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奪うもの 与えるもの(2)

 イーダが終わるまでセナルに留まるらしく、今までよりも本格的な野営の準備が始まった。野営というよりもちょっとした集落みたいで、人々の表情に安堵と喜びが滲んでいる。


 ファリスはこれからが忙しいのだろう。一度だけ輿まで様子を見に来たが、リドにここでの俺の世話を頼むと再び喧騒の中に戻っていった。


 暫く一緒にいられないことよりも、一度も俺を見なかったことのほうがへこむ。


(相当怒ってる――ってことか)


 俺を助けたことが、そんなに心外だったんだろうか。それとも、失ったものが大切すぎたんだろうか。


(その両方か……。いや――)


 シュナの言う通り、俺を見捨てられなかったことが、一番堪えているのかもしれない。見捨てていれば、総てが解決していたんだから。


 アリヤを連れて行くというのは俺の嘘だから、本当は、俺の脅威なんて何もないんだけれど――。


(早く話さないとだよな。せっかくセナルに無事について、心から喜びたいだろうに)


 ゾラとディンが駱駝兎から輿を外して、それを俺の部屋として整えてくれている。その間、リドと遠目から準備の様子を眺めていた。


 今はまだ陽が高いが、瑞々しい木々が木陰をあちこちに作ってくれているので、作業はしやすそうだ。


「なんか、すごいな。華やかっつーか……」


「今年は花嫁に祝福を賜らなければなりませんから、常より豪華なんだと思います。シェラディアがこんなに大規模な旅隊になったのを、私も初めて見ましたし」


「そうなのか。でも、今の状況でナディアに祝福なんてもらえるのか?」


「……現在の后妃様は、祝福を頂けなかったそうです。もちろん、その前の后妃様もその前も――。国の母たる存在が祝福を得られないことは、深刻な問題となっています。そのことによる、后妃様への風当たりも強くて――」


「后妃を責めるのはお門違いだろ? ナディアの悲憤は、それこそ国中の誰もが知っていることじゃないのか?」


「はい。ですが、神を罵ることはできませんから。国を憂う余り、花嫁が悪いのではと、后妃様を責める者もいるのです」


 不安をぶつける捌け口が、そこに向かってしまったということか。


「どの后妃様も、先行きの危うい国へ嫁いできて下さった、優しく気高い御方ですのに」


「今は? まさかずっと陰口に付き合ってるわけじゃないよな?」


 思わず問うと、リドはもの凄く嬉しそうな顔で頷いた。


「陛下の厳しい口添えもあり、后妃様は心安く過ごしていると、側仕えさせていただいている母から聞いております。陛下は素晴らしい御方です。そして、どの皇子殿下も、その血を受け継いでくださっている」


「そういえば、アリヤは皇太子の花嫁だったな」


「はい。陛下はまだまだご健勝ですから、即位は数年先でしょうが、ハリファドは海に面した豊かな貿易国です。この婚姻は、セッダにとって光となるでしょう。皆の希望なのです。だから、ファリス様は絶対にアリヤ様に祝福を賜りたいとお考えなんだと思います。祝福のない花嫁に待ち受ける苦難を、アリヤ様には味わって欲しくないと考えておられるでしょう」


