奪うもの 与えるもの(4)
俺が再び輿に戻って来ると、幕布の代わりに荷車から外してきたらしい鉄格子が取り付けられていた。罪人になった気分になって少しへこんだが、当然の警戒だろう。
宴の裏でこそこそと行われていた軟禁だったが、俺の様子を見に来てくれたらしいリドに見つかってしまい、いま正に一騒動起こっていた。
「どうしてこんな……酷いです。考え直して下さい!」
「あーあぁ、やっぱり子どもを付けたのは拙かったな。すっかり取り込まれちまって」
鉄格子に張り付いて喚くリドを、シュナが引き剥がそうと苦戦している。
「しっかりしろ! お前は神官様のところに行って、邪気払いをしてもらわないと」
「私は正気です! 嫌だ、オトヤ様っ」
格子の隙間から手を差し入れて俺に伸ばしてくる姿は本当に必死で、リドのためにと無視してやっていたがこのままだと怪我をされそうだ。俺は仕方なく、口を開いた。
「リド、いいから従っておけ。俺は大丈夫だから」
「でもっ」
「大丈夫だから」
「……オトヤ様」
「行けって。大丈夫だ。な?」
じっと目を見つめてやると、リドは頑なに握りしめていた格子からようやく手を離した。
アリヤ付きの女官がシュナによって呼ばれ、未だ興奮気味のリドが引き取られる。何度も振り返りながら去っていくリドを見送っていたら、シュナによって視界を遮られた。
「陰険なことすんなよ」
「余裕ぶりやがって。少しでも妙なことをしたら、俺がその首を斬り落としてやる」
「しないって。なあファリスは?」
「黙れ、お前がその名を気安く呼ぶな」
シュナが格子を蹴り上げ、輿全体がぐらりと揺れる。見張りに立たされていたゾラとディンの肩がビクリと跳ねた。
「わかった。悪かったよ。皇子様だと知らなかったんだ」
本当のことを言っただけなのに、シュナは散々俺を罵ってからその場を後にした。姿が見えなくなってからディンが盛大な溜息をつき、ゾラに頭をひっぱたかれる。
「いってぇ!」
「気を抜くんじゃない」
「だって」
握った拳を振り上げられて、頭を腕で庇うようにディンが身構える。緊張を不安ごと吹っ飛ばしてくれる滑稽さが、二人のやりとりにはあるな。
「災難だったな。せっかくの宴だったのに」
俺が声をかけると、はっと二人が俺を見て、それから慌てて視線を逸らした。
瞳を見ないようにと、きつく言われてるんだろう。
「俺が行っていいと言っても、意味ねえしなぁ」
「ファリス様が神器の力で輿の四方を封印してるらしいっすよ。魔導の力をそのまま反射すると言ってました。どうかお力を使って逃げようとか思わないでください」
「ディン」
まるで俺を気遣うようなディンの台詞を、ゾラが窘める。けれどディンは怯えて首を竦ませたりせずに、素知らぬ顔でそっぽを向いた。
そういえば目眩を起こしたときも、ディンは怯えながらも俺を支えてくれた。いったいなにが、俺に対して好意的な行動を起こさせているんだろうか?
戸惑いを持て余して、無意識に懐を探る。指先がダイスに触れて、ふと思いついた。
(これ……代わりにならないかな)
ファリスが俺のために使ってしまった、「何か」の代わり――。春日が希少だと言っていたし、これだけ大きいものなら、それなりの価値があるんじゃないだろうか。
気休めかもしれないが、何もないよりはずっといい。
だが、渡すにはまず、誤解を解かなければならない。
(だけど、何をどう言えばいいんだ?)
