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嘘と真実と嘘(2)

「なんだよ」


 なんとなく居心地が悪くて、視線を逸らす。


 ナディアのことなんかすっかり忘れていたし、体調が悪いのは単なる疲労だから、リドの意見は見当違いだ。だけど、俺が体調を崩していることに気づき、心配してくれている。そんな存在がいることに、俺は動揺していた。


 いくら恐れないといっても、セッダに生きる者達にとって、ヴィナ・ユナが忌まわしい敵であることに変わりはない筈なのに――。


(やめろよ……マジで。調子狂うし)


 思いがけない優しさに、不覚にも泣きそうになってしまう。それを誤魔化すために、俺は偽悪的な言葉を吐いた。


「お前、賢そうに見えて本当は馬鹿だな」


「えっ」


「俺はヴィナ・ユナだぜ? このまま聖地まで案内させて、再びナディアの力を奪い、背約者を復活させようと企んでるかもしれない。そんな男の心配なんかしてどうするんだ?」


 低い声で告げた俺に、リドはさっと顔を青ざめさせたが、すぐにきつく唇を噛み締めた。


 しばらく俯いていたが、急に持っていた杯の片方を呷る。ぷはっと息を吐き出しながら杯を床に置き、口端から零れた雫を手で拭った。


「正直に言いますと、よくわからないんです」


「わからないって、何が」


「私には、貴方はとても綺麗で優しい方だとしか思えないんです。もしかしたら、その優しさは私を油断させるための演技なのかもしれませんが……でも、少なくとも今飲んだ水は毒じゃなかった」


「……お前」


 それを確かめるために飲んだのか。


 その度胸に、思わず感心してしまう。「これは毒だ」と敵に差し出された水を、俺は飲めるだろうか?


 ていうか、俺はリドに優しくした覚えがないんだが。


「確かに私は愚かなのかもしれません。けれどオトヤ様が私を裏切るまでは……敵視などできません」


 真っ直ぐに俺を射抜いた瞳には強い意志が感じられて、非常に好ましかった。


 馬鹿でも愚かでも、真っ直ぐなヤツは好きだ。


 今思えば取り巻きに置いていた奴らも、単純で素直な奴が多かった。ズルして少しでも多く俺から甘い汁を吸おうとするヤツよりも、動いた分だけ素直にねだる連中の方が可愛いってもんだ。


 手際がいいに越したことはないが、多少要領が悪くても全力でやる馬鹿ならば、嫌いじゃない。


「――勝手にしろ」


 呆れを隠さずに言い捨てると、リドは少し頬を膨らませながら「勝手にします」と答えて、杯に新たな水を注いだ。


「あ、毒。私が飲んじゃいましたね。どうしよう、貴重なものだったんじゃ……」


 体に良いものだと判断したくせに、結晶のことを毒というリドの邪気のない毒気にこそやられて、俺は新しく注がれた水にも結晶を落としてやった。


「貴重なものだったなら、誰にもやらねーよ」


 クッションに体を埋めながら意地悪く俺が言うと、小さな溜息が一つ聞こえてくる。


 さすがに天邪鬼な物言いすぎたか――と思うと恥ずかしくなって、もう一つのクッションを抱き寄せて顔を押しつけた。


「……リド、少し眠るから着いたら起こしてくれ」


「はい」




   ◇ ◇ ◇




「――ヤ様。オトヤ様」


「……ん、着いた?」


「はい」


 気怠さを払いきれずにのそりと起きあがると、寝汗をかなりかいたのか服が湿っていた。気持ち悪かったので、ルッカ水に浸した布で、軽く体を拭いてから輿を降りる。


 異様な熱を放出する一面の砂漠の果てから、恵みとは言いがたい灼熱の陽射しが姿を現しかけていた。


 少し前までは日の出の後も数時間は移動していたが、その時間が日に日に短くなっている。もちろん、それに比例して気温が上がる時間も早くなっているからだろう。


 セナルに近づくにつれ、気温がどんどん上がっているようにも感じる。


 一度にどれほど移動しているのかは知らないが、人の足で、しかも大行列で移動できる距離などたかが知れている。その短い距離でこれだけ気温が違うのは、何か別の力――それこそ女神の怒りか何かが働いているような気がした。


 真横から差し込んだ太陽光の眩しさに俯いたら、ぐらりと足場が揺らぐ。咄嗟に俺を支えたのは誰かの腕で、見上げるとディンだった。


「悪い。今、揺れなかったか?」


「えっ」


 ものすごく驚いた顔をされる。けっこう揺れた気がしたのに、どうやら俺の勘違いだったらしい。というか俺を支えるディンの手が震えているのが可笑しい。怖いなら、支えなけりゃいいのに。