 ファリスが最善の努力をすると疑わない瞳が、なぜか胸を騒がせた。ファリスが何事にも真剣に取り組むことは、俺だってわかっているのに――。


「……そうか」


「あ、いえ。すみません。はしゃぎすぎました」


「嬉しいことを喜んで何が悪いんだ? それに、ナディアから祝福はもらえるさ、きっとな」


 俺の存在が、彼女を動かすらしいし。


 それをファリスが誰よりも望んでくれているというなら、願ったり叶ったりで余計にやる気も出るってもんだ。


 何をすればいいのかは、わからないけど。


「あの、オトヤ様」


 気がつくと、リドは少しだけ哀しい色をした瞳で、俺を見ていた。


 まただ、と思う。


 時折見せるのだ。まるで憐れむような、気遣うような顔を。ファリスかアリヤの話をしているときのような気がするから、止めて欲しい。嫌な憶測をしちまうだろうが。


「なんだよ」


「貴方様は本当に、ヴィナ・ユナなんですか?」


 唐突な質問に、面食らう。


 ヴィナ・ユナなのかと俺に聞かれても、紫の瞳を持つ者はヴィナ・ユナだと言ったのはそっちじゃないか。


「……さあ、お前の目には、どう見える?」


 ふと、リドには真実を話してもいいかもしれないと思った。こっちにきてからファリスと同じくらい俺の傍にいてくれたのがリドだったし、もしかしなくても、ファリス達よりは冷静に話を聞いてくれるかもしれない。


 俺の切り返しに複雑な顔をしていたリドに話を振ろうとしたが、部屋の準備が終わったとゾラが呼びに来た。落ち着いてからでいいかと、未だに難しい顔をしているリドの肩を軽く叩いて促してから、輿の中に入る。


 だが一息つくどころか、睡眠時間すらとることなく宴が始まってしまい、話す機会を逸してしまった。


 宴には、全員が加わらなければいけないらしい。


 当然、ヴィナ・ユナである俺は除外だ。


 参加したかったわけじゃないが、寂しくないと言ったら嘘になる。ただでさえ異物なのに、こんなふうに孤独まで強調されるのは辛い。


 夜が訪れても、音楽や笑い声が途切れることはなかった。華やかな喧騒に、睡魔も逃げ出しているらしい。


 俺は一人ですることもなかったので、昼間に行きそびれた水浴びでもしてこようと、宴席を避けて泉に向かった。


「つか、ヴィナ・ユナを放置ってありえなくね?」


 全員参加が掟とはいえ、定期的に誰かが様子見に来るべきだろ、普通。


 ぶつぶつ文句を言いながら、久しぶりに見た柔らかな土を踏みつけていると、宴のざわめきが一際大きくなって、俺は思わず視線を向けた。


「う、わ」


 ざわめきの中心には、月夜に浮かび上がる純白の衣装を身に纏った、凛とした美女がいた。淡い桜色の髪は高い位置で華やかに結い上げられ、艶やかな肌は周囲と比べると色が薄い。陽の下に出ることがあまりないのだろう。


 そりゃそうだ。一国のお姫様で、やがてはセッダの皇太子の后妃になる女なんだから。


「あれが、アリヤか」


 ようやく見られた花嫁は、一輪の百合のようだった。向けられた笑顔に人々が歓喜し、恍惚と魅入る。


 近寄りがたい程の美貌だったが、さほどしないうちに宴の輪の中に溶け込んでいった。


 口を開けて笑い、隣に座るファリスの肩を豪快に叩く。


 皇女と聞いてイメージしていた姿とは違ったが、アリヤがどれほど魅力的なのかは嫌というほどわかった。なにより、柔らかく笑うファリスがいて、かなり驚いた。


 セナルについてから俺が放置されていたのは、傍にいる対象を敵から護るべき者に変更したからだったらしい。


 そしてリドが時折俺に向けていた、あの哀しい瞳の意味も、あの顔を見ればわかる。


(ファリスは、アリヤが好きなのか……)


 あからさまなわけじゃない。俺が、ファリスを好きだからわかるんだ。優しい。どこまでも優しい視線。護り、慈しむような――。


 リドは人をよく見ているから、ファリスの想いに気づいていたんだろう。


「はあ、お手上げって感じだな」


 あんな美女に惚れてたんじゃ、ヴィナ・ユナの男で、しかも容姿でも劣る俺にファリスが(なび)くわけがない。


 救いなのは、アリヤがファリスに対して微塵もそんな気持ちを持っていないことだろうか。あれは、幸せな女の顔だ。再婚を決めたときの、母親の顔を思い出す。アリヤは皇太子を愛してるんだろう。


「なんだこの関係図」


 壮大なファンタジー映画から、陳腐な恋愛ドラマにシナリオが早変わりだ。


「……別にいいけど」


 略奪愛上等みたいなテンションだったら困るが、見るからに「好きな女には幸せになってもらいたい」って心境で頑張ってるっぽいし――。


 それでアリヤへの気持ちが整理できるなら、俺は俺に出来ることでファリスを手伝えばいい。靡かない要因など早早に排除し、さっさと俺に目を向けてもらわないと困る。


「……でも俺、ここからセッダに行けるのか?」


 ナディアに会うのはいいが、その後どうなるのかがわからない。ヴィナ・ユナを、彼女はどう扱うんだろうか?


