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第二話「天上花蓮の平日な休日」(中)


 特定の人物に対する個人的な印象など、それこそまさに相対的であって人それぞれであるというのは言及するまでもなく当然のことだけれど、それでも天上花蓮に対する僕と僕以外の人間が抱いている印象とでは、雲と泥、月とすっぽんほどの差異が確固として存在していた。

 例えば。

 美人――これは例外的に、疑いなく共通した認識である。百人が百人まで、彼女を美人と評価することに対し微塵の迷いすら生じさせまい。否定するのは平安時代の貴族か、よほどの捻くれ者か。いわゆるブス専という人種もこの世には存在しているらしいが、彼らの“美人でない人にときめく”という性癖は裏を返せば美人とそうでない人間の区別が明確についているということになるのだから、彼らとて花蓮の美しさを否定することはしないはずである。

 優しい――まぁ、これも辛うじて許容範囲内の共通印象であるといえなくもない。鉄鎖で雁字搦め(がんじがらめ)にされ、その上で開錠不可の鉄箱(鎖つき)に入れられ封印されたような出現率の極めて低い優しさではあるが、時折顔を除かせることがないわけでもないし。

 物腰が柔らかい――この辺りから、花蓮に対する僕らの印象に相違が生じてくる。もっとも、花蓮の物腰の柔らかさを正面から否定し続けているのは僕一人くらいのものだけれど。僕としては、それがさも当然であるかのように辛辣な暴言をぶつけてくる花蓮が、とても物腰の柔らかい、そんな親切で人当たりのよい人物であるとは思えない。というか真逆の人間であるとすら思う。

 言葉遣いが優しい――いや、花蓮に対しこういった印象を抱いている人間の価値観を否定する権利なんて僕にはないけれど、ちょっと意味がわからない。一体どこをどう判断したらそういう結論に至るのだろう。言葉遣いが丁寧、というのならまだ理解できなくもないものの、それが“優しい”となると、果たして僕には理解の及ばぬところである。

「なにさっきから一人でぶつぶつ言っているのかしら……。気持ちが悪いわ。だめ、鳥肌が……」

「……」

 ほら、こんなことを躊躇なく口にできるやつなんだよ!?

 みんな目を覚まそう!

 君たちは騙されているんだ!

「なぁ花蓮。ちょっといいか?」

「3文字以内でなら発言を許可します。……あー、質問で既に3文字を超えちゃってるわね。残念でした。でも仕方がない。今日だけは許可しましょう。純史の汚らしい声が大気を汚染することを」

「……」

 ちょっと質問の許可を得るだけでも、これである。

 いちいち僕を傷つけなきゃ会話ができんのだろうか、この女は。話しているのが僕でなければ、この生粋のマゾヒストである僕でなければ、精神をおかしくしてしまうのではないか。僕でよかったなぁ、花蓮。

「ああ、安心して。あなた以外の人間にはちゃんと優しく接することにしているから」

「……」

 どうやら僕以外の人間にはちゃんと優しく接することにしているらしかった。

 まぁ、つまるところはそういうことなのである。

辛辣にして怜悧にして残虐な態度は僕に対してのみ向けられるもので、端的に言ってしまえば、僕だけが差別されてしまっている。“好きな人には意地悪をしたくなる”――そんなロマンティックで可愛らしい理由ならばと何度思ったことか分からないけれど、しかし、先ほどの発言からの分かるよう、その可能性はまるで皆無なのだった。

 それに。

 僕以外の人間に接するときの花蓮――僕は裏花蓮と呼んでいる――は、そりゃあもう男の理想ともいえるほどに優雅で。親切で。その名の通り可憐で。正直、僕もそんな花蓮に優しくされたいという本音を隠し持っていた。マゾヒストを自称しているだけあって中傷には耐性があるけれど、やっぱり男としては。こんな美女には優しくされたいというもの。

「なぁ花蓮」

「何かしら」

「ちょっと僕にできる限り優しく言葉をかけてくれないか」

「……純史くん。私に何かできることはない? 最近、元気がなさそうだから……。困っていることとか悩んでいることとかあったら、教えてくれたら嬉しい。あなたがどうして困っているのか知りたいし、何に悩んでいるかも知りたいの。私にできることなら、何でもやるから。あなたを余計に困らせるためなら、何でも……」

「もういい!」

 どうしても僕を傷つけたいのかよ!

