第二話「天上花蓮の平日な休日」(上)
1
天城花蓮からのモーニングコールともナイトコールともとれない電話によって僕が半ば強制的に覚醒させられたとき、目覚まし時計の時刻はちょうど真夜中の四時を示していた。
睡眠開始から三時間と半刻が経過、起床まではあと三時間もの猶予がある。寝起きということで頭はぼやけ、すべからく即座に電話に出ることなどできなかったが、思考よりも危機能力察知の本能がまず働いたようで、さほどの間を空けることなく電話に応答することができた。命拾いした。
「……いま何時だと思ってる」
「午前四時一分三十二秒」
どうやら分かっていた上で電話してきたようだった。
かなり性質が悪い。
「あの……これ以上ないくらいに真夜中なんですけど?」
「知ってる」
どうやら知っていた上で電話してきたようだった。
かなり性格が悪い。
「……嫌がらせか?」
「うん」
どうやら嫌がらせらしかった。
彼女の性質も性格も、邪悪にして極悪にして巨悪であることは疑いもなく明らかであった。なんというか、性根が黒すぎる。
純白ならぬ、純黒。
即座に電話を切りたくなった。
「……って言いたいところなんだけどね。今回は違います」
どうやら違うらしかった。
彼女の性格に関する前述を撤回するつもりはないが、今回ばかりは悪戯半分嫌がらせで僕に電話してきたわけではないらしい。なんと珍しいこと。うまくすれば、10月の雪景色を拝めるかもしれない。
あまりの珍現象に言葉を失っていた(心中では饒舌なくらい失礼なことを考えてはいたが)僕は、花蓮の「なんか失礼なこと考えてない?」という声で現実に戻される。
「……で? お前が嫌がらせじゃないとすれば何の用事だよ?」
「……あなた、私が嫌がらせ以外では用事がないとでも思っているわけ?」
悪いが、その質問に関しては全面的にイエスと言わせていただく他はない。嫌がらせをひとつの用事として成立させてしまうような腹黒い輩を、僕は花蓮以外には知らないのだから。
それよりも、用事ってなんだろう。
こんな真夜中に電話をしてくるくらいだから、仮にこの行為が悪戯でないとすれば、何か重要な用事である可能性がないわけじゃあない。
「…………」
「……?」
しかし――沈黙。
花蓮の次の言葉を待っているものの、一向に花蓮が口を開く気配はない。
電話から離れているのか。
――いや。
呼吸、息遣いは聞こえる。
花蓮が僕と同じように電話を耳に当てているのは確かだった。
長時間の沈黙に耐えかね、僕から話を切り出そうとすると「……やっぱいいわ」というややトーンの落ちた声が電話越しに聞こえてきた。
「え? やっぱいいって――お前、用事があったから電話してきたんだろう?」
「ま、そうなんだけどね。眠いからいい。あなたもこんな時間まで起きてないで早く寝なさい」
起こしたのは完全にお前だが。
花蓮は「それじゃね」と言ったかと思うと、僕が引き留める間もなく一方的に通話を終了させてしまった。
「…………」
理不尽である。
極めて理不尽である。
こんな真夜中に人を起こしておいて、勝手に、それも一方的に話を終わらせた花蓮。明日からあいつのあだ名は“李 夫人”に決定だ。なんだか素敵な響き。
「ったく――なんなんだかね」
ともかく。
これでまた眠れる。
気がつけば電池残量が限りなく0に近かった携帯電話をACアダプタに接続させ、僕は再び布団をかぶると、早々に睡眠の姿勢に突入する。
「…………」
…………。
………………。
……………………。
ああ、気になるな、畜生。
大体だ。こんな夜中に突然起こされたら、目だって覚めちまうというもの。
僕はACアダプタに接続されたままのケータイ電話を開き、メール画面を表示、そのまま花蓮に『本当に大丈夫か? 話あるならいつでも聞くぞ』という旨のメールを送った。
花蓮――毒は吐くが、嘘は吐かないやつだ(もっとも、それは僕に対する中傷が花蓮の偽りない本当の気持ちということになってしまうが)。そもそも、嫌がらせなら嫌がらせだと言い切るタイプの女である。おまけにかなりの強がりときている。
用事があったというのは――おそらく本当のことなのだろう。
わざわざ起こしたなら、最後まで聞かせろ。馬鹿。
その後数秒の間を隔てて、花蓮からメールが返ってきた。
以下、内容。