 俺から離れてやると、あからさまにほっとした顔になってゾラに叩かれていた。


 この二人のやりとりはリドと目撃することが多く、よく話題にあげて笑っていたのでリドを見たが、そこにあったのは賛同や共犯めいた笑顔ではなく、少し厳しい顔だった。


「リド?」


「いつもよりお顔の色が悪いように思います。もう少し涼しいところに移動して、ファリス様をお待ちしましょう」


 怖れもせずに俺の手を取るリドを見て、ゾラとディンが息を呑む。木陰に移動するまでの間、繋いだ手に二人の視線が集中していて、なんとなく気まずかった。


 リドの異色さを、改めて思い知らされる。もちろん、ヴィナ・ユナという存在の忌まわしさも。


 胸の奥に押し込めている不安が、隙間から滲み出てきそうだった。


 力があるのに、与えられた目的や使い方がわからないのは怖い。シュナが言ったように、俺の意識が突然切り替わって、誰かに危害を加えようと動き出したら――。


 漫画や映画じゃあるまいし、あり得ないとは思うが、馬鹿馬鹿しいと一蹴できるほど楽観も出来ない。背約者のことを思うと、ナディアに近づくのはよくないような気もしてくる。ナディアとの邂逅によって、何かが動き出してしまいそうで――。


(……ファリス)


 早くファリスに会いたいと思った。


 ファリスに文句を言われてものし掛かって、あの安心する体温と鼓動を感じながら何も考えずに眠りたい。


 いや、今更信じてもらえるかわからないが、今度こそちゃんと真実を話して、それこそ拘束なりなんなりしてもらったほうがいいのかもしれない。俺がヴィナ・ユナとして動き出したら、ファリスにとって望まない事態が訪れることは明白なんだし。


「――話さないと」


「オトヤ様っ」


 ぐらりと再び地面が揺れたと思ったが、リドが奇妙な形に歪んだことで、自分が目眩を起こしているのだとようやく気がついた。


 俺を支えようとリドが手を伸ばしてくれたが、無理がある。俺はリドに倒れ込まないようなんとか傍らの木に手をつき、足元にあった岩に落ちるように座り込んだ。その後で傾いだ体だけはどうにもならず、リドに支えてもらう。ぽた、と顎から汗が落ちて岩に小さな染みをつくるのを凝視して、遠のきそうになる意識を必死に繋ぎ止めた。


「大丈夫ですか?」


「ダメ。すげぇ気持ち悪い」


 リドが泣きそうな表情で顔を覗き込んでくるもんだから、本音の混じった冗談を言うつもりだった。それなのに、驚くほど切羽詰まった声が出る。


 自分で思っているより、俺には余裕がないらしい。というか、さすがにこれはおかしい。何がおかしいかはわからないが、嫌な感じがする。空気がひどく重い。


 いつもはオアシスにつくと、どちらかというと気分が良くなるのに――。


 ひとまず吐き気が収まるのを待ってから、周囲を見渡した。俺の輿は旅団とは少し離れた場所に停まるので、野営の準備を忙しなく始める人達が遠くに見える。


 近くには、リドとゾラとディン。他には誰も、何もいない。


「……気のせい、か?」


 体調が悪いから、不安が助長されてるのかもしれない。


 緊張と警戒で高まった鼓動を落ち着けようと、深呼吸をした。背中をさすってくれているリドの手のひらの感触が心地よくて、少しずつ体の強張りが解けてくる。 


「横になられますか?」


「いや、大丈夫だ」


「では何か飲み物を」


「ああ、そうだな」


「はい――」


 リドは頷いたが、俺に添えている手を離すのをためらって、直ぐには立ち上がらなかった。その僅かな間に、ディンが動く。


「俺が貰ってきますよ」


「あ、はい。お願いします」


 俺も驚いたがリドも意外だったようで、ぽかんとディンを見上げていたが、ゾラはディンと目を合わせただけで何も言わなかった。ただ、一歩だけ俺達に近づく。


 まるで周囲を警戒する俺を、気遣うみたいに。


 奇妙な気分だった。リドにも二人にも、別に好かれるような工作をした覚えはない。ましてこいつらにとって、俺はヴィナ・ユナだ。


 それなのに――不思議と少し心が安らいだ気がした。




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