 困っていても悩んでいてもお前にだけは絶対に相談しないからな!

 弱みとか見せたらもう僕の人生そのものが終わりそうだよ!

「はぁ。ところでさ、花蓮どこ行きたい? 僕は暇つぶしに来ただけだからさ、特に行きたいところとかないんだけど」

「あぁ、また無駄なCO2が……。そうね……ゲーセン」

「お前、ファンの人間が聞いたら本当に泣くぞ……」

 それと、なんの脈絡もなく僕を中傷するのはやめてくれないか。

 ……しかし、ゲームセンターね。

 まぁ、悪くはないかもしれない。最近は僕もご無沙汰だったし。実情を言わせてもらえば、最近は特別課題やら補習やら追試の勉強やらで、余暇時間を娯楽や趣味に回すことができなかったのである。苦手教科は徹底的に苦手(数学や物理は本当に苦手だ。数字なんて見たくもない)な僕だから、いずれは困難が襲ってくるとは思っていたけれど。まさかこれほど苦しい展開になってしまうとまでは予想していなかった。で、ようやく開放されたのが、3日前のこと。

「ま、いいかもな。補習やらも終わったし、今日からは遊びつくす」

「はぁ、補習ね。……しかし、わからないわ。純史、ミジンコ並の知能の割に、国語や社会や英語の成績は学園の中でもそこそこ良い方じゃない。数学とか理科だって、勉強すればできるはずでしょう」

「うーん、きっと勉強してもできない気がするよ。僕は馬鹿だから、考えることとかは苦手だし。閃きってやつもないしね」

 社会や英語は、とにかくひたすら暗記することで成績を伸ばしてきたけれど。国語は……まぁ持ち前の勘の鋭さで解いてきたけれど。数学や理科のように論理的に考える科目は、どうにも苦手だった。たぶん、IQが致命的に低いのだと思う。要するに思考することが苦手なのだ。

 そんな僕だから、後先考えずに。

 それがどんな事態を、結果を招くかも思考せずに。

 あんな取り返しのつかないことをやらかした。 

 僕がもっと考えていれば。考えることができたならば。

 きっと、彼女は。

 こんなにも苦しむことはなかった。

 絶望を味わうことはなかった。

 生きることは、なかった。

 僕の罪。

 僕の業。

 僕の。

 僕の。

 僕の。

 僕の――

「暗い」

「――え?」

 ふと、花蓮の澄んだ声。

 隣を見ると、とてつもなく不機嫌そうな花蓮の顔が、そこにあった

「あなた、私と一緒にいるっていうのに暗すぎるわ。分からないかしら。私と二人きりで出掛けられるのが、どれだけ光栄なことか。どれだけ名誉なことか。それなのに、そんなに暗い顔をして……。いつもそうよ。純史は突然暗い顔になるわ。何かに絶望しているような、何かを必死で責めているような……そんな、本当に不細工な顔になるわ」