『レールガンって知ってる? 電磁加速砲とも言って、物体を電磁誘導で加速させて打ち出す兵器なのだけど。あれ、当たると痛そうだよね? 本当に痛そう。あ、いや。体の半分くらいは一瞬で持っていかれちゃうから、痛いと感じる間もないかな? でもさ、当てた方は結構爽快だと思わない? なんていうか、ストレス解消? 壁とか古くなった建物とかに当てる分には、道徳的な問題はないだろうし。というわけで、至急レールガンを手に入れて、私に献上して頂戴。あなたに当てたいと思うから。あ、それと……』
「…………」
ぱたりと。
携帯電話を閉じる。
うん。
もう見ていられない。
ていうか途中でやめた。
こんな壮絶な文章を考え出し、数秒で打てるものなのか。どんだけ僕に殺意抱いてるんだよ。
「……寝る」
思えばこのとき、最後までメールを読んでいればよかったのだ。
加虐的で有毒で辛辣な言葉で飾り立てられたメールに込められた、本意に気づくべきだったのだ。
僕は。
予想することすらできなかった。
花蓮の、彼女の置かれている状況に。
このときは、まだ。
『あ、それとも私に当ててくれる?』
2
言及すべき長所も特筆すべき取り柄もこれといった才能も持ち合わせていない僕が他人に誇れるものがあるとすれば、悲しいかな、それは勘の鋭さくらいのものである。
“勘”と聞いて。
馬鹿にすること勿れ。
長所も取り柄も才能をも犠牲にしてまで手に入れたその“勘”に、僕は今まで数え切れないくらい多くの場面で救われてきたのである。毛ほどの根拠もないような勘を狂信的に信奉する僕を人は哀れみ憐れむが、そんな他者からの憐情こそ毛ほども気にならないまでに、僕は、自身の勘に対して絶対的な信頼を置いているのだった。
その自慢の勘を以ってして、僕は漠然と予想していたのだ。
真夜中、花蓮によって叩き起こされたときから。
こんな事態に陥るであろうことを。
目を覚ましたときには、既に始業時間を過ぎていた。
端的に言えば、寝過ごした。
「……なんで」
なんで起こしてくれなかった、心奈よ。
一緒に住んでいるのだから、せめて起こしてくれたっていいじゃないか。
まぁ、心奈は普段から僕に対しての気遣いなど微塵も見せることはないので、今さら驚くべきことではないが。そもそもすべての責任は、目覚まし時計に対し徹底的にシカトを決め込んでしまった僕自身にある。
それにしても。
単位数ぎりぎりだというのに、僕という奴は……。
「でも、今さら行く気にはなんねぇんだよな……」
現在時刻、午前十時五分。既に二限の授業が始まってしまっている時刻である。
単位的にもっとも深刻な状況にある数学の時間にはもう間に合うわけもないので、なんというか、焦って準備してまで、また今から準備して行ったところで三限の授業には突入してしまっているだろうし、とても学校へ行く気にはなれなかった。
「……」
よし。
さぼってしまおう。
なあに。今日一日くらいさぼったところで、卒業に影響したりなんてしないさ。
しないはずだ。
「うむ。しない」
納得して、僕は、とりあえずベッドから出ることにした。うっかりすると三度寝という若者としてあっちゃいけないような不健全極まりない事態に陥りかねない。
しかし、さて――学校に行かないとなると、まるで暇になってしまった。
だったら学校行けよ、とも思うものの、一度さぼりを決め込んだ僕の頑固で強靭な意志は、梃子でも動いてくれそうにない。もはや自堕落の塊である。
こんな家にいてもやることはない――余談だが、趣味の一つであったテレビゲームは心奈の手によって完膚なきまでに破壊されてしまった。詳しくは後ほど――ので、街中へと出掛けることにする。こんな真っ昼間からパソコンに向かうというのも、なんとなしにニートを連想させる行為な気がしたので自粛しておいた。
流石に学校をさぼっておいて制服で街中をうろつくわけにもいかないだろう。僕は制服でなく私服に着替え、ひと通りの準備を済ませると、早々に家を出た。
庭には通学用の自転車が停めてあったが、別に急いでいるというわけでもなく、むしろ時間潰しが目的であるし、駐輪場の料金(40円)を払うのも勿体ないので、僕は歩いて街中まで向かう。まぁ、歩くのは好きだし。何か特別な理由があって好き、というわけではないけれど、無論、健康的であるというような理由からでもないけれど、ともかく、こうやって歩きながらゆっくりと目的地へと向かうのは、嫌いじゃなかった。移動手段としての自転車や自動車にはない、なにか不思議な趣――漠然としてはいるが、適度な疲労感や満足感のようなものが、徒歩にはある。