 漠然とした不安に囚われかけたが、もし深刻なことになるなら春日が何かしら言ってくれた筈だと思い直す。


 そもそも、好きで力を得たわけじゃない。返せと言うなら喜んで返すし、謝れと言われたら――それはちょっと抵抗あるな。


 俺ってどの角度から見ても、絶対に被害者だし。


「うん? なんだこれ……」


 服を脱いで泉に入ると、化学反応のように、俺と接触した水がふわんと、青白く発光していた。ナディアがいる地だから、魔力濃度が高いということだろうか。


 心なしか空気も澄んでいて、セナルについてからは気分も良かった。今までの体調不良が嘘のように、体の内側から力が湧くような高揚感がある。


「はぁ。すげー気持ちいい」


 泉の中心で揺れる月が綺麗だったので、泳いで近づく。草木のざわめきの隙間に遠い喧騒を聞きながら、ぱしゃり、ぱしゃりと泉に水音を響かせた。


 水面に揺らぐ月を愛でてから、本物を見上げる。月光が、降り注ぐ銀の雨みたいだった。


 目を閉じて水面に浮かび、月光浴をする。水面をたゆたう心地良さに酔っていたが、その静寂を妙な気配に邪魔されて、俺は体を起こした。


「……なんだ?」


 視線を巡らせたが、俺の周囲には相変わらず静かで綺麗な景色が広がっている。


 気のせいかと思いたかったが、胸が騒いだ。


「ここじゃ、ない……? もっと、遠くか?」


 ぐるりと、広い範囲で包囲されているような、奇妙な閉鎖感だった。何か、よくないものがセナルに近づいてきているような――。


(この世界に来てから、気配に敏感になった気がする)


 ていうかよく考えたら、ヴィナ・ユナの俺が、女神がいる聖域で癒されてるって変じゃないか――?


 穢れた魔力を宿いている俺は、祝福の言霊にすら苦しむ存在のはずだ。


「ん? 祝福……? あれ、ちょっと待てよ?」


 俺、春日に祝福の言霊を唱えられたよな? それも視認できるほど力の宿った、輝く言葉で。


 あのとき俺が感じたのは、身を灼かれる苦痛じゃなくて、包み込まれるような温かさだ。


「……おいおい、マジか?」


 そこから導き出される結論に、俺は頭が真っ白になった。


 この世界に引きずり込まれたときに会った、あの不機嫌そうな絶世の美女。彼女が――。


 彼女こそが――、ナディアだったんじゃないだろうか。


(ファリス達も、俺も。なにか、とんでもない勘違いをしていたんじゃ……)


 だが、ハッキリとした確証はない。俺は頭を冷やすために、水面に映る月にばしゃっと頭から突っ込んだ。そのまま水中で体を反転させて、水面を見上げる。


 ここに来たときのことを、思い出させる光景だった。あのときは陽光だったが、月光が降り注ぐ水中も悪くない。


 息が苦しくなるまで見上げて起きあがり、いっそこの件を問いただすために春日を喚んでしまおうかと思い悩む。


「でも、今後何があるかわからないのに、一度しかない特権を使うのは安易すぎるか」


 だが、俺の推測が事実だった場合、春日に証人になってもらうという手もある。ファリス達も、ヴァミリオの魔女の言葉を疑いはしないだろう。


 喚ぶべきか、喚ばざるべきか。悩みつつふと見下ろした先で青白い輝きの塊を見つけてしまい、俺の思考が一時中断した。じっと、水面に揺らぐ月の奥を見つめる。


 恐る恐る手を差し入れてそっと掬いあげると、一辺が三センチくらいある結晶が、手のひらに二つ乗っかっていた。


「でか!」


 いや、これ、なんつーか、でか!