 花蓮は相変わらず、尊大な態度を崩すことはなかったけれど。

 それでも。

「だから――私はあなたを中傷するわ。だって気に食わないんだもの、その顔。あなたは私の言葉にだけ絶望して、ただ私に責められていればいいのよ」

 花蓮の言葉に、悪意を感じることはなかった。

 むしろ――安心感を。

 慰安感を。

 温かみを、感じてしまっていた。

「……あいかわらずめちゃくちゃだよ、お前は」

「あら。あなただって喜んでいるじゃない」

 ――まぁ。

 花蓮の言う通り、僕は。

 確かに、喜んでいるのだろう。

 心から、望んでいるのだろう。

 花蓮が向ける、容赦のない中傷を。

 花蓮が放つ、残虐な暴言を。

 花蓮がふるう、最高の毒舌を。

 まったく――とんだマゾヒストだな、僕は。

「――んじゃ、ゲーセンでいつもの仕返しといきますか。勝負勝負」

「勝負っていうのはね、少なくとも実力の拮抗している両者の間で使われる言葉なのよ。私たちの間には、泥と雲、月とすっぽんほどの実力差があるじゃない。……まぁ――いじめてあげるわ。あなたの望みどおりにね――」

 望みは。

 僕の卑劣な望みは。

 穢れきった望みの内の一つは。

 もう、十分過ぎるほどに。

 既に、十全過ぎるまでに。

 叶えられているのだった。





 4


 ゲームセンターを出た(ちなみにゲーム対決は僕の惨敗だった。得意と自負しているゲームではことごとく敗北。おまけに花蓮はクレーンゲームで大量のぬいぐるみと、更にはデジタルカメラまで獲得してみせた。この女、かなりのゲームセンター常連である)僕たちは、そのままデパートに立ち寄ると軽いウインドウショッピングを楽しみ、その後、時刻と空腹具合を配慮して、この喫茶店へと立ち寄った。女性と街へ出掛けたときには、過剰な買い物に付き合わされた挙句に荷物持ちまでさせられると相場が決まっているはずなのだが、どうやら花蓮は現在進行形で現金を所持していないらしく、買い物云々の心配がなくなった代替として経費はすべて僕持ちという、どちらにせよ不本意な事態となってしまった。この女、金も持たずに一体どこへ行こうとしていたというのか。ていうか金持ちなんだから金くらい持ってこい。

「はぁ……今さらになって学校さぼった罪悪感」

「何ごとも後悔ばかりしているとつまらない人間になるわよ。もう完全に完璧に完膚なきまでに手遅れだけれど」

 食後のコーヒータイム。今さらになって姿を現し始めた罪悪感にさいなまれつつ、僕は平常通り、花蓮の毒舌を浴びていた。今日だけで既にカウントできないまでに暴言を放たれ続けているので、もう直接的なツッコミを入れることはなくなっていたけれど、それでもやはり花蓮からの中傷は一向に止む気配を見せることはなく、僕の心の傷はひたすら深まってゆくばかりである。

「まぁ、それは僕だって思うけどね。僕はいつだって後悔ばかりだ。駄目人間になっちまってるのは否定しないよ」

「……妙に素直ね。つまらないわ」

 認めたら認めたでつまらないと言われてしまう始末。

 花蓮は僕に何を望んでいるのだろう。

 ていうか僕はどうすりゃいいんだ。

「まぁ、そうかもね。後悔をすることのない人間なんて、いないのかもしれないわね。かく言 う私だって後悔の連続よ。後悔して後悔して後悔して、最後まで後悔しているの。それこそ 自分の行動、一つ一つにね」

 その後悔の中に僕に対する中傷が含まれているかどうかは甚だ以って疑問極まりないところであるが、しかし、それにしたって花蓮の発言は意外なものだった。花蓮は自分の行動に対して揺るぎない自信を抱いていると思っていたし、行動も、成果も、すべてが(人格を除いては)その自信に相応するものであると、僕の目には映っていたからである。