ううむ。
我ながら、なんだか詩人みたいだ。
そんな風流心なんて塵ほども持ち合わせていないくせに。
そういえば先日、“和歌づくりに挑戦”なるなんとも趣旨のよく分からない授業が行われたのだが、その授業の中で僕が作り上げた和歌は、十段階十点満点中マイナス六点という限界を突破した記録を叩き出した。やはり下ネタはまずかったらしい。(ちなみに武羅雄は採点不可。ぼかしを入れないと公表すらできない代物を創造した。)
――と。
街中に近づくにつれ、段々と数を増していく人混み――その中に、見慣れた人物を見つけた。
伯愛学園高等部の制服。二つのクロワッサンがぶら下がったような、名称不明の髪型(しかしその髪型がまた驚くほど似合っていて、優雅で上品な雰囲気を惜しみなく醸し出している)。周囲の男の視線を釘付けにするほどの美貌を持った少女。
天上花蓮。
完全無欠の毒舌魔。
「あいつ……」
学校にも行かないで、平日の昼間からこんなところで何をやっているんだ。
そんな、自分のことなどまるで棚上げしたような極めて自己中心的な疑問を浮かべつつ、僕は花蓮に近づいてゆく。
そして。
「動くな」
銃の形を真似た右手を、花蓮の背中に突きつける。
花蓮は。
「……っ!」
と、少し身体を強張らせると、歩みを止めた。
「俺はこの町に潜伏している殺人犯だ。今までに五人もの市民を惨殺した。ほら、“コイツ”の感触が分かるだろ?」
そう言って、僕は右手を花蓮の背中にぐりぐりと押し付ける。花蓮は“びくん”と再び身体を緊張させ、驚きで乱れた呼吸を落ち着けるためだろう、一度大きく深呼吸をした。
「――抵抗はしません。何がお望みですか?」
少し震えた声で、花蓮は答える。
いや。
声だけでなく、身体も震えていた。
……あれ?
おやおや?
もしかしてこの子、僕が本当に殺人犯だと思ってしまっている?
にやり――と。
僕の顔が、とてつもなく邪悪な笑みに歪んでいるであろうことが、自分でも分かった。
これは――チャンスだ。
神様が僕に下さった、千載一遇にして唯一無二の超好機。
なるほどそう考えれば、花蓮が夜中に僕を叩き起こしたことも、僕が今朝寝過ごしてしまったことも、心奈の手によってゲームが破壊されてしまったことも、すべては偉大なる神のお導きというわけか。
何たる行幸。
何たる加護。
神よ。今までの失礼な振る舞いをどうかお許しください。
「そうだな……。まずはこの場で、《私は変態です。醜いメス猫です》とでも言ってもらおうか」
普段の僕にはあるまじきサディスティックな発言。
まぁ、たまには僕にも仕返しくらいさせろ。いつも僕がやられてばかりじゃとても釣り合いが取れない。いくら僕が自他共に認めるマゾヒストだったとしても、精神を崩壊させるような暴言に耐え得る人間だったとしても、むしろそれを甘んじて受けているのだとしても、千回に一回くらいは反撃もしたくなるというもの。
だから、せめて今だけは。
この憐れな少女で、楽しみ愉しみ樂しみ娯むとしよう。
「……私にも、プライドというものがあります。抵抗はしませんが、理不尽な要求には――従うことは、できません」
身体を震わせながらも、声を震わせながらも、彼女は芯の強さを見せつけるかのような発言を、僕に返す。
しかし。
――この構図は、少しまずい。
完全に僕が悪役である(もちろん悪役ということに変わりはないが、花蓮は普段から僕に対して常軌を逸した嫌がらせと暴言の嵐を浴びせてくるので、今僕が行っているような行為は所詮可愛い悪戯のレベルに過ぎない)。要求内容を若干柔和することにする。
「ならば、ニャーとでも啼け。それくらいはできるだろう」
「……にゃ、にゃぁ……」
「……」
思わず絶叫したくなった。
想像以上の破壊力。
大量殺戮兵器。
尋常じゃなかった。
冗談じゃないぞ、本当に。
「……? どうしました? これで開放していただけるのですか?」
「……え? あ、いや」
いけない。
僕がやられてどうする。
思考を切り替えて、僕は。
