第一話「ココロとこころと心と心奈」(下)
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“容赦”、またはそれに近い意味を含む単語を、まるで掲載していないであろう辞書を脳髄に搭載する心奈の暴飲暴食暴買のせいで、僕の財布も心中も、非常に寂しいものとなってしまった。こんなことになってしまうならば、調子に乗ってケーキの大食い対決なんてしなければよかったと後悔する。
「ま、金ならいくらでもあるんだけれどね――」
両親の仏壇を前に、独白。
彼らが僕に残してくれた、莫大な遺産。研究者として、一生――そう呼ぶにはあまりに短い期間だったけれど――かけて稼いだ、資産。
両親は学会でもそれなりに有名な研究者だったらしい。両親の仕事にも、そういった世界にもまるで関与のなかった僕にとっては、まったく実感のなかった話だけれど。死後判明した彼らの収入から、それははっきりと分かった。
しかし、有名な学者としての収入を得ていた割には――僕ら親子は、あまりにも質素すぎる生活を送っていた気がする。自分の家庭が本当は大金持ちだったことを、僕は両親の死後まで知ることはなかった。その分、預金や保険金は、驚愕するほどに、それはもう莫大な額ではあったけれど。
「普通の生活がしたかったのか? ははっ。本当に僕と似てるんだな。僕も普通の生活が一番いいと思うよ。けどさぁ、もう少しリッチな思いくらいさせてくれてもよかったんじゃないか?」
苦笑いを浮かべながら、僕は独白を続ける。
彼らの死から、既に一年が経過しようとしていた。
孤独感は、既に薄らいだ。
だけど、この虚空感だけは――永久永遠一生涯かかっても、薄れることは、まして消えることなど、絶対にあり得ないのだろう。
「ったく。人に散々我慢させておいて、謝りもしないで逝っちまいやがって……」
いい加減、僕も両親の死を乗り切らなければならない。ならないというのに――
と、このタイミングを見計らったかのように、聞きなれた着信メロディーが僕のケータイから流れ出す。僕は通話ボタンをプッシュし、電話を耳に当てた。
「あ、虫くん?」
「いつもと違って短く非常に簡潔だが、断然一番傷ついたよ」
甘美な響きを含む心地のよい声で、平然と毒舌を僕に向ける――花蓮。
毎晩。毎晩毎晩毎晩、本当に欠けることのないくらい毎晩、ほとんどこのタイミングで、天城花蓮は僕にナイトコールをしてくる。
しんみりとした気持ちを吹き飛ばすくらいに辛辣な毒舌を、僕に吐きつけるために。
「まーた元気ないのね。この時間はいつもそう。なにしてんだか知らないけど、落ち込んでいる声を聞くとゾクゾクす――じゃなくて、こっちまで暗い気分になるから、元気出しなさい。命令。反論したら青酸カリ」
発言のところどころに彼女の本性が見え隠れしている気もするが、花蓮は花蓮で、僕のことを心配してくれているということなのだろう。これが――散々毒舌を向けられようと、罵られようと、踏まれようと、僕が天城花蓮を嫌いになれない、むしろ好意を抱いてしまっている理由なのかもしれない。もしくは、ただ単に僕の性癖。
「しんみりした声が聞きたくないなら、もう少し遅くに電話してきてくれればいいよ。そんときゃもう元気だろうから」
「ばかね――」
僕の発言を、彼女は呆れたように鼻で笑うことで一蹴する――
「落ち込んでいるときに私の暴言でさらに追い詰めるのが、たまらなく快感なんじゃない」
彼女は電話の向こうで、いつものような、何の屈託もない腹黒笑顔を浮かべているように思えた。
「――……ま、そうだな。僕もその方が快感だよ」
「うわ。変態。エロ。童貞。狂乱的マゾヒスト男」
「馬鹿な……反論できる要素がひとつもないだと……!」
「……少しは反論して。本気で引くから」
花蓮は僕を元気付けようとしてくれているのか、それとも、ただの性癖なのか――
僕は花蓮の毒舌で元気付けられているのか、それともただの性癖なのか――
そんなことは、もうどちらでもよかった。
「ふぅ……」
その後一時間ほど話をしたところで、花蓮との通話を終える。あぁ、明日も朝からこんな毒舌を浴びるのか。昼も。そして、また夜も。
そう考えると、ゾクゾクす――非常に憂鬱だ。
「あっくーん、通話終わったー?」
ノックの音とともに、ドア越しに心奈の声が聞こえた。
「ああ――終わった」
「そっか」
ガチャリと扉を開けて、心奈が入ってくる。
薄い水色の、フリルをふんだんに使用したパジャマ姿。どうやら風呂上りのようで、髪の毛はごくわずかな湿り気を帯び、体はほのかな湯煙を上げていた。
いい加減見慣れてきたとはいえ、心奈のような美少女の湯上り直後のパジャマ姿には、どうにもそそるものがある。ぶっちゃけエロい。パジャマは薄いし。
「相変わらず――変態さんなんだね、あっくんは」
心奈はため息をつきながら、呆れたようにぼやく。
「また、ココロを読みやがったのか……」
「違う違う、顔でわかったよ。エッチっぽい顔で」
「何を言うか。僕はこれまで見た目だけは紳士のようだと2人の女子に言われたことがある」
「それはそれは……ツッコミどころたくさんある台詞だね。ウソじゃないから尚更」
僕の発言が虚偽ではないとはっきり分かるということは――彼女はまた、あの“力”を使っているのだろう。
人のココロを、自由に読む力。
使用禁止とはいっても、それはあくまで目安のようなもので、強制ではないから。彼女はこの17年間、この“力”と共に生きてきた。この“力”に支えられ、生きてきた。それは今さら、簡単に手放せるものなんかじゃないと思うから。強制なんて真似は、僕にはできなかった。
「まったく、あっくんは寝ても覚めてもエッチなことばかりだね〜。私はいつ教われちゃうんだろ〜? にゃはは」
それでも僕は、彼女に“力”を使ってほしくはなかった。
使ってほしくなかった。
だから今回も、こうして彼女を咎めるのだ。
「こら心奈。禁止だって――約束だろ」
第一話「ココロとこころと心と心奈」――is the end