 無駄にテンションを上げた後、もっと採れないかと粘ってみたが、その二つ以上に大きい物は採れなかった。


 仕方なくその二つだけを持って岸に戻ろうとしたが、服を置いた岩場に人影を見つけて、体が強張る。取り落としそうになったダイスを、慌てて握り込んだ。


「お前の狙いはなんだ。何を企んでいる」


 聞こえてきたのは、ファリスの声だった。


「なんだ、ファリスか。脅かすなよ、あの蛇男かと思ったじゃねーか」


 ざばざばと水をかき分けて、表情が見えるところまで近づく。不思議なもので、目の前にいるのがファリスだと思うと、裸のまま近づくのが少し恥ずかしかった。


 触って欲しいと、散々思ってるのに。


「いつから見てたんだよ、スケベ。顔はともかく、体はお好みか? あんたの好きにしていいんだぜ?」


 照れ隠しに、わざと両手を広げてくるりと回ってやったら、意外なことにファリスが動揺したのがわかった。


「あれ、嘘! マジで!? 嬉しいんだけど! どこが好きだ? 首? 腰? もしかして足か? あ、尻は?」


 喜びに羞恥が吹っ飛んで、はしゃぎながら近づく。すると、ファリスが脇にあった木を拳で殴った。力に見合った鈍い響きに気圧されて、足を止める。


「ファリス?」


「黙れ。それ以上近づくな! ここで何をしているのかと訊いているっ」


 さっきの動揺は錯覚だったんじゃないかと思うくらい、ファリスの表情は厳しかった。声も低く、重い。


 んだよ。ちょっとからかったくらいで、そんなに怒ることないだろうが。


「何って。水浴びだけど」


「ナディアの力を奪うためにか?」


「は? 何それ――」


「妙だと思ったんだ。アリヤを奪うと言いながら俺に付きまとったくせに、何も仕掛けてこない。お前の本当の目的は、ここへ案内させることだったんじゃないのか?」


「ちが」


「俺は正直、お前がセナルに入れるとは思っていなかった。いったいどんな方法を使ったのかは知らないが、虎視眈々と、再び女神の力を奪う機会を狙っていたということか」


「待て。違う。俺の話を――っ」


 俺の言葉を無視して、ファリスは手に備えていたらしい大剣をゆっくりと掲げ、俺に狙いを定めた。


「これが何かわかるか?」


 月光に煌めくそれが何なのか、嫌でもわかる。内に宿る灼熱と光の渦が、俺の瞳にはハッキリと視えていた。


「……ギナカエラ」


 太陽神がヒュゴに授けた神器だ。リドの話では弓矢だったはずだが、それはヒュゴが狩人だったからだと言っていた気がする。持つ者に合わせて、形を変えるんだろうか?


「その通りだ。ヴィナ・ユナである貴様をこれで貫けば、魂すら打ち砕いてくれよう」


「そんな」


「そういえば、貴様が真に愛しいであろう背約者を封印したのもギナカエラだったか。貴様はこれも探していたのか? だが無理だぞ。この神器はヒュゴの血を引くものにしか触れることはできん」


 呆然としていた思考に、一つの言葉が引っかかった。


 ヒュゴの血を引く者って――それはつまり、


「ちょ、え? 皇族? ファリスは皇族なのか!?」


「白々しいことを。だから俺に近づいたんだろうが!」


 なんだか話がバッドエンディングに向かって、順調にフラグたちまくりなんですけど。どこで選択肢を間違った?


 あ、一番最初か? ってそうじゃなくて!


「ファリス、違うんだ。頼むから俺の話を聞いてくれ」


「こちらにも聞きたいことは沢山ある。お前がこのまま抵抗しないのなら、今暫くその命を長らえさせてやろう」


「しない、しない。話を聞いてくれるなら大人しくするさ。どうすればいい」


 両手を挙げて無抵抗を示すと、ファリスは無言で暫く俺を見つめてから、剣を引いた。


「……そこから上がって、服を着ろ」




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