「お前は女子高生……だな。その制服は伯愛学園のものか。顔の造りは美人だが、やはりまだ幼さは残っている。だったらだ。好きな男くらいはいるよな。……名前を言え」
花蓮だけれど。
残虐で残酷で毒舌で辛辣で非人道的で非倫理的で非道徳的な花蓮だけれど。
それでも、思春期の女子学生であることに変わりはないのだから。好きな人とまではいかないにしても、気になる男くらいはいて然るべきというものである。こんな方法で好きな人を聞き出す僕こそ非道といえるかもしれないが、またそれは紛れもなく疑いもなく真実であるけれど、それでもこの好機を逃す手はなかった。
男に対し興味がある素振りなど、微塵も見せることはない花蓮。彼女の心は、彼女の視線は、一体誰に対して向けられているのか。
正直言って、気になってしまっている。
「白河――純史」
刹那。
僕は、自分の耳を疑った。
聴神経が、絡まって、ほつれて、乱れて。
きっと。
これは幻聴だと。
そう思った。
「優しくて……私が何を言っても、平気な顔してるんですよ。自分の中にたまったストレスをぶつけて、ぶつけて……普通ならもう壊れていてもいいくらいなのに、全然ものともしないで。だから、私も甘えてしまうんです。そんな彼の優しさに」
普段と異なっているのは、どうやら僕だけではなかったようで。
声。
透き通るように真っ直ぐで、甘美な心地よさは変わらず、しかし平時の花蓮からは想像できないくらいに柔らかな――声。
美しいと。
そう感じた。
彼女の言葉が、聴神経の異常による幻聴ではないと、はっきり理解できた。
「おっちょこちょいで。救いようのない馬鹿だけど。そんな短所に負けないくらいの優しさと、意志の強さを持っている。そんな純史のことが、私は――」
僕は。
僕の手は、いつの間にか花蓮の背中から離れていた。所在なさそうに宙へ彷徨うその手のひらには、大量の汗が滲んでいた。
そして。
「――心の底から、反吐が出るくらい大嫌いです」
「……」
あれ?
あれあれ?
あれあれあれ?
おかしいな。聞き間違いかな。文脈と前振りをまるで無視した言葉が花蓮の口から放たれたような気がしたけど。うん?聞き間違いじゃないって、僕の聴細胞も聴神経も至って正常だって、さっきはっきりしっかり理解したはずなのに。
「大体、気持ちが悪いんですよ。だってやられて喜んでるんですよ? うわぁ……ってなりません? むしろ、おえ……ってなりますよね。はぁ。思い出したら鳥肌が。将来は絶対にSМクラブとかに出没しそうですよね。いじめて、いじめて〜って。いじめてくれないと死んじゃうぞ〜って。マゾっていうか変態かな。性癖っていうか性欲? ははは、すみませんちょっとトイレで吐いてきてもいいですか?」
「………………………………」
どうやら幻聴などではなかったようだった。つくづく聞き間違えなどではなかったらしかった。
さすがに幻聴にここまでの破壊力はない。なんだか鼻の上辺りがツーンとしてきた。
ていうか、そこまで言うか?
そもそもお前、今お前の後ろにいる人間は僕じゃなくて、殺人犯だと思い込んでいるはずだろう。
君が今放った台詞、すべて他人に向けられているんだよ?本人でも知り合いでもなく、初対面の人間に向けられているんだよ?友達に対する残酷なまでの悪口を、まるで関わりのない人間にまで言っちゃうわけ?
しかも僕はSМクラブになんぞ未来永劫訪問する気はない!
第一、お前だって女王様として出没しそうだよ!
「好きな人は……すみません、いません。本当に。でも、嫌いな人なら間違いなく白河純史です。断言できます」
断言しちゃうなよ。
そこはぼかそうよ。武羅雄の和歌くらいにはぼかそうよ。
頬を伝うこの暖かな感触は一体。
「嫌いです」
分かったから。
分かったからもう言わなくていいよ。
しつこいよ。
もう黙れ。
つーか、もしかしてこいつ、僕の正体に気付いてるんじゃないのか。
「他に何か要求はありませんか?」
花蓮はこちらを振り向かず、言った。
僕は。
悲しみのあまり、言葉を口にすることすらできなかった。
今声を出してしまったら……涙声なのが完全にばれる。
「あの……どうしました? 殺人犯さーん?」
「……」
「ねぇ? ねぇ? どうしたんです? 次の要求を。早く」
「…………」
「もしもーし……」
「………………」
「は。もう終わり? 虫が」
「おい!!」
やっぱ気付いてんじゃねぇか!