 まぁ。

 “完璧”という状態が実現し得ない以上、人並みの理想を有する人間には、後悔なんて永遠に、普遍的に伴うものなのだろうけれど。

 天上花蓮。

 僕以外のすべての人間に対しては、ごく品行方正。

 容姿端麗。

 成績優秀。

 富裕の中に育ち。

 運動だって器用にこなす。

 僕のような一般庶民にしてみれば、彼女はあまりによくできた人間で。

 遠く、足元にも及ばないまでに。

「ま、それでも僕はさ――」

 それでも、おそらくは。

 花蓮とて、完璧には程遠い人間なのだろう。

 彼女とて、完全にはなり得ない人間なのだろう。

 だから、後悔だってする。

 僕らとはスケールの違うような後悔を。

 だけど、それでも僕らと同じく後悔を。

「後悔したくないとは思わないな。そんなの、なんか成長しなさそうだし。少なくとも僕は、 後悔の中から学んだことも、あるから」

 後悔と反省。

 意味は違うけれど、結果は同じ。

 それなら。

「僕はこの先も、後悔し続けるだろうね。失敗したことを悔やみもしない、何も感じない、そ んな無感情で無成長な人間にはなりたくないからな」

「……ほんと、どうしようもないわね。もう手遅れだって言ってるのに」

 辛辣で無遠慮な言葉は相変わらずだったけれど。

 それでも花蓮は、どうしようもないくらいに、きれいな笑顔で。

 僕の言葉に、何となくだけれど、頷いてくれた……ような気が、しないでもなかった。

「……つーかさ、花蓮」

「何よ?」

「昨日の夜中……いや、今日の夜中か。 電話してきたろ。結局用事はなんだったんだよ」

 なんでもない、と。確かに言われたけれど。

 心配して送ったメールの返事は、とんでもない内容だったけれど。

 それでも、気になるものは気になるのである。

「しつこい男は嫌いよ」

「…………」

 すまん花蓮。今日は100バリエーション以上もの悪口をぶつけられてきたけれど、今のが一番傷ついた。

 割と冗談通じない男なんだよ、僕。

 冗談だって頭で分かっていても、嫌いって言われるのは苦手なんだよ。

 僕はへこんだ。

「……ちょ……なに本気で落ち込んでんのよ……」

 本気で俯きこんでしまった僕の姿を見かねて、あるいは憐れんで、花蓮が僕に声をかけてくる。

 しかし僕は俯いたまま、答えない。

「…………」

「いや、あの……さっきのは冗談で……」

「………………」

「ほら、あのさ……嘘だよ? うそうそ! 私が嫌いな人なんかと一緒にいるわけがないじゃ ない……ね?」

「…………………………」

「げ、元気だして純史。私、純史のことゴキブリ以下のド変態マゾヒスト男だって思ってるけ ど、それでも嫌いじゃないから、ね?」

 フォローしているつもりか。

 まぁ、さすがにここまで落ち込んでいるというわけもなくて、当然僕の沈黙は演技だったのだけれど、しかしもし僕が本気で落ち込んでいたとしたら、花蓮の言葉は必殺の一撃にもなりかねないのではないだろうか。

 しかし。

 花蓮が僕を慰める、なんて光景、めったに見られるもんじゃない。というかこれが初めてである。なんだか新鮮で楽しくなってきてしまったので、もう少しだけ落ち込んだ演技を続けてみることにした。

「………………………………」

「なんか言いなさいよ、ねぇ。も、もしかして泣いちゃった? う、うー……分からないわ。 こんなときは、どうしたら……」

「……………………………………」

「あ、純史く〜ん? 聞こえてますか〜? あ、謝ればいいのかしら。……ご、ご、

 め……」

「…………………………………………」

「ご、ごめ……ごめやっぱいいやめんどくさいから。あーめんど」

「途中で投げんなよ!」

 “ごめ”まで出たんだから最後まで言おうよ!

 最後の一文字を言うのにどんだけの労力が必要なんだよ!

