色の説明がつかない」


「そんなことは後でいいだろうが!」


「重要なことだ。後でいいわけがないだろう」


 諭そうとするファリスの言葉に、シュナの頬が引き攣った。皮肉げな笑みに、口端が上がる。


「ああ、そうだったな。ファリスにとっちゃ、こいつがヴィナ・ユナじゃないっていう事実は大事だよな? そんなに真偽を確かめたいなら、代わってやるよ!」


 何かを含むようなシュナの物言いに、ファリスの顔が強張る。気になったが、唐突に放り投げられて思考が霧散した。ディンの上に落ちそうになった俺を、ファリスが慌てて受け止める。




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