花蓮はようやくこちらを振り向くと、いつも通りの邪悪な笑みを浮かべた。
その笑顔は。
先ほど僕が浮かべたような子悪党の笑顔とは、まるで一線を画したものであった。
まさにこれこそが、本物の――悪魔の微笑
「いつから気付いていた?」
「最初から。《動くな》なんてこんな街中で宣言しちゃうお馬鹿さんは、あなたくらいしかいないから。それに、銃と指の感触の差くらい私にだって区別できるに決まっているでしょう。まぁ、一番のヒントはあなたの耳に障る不愉快な声だけれど。遊んであげてたのよ。あー面白かった。乗り気になっちゃって、まぁ……」
ほんと腹黒いよ!
しかもなんでお前の台詞にはいちいち僕に対する暴言が伴うんだ。
第一――突然、背中に指を押し付けられて脅迫されたら、普通は正常な思考なんて働かない。背中に押し付けられている物体はなにか、という疑問よりもまず、背中になにかを押し付けられている、という事態に恐怖を覚えてしまうというものだ。
天城花蓮。
つくづく恐ろしい女である。
たとえそれが、神のお導きであろうとも。
もう彼女を敵には回すまいと、心の底から決意した。
「……で、あなたの用事はなに? ちなみに私は暇つぶしに歩いていたわ。あなたにどんな用事があろうと、たとえそれがあなたの葬式であろうと――私の暇つぶしが優先されるけれど。それでも一応聞いておきましょう」
「……」
もう突っ込むまい。
こいつは清々しいくらいいつも通りである。やはり花蓮の甘美で突き抜けるような声色は、残酷な台詞にこそ似合うというものだろう。なんというか、しっくりくるというか。僕がマゾヒストだから、暴言を向けられて喜んでいるなどということでは、断じてない。
ところで。
用事か……。いざ問われてみると、どうだろう。正直、花蓮を見かけたからただ声をかけただけだったから。これといった用事があったわけでもない。花蓮ではないが、僕とて暇つぶしの域を出てはいないのである。
「まぁ、僕も暇つぶしだよ。学校にも行かないで、こんなところで何をやってんだろうって思ってさ。そんで声をかけてみた。」
「あら? それはまた自分のことをこれでもかというくらいに棚上げした質問ね」
あらかじめ自分で突っ込んでおいたのに、再び突っ込まれてしまった。
まぁ――確かに、お互い学生であるのにも関わらず、こうして僕と平日(しかも真っ昼間)の街中で出会うのは、彼女にとっても不思議、というか普通ではないことだから。しかし僕は、寝坊した、なんてありきたりな理由ではあるのだけれど、花蓮は一体どういう経緯で、どんな理由で街をうろついていたのだろうか。僕と同じく寝坊。それはないか。
ちなみに花蓮の自宅は、不必要なまでに巨大な純和風の屋敷である。何度かお邪魔した(連行された)こともあり、初めて花蓮の住む屋敷を拝見したときには、そのあまりの巨大さに驚々愕々としたものだった。庭に巨大な池と獅子脅しのある家屋を見たのはそのときが初めてだった。そして今どき、家に複数名の女中がいる。メイドではなく、女中である。しかしまたその女中さんの一人がとてつもない美人で。和服の似合う大和撫子といった感じの方で。彼女と花蓮とのツーショットは、見るだけで軽く五回は失神できるほどの衝撃的かつ魅力的な光景だった。
まぁ、そんなわけで。
花蓮は毎朝その女中さんに起こされることになっているらしいので、寝坊という可能性は皆無なのである。
「まぁ、言うまでもないだろうけどさ。僕は寝坊し」
「ちなみに私はただの気まぐれよ。なんとなく今日は学校に行きたくない気分だっただけ。たまにはそんなこともあるでしょう?」
「……」
確かにそんなこともある。
そんなこともあるけどさあ。
僕がしゃべっている途中に、それを遮るように発言するなんて、そんなことしなくてもいいじゃないか。
「ところで、あなたはこれからどこかに向かうところ?」
この女、僕が悲しむいとまさえ与えてはくれないようである。
「……や、僕はさっきも言ったようにただの暇つぶしだから。特定の目的地ってのはないんだけどな。まぁ、今から街中でも行こうかなって思ってたとこ」
「まあ、それはそれは。光栄に思いなさい」
花蓮は、ぱちんと大きな音を立てて胸の前で手を合わせたかと思うと、どこか誇らしそうに、それでいて漠然と僕を見下したふうに、そう言った。
「あなたの暇つぶしに。私も付き合ってあげるとしましょう」