「やっぱり演技だったのね」

「ぐ……」

 またもあしらわれていた僕。

 花蓮に対してはもう敵対行動を起こさないと決めたはずだったけれど、そこはやはりやられっぱなしというのはあまりに悔しすぎるので、地味な反逆を試みたわけだが。当然の如く、花蓮にはまるで通用していなかったらしい。

「まぁ、それはともかくとして。僕って神経質だからさ。気になったことは気になったままにしておけないんだよ」

 これは僕の勘だけど。

 あくまで勘に過ぎないけれど。

 あのとき花蓮が言いかけたことは、このまま流していいような、そんな軽い、取るに足らない用事ではなかったように思うのだ。

 根拠は何もないけれど。だって勘だから。

だけど、勘であるが故に、気になってしまう。

僕の勘はよく当たるから。

それこそ、超能力のように、魔法のように、軌跡のように。

“当たってしまう”から。

「神経質な男は嫌いよ」

「………………………………………ってさすがに二回も演技するほどノリはよくないからね!?」

 それでも再び嫌いと言われたことにわずかばかりのショックを覚えてしまうあたり、いい加減僕も冗談の通じぬ男である。

「ま、用事があったのは確かだけれど、そんなに急ぐ用事でもないからね。……また後にでも言わせてもらうわよ」

「……そっか」

 花蓮がそう言うのならば、僕はこれ以上追及すべきではないのだろう。

 ひょっとすると、やはり言いたくないことなのかもしれない。一度言いかけて尚、再び鞘に収めてしまったのだから、あり得る。それを無理に聞き出してしまっては。

 余計に傷を抉ることになってしまうことも、あるから。

 もっとも、花蓮の用事とやらがもっと単純な、下らない用件である可能性だって十分にあり得るけれど。所詮は勘だ。

 しかし、まぁ。

 いずれにせよ、花蓮が話してくれるのを待つことにしよう。

 考えなしに深く入り込んでしまうのは、もうやめよう。

 二度と、あんな罪を犯さないためにも。

 消えることのない罪悪を、さらに濃厚にしてしまわないように。

 僕はひたすら黙っていればいい。

 必要とされた場合のみ、力を貸してあげる他はない。

「さ、暗い話はこれまで。せっかく学校をさぼっているのだから、せめてパーッと楽しみましょう。あなたを虐げることで」

「ああもう! この一言さえなければなぁ!」

 暗くなりかけた話を明るく盛り上げる空気の読める人、というような好印象を犠牲にしてまで僕を中傷する必要がどこにあるのだろうか。いや、花蓮にとってはもう、必要だとか、必要じゃないとか、そういうレベルの話ではないかも知れないけれど。

「それじゃあ花蓮、しりとりでもしようぜ」

「しりとり? 随分と子供っぽい遊びを」

 しりとり――様々なローカルルールが存在する、非常に幅広く知られた、というより知らない人間はおそらくこの日本おいては存在しないであろうシンプルなゲーム。しかし、シンプルであるが故に、戦略は無数に存在する。この世に存在する無数の名詞。単純にやり合っていただけでは、おそらく永遠に終わらない。それをどう、自分の勝利という形で終わらせられるか。知識量と言葉のチョイスが鍵となるわけだ。

「子供っぽいなんて言うなよ。暇つぶしにはいいゲームなんだぜ?」

「ふうん。もう何年もやった記憶がないわね」

「ま、やってみようぜ。じゃあ……“しりとり”」

 言いながら、僕は相手が次に口にするであろう言葉を予測し、反撃の手を考える。

 “りんご”“りす”“リース”“リンパ液”……候補は莫大な数に上るが、さすがに二手目で言い淀むことはないだろう。ただ返すだけでなく、特定の字ばかりを相手に要求する技(僕はエレメンタル・ロックと呼んでたりする)をかましてやりたいところ。

 花蓮は。

「“離婚”」

 冷静に、言った。

「…………」

 たまにいるんだ。

 一手目から間違えちまうアホな輩が。

 うっかりミスしちゃってさ。それにしてもとんでもない単語で終わってくれた。

「いや、花蓮……」

「あっ……!」

 花蓮は今になって気づいた様子で、今になって慌てて口を塞ぎ、今になって一度、咳き込みをした。

「今のはなしよ。だいたい、しりとりだからって“しりとり”からはじめるのはどうかと思うのだけれど。陳腐なあなたらしいわ」

「…………」

 いや、“しりとり”から始めるって結構定番だと思うよ!?

 それに反撃の手ならいくらでもあったはずだろ!?