ヴィナ・ユナじゃないと言えば今更何をと激高されそうだし、実はナディアの使徒かもしれないと言ったら、それこそ俺の首が飛びそうだ。
「さて、どうしたもんか」
しかしまさか、俺のついた嘘のせいで、国宝であろうギナカエラまで持ち出してくるとは思わなかった。
あんなでかい剣で貫かれたら、普通に死ぬっつーの。
というか、ナディアは俺を助ける気ゼロなんだろうか。自分で俺を使徒にしておいて、そのまま放置なんてあり得ないんだが。
それとも、来られない事情でもあるんだろうか。
「…………」
よくよく思い出してみれば、俺の前に姿を現したとき、嫌そうというより苦しそうだった気がしなくもない。それこそ、色んな感情が入り交じったような――。
(何かを俺に伝えようとして、それができないから力をくれた、とか?)
だめだ、どんなに考えても憶測にしかならない。やっぱり、春日を喚ぶしかないんだろうか。
「……うん?」
不意に外で物音がして、思考が中断される。視線を鉄格子に向けると、ゾラとディンが倒れていた。
「え? ちょっと、おい? どうし――」
慌てて駆け寄ろうとしたが、戸口に現れた男に気づいて、俺は足を止めた。あの蛇男だ。
「お前……、こいつらに何をした?」
「可哀相に……こんなことになって。君がヴィナ・ユナではないことくらい、よく見れば簡単にわかることだ。だが、愚かな彼らは、真実を視ようとしない。君からは水と大地の気が溢れ、この世のものとは思えぬほど美しいのに」
俺の問いを無視した上に、恍惚とした表情で言われて、背筋にぞわりと怖気が走る。
なんだこいつ。最初からヤバい野郎だと思ってたが、今までとは何かが違う。
存在が希薄すぎて薄気味悪い印象だったのに、今は威圧されるような、強い存在感があった。
「君がファリスの元に現れたときは歯噛みする思いだったけれど、君は彼を巧みに欺き、逃れていたね。だから気がついたんだ。君が現れたのはファリスの所じゃなくて、私の所だったんだとね」
だから迎えに来たんだと、蛇男が格子にある錠に手を伸す。俺は警戒に体を強張らせたが、蛇男の指先は静電気みたいな閃光にバチッと弾かれた。皮膚と爪が裂け、血が溢れた指先に俺は息を呑んだが、蛇男は僅かに眉を顰めただけだった。
「……結界か。生意気な」
蛇男が指先を舐めると、すっと傷跡が消える。それに驚く間もなく、蛇男の姿が格子の前から移動した。
蛇男の姿が見えなくなったことで、息を止めていたことに気がつく。俺は酸欠に痛むこめかみを押さえながら、大きく息を吐き出した。
(なにが、どうなってんだ……?)
脂汗が滲む額を、腕で拭う。今のうちにどこかへ逃げなければと立ち上がったところで、男が戻ってきてしまった。
「ギナカエラを使って組んだ結界がこの程度とは――太陽神もさぞ嘆いているだろう。あれもいずれは私が手に入れて、もっと有効に使ってやらねば」
手にしていた紙切れを破り捨て、蛇男が錠に触れる。すると今度は、指先ではなく錠のほうが弾け飛んだ。
ゆっくりと格子を押し開き、踏み込んでくる。
「な、なんなんだよお前。近寄るな!」
「怖がることはない。ジャダスは君を歓迎する」
「何言ってんだ、あんた」
近づいてくるのと同じ速さで、後ずさる。ていうか、ジャダスってどっかで聞いたことあるような、ないような。
いや、余計なこと考えてる場合じゃねえな。
「なぜ、逃げるんだい? 君を助けようとしているのに」
「必要ない。近寄るなって言ってんだろうが!」
「そんなふうにわざと拒絶して、私の気を引く必要はないんだよ? 私はあの愚鈍な男とは違う。君を初めて見たときから愛してるんだ。さあ、こっちにおいで」
「はあ!?」
目が怖い。目が怖い。目が怖いんですけど!
イっちゃってるならまだしも、なんでそんな冷静な顔してんの!?
とか思ってるうちに、壁に背中ついたし!
「ちょっ、待て。話し合おう。俺達には激しい誤解が生じている」
「これ以上、焦らさないでおくれ」
「ひっ」
頬に触れてこようとした手を思いきり叩き落とす。すると、蛇男は払われた手を暫くじっと見つめてから、緩慢な動きで再び俺を見た。そして、世話の焼ける子どもの相手でもするような、慈悲深いとさえとれる微笑を浮かべる。
状況が状況なだけに、どう足掻いてもホラーだ。
「さわ、るな」
絞り出すように告げると、わかっているというように深く頷く。
「そうだったね。式を解くのを忘れていた。こんな醜い顔では、君の警戒も尤もだ。怖がらせて悪かったね」
申し訳なさそうな蛇男の顔が、持ち上げられた手のひらに覆われる。すると顔面がざらりと崩れ、砂になって指の隙間から零れて消えた。
「――ひっ」
ぞっとして、俺は思わず顔を逸らした。顔面が崩れた場所に何があるかなんて、確かめたくない。
「ほら、もう平気だから。私を見てごらん」
「やめろっ」
目を瞑ったまま伸ばされた手に抗ったが、すぐに顎を掴まれた。その手を払おうとした腕も、逆の手で掴まれる。
「くっ」
「こっちを向いておくれ」
壁に腕を押しつけられ、首を力尽くで正面に戻される。瞼にぎゅっと力を込めたが、向き合って目を瞑っていることの方が不意に恐ろしくなり、俺は目を開けてしまった。
そうして視界に飛び込んできた光景に、絶句する。
「な、んで……?」
俺を見つめていたのは、元の蛇男とは似ても似つかない、美貌の持ち主だった。緑色の瞳と視線がぶつかると、女が殺意を覚えそうなほど長い睫毛が震える。
「本当の私の顔は、気に入ってくれたかな?」
「いみ、わかん……ね……。いったい、どうなって――」
狼狽に身を捩ろうとしたが、ぐっと詰め寄られて腕の中に閉じこめられる。男の手のひらが俺の頬から首筋を撫で下ろし、ゆっくりと鎖骨をなぞった。なんとも言えない感触に首を竦めると、男の瞳に愉悦が滲む。
「一度触れてしまってからは、君にもう一度触れたくて狂ってしまいそうだった。なのにいつもいつもあの男が傍にいて、私の邪魔をする。だから始末してしまおうとしたのに、思いがけず君を失いそうになって、私がどれほど驚いたかわかるかい? ――ファリス・ゼナウシス。つくづく邪魔な男だ」
「え?」
電波な話をまともに聞く気など更々なく、必死に男の手から逃れようとしていた俺の意識が、その名前に反応する。すると、男の顔が忌々しげに歪んだ。
「またそうやって、まるであの男を愛しいとでも言うような目をする。君は惑わされているんだよ。目を覚まさせてあげよう」
男は艶然と微笑むと、俺のうなじをそっと撫でた。
以前、春日にも触れられた場所に痺れるような痛みが奔って、がくりと膝から力が抜ける。俺の体は男にもたれ掛かり、容易く抱きかかえられてしまった。
「え? おい、ちょっと?」
腕から逃れようとしても、体に力がまったく入らない。糸の切れた人形のように、俺はゆっくりと床に横たえられてしまった。男の体が、覆いかぶさってくる。
焦る間に男の手が服に潜り込んできて、俺は目を剥いた。
「ちょっ、何考えてんだ!? なにして――ッ」
脇腹を撫でつつ首筋を舐め上げられて、声にならない悲鳴をあげる。怒りと嫌悪で、俺の視界は真っ赤に染まった。
「やめろ、触るな! くそっ、誰か! だ……んぐッ!」
「大丈夫。直ぐにわかる。私と君は、愛し合う運命にあるのだから」
言葉と眼差しは寒気がするほど優しいが、叫ぼうとした俺の口を押さえ込む力は凄まじい。本気で恐ろしかった。だが何よりも、男が言った台詞に、俺は打ちのめされていた。