 そんなことで文句つけられても!!

 と、そんなことを花蓮に言ったところで意見が受理される可能性はまるで皆無なので、僕は大人しく彼女に従うことにした。

「それじゃ……五十音の最初ってことで“あ”で始めるか。花蓮から始めろよ」

「“愛人”」

「…………」

 わざとやってるわけじゃないよな……?

 しかし花蓮、二連続でそれはない。いまどき幼稚園児でもそんなミスしない。

 ていうかこいつ、頭良いくせにしりとりが苦手だったりする……?

 それともまさか、しりとりなどというくだらない遊びに付き合っている暇はないとでも言いたいのだろうか。

「……なに黙っているのよ。純史の番よ」

「いや、花蓮……お前」

「何よ……って、あっ――!」

 ぽっかりと。

 花蓮は口を開けたまま、硬直、停止する。

 どうやら素で間違えていたらしい。

 ……勝てる?

 僕は勝てる。

花蓮に勝てる。

 しりとりならば、花蓮に勝てる!

 今まで散々虐げられて、中傷されて、毒舌をぶつけられてきた僕だけれど。しりとりならば、仕返しができる。

 にやり――と。

 僕の顔が、とてつもなく邪悪な笑みに歪んでいるであろうことが、自分でも分かった。

 これは――チャンスだ。

 神様が僕に下さった、千載一遇にして唯一無二の超好機。

 なるほどそう考えれば、僕たちが街中で出会ったことも、ゲームセンターで完膚なきまでに叩きのめされたことも、今の今まで容赦なく虐げられ続けていたことも、すべては偉大なる神のお導きというわけか。

 何たる行幸。

 何たる加護。

 神よ。今までの失礼な振る舞いをどうかお許しください。

「う、ウォーミングアップはここまでよ。次は文字も私から指定するわ。それじゃ、“馬鹿”」

「“カゴ”」

「“ゴミ”」

「“晦日”」

「“カス”」

「“須磨”」

「“マゾヒスト”」

「“トルク”」

「“クズ”」

「“随筆”」

「“ずん胴”」

「“産毛”」

「“下衆野郎”」

「“海”」

「“ミジンコ”」

「“講座”」

「“ザコ”」

「“献立”」

「“底辺”……あ、負けてしまったわ」

「…………」

 どうしてだろうか

 まるで勝った気がしねぇ。

 しりとりの中でまで僕に対する中傷を忘れないとは、さすがに恐れ入る。

 ていうか精神的ダメージで判断すれば僕は完全に負けている。完膚なきまでに叩きのめされている。しりとりには勝ったのにまるで嬉しくない。

 あぁもう!泣きたいよ!

「あらあら……どうやら私、しりとりは弱いようね。それは認めるわ。よかったわね。唯一勝てるものができて。喜びなさいよ」

「喜べねぇよ! お前とはもうしりとりしたくないよ! しかも最後のラウンド、お前アレ全部僕の中傷じゃねぇか!」

「それは自意識過剰じゃないかしら? 全部偶然よ」

「普通なら本当の本当で偶然なんだろうけど、どうしてかな、お前の場合はすべてが意図されていたように思えてならないよ!」

 これもあくまで勘ではあるが、しかし極めて百パーセントに近い確立で的中しているものと思われる。もう僕の勘のよさとかまるで関係なしに。多分、彼女の脳髄には何千語もの暴言(僕専用)が丁寧に保管されていて、彼女はそれを無意識のままに、それでいて容赦なく躊躇なく迷いなく僕にぶつけてくるのだろう。

 反逆は無為にして無碍にして、無意味。

 完全無欠の毒舌魔。

 しりとりの流れさえも味方に付ける女神。

 残虐なる女帝。

 残酷なる邪神。

「さぁ、今度は何をするのかしら? いらっしゃいな、純史。あなたを受け止めてあげるわ」

 暗黒の笑顔はやはり、僕のような小悪党の笑みとは一線を画していたのだった